十 晩餐会
有栖が近衛隊副隊長と名乗る男と出会った、その日。出征していた近衛隊の幹部と、主たる白銀の王とその花嫁に立候補した妃たちが参加しての、晩餐会が大広間で催されることとなった。
その晩餐会の、一時間ほど前。問題は水面下で起きていた。有栖がお針子であるコルキスに手伝われ、以前の夜会の折りに仕立てた衣装に袖を通した直後。
(作法とかまだまだなのに大丈夫かな)
ただただ、不安でしなかない。教養の一貫としておおよそは学んではいた。それでも何年もかけて体の一部にした王侯貴族の姫たちと、付け焼き刃でしかない己とでは、たとえ一端の武官が見ても明らかである。白銀の王ともまだ面と向かって有栖は話せていない。色々な不安要素が脳裏を過っていく。
そんな有栖がお目付け役であるお針子を伴い、大広間へ向かっていると、二人の姫がお供と共にシェバを囲んでいた。シェバは何かを持って、顔色を悪くしながら、抵抗もせずにありのままを受け入れている。手元にはボロボロの布切れがあった。
「生臭さの抜けないお上りさんには、お似合いの衣装ね」
「まったくだわ」
なにやら寄ってたかり、言っている。話は実にくだらなく、発言した姫たちの程度が知れてしまう。基本人種や種族の差別とは縁がなかった有栖には、興味のない話題でしかない。
(でも、見過ごせない)
いつまでも慣れないのでない。看過せず、許容などせずに生きていく。たった数日だけの、魔族の寿命からはほんの短い刹那の時。それは有栖にしても同様だ。だが、あの嘴の大きな姫を助ける理由は十分すぎるほどある。そうして有栖は、小走りで彼女たちの間に割って入っていた。
「な、なにかあるのですか」
無言でただ睨むだけの人間に気圧され、二人の姫は後ずさりする。その瞳にはわずかばかりの困惑と、得体の知れなさに恐怖していたのだ。先ほどまで下等な種族としていた蔑視の視線は、不可解で不気味としか形容しようのない恐怖の目で人間の少女を見ている。
「あなたたちがこの人をどう思おうが、私には関係ない」
「それならば、なぜ」
「それでも視界の入る範囲でやられるのは、気分が悪いの」
許せないからといって、すべてを、差別を受けている者全員を救うことなど到底無理である。一日に死ぬ人数は一説では十万。それと同じで、見えない、手の届かない範囲ならば打つ手などない。だからこそ、見える近くでそれらが行われるのを、有栖は認めないのだ。偽善であるかもしれない。自己満足でしかないが、彼女は動く。たとえ束の間で、シェバの記憶にも残らなくとも。
「一度しか言わないです。彼女にこれ以上、王城内で何かするのは、私が許しません」
助ける理由に打算なく、自分が正義などと講釈も垂れない。貴族の常識からすれば、異質すぎる人間の少女。やがて有栖とシェバがその場に残っていた。
「大丈夫?怪我とかしてない?他に・・・・・・」
言葉はそこで詰まる。おそらくドレスであっただろうものが、後生大事に握られている。本来は控えめであるるものの、末娘であろうと王侯貴族の姫にはきっと相応しいはずのもの。それが今やぼろ切れ同然。犯人など追及したところで無益なだけで、有栖にはその気もない。
「どうしよっか。コルキスに言えば、何かあるかも」
「有栖様は何故、私を助けたのですか」
これからを考えていた有栖を訝しみ、青白い姫が質問をする。シェバにしてもわからないことばかり。彼女も貴族の端くれである。大義も掲げずに、己を正当化もせずに、どこまでも無欲な思いから助けた有栖を、理解しきれずにいた。
「私はただ知っている人には、笑っていてほしだけなの。指さしてきたり、嘲笑う声も無視して。それに、私たち友達でしょ?」
手の届く範囲でなら、そうしてもいいだろう。神の愛などと言うつもりなどない。そんなたかが知れているものに縋るのは、彼女は縋ることははしない。それでも、すべての人は祝福されて生まれたのだ。生まれて、未来ある明日へと瞬間を生きていく。
そこで一つ、有栖はある方法を思いついた。これをすれば、シェバはより良い衣装で出席できる。これしか、もうないのだろう。
「だから、見返そうよ。こんなことしても、あなたたちなんか眼中にもないって」
そう言って、おもむろに纏っていた服を有栖は脱ぎだす。一体何事かと、コルキスが慌てて駆け寄ってくる。シェバも仰天し、思わず止めようとしていた。
「あ、有栖様!?」
「いったい、何をなさるおつもりですか!?」
それでも有栖は動じない。一度決めれば、誰であろと彼女を翻意させるのは不可能である。
「私にはこれしか、できないから」
貴族社会では、お人好しすぎるその行いの真意を理解できるのは、王城ではただ一人。国全体に見渡しても、片手ほどしかいない。たとえ成長しようと、変わることのない性。
■
白銀の王が刻限通り、大広間へ足を運んでいた。あまり乗り気ではないものの、王としての責務の内でしかない。元来、白銀の王は贅沢を凝らした宴席や、舞踏会といったものが好きではないのだ。領地の民の血肉たる税と、各地からの献上品の多くを、無駄とまでいかないが無為に消費してしまう。それだけで、あまり好ましくない。宴席などは、なんの足しにもならないどころか、いずれは財政を圧迫する最たるものになる。踊りよりも、会議や諸所の政務に時間を使いたいのだ。
(有栖はどう思うのだろう)
賛同してくれるか。夜会の空気に、彼女はあまり慣れていないようだった。しがない市井の生まれであるのか、基本的に貴族との関わり方が上手ではない。化かし、化かされが、常でしかない貴族社会では浮きがちである。逆にそれが良さであるもしれないが。
眉間に皺が寄った顔で白銀の王が大広間へ歩いていると、なぜか有栖が大広間の扉の手前に立っていた。
「なにをしている」
普段通りの服装のまま、どこかばつの悪そうな顔でいる。
「転んで、汚しちゃった」
口ごもりながらも、平然と有栖は言った。まだ何か隠し事がありそうではあるが、追及しても詮無いことであろう。背後の宰相などは不満そうな目だ。それでも白銀の王は納得の印として、自らの手を差し出してみせた。
「他の者も待っている。お前が私の隣にいないのでは、会も始まらない」
どんな格好でも白銀の王には愛おしい寵姫である。たとえ数日まともに話せなくとも、何里離れようと、それだけは変化せずにある事実。
「行くぞ、有栖」
「うん」
そうして二人はまた大広間へ歩みだす。見える高さは違うが、見つめる先はいつまでも同じであるように。
すでに大広間にはシェバを抜いた三人の姫と、出征した近衛隊の主だった者、近衛隊の長たるウィンディゴが席についていた。白銀の王と有栖の席はもっとも上座で、横並びに配されている。そこから二つの大机にそれぞれ二人の姫が配され、間をとって文武のそれぞれの長と近衛隊の幹部が並んでいた。この並びでも有栖と、その他の姫では扱いは雲泥だ。それは彼女たちも薄々とはわかっているのか、初めて食事を共にした時の野心は大きく削がれている。
「シェバ姫はまだ来ないのですか?」
「ふふ、ドレスに自信があったようですよ」
「なるほど、だからこんなにも遅いのですね。きっと着飾ることに余念がないのですね」
揶揄する言い方はやけに耳につく。王に取り入るのが不可能であるなら、せめて競争相手の足を自身と同じとこまで引きずり込むだけでしかない。それもやはり貴族社会の常なのだ。常であり、当たり前のこと。だからこそ、白銀の王はこういった場をあまり好かない。前を向くことを放棄した者の、浅ましく、醜い野心ばかり目につき、一部の善性が覆い隠される。
晩餐会は静かに、白銀の王の顔色を気にしながら、刻一刻と始まろうとしていた。あと一人、翆鳥族の姫であるシェバが席についていなく、彼女を待っている。王城に来てしまたがために、不憫な目ばかりに遭わせてしまっている。その事実だけは白銀の王にとって、心苦しい。そんな中、進行役たる宰相が耳打ちした。
「陛下、シェバ姫も来ました」
「うむ」
早く終わらないものかと白銀の王が内心で考えていると、最後の出席者が入室してきた。
(む、あれは)
そばの宰相はわかっていないようではある。だが、たった今入室してきた姫が着ている服は、以前に有栖が着ていたのだ。専属のお針子たるコルキスに用意させ、人間である有栖に合わせた特注の品。
白銀の王は服装については特に興味がない。興味がないというよりかは、そんなことに思考の時間を割くなら、もっと別の使い方をするだけ。そんな中でも大切な人間の少女の身に着ける物には、比較的意識を割いていた。ちらりと横を見てみると、どこか嬉しそうな横顔があった。それだけで問いかける意味が、白銀の王から消えていく。
「す、すみません、遅れてしまいました」
「いいえ、お気になさらず。お早く席にお着きを」
「は、はい」
ようやく揃う出席者。宰相も自らの席につき、主君の音頭を待っていた。
「諸君らの忠君、大義であった。ささやかだが、今宵は英気を養ってくれ」
手に持った玻璃の杯を掲げ、晩餐会の開始を宣言する。王が口にするのを確認し、近衛隊の幹部もあまりない場を緊張しながら、恭しくし杯に口をつけていく。運ばれてくる料理はどれも趣向を凝らしたもので、たとえ国の高官たる者でも、普段は口にしない品ばかり。多くが色めきたち、圧倒されていた。
各話、読みやすくするために改稿をしました。また、その時に誤字やおかしな点を修正しましたが、まだあったら気兼ねなくコメントしてください。