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獣国のツァーリ  作者: のろま亀
妃への道
41/57

十一 一杯の

 晩餐会は波乱なく、厳粛に開かれた。シェバを陥れようとした思惑は打ち砕かれている。きっと良かったことだ。

 拙く、ぎきちない作法でなんとか料理を口に運んでいると、白銀の王がわずかな声量で囁いてくる。他の出席者には悟られない声量。



「私の真似をすればいい」



 いくらかゆっくりに両手の食器を扱い、手本となる流麗な動きをしていく。洗礼されきった、素人同然の有栖にもどうすればよいのかひとめでわかる動作。そこから格段に手早く料理を口に運べるようになっていく。ここ数日どこか満たされなかったのが、今宵は打って変って胸の内がいっぱいに満ち足りている。



「ありがと、王様」


「なにを言っているのかわからんな」



 小さく、当事者同士でしかわからない会話。平時の彼ならば必ずある眉間の皺が多少やわらげられ、満足そうに瞳を細めた後に瞑る。傍目に食事に舌鼓を打っていると思われているだろう。


(今日はなんだか、すごくおいしい)


 料理の質はいつも高い。どんなに簡単な品でも、細部まで手を抜かず、食事の終わりまで美味にする工夫がされている。それなのに今夜の料理はとてもおいしく感じる。本当は他の出席者の動向などに目を光らせるべきだろう。しかし、浮かれてしまう。大切な人と一緒に同じものを食べる。王都へ下りた時以来かもしれない。



「我が国からの献上品です、五百年物のぶどう酒ですわ。皆様、ぜひ味わってください」



 浮かれる有栖を後目に会は穏やかに、ほどよい賑やかさを孕んで進行していた。そんな中、シャフールと呼ばれていた姫が毒見がてら一口飲んで、使用人たちの持つデキャンタに入った液体を紹介する。どうやら事前に運び込まれていたらしく、今回の晩餐会にぜひにとでも言って献上したらしいもの。白銀の王と有栖の杯にも、真っ先に注がれていた。



「いただこう」



 杯を傾け、濃い赤紫色の液体を白銀の王は一息で、飲み干していく。



「美味である」



 瞼を下げ、美酒の余韻に浸りながらの一声。主君が口をつけたのを確認してから、出席者も注がれた器をあおっている。飲み干した者や、わずかばかりでも口にした者は一様に、美味だと賞賛していた。やがて、会場で口をつけていないのは、有栖一人になっていた。


(どうしよう。お酒だよね、これ)


 かつての生活の影響からか、口を付けるのを躊躇ってしまう。会の事前に注がれていた飲み物は有栖だけは酒精を含んでいなかったので、とりあず問題はなかった。


 そうして杯は手にとるが、飲まずに考えるだけでいると、白銀の王が気にかけてくる。



「飲めぬなら、それでも構わないが・・・・・・」



 その瞬間目を上げると、一人と目が合った。橙色のトラ似の姫と。杯に注がれたものを献上した本人。くすりと笑って、おもむろに器の残りをあおっていた。それで、決心する。一切口にしないのは無礼である。そんなこと、有栖にとっては理由付けでしかない。


 杯の三分の一を飲んだ。舌の上を通り、喉から先へ抜ける。ぶどう由来の風味や、酒精特有の癖のなにもかもが、体内へと入っていく。


(以外といける、かも?)


 恐る恐る飲んだが、特にこれといった問題は起きない。



「平気か?」


「大丈夫だよ」



 小声ながらも、白銀の王は有栖を気遣う。人間の酒精への強さは魔族と比して、弱いのを知っていからだろう。それでも、僅少であったからか、わかりやすい変調はない。だが不意に空気の振動ではない、声が聴こえてしまった。澄み切りながらも、脳髄を蕩けさせる、艶やかな声色。聞き覚えのある、あの夜のもの。そして、もう一つ。こちらも聞き覚えのある、優し気な内心。それと彼女たちの記憶の一部。


(なんで、いま)


 小さく頭を押さえ、片目を閉じる。体に大事なくとも、これ以上飲めば、もっと聴こえてしまうかもしれない。それだけは避けたい。



「ごめん、ちょっと外の空気吸ってくる」


「そうか。足元には気をつけろ」



 気遣いからか、容易く送り出される。宰相が何か言いたげであったが、白銀の王に制され口を噤んだ。


 普段は舞踏会でも使われることのある大広間には、バルコニーらしき構造もある。広い大広間からは、目につきずらい場所。有栖はそこへ行って、硝子でできた扉を開け、外の空気をおもいっきり吸う。



「少し寒いけど、おいしくて、気持ちいい」



 冬ではるが、部屋と外の境界であるから外気と部屋の空気が混じり、生暖かくさせている。なので、寒さに体を震わさなくとも済む。ランプに暖房として、空間を温める魔術が施されているとは、以前にコルキスが言っていたこと。


(でも、どうして)


 人の内面など、覗かないほうがいい。人は自身の記憶と思考を元に、自己たりうる。その二つが無際限に流入してくれば、自身と他者の線引きが曖昧になっていくだけ。それは個人という自己を獲得できなくなるか、獲得した自己をいずれ喪失させてしまうことにつながる。だからこそ他人の人生をおいそれと見るべきではない。それが有栖の出した結論なのだ。



「あら、人間にはお強かったですか?」


「シャフール、さん?」



 声の主。ついさっき聴いてしまった、普通ならば脳髄を蕩けさせる、天性のもの。


(この人は、危ない)


 酒精が入り、過敏になってしまっているからこそ、初対面では見抜けなかった目の前の姫の内面。野心の炎というべき、虚ろで燻っている暗い情動。



「我が国には亜人にだけ効きやすい、変わったお酒があるのです」



 亜人の体は概ね、人間と近い。狙っていたのだ。出席者で、ただ一人の人間である有栖に、異変を起こさせるのを。


(期待外れ、だったね。目に見えて変化がなかったから、直接来たのかな)


 ならば、これからどうするかは明白。会場で人目につきずらい、ここへ有栖が来たのを好機と捉え、追ってきた。妖艶な虎に似た姫が少しづつ、だが確かに二人の間合いを詰めてくる。



「ねえ、譲ってくださらない?」


「え?」


「言葉通りですよ。あたのいる場所を、私に譲ってほしのですよ」



 これは紛れもない本音。空いていた距離はなくなり、鋭い爪と牙をはっきりと認識できる位置まで来ていた。首筋を掻き切り絶命させられる、凶器。彼女の中の天秤がわずかに傾けば、有栖は命を落としてしまう。


(まずい、どうしよう)


 今更、動こうが変わらない。そしてなにより、有栖には譲れない部分がある。


 まっすぐ見据えてくる人間に、シャフールはいよいよ強硬的になる。有栖の背後の壁に手を突き、爪と牙をちらつかせ、脅迫する。



「だから、私に譲って。私なら、あんな取り柄のない王でも、有効活用できるから」



 その言葉で、もう許せなくなってしまった。越えてはいけない一線を、眼前の姫は踏み抜いた。



「あなたには無理」


「なんですって?」


「私よりも相応しい人がいたら、譲っていた。でも、あなたには無理。だって、あなたの目には、王様っていう地位と、その血筋しか、映ってない」



 貴族社会にどっぷりと浸ったからこその見方なのかもしれないが、それは白銀の王とは勿論、有栖とも相容れない。出自や地位は個人を構成する一要素に過ぎず、価値の大部分などではない。白銀の王がコルキスを個人として見ているのが、その証左。


 脅しに一切怯まないで、有栖は続ける。脅している当人は、その様子に顔を歪めていく。



「だから、苦しみも、悩みも、考えすら微塵も理解できない人になんて、譲れない」


「自分の方がまだ相応しいと言いたいの?」



 美しい第一印象からは想像できなかったかもしれない、歪んだ表情。矛盾を内包してしまっているからのもの。内心ではわかっていた。彼女の内面を覗いてしまっていた有栖には、驚く余地などない。きっとこれは変えようなのない、決まった流れだったのだ。献上品に口を付けた時から。もしくはもっと前から。



「それはわからない。私は、自分で自分を肯定できてないから」



 わからないことばかり。そんな足元すらおぼつかない、不確かな有栖へ改めて軽蔑の目を、シャフールは向けてくる。人間であるからではなく、人らしくないから、向けるもの。


 依然刃物のような爪が、首筋を狙っている。だというのに、有栖さ怖がる素振りをしない。己の命にすら、認識が曖昧なのか。はたまた、頓着する価値を見出していないからか。



「貴族の子女は、家の役に立たなければ、ごみ同然に扱われるの。生まれてしまえば、もうそうするしか道はないの」



 それも知っていた。内面を覗き見たときに、見えていたのだ。二人の姫の幼少期の教育に共通していた、定め。



「だから、屈辱だったわ。こちらから誘っても、指一つ触れないなんて」



 次第にシャフールは、激情を隠せなくなっていく。きっとそれだけのことだったのだ。だが、そんなことどうでよかった。不憫であると哀れむことはできても、そこからなにもできない。また、同時にほっとしていた。心の隅でわだかまりとなって心を縛っていた、あの夜の出来事。勘違いであったのなら、幸いだ。


 対面の相手の口元の一瞬の緩みが、シャフールをさらなる苛立ちへと導いた。目の前の己への興味など、毛頭ないと捉えたため。



「ここまでどれだけ努力してきたと思う?それなのに、そのすべて否定された気がした。私の努力を、人生を、何もかもを。あなただって、私を否定した」

 

「それは、」


「だから、譲って?自分の地位に自惚れている王を利用するぐらい、いいじゃない」

 


 これ以上の失言は危険だ。直観的に、そう判断させる。きっとあと少しすれば、他の者が不審に思い、来るかもしれない。黙りこくっても、さらなる怒りを買うだけである。ならば、それらしい言葉を並べて時間を稼ぐか。それも、否である。そんな器用な立ち回りの心得はない。


(声を上げたところで、どうにもならないし)


 否定するだけなら、簡単だ。だが否定したまま、そこから先を知らぬふりなどできない。差し伸べる手は、誰であろうと必要である。それこそが、彼女自身の考え。

 どんなに相手が激高しようと、ここまで有栖は動揺の一つすら出していない。牙と爪をちらつすことにも、恐怖せず。彼女にも悩みだとか、人らしい迷いはある。しかし、それは基本的に白銀の王との関係についてばかり。

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