十三 望んで
父は中央から遠く離れた辺境に位置する王国の傍系。本来ならば出世などたかが知れていたのが、偶然にも跡取りのいなかった主家の跡取りとして婿養子になる。母はそんな主家の生まれ。一人娘として大層可愛がられ、箱入りも同然だった。父は貪欲でありながら堅実。非凡ではないが愚鈍でもなく、現実を的確に把握し、地に足を付けて領地を経営してきていた。
山岳地帯と砂漠ばかりでわずかな平野部を生命線としている地域。波斯虎族が古来より根を張ってきた土地は、お世辞にも豊かではなかった。痩せきっている土地での暮らしは決して楽でなく、長い歴史があったおかげでなんとか暮らせているに過ぎない。
かつては鉄器をいち早く導入して、周辺に覇を唱えることもあった。しかし西北から遠征してきた勢力との戦で大きく損耗し、現在の領地に籠ることとなる。山がちで進軍のしやすい平野はほとんどなく、攻め手を限定できた。守るにはこれとない立地であった。そうして先祖代々の領地となってしまって二千年以上。
「お前は将来のためにしっかりと学んでおくのだぞ」
幼いころからシャフールは父の言いつけ通り、ただただ自分を磨いていった。歴史こそ長い家であったものの中央の外戚になったことない。そのため歴史だおれだとされてきた。
種族融和。それこそが中央であるマスカヴィア王家代々の思想。だから滅ぼされなかっただけ。そう決めつける者すらいる。だからこそ、悲願たる中央たるマスカヴィア王家の外戚になって厚遇してもらわなければならない。農地の開拓に国内のさらなる整備すら現状行き詰まりかけているのだ。
そしてやっと好機が来たはずった。しかし、それは夢想でしかなかった。王妃をお披露目すると夜会を開いたあの夜、シャフールにそう悟らせた。花嫁争いと体裁こそとったのは、外聞を気にして。実際はもう決まっているはず。それでも何としてでも入り込むしか道はない。望みは薄いが、なんとしてでも取り入れ。彼女の父はそう言って、送り出していった。
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身動きのとれない状況でも動揺せず、追い込んできた相手を有栖は責めもしない。
「やっぱり、譲れない。譲れないし、私はシャフールさんのことをこれ以上、傷つけたくない」
「では、どうするのですか?あなたの命は、今や私の掌の上。どんなことになっても、ひと思いにその首を掻き切るかもしれないのですよ?」
冷やりとした感触が、有栖の首全体を支配する。瀬戸際と言い表せる、際どい場面。彼女の言う通り有栖が少しでも逃げようとしたりすれば、その時点で終わるのだ。
「さあ、どうします?泣いて許しを請うのでしたら、命だけはとりませんが」
どこか寂しげにシャフールは嗤った。首筋に近づけていた片手で有栖の頬を撫でながら。軽蔑でなく、もっと違う感情。そこでまた、彼女のかつてが、断片的に流入してくる。
王国から見れば東の辺境とされる国。山と砂漠ばかりの、厳しい環境。だからこそ彼女の父は一族の隆盛のために、娘たちを道具と捉え、あらゆる手練手管を学ばせた。三姉妹と末子たる弟。父の言うことが間違っていようと、そうするしか道はなかったようだ。
(下の妹たちや弟には、せめて幸せであってほしかったんだね)
姉弟の幸せ。それは有栖にとっも他人事ではなかった。過去に触れてしまったのだ。否が応でもなんとかしなければ。
「あなたはそんなこと思っていない。本当は、自分が間違っていると、わかっているのを私は知ってる」
その苦しみは彼女自身のもの。有栖には寄り添うことはできても、これからを諭すことは無理だ。導くことなどもってのほか。
「私の何を知っていて、そんなことを言うんですか」
普通ならそうだ。知っていなければ、偽善ですらない子供の戯言。だが、有栖は違う。
「知ってるよ。知ってるから、言える。あなたの本当の想い、それでも今までを無駄にするのができないから、大切な人たちのためにも進むしかないのも知ってる」
「なにを言って・・・・・・」
そこで有栖へ向いていた視線を外される。
「・・・・・・っ!?」
数歩後ろへさがる。わかったのだ、眼前の人間が己のすべてを見透かしているのが。未知への恐怖が、有栖に流れてきた。これはシャフールの感情。何度も、数えきれないほどあった、見知っていた思い。彼女はいくつもの考えをめぐらすも、納得のいく答えを得られず、外していた視線をまた合わせる。
「あなたは、いったい・・・・・・?」
外部の、それも人間になど、知られていないはずのことばかり。狼狽しきっても仕方がないのは、有栖がおかしいから。
(こんなモノにもあった意味を見出せる日が来るなんて)
相手の内面から、記憶の全て、わずかに未来すら垣間見ることもあった。それは苦痛でしかなく、有栖自身を人の和から外れさせ、孤独にした。天が与えたというより、さながら天そのもの。
ありえない現実がシャフールを襲う。何もかも筒抜けなのだ、無理もない。
「知ってなお、助けないのですね」
「その苦しみから助かるには、どこまでいっても自分にしかできないから」
有栖の実感。たとえ同じ種族であっても、相手の出自を深く知っていても、そうにしかならない。
「だから私は譲れないの。私は王様と一緒にいたくて、譲りたくないってわかった」
蹴落として、蹴落として、また蹴落とす。蹴落とした先でも彼女は自分のための犠牲を無駄にしないために、引き下がることなしない。そして、いつか大切な人たちの幸せを目にするたびに彼女を追い詰めだす。すでに蝕みはじめている、過去の犠牲が。白銀の王もそうなろうとしていた。
(本当は、私がいるべきじゃないのは知ってる)
彼女に譲っても、よかったかもしれない。だが、それはきっと、駄目だ。自ら茨を選択した。ならば傷だらけになっても、進むことしか許されない。有栖はここ数日個人的な感情ばかりが先行している。失笑されてもおかしくないことだ。
そう思っていた。有栖には貴族の常識がないが、それぐらいは予想できる範囲。だが、シャフールは羨望ともできた、優しい眼差しをする。
「なぜ、そこまでわかるのにほっとかないのですか。こんな出来の悪い生き方しかできない者など、最初から捨て置けばよいのに」
自覚もあり、それでも進もうとしていた。清濁併せのみ、どれだけ汚い手をしようと。
「私には見過ごすことはできなかった。だって、辛そうだったから。どんなに取り繕っても、いつかの可能性にいつも怯えている」
いつか、己を殺しにくる。かつて白銀の王も同じ道を往こうとしていた。出会うまでに流した血は、もう変えられない。それでも、立ち止まることを許されない境界線は踏み越えていなかった。弟の血で手が汚れれば、その先へ行ってしまっていた。
彼女、シャフールも同じ。決定的な地点こそ越えていないが、今にも自身の在り方を固定する、最大の岐路に立っていた。いつくつもの側面を人は持つが、一面に固定化されたの者はもはや人ではない。人ではなく、機械でしかない。もしくは神の類。
身近な人にはただ、笑っていてほしい。それだけが有栖の願い。ささやかだが、強欲に求めてしまう。そんな人間の少女の子供っぽい理屈を、シャフールは嬉しそうに受け止めていた。
「やはり、勝てませんね。陛下の寵愛を一身に受けても、驕らない。最初から私に勝ち目などなかったのですね」
「そんなことはないよ。私なんか相応しくないのに、本当はあなたみたいな人に譲るべきなんだと思う。でも望んだなら、望んだ地位の重みに耐えるために前へ行くしかないの」
気づいていない。前へ進むしかなくなることを否定しながら、己には前へ進むことしか許してない。矛盾し、立ち止まる機会でも前へ前へと前進する。まだ数時間ほどしかまともに話していないシャフールですら、それを感じていた。
「きっとどんな状況でも、そうするのでしょうね」
四姉弟の長姉である彼女の琴線に触れたのか、爪を収め、柔らかな手つきで有栖へ触れている。触れて、わずかに曇り、離れた。そして、ゆっくりとバルコニーの奥へ歩いていく。外へ目を向けるのを、有栖は横目で追うのみ。
「私の今までは無駄だった。内心ではわかっていたの。でも父様は、国のため、一族のために身を粉にしてきてた。それに応えたかった、応えなければ父様を否定することになると思っていた」
「ごめん。私の所為で・・・・・・」
「いいのです。私はとっくに負けていたのに、認めたくなかっただけですから」
第一子だからこそ、より良い嫁ぎ先へ。そうすれば一族の隆盛にも繋がる。ならば、これからどうなる。みすみす機会をものにできなかった不出来な娘と謗られる。
(何か方法は)
図らずとも有栖は、シャフールを蹴落とした。譲れないのは変わらないが、それは良いことだったのか。何もない者と、既に背負っている者とでは違う。正しいとは思わない。助けることができなどと、自惚れてもいない。そんなこと考えたところで、なににもならないとは有栖自身わかっていた。ただ俯き、謝罪するしかできない。
そこで近づいてくる気配があった。厳格で恐ろしくも、有栖にとってこの王城でもっとも大切な人。魔族の中の最高位の王冠を戴く、白銀色の狼王。
「いつまでいるつもりだ、有栖」
他に人がいないと思っていたからか、自室の時のような角を丸くした言い方。雰囲気すら、席に着いていたのとはまるで違う。だが、バルコニーの奥の人影を確認した瞬間、切り替わる。厳つく、厳正な、王らしいものへ。シャフールも面を食らったのか、一瞬驚いていた。しかし、すぐに恭しく頭を垂れだす。
「先日はとんだご無礼、申し訳ございませんでした。花嫁候補からも後日正式に下りさせていただきます。それでも収まらなければ、せめて私の首だで・・・・・・」
「いらぬ」
「は?」
下げていた頭を、彼女は反射的に上げた。どう見えているのか。貴族だからこそ、今後の始末を考慮していた。無礼を働いた者を処刑など、ありふれているから。白銀の王の噂を鵜吞みにしていなくても、恐ろしい王としていたのだろう。
不機嫌そうに、白銀の王は目を細める。心外でしかないらしい。人々の流血を、それも自分の気分でなどでは、一切しない。これまで一緒にいる有栖にはわかること。
「確かに私の気分は害された。だが、一度でわかった者を私個人の私情で処刑などはしない。有栖を傷つけていたのなら話は変わるが、それもないはずだ」
「は、はい」
シャフールは慄いていた。そしてそれ以上、何も言えずにその場で固まるだけ。すべてを見抜いて、なおも捨て置いた。たかが知れているとしたのか、そこまで愚かだとは断じていなかったのか。
そんな姫には構わず、白銀の王は有栖の方へ歩み寄っていく。俯いていた彼女へ目線を合わせるために片膝をついて。
「早く戻るぞ。いつまでも戻らないのでは、料理が下げられる」
そこで有栖は丁重に担ぎ上げられる。躊躇う間などない。そうして白銀の王は、暗い面持ちに気づいた。しばしの沈黙を挟んで、問いかける。
「お前は何を考えているのだ。まさか、王妃にはなれないと言うつもりではないだろうな」
「違うけど、思ったの。私がシャフールさんに何かできることないかな。それに、シェバさんも」
「何かとは、何だ」
「それは・・・・・・」
また黙る。何かできるとなど、ありはしないはずなのに。彼女の行く手を絶ち、未来を閉ざした。有栖の罪。何者でなく、確固たる己を喪失していた彼女には許せない行い。
彼女を抱えている白銀の王にも密着しているからか、伝わったようだ。有栖へ向かっていた目線を、跪いたままの姫へわざわざ向ける。
「お前の言いたいことはわかった。こちらで何か考えておくが、私にも限界がある。今と同じ立場というのは難しいのは、心に留めておけ」
「ありがと、ロボ」
シャフール以外、人は見当たらなかったからの油断。ふとして出てしまった、白銀の王へ有栖がつけてあげた名。名すら与えられてない無名の王。血筋こそが名であるのに、それすらも否定していた彼へ贈った、ただ一人しか知ることのない名前。
自身の不手際を自覚したのは、そのしばらく後、席に戻ってから。シャフールに目をやると、表裏のない微笑みをするだけ。呼ばれた本人である白銀の王はといつになく機嫌よくし、晩餐会を和やかな空気へと変じさせた。