二十九 閑話
「我ら魔族が、偉大なる王国を宗主国として国家連合体制を築いているのに対し、西の人間は大帝国と称した権力の一極集中体制を敷いています。また、東には人間に似ている亜人と称される者たちの・・・・・・」
ヘレニア視察から帰還後は、王国の外交事情について学んでいた。教鞭をとっているのは、相変わらずお針子のコルキスである。彼女は名家の生まれというだけあって、実に豊富な知識を持っていた。本人が非才と語っていたのが、謙遜どころか、自嘲であるとさえ思えるほど。
(人間の国以外にも、エルフやドワーフの国もあるんだ)
亜人と称される彼らは、海を挟んでいるので、直接的に国境を接しているのは、人間の国だけらしい。魔族が纏まって、巨大な連合国家として広大な土地を支配しているので、人間もそれ相応の国力を持たなければ、一方的に併呑されるだけだ。有栖の世界とは違い、巨大な集合国家が大陸に出現するのがずいぶんと早い。それもたかが百年ではない。もう二千年以上続いている。
「有栖様?大丈夫ですか?」
「う、うん。だいじょうぶ」
「少し、詰め込みすぎましたね。しばしの休憩としましょう」
本を両手に根を詰め切っていた主人に、お針子が気を利かす。有栖にとっては興味深く、それだけにいつまでに書物や講義を読んでしまう。種族ごとの巨大国家、どれか一つができ、対抗するため連鎖反応的に出来ていった。その結果魔族、人間、亜人といった三つ巴の様相になったのだ。
現状、人間の国とは正式な国交はない。決して良好ではない関係を維持するのが、ここ千年ぐらいは続いているらしい。距離はおきながらも、交流できるのが理想なのだろうが、現実はそうもいかない。人種どころか種族から違う者同士で、仲良くなどそれこそ難しい。先入観で決めつける人も、一定数は居る。そんな者が、国の中枢にいればどうなるかなど必然。争いになる。およそ千年前に起きた戦争は、それらが原因だったという。
有栖のもといた世界においても些細な人種の違い、主義主張の違いだけで、争いが頻発していた。それらの拡大版、といっていい。
「魔族の中でも、差別は存在するんです」
休憩中でも、豆知識のように重要な情報を加えていく。やはりあるものなのだ。人間と魔族も所詮は同じ人とは、王妹の談である。
この大きい書庫にも、そのような記述は幾らかある。記録をしているのも、あくまでその時代の人だ。主観を排除はしきれない。愚かだと、安易に断じることはできない。
コルキスは用意していたお茶を有栖に手渡し、自身も一息をつく。机のすぐそばに用意していた椅子に腰を落ち着けて。
「実は先の大戦は人間側から、攻めてきたんです。人間がやっと国をまとめたと思った、矢先に。すでに盤石な国家となっていた我が王国からは、二千年遅れでありながらのことだったのに」
内部の目を逸らすために、外部に敵をつくる。ありふれたやり方ではある。本当に同じ穴の狢だ。
(でもその前に散発的に国境地帯での争いはあったから、結局は同じだ)
強大な国家を形成すれば必然的に拡大志向になるもの。歴史に数多ある大国の習わしと言っていい。ではここまでの巨大国家が、存続している理由はなんだろうか。
「魔族の寿命って、どれくらいなの?」
一服の茶の合間には、あまり似つかわしくない話題。単純すぎて、決定的な隔たりではある。長大な寿命があれば、世代の回転が遅くなり、国家運営についても短命な種族と差が生まていく。それでも二千年以上の統治国家とは、特筆に値してしまうが。
コルキスが茶を飲む手を止め、有栖からの質問にふわふわの顔を曇らせかけながら答えた。
「おおよそ、百五十年から二百年ほどです」
あまり差はないように思えて、大きな差だ。多く見積もって、二世紀は莫迦にできない。主に歴史的な観点からの、考察を行っていく。
(そんなに寿命があれば、死生観も違ってくるだろうし、文化自体も乖離してもおかしくないはず)
有栖の知識では、推し量れないことばかり。さりとて知識を深めることを、やめることなどしない。とにかく、知らなければならない。それこそが有栖が出した、束の間の結論。
合間の時間であったことを忘れて、ついつい考え込んでいた。しばらく黙ったまま、視線を一点から動かさないでいたので、お針子が慌てながら話を逸らす。
「へ、陛下はまだ齢七十ほどで魔族百五十年とすると、あと九十年ですので有栖様が添い遂げるのは無理な話ではないので・・・・・・」
「へ?」
「え?」
詰まりかけた部屋の空気が、瞬く間に弛緩する。反応があまりにも、拍子抜けであったから。お針子はおかしそうに訊ねる。
「有栖様は陛下といつか死別するのが、怖くないのですか?」
この場合は、お針子が正常だ。想い人同士の死に別れなど、白銀の彼の方が年上ならば、尚更御免であるのだろう。いままでそれとなくでも、触れないようにされてきた、触れたくはなかったであろう問題。
人間は長くて、百年しか生きられない。それに対し魔族は短くて百五十年。長ければ、二百年を越す。それが意味するものなど、簡単だ。しかし簡単ではあるが、彼女の眼中にはなかった。
「私は気にしてないよ。その時まで私は、幸せだろうから」
お針子は曇りかけ程度であった顔を、本格的に曇らせる。有栖としてはそれ以上の思いなど、抱いていない。いつかは誰しもに訪れる、定命の生物ならば当たり前の事象。怖いなど欠片もない。
けろりとしている主人に、憐れみにも近い眼差しで少女に言って聞かせる。
「共に時を過ごせば、解決するかもしれない問題でもあります。ですから、最初から諦めなくていいんです」
諦める。有栖にそんな気はなかったが、コルキスにはそう見えたらしい。
「有栖様はもっと陛下とお話しして、もっと願ってもいいんです。まだ前途溢れる年齢なんですから」
コルキスの心からの気遣い。あまりピンときていない。有栖には白銀の彼との現在があればいいのだ。
その日はひとしきりこの世界について学んだ。平和に過ごした半年からすれば、想像できないかもしれない、血に塗れた歴史ばかり。その中で大きな戦争、民族や種族の大移動は、比較的少ない。それに付随する争いが減少しているのが、有栖の元いた世界とは違う。
人間の国とは争いの結果として、国交が最小であるが、エルフやドワーフの国とはそれなりに交流があるので、いくつかの工芸品や食料品といった特産の品が、流れてきているそうだ。特に技巧を凝らされた小物に、刀剣類と弓はもっぱら評価が高いという。どこか聞き覚えのある話である。
とはいってもやはり種族間の移動は盛んでなく、生まれた国で死ぬまで出ることはない。やはりよくて中世当たりの文化水準と、それに伴っての個人の意識。かといって一概に低い文化ではなく、建造物は外見に拘らず実用的で、主に内装と細かな装飾を凝らしている造りだ。そして魔力を利用した小道具などは中世には不釣り合いで、王族から庶民の生活に至るまで活動しやすいものにしている。
やがて政務を終えた白銀の王が少女を迎えにくる。お針子にこりと微笑みかけられ、有栖は部屋へ戻った。
「明日、朝議が終わったら謁見の間に呼ぶ」
白銀の彼はベッドで一日の疲れをわずかに癒しながら、決定事項を伝えた。厄介ごとであるのは、皺どころか溝であると形容できるものを見れば、一目でわかる。申し訳なさすら覚えてしまう。
「そこでお前に重大な事を、伝えるそうだ」
遠回しに何をするのやら、と言いたげでいた。恐らくは宰相の発案であろう。だからこそ、何をしてくるのか、油断できないとするのだ。あの宰相は有栖とロボにとっては、信用できる人物ではあるが。
しかし宰相本人は、よく思ってないらしい。有栖を排す努力を怠らずに、全身全霊を以て行動してるのだ。白銀の彼にしてみても悩みの種で、なぜそこまで嫌うのか理解しかねるという様子。
「用心はしろ。奴は影響下の他の高官はもとより、武官たちすら抱え込んでいるようだ」
「それはすごいね」
「まったくだ」
随分と労力をかけていることだ、と感心すらしてしまう。軽い推測でもヘレニア視察前には、準備を終えていただろう。ヘレニア視察でダメ押しの最終調整を、行っていたのか。留守居と言う役目などウィンディゴさえいれば、どうとでもなるはず。それであるのに宰相も残ったのはそういことだ。
「私もいるからもしなどないだろうが、会話すら暢気には交わせないと思っておけ」
「そんなに心配?」
「ああ、あやつはなにかにつけてお前を排そうとするだろうからな」
「ふーん」
どうなってしまうのか。いや、どんな荒唐無稽な要求をしてくるのか。それが、白銀の彼の懸念であるのだ。なんとなくだがわかる。
有栖はそこで押し寄せた睡魔で、眠りにつく。流石の彼女でも、疲れがたまっていた。白銀の彼もまた目を閉じ、部屋の明かりを消す。やがて静かな吐息をたてていた。