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獣国のツァーリ  作者: のろま亀
妃への道
32/57

二 大女

 雪の降り積もる冬。秋は瞬きする間に終わり、生命すべてに厳しい冬が始まった。連日のように雪が降り積もり、あっという間にそれなりの積雪へとなっている。幸い、大きな街道や大都市では除雪がされ、馬車や人の往来を邪魔しない程度であるが。それでも足元は凍てつき、交通は阻害されている。


 王がヘレニア視察から戻ってきてすぐに、王都は雪化粧を纏い、夏とは別の佇まいになった。例年どおりの光景。この国の大半がすでに厳冬と化している。王城の廊下を巡回兵が身をすくめて、寒そうして歩いていく。



「まだ冬のはじめだっていうのに、やけに寒くないか」



 二人の内一人が寒むさに我慢しながら、ぼやいた。冬のはじめの順応しきらない体は、寒さに弱く、二月は我慢しなければならない。



「そうぼやくな。これからまだまだ寒くなるんだぞ」


「わかってる」



 もう一人が慣れたことであるとして相方を諫める。何を言っても気温が上がることなどない。だから我慢するしかないが、足先から頭の先まで自然の厳しさが骨身へ沁みてしまうのだ。


 寒さに逸れる意識を誤魔化すように愚痴っていた兵士が話をじめた。



「なあ、最近流れてきた変な噂知ってるか?」


「なんだ?」


「街道を彷徨う外套を羽織った、でかい女の化け物の話さ」



 王城守備の兵のくだらなく、他愛のない世間話。千年という年月は魔族にとっても長く、戦乱の時代とは縁遠い平和な日々である。


 噂とは王都から国中へ蜘蛛の巣を張ったように構築された、街道での出来事。一人で彷徨う、顔の見えない、恵体の女の化け物。風が吹けばちらりと金色の毛を覗かせ、時折言語と言えるか怪しい言葉を呻く。そして街道に現れるときは、決まって天気の悪い、人通りの少ない雪や雨の降る曇り空。どこかの街から来たとも、ただ彷徨い歩くだけとも。いまや王都では知らぬ者はいないといってもいい怪談。


 兵士は廊下を二人一組で歩きながらの話だが歩を緩めず、見回りには手を抜かない。夜間の見張りは王の宮殿たる王城においては、必須事項だ。



「本当に変な話だ」



 できれば会いたくない、と暗い空間に響く明るい笑いを出す二人。明かりは最低限しか灯されておらず、一寸先も闇とまではいかないが、見通しは利きずらい。それでも兵士は平気そうに、ずんずんと進んでいく。



「しっかし、宰相は何を考えているんだか」


「本当に」


「先日のことも王に秘密で準備していたんだろう?」


 ひとしきり怪談に興じ、別に話題へ移った。


 花嫁争い。王国の伝統行事であるが、先王の時代は行われずにいた。一説では正妃であったハティが自分以外に妃を設けることを、嫌ったとも。ともあれ伝統を蔑ろにしてよく思わなかった勢力は、少なくない。なので催すこと自体は歓迎されているが、そこまでの過程は、実に心臓に悪いものであった。宰相が独断で、自身の権力の及ぶ限界まで根回しし、ヘレニア視察の留守居を隠れ蓑にしてまで、準備していた。主君である王に背信行為である、と処罰されても文句はいえない。



「人間の姫が了承したからよかったよ、ほんと」


「あの人間の姫も同じぐらいなに考えているのわからないがな」



 人間の姫。ここ最近、王城内で騒ぎの中心人物。少女についてのこと。王がいきなりどこからか連れてきた、人間の小柄な少女。城を我が物顔で歩き回っている彼女は、そのくせ礼儀正しいが、やたらと思い切りのよい人物だ。王弟についての決定について突如乱入し、王に面と向かって歯向かってみせた人間。


 決まった経路を歩きながらあの日のことをさっき起きたことのように言う。



「本当におかしい人だ。人間は、ああいうのばかりなのか?」



 疑問を相方に投げかける。あの人間の少女は見かけに反して力があり、謁見の間の大扉を自力で開けてしまった。あの場に居なかった者は誰しもが信じないこと。魔族でも一人で片側を担当しているのだ。人間の、それも大人ではない、少女ではとてもじゃないが開けらないはず。


 アリスと名乗っている人間は、己より強い相手にすら臆することなく向かっていける、勇気を通り越した蛮勇を持っている。



「俺のじいさんは、非力で怖気づきやすいって言ってたんだがな」



 魔族の常識に照らせば、実におかしい。



「王族を助けたに等しいんだから、もう少し手心を加えていいだろうに」



 城内において人間の少女の評価は、おおよそ二分していた。王に歯向かう卑しい人間、と軽蔑する者。もしくは、ガルム助命に一役買ったという評価をする者。かといって大っぴらに、人間を妃になどとは、誰も口にしない。



「宰相も陛下に手打ちにされてもおかしくないってのに」



 王城で不躾な真似をしたり、主君の意に反すことをして手打ちにされた家臣など、数知れない。現王がなまじ寛容であったから、なってこそいないが、本来であれば抗弁すら許されずに、処刑されてしまうことだ。二人の兵士が呆れともとれる溜息をつくと、暗がりからぬるりと人影が出てきた。一部の魔族特有の嘴と、その種族にしてはやけに細い目。不健康そうに瘦せこけた、若く宰相という地位に就く、王と同年代の男。



「職務に忠実でない者の居場所など、どこにあると思う?」



 宰相は二人とすれ違う瞬間に、ぼそりと苛立ちを抑えきれずに小言を吐く。一瞬のうちに暗闇に消えていった小姑のような男は、先刻までの怪談などより、ずっと恐怖を駆り立てる存在だった。幽鬼とさえ見まがう、不気味さ。


 兵士は顔見合わせて立ち止まる。恐る恐る振り返るが、もうそこにはいない。言いようがなく、怪談や質の悪い冗談ですらまだましである。



「気のせいだよな?」


「そ、そうだな」



 微かな震えをおぼえながら、兵士は巡回を再開する。巡回兵の間で夜な夜な宰相が歩いていると、噂になったのは、それからしてしばらくしない内だった。





「降雪の影響で、予定からの遅れこそありますが、当初予想していた程度で、明日には立候補した五人が到着するそうです」



 花嫁争い決定から、連日馬車馬の如く働いている宰相は、先触れからの報告を上げる。報告相手はもちろん主君たる白銀の王。ここ半月あまりを、花嫁候補を受け入れる用意で高官は皆忙しそうにしている。それらを統べる国の執政官という立場の宰相は、特にそうだ。普段からほっそりとした神経質な男は、余計に痩せている。時間は夕暮れをゆうに迎え、夜の帳が降りてきていた。


(何をそこまでさせるのか)


 わざわざ自分が先頭に立ち手配しているのは、事前に子細を決めていたのだろうが。ささっと候補者を城に招いて、有栖を蹴落とさせるためなのか。



「姫たちの名簿などには目を通していただいていますね?」


「うむ」



 諸侯の機嫌取りも兼ねての、花嫁争い。くだらなくあっても、伝統とはそういうもの。王家においては、一種の祭事ですらある。代々血脈をつないできたからこそのもの。


 白銀の王にはそんなしがらみが実に億劫だった。先代の王、つまり彼の父もその手のしがらみを嫌った節があるとは、知る人物であれば誰もが知っている。それを加味しても、白銀の王は父の性格に拍車をかけているが。臣下からすれば、難儀な性格である。



「鉄砲の生産の状況はどうなっている」


「雪の影響で、資材の流れに遅れが生じているのもあり、月に三十丁が限界だと報告が上がってきています」


「そうか。食料の備蓄は問題ないな?」



 諸所からの報告書には、ざっと目を通してはいるものの、集約しているのは宰相であるが故に、本人へ細部まで聞くことも白銀の王はままある。



「例年どおりの手順で、問題は起きておりません。今年の冬は天文台曰く平年よりかは、温かいそうです」


「うむ」


「では、私はこれで」


「そうか、ご苦労」



 宰相は業務以外には一言も発せずに、部屋を後にする。残っているのは書類の束。白銀の王の日々の政務は、最終稟議ばかり。法案などは可否を。なので王に来るまでに詰まれば、自然と遅くなり、自室に戻る時間は遠のいていく。不満はないが、半月以上を有栖と話せずにいた。



「お前はそこまで嫌いなのか?」



 どこか哀愁漂う独り言。白銀の王以外人っ子一人といないというのに確かにだれかへと向けられた言葉。一息を吸って書類の山を手早く片付け始めていく。内心で今日も遅くなる、と諦めきって。

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