三 妹
部屋に戻ってから有栖はこってりと絞られた。そこからは数日の間は部屋からは決して出ない生活を送った。特段変わった事はなかったが口に合う食事が出てくるのは、意外であった。どんなものがでてくるのかと身構えていたが、元の世界とかけ離れた品が出てくることはなかった
そんなこんなでベッド以外に特に目ぼしいものがない部屋で、夜に星を眺める生活をしてると、数日経っていた。数日であっても、とても長く感じられた。自分はずっとこのままなのかと少し不安になり、つい聞いてもみた。
「もう少しの辛抱だ」
と彼は言う。そう言って溜息をつき、ゆっくり横になってそのまま寝てしまっていた。なので有栖はそれ以降なにも聞けてない。思わぬ来訪者が来たのはそんな折だった。彼が戻ってくるには明らかに早い時間。とっさにベッドの陰へ身を隠し、身構える。息を殺して悟られないようにして。
「人間の女の子がいると聞いたのだけれど、どこかしら?」
およそ害意などない、柔らかな声が部屋に響く。あたりを見渡しながら有栖を探してるようだ。
(どうしよう。このままどこかへ行くのを、待つか。いや、こちらに何かしてくる気配なんてないから出いくべきか)
少しばかり思考し、決めて大人しく立ち上がる。部屋に入ってきた相手は声から察せられたが、どうやら女性らしい。それは彼とはまったく違う服装をしていることからも、容易に想像させた。毛色は白に近い灰色で彼と同じ種族なのが見てすぐにわかる。有栖を確認すると、来訪者は微笑みながら歩み寄っていくる。
「本当に人間がいるなんて。それに女の子なんて兄上もまったく・・・」
目の前の人物はそう言って、頬に手をついてほんの少し溜息をつく。そして有栖の手を握り、己の手と比較しても小さい手を何度か握り直して頷く。やはり敵意や悪意などない。そう感じさせる白銀の彼に似ている優しい手つき。その間有栖は何も言わずに、ただじっと相手を見るだけ。そうしていると、踵を返して手を引いてくる。表情にはなんの打算もなく、屈託のない笑顔で。
「いまからお茶にしませんか?」
■
数日前から王城内で少し噂になっていることがあった。王が人間の娘を部屋で飼っている、と。その噂を聞いた時には誰かの作り話かと思った。
その噂は本当だった。何人もの召使や兵士が、口を揃えて王が抱えている姿を見たと言う。衛兵から重臣たちまで。宰相に至っては、それが悩みの種になっているようで、小言や眉間の皺がいつもの比にならない。
それを本当だと確信した最初、彼女は眉を顰めてしまった。また兄である王についても、近頃から色々思うこともあった。それとどんな人間なのか、知りたくなった。なぜ兄上は人間の女の子なんか、部屋に置いているのか。多少勘ぐってみたり、それとなく探りを入れてみた。結果は全くであったが。
ということで王妹はお茶をすることにした。どんな人物か知りたくて。
「大丈夫かしら、お口に合うとよいのだけど」
向かい合う人間について抱いた第一印象は、すごく華奢であるというものだった。どこか儚げで、いつ死んでもおかしくない。テーブル越しに恐る恐る見てくるのが、その印象を加速させている。己が兄の趣味についてとやかく言うつもりはない。それにまだよくわらないことも多い。
「ごめんなさい私、名前を言ってなかったわね。私はシェリルよ。シェリーでもいいわ」
「ど、どうも、湖上有栖です」
そこは第一王女の部屋の内の一室。普段なら暇つぶしに侍女たちと午後の茶会をする時間。しかし今日は城内で噂になっている人間の少女と、吟味も兼ねてお茶をすることにしていた。そこで出されていたのは、ティースタンド上の茶菓子と普段は飲まない来客用の紅茶。
対面の相手はというとよくわからないまま連れ出され、お茶をしてる現状に困惑している。そして茶には手をつけず質問してきた。
「あの、私となんでお茶なんか?」
その質問にどこか拍子抜けしたような王妹は、ティーカップを皿の上へ置く。ゆっくりとお菓子を用意してあげながら、目的を明かす。
「あなたが、どんな人か知りたくなって」
皿に茶菓子を取分け終えると、シェリルは真剣な面持ちで目の前の少女を見据える。その姿は王の妹であり、王国第一王女というのを確かに示していた。すぐそばに控え、対面してない侍女にすらその圧力が伝わっていく。彼女は兄とは違う柔らかな声音で、じわじわと圧をかけていこうとする
「あなたは誰かの為に死になさい、と言われたらどうする?」
それを言ってシェリルは、あえて待つためにティーカップを持ち上げて紅茶を飲もうとする。その仕草はどこまでも優雅であった。幼少期からいままで染みついた所作。
「その誰かに大切な人がいるなら、そうします」
一瞬だ。熟考などせず、即決だ。それにはことの成り行きを固唾を呑んで見ていた侍女たちも驚いてる。先ほどからのおどおどと周りを見ていた少女は王女だけを、その双眸でしっかりと捉え離さずに。
「それは本当?あとから変わるわけではないのかしら」
聞いても目には嘘などない。ただただ意思の固さを物語っている。動揺すらなく、確かな手でティーカップをもって紅茶をゆっくりと飲んでいる。
シェリルは驚いている。あくまで人でしかないはずだ。聞いておいて自分でさえ悩む事だ。すぐに言い切ってみせた。あの目をきっとどんな状況でもそうすると信用させられる。
(似たもの同士ってわけね)
眉一つ動かさずに彼女はそう感じた。まるで生き写しのような。その時の目は彼女は見覚えがあるから。個人的には好感が持てる。同時に同じであってほしくはないとも、彼女は思ってしまった。そこに人らしさが欠落してるようにもみえてきた。
「ところで、兄上との馴れ初めは?」
自分のただの気の使いすぎだったようだ、と王女は納得する。しかしどこで会ったのかは、同じぐらい気になる。なにしろ彼女も年頃である。第一王女であり、聡明な彼女への縁談は数多あるが、それだけでは彼女は満足しない。王女であり、お姫様な彼女はお転婆で世話焼きなのだ。まるで自分に妹でもできたかのように浮かれきっている。
対面のシェリルの急な切り返しに、有栖はきょとんとなっている。その様子は見るものによっては可愛らしい小動物にも見えていた。
「いや、それがわからなくて・・・・・・」
その言葉に彼女は思わず笑いだしてしまう。その笑う姿は無邪気でありながら、宝石の輝きにも負けぬ姿だ。ひとしきり笑って目頭にできた涙を指先で拭うと、また紅茶を飲み始める
己が兄ながらつくづく変わり者だ。だがきっとどこかで会っているはずだ。兄も無理やりに思い出させようとしてないようなので、取り敢えずはおいとく。きっとそれは二人にとってデリケートなものであるとわかるから。
(それにしても、兄上もまわりくどい真似をすものね)
そう考えると、王女はこれからどうなるか楽しみだと、思わず口元を緩ませてしまう。
「あの、わたし何か変なこと言いました?」
覗き込むように有栖が訊く。その姿でなぜ兄が彼女を手元に置いているのか、少しわかった気がした。凛としていると思えば、小動物みたくこちらを窺ってくる。どんな者より、いっとう可愛く感じてしまう。
そうして他愛もない会話を続けていると、あっという間に時間は過ぎた。すると彼女たちがいる所とは反対方向である部屋の出入口からどすどすという音を立てて、ようやくシェリルの兄である白銀の王が乗り込んできた
「なぜ、お前がここにいる」
場の空気が一瞬で張り詰める。張り詰め、汗を流す家臣らと比べて、主君は気にもかけない様子。彼は目で王女に「何故」と語りかけている。それに目で返す。兄妹でしかできないやりとりで、互いの思いを確認し合っているのだ。
■
部屋から有栖が第一王女に連れ出されていった、という報告を受けたのはちょうど昼をすぎてからであった。ここ数日は部屋じっとしていたので、少し油断していた。もとより妹が活発であったのを失念していた、彼の落ち度でもある。
その事を報告してきた宰相のベフデティは、何か言いたげに見つめてきていた。彼としてもここ数日小言が増していたのが頭痛の種になっていた。しかたないとはわかっていても、そうなっている。既に半ば諦め、取り合っていない。
白銀の王は報告を受けた瞬間すぐに飛び出して行きたかった。だが執務がまだあったので無理であった。ここで行けば宰相からの小言はさらに増えてしまうだろう。正直今にでも行って、部屋に戻したい。それでもシェリルのもとににいるという事はしばらくは大丈夫だろう。
彼はそう自分に言い聞かせ、執務を手早く片付けていく。
やっと終わり、足早に執務室を出ていく。その勢いは普段から付き従っている者がおいて行かれるほどであった。そうして来たというわけだ。
誰が見ても明らかに怒っている。有栖が外的要因とはいえ、言いつけを破ってここにいるのだ。怒るのは無理もない。その様子に侍女たちは怯えてしまっている。妹であるシェリルだけはいっさい気にせずいた。それは王としての彼ではなく、一個人としてのものであったからか。兄の普段は見ない様子に、シェリルはどこか嬉しそうにしていた。
「兄上、ほかの者がみていますよ。」
その言葉でハッとして、咳払いをする。王として取り繕う事を忘れ、こんなことをするとは。なんてことしてしまったのだ。王としての自分を忘れるなど、あってはならない。そう思っていると、その振る舞いで王女はなにやらにやにやしている。
「おまえは立場を考えよ」
あまりにも苦し紛れの一言。お互い様、と言われたのは当然のことだった。
そこで茶会はお開きなった。最後の方では有栖は置いてきぼりにされていた。そんな彼女を王女はいたく気にいったのか、また呼ぶと別れ際に言っていた。有栖からしてみれば、なぜ気に入られたのかわからない。自分の言葉など気にも留めない王女である妹に、白銀の彼は頭抱えながら抱えて帰った。臣下に引き留められそうになったのは言うまでもない。