四 亀裂
翌日に目を覚ますと、有栖の淀んだ心中とは対照的に、空は雲一つない快晴となっていた。それまで続いていた曇り空が、嘘であったかのごとく。
(このもやもやの正体はなんだろう)
未知の情動。知られざる自分の側面。白銀の王が妃とするのは、自身でよくないのはわかっている。そこまで彼女が考えていくと、思考全体にもやがかかって、鈍ってしまう。結果、どこかぎこちない答えしかでてこない。
「姉上、聞いてますか?」
ティーカップを持った状態で、有栖は固まっていた。訝しんだ王妹が。声をかけねばいつまでもそうしていたのかもしれない。
「ご、ごめん」
「別に私は何も。それよりどうしたのです?また兄上とひと悶着あったのですか?」
自らの兄である白銀の王に、疑いをかける言い草。有栖の前では自制していたのだろうが、ズメイルブルグでの一件以来、隠さずにしている。この王妹もやたらと入れ込んでいた。侍女たちはそんな王妹の行動に、やれやれといった様子こそあれど、顔を顰めるなど露骨な者はいない。王妹が実はお転婆な姫なだけなのではなく、兄や母と同じく鋭い刃物にもなれるからだろうか。もしくはそんな者は、最初から取り立てずに、信頼が置けて教養のある者を身分隔てなく引き立てているからか。
「まったく、最初から承諾しなければよかったのに」
「あはは」
毎度のことながら、シェリルの発言には反論の余地すらない。その点は白銀の王の方がまだ優しい。何故かは知らないが、出会った時から優しかった。
「宰相の罠に、丸腰で飛び込むなんてどうかしてます」
耳の痛い話である。そんな気はしていた。あのほっそりとした文官は、糸を何重にも張り巡らし、手ぐすね引いて待っていたのだ。白銀の王もそれに感ずいてはいても、一手遅れてしまった。有栖ではさらに二手。
「兄上に弓引く真似をする者などほとんどいませんが、あくまで王である兄上にはです。姉上には、なにしてくるかわからないと、此度の事でわかったはずですよね」
目を閉じ、こんこんと説教をしていくシェリル。親身になって、有栖を想っているからこそ、手厳しい意見を並べる。
「花嫁争いといってもmどれだけ王に気に入られるかなので、問題はないと思いますが」
強靭な子のなせる、国母となるべき人物を選定するためではあるものの、形骸化し、王の好みや意向が介在していった。この国は文化レベルは良くても近世か近代直前であっても比較的平穏で、医療についてもそれなりには進んでいる。幼くして夭折、といった事例も減少傾向だという。
(でも私は)
励ましも慰めも、優しい一言すらもすべっていく。以前までならば、なんてことはなかった。しかし、有栖はここ最近は目につくすべてが、自分を否定している気がする。もしくは焦燥感ばかり。
「兄上はなんと言っていたのですか」
「私がどうしたいかって」
すんとした顔でいたシェリルは、そこで手を小刻みに揺らしていく。彼女はティーカップを置くと、一度深呼吸をして有栖の目を見た。ことりと置くとこから居住まいを正す所作まで、王族らしい美しさ。
「それでいいのでは?」
白銀の彼に似ていながら、違う毛色と彼女の母を思わせる瞳。冗談などでなく、本心。
「私はどうすればいいのかな」
それでも疑心は簡単には払拭できない。沼に沈んでいく最初ほど、周りが見えなくなるものだ。有栖にとっては、はじめての事柄ばかり。
「それは姉上自身にしかわかなぬことです」
そこから助言らしい助言を、王妹はしなくなった。その意図が有栖にはわかりかね、茶会はお開きへと向かった。王妹の部屋から出て、廊下を歩いるとお針子がいきなり訊ねてきた。
「有栖様は私を遠ざけないのですね」
真剣な顔つきで立ち止まって。拳を強く握りこんで、必死に、腹の底から絞り出す。
「私はグルカスの第一王女で、あなた様を陥れいようとした者の妹なのです」
昨日は不意打ちであったかもしれない。だが改めて思い出せば、お針子は夜会後の時もやけに申し訳なさそうにしていた。名家の生まれと若干ぼかしていたのも、才能あふれる兄の話すら繋がる。魔術の一種で転んだのにも。隠していたのには、腹など立てない。そんなことしたところで無意味で、白銀の王も同じなのだろう。
(私は信じたいし、ロボが信用してるなら)
彼女にとっての指針の一つ。たとえ身内が不祥事を起こそうと、白銀の王は個人として見ているのだ。このまだまだ発展の余地ある世界においては、奇特も奇特。
「王様は何も言ってなかったでしょ?」
「そうですが、有栖様は偽られていたのには何も思わないのですか」
なによりも、主君への忠誠こそが求められる世においては、忌避されるべきこと。偽りは背反へと転じるのも、珍しくない戦乱の教訓。身の潔白を証明できない家臣を側に置いてなど、いられなくなるからだ。
「コルキスは私を排そうなんて、しなかったから」
直感頼りに、信じる、信じないを、判断しているのは、危うさ多分に含んでしまっているのは自覚していた。
(今までも私を蔑まずに接してくれたのに今更だよ)
お針子にはきっと有栖を相手に城内の者にも、ほぼ気取られることなく、罠に嵌めることも可能である。それなのに彼女は、一点の曇りなく白銀の王への忠君の一貫として、いくつかの追加業務を文句ひとつなく励んできていた。有栖にとっては感謝してもしきれない。
せめてもの感謝のために、曇りなき快晴で差し込む陽光にも負けない、輝く笑顔を有栖はお針子に贈った。
「だから、ね?これからも私のお目付け役をお願いね」
「有栖様、私ごときにそんな」
「ほら、行こ」
たじろぐお針子の手を取って、小走りをはじめていく。いつもの書庫へ向かって、彼女にこの世界について教えてもらうために。この先もきっと、お針子への信頼が揺るぐことなどないのだろう。
「あなたがいてくれるから、私は歩き出せてるの」
紛れもない真実。無邪気でいながら、大人びいた声音。
■
白銀の王は普段通りの習慣に戻りつつあった。花嫁争いに立候補した姫たちが、王城へ到着したことで、各種の調整業務から文官たちが解放されたため。労いの一言ぐらいは、彼としてもかけたいものでるが、宰相が渋い顔をするので、実行はできずにいる。
(あ奴も流石に堪えて・・・・・・、これしきでは根はあげぬか)
身体は確かに痩せていたが、精神面では余裕はあるはずだ。それはなにも彼の推測だけではない。目に宿る闘志は、日を追うごとにめらめらと燃え上がり、小言の切れ味も落ちるどころか、弱点を晒したところから切り込んでくるまでに到達していた。王としては歓迎こそできるが、個人としては少しは休めと言いたいところなのだ。
白銀の王が自室へ戻れば、有栖は読書に耽っていた。寝台の隣には何冊か積みあがっている。
「どうしたのだ急に」
呑み込みの速さは、目を見張るものがあるとは、彼も以前コルキスから聞かされていた。それでも、有栖はできるだけ書庫で完結させていた。それは白銀の彼が部屋に全くといっていいほど、私物を置かずにいたのに倣ってのことだったらしい。それが今日は何冊か持ち込んでいる。
(なにかあったのか)
些細であるが、同時に大きな変化を感じ取ってしまう。
「今日ね、改めて思ったの。この国のこと、住む人達のこと、みんなが妃は何かを知らないといけないんだって」
「お前は私の傍にいれば・・・・・・」
「それでも、さ」
やはり頑固だ。柔軟に物事を観察するが、一度道筋を決めれば、絶対に曲がろうとしない。
「せめてさ、他のお姫さまたちともお話しよ?」
「くだらんな、話にならん」
とりあえずは、城に招いておけばそれで終わる話である。あとは適当な理由をつけて、有栖への接触をさせなければいいだけ。
王侯貴族の姫は、幼い頃から家の役に立つのを至上命題とされる。家の発展に寄与できなければ、いらぬ。上流階級とは所詮そんなもの。庶民が憧れ、おもい描く華やかな生活は、上辺のみ。それらの上に立つ白銀の彼にしても同じ。お針子が例外でしかない。
「私は誰に何を言われようと、お前以外と馴れ合うつもりなどない」
「なんで私は特別なの?」
「なんだと?」
有栖は俯いて目を合わせずいる。
「それじゃ私を、私だけを、特別扱いする理由にならないよ。きっとみんな納得しない」
「そんな声を上げる者などいないわ、わからずやめ」
牙同士が擦れ、ぎりぎりと音を立てる。白銀の彼は無意識にそうしていた。いつもは物分かりがよい彼女が、今夜はやけに強情に反発してきていた。そこまでさせる訳などないだろうに。
「ロボこそわからずやだよ!」
「私がわからずやだと?」
空気は徐々に張り詰めていく。平静を装いながらも、明らかに動揺し、投げやりなってしまって。白銀の彼にはどんな罵倒より、癪に障った。というよりは、効いたとするべきである。
「だから、お願い」
「お前は知らぬ。友好的に振舞っても、見えないところでは隙を伺っているに決まっている」
「どうしてそんなことが言えるの?」
確証などないと、見抜かれているだろう。それとも、どこかおかしく映っていたのか。
「お前はもう少しを自分を大事にしろ!」
強烈な城全体すら揺らしてしまう、咆哮をした。いつもは話すときには、心がけていたはずであったのに。ハッとした時には遅く、有栖は脱兎の如く逃げていた。
(私は、お前のことが・・・・・・)
そこから先を言いたかった。王としてではなく。虚飾に塗れた、空虚な玉座に座る者だとしても。白銀の王には、彼女が出ていった部屋はやけに広々として、寒く感じていた。