二十八 人は
人は城,、と言った人物がいるが、この都市ではまさにその言葉がぴたりと符合する。有栖が白銀の王に連れられ赴くこととなった、城塞都市ヘレニア。活気こそ王都や、第二の都市ズメイルブルクには劣るかもしれない。だが強固な連帯感とも言うべきものが、街全体から醸し出されていた。堅牢な城すら連想させる結束。不穏分子が表立って動けないのは、これも大いに関係しているのだろう。
「どうした、物珍しい物でもあったか」
二日目の視察を終えて白銀の彼が訊く。今次視察では、宰相は王城での留守居であった。しかし事細かな指令書が事前にリーガスへ、したためられていたらしく、白銀の王へ釘を刺してきた。
人間の姫は表に出すは時期尚早。
その言葉には十分すぎるほど説得力があったので、従った。険しい山を城にしているので窓からは街が一望できる。
王城ほど煌びやかな造りでないが、そもそもが質素な部屋で普段生活しているので、気になりはしない。本来は戦時に使うのを想定しているのか、必要最低限に抑えられている。
有栖としては、退屈もしてない。もともと自室にすら、これといった娯楽の品を置いていなかったのだ。一応書籍は幾らか持ってはいたが、それも古い物ばかりで、漫画などはまったくなかった。
(不気味がられたっけ。なににも、興味をしめさなくないって言われて)
厳密には本は読みはしてはいたのに。あくまでも勉学の一環と捉えられたのか。
「先ほどから上の空だぞ。どうしたのだ?」
思い出と言えるか怪しい記憶に、思い耽ってしまっていた。有栖としてはあまり良いものではなかったが、思い残しも少なからずある。
「昔のことを、少しね」
「昔というと、故郷か?」
故郷の景色の追憶。未練などないと言えば、嘘にはなる。潔く割り切ろうにも、濁流さながらに様々な想いが湧いていくのだ。
ガルムとシェリルを眺めていると、二人の妹を。白銀の彼の母で、自身の両親を。もっと言えば、ここへ来なければそうはならかった。
「やはり恋しいのか」
少なからずの怯えを、持った声音。少女としては意外だった。
(離れるかもって思ったのかな?)
彼女自身そんなことは考えもしていない。
「恋しくないわけじゃないよ?でも私は、あなたのそばにいたいから、それでいいの」
「本当に良いのか?」
再三の確認。白銀の彼は、いったい何を言おうとしているのか。有栖にはそれが読み取れなかった。
「明日ここを発つときに、国境付近まで行ってみないか。そうしてからでも、遅くはなかろう」
少女を想っての提案。彼は本気も本気だ。
かくして翌日には王都への帰路へつくはずが、寄り道がてらに、人間の国との国境へ近づくこととなる。護衛としてヘレニア城代を任じられてるリーガスと、その旗下の精鋭兵が城から出発したので、物々しい一団となった。平時には不釣り合いなその光景に、街は一時騒然となってしまった。
白銀の王は毅然としながらも、どこかぎこちない雰囲気のまま、馬車の席に腰を下ろしている。やがて国境に着く。ヘレニアを最前線と位置付けているのに誰もが思わずうなずいてしまうほど近かった。
「ここまでしてしなくても・・・・・・」
目的地に到着し、終始困惑気味な有栖の手を取って引いてばかり。白銀の彼は愛想のよい世間話といった話も、返事代わりの相槌すらしない。それでリーガス配下の精鋭も、普段王に仕えている護衛すら、恐慌状態一歩手前にさせていた。
わずかに歩き、着いた場所は国境の無人地帯。魔族側も、人間側も、意識的に国境のすぐそばには集落をつくっていない。かつてはあったらしいが、なにかと諍いの起きやすく、危険地帯には変わらない。山間部でもあるので、やがて人は離れていったという。人間の国との不可侵と不干渉の約定が締結された影響もあり、国境はほぼ無人となってしまった。両国とも無駄な争いなど、したくはないのだ。
「この先を少し歩けば人間の国に入れるぞ。お前が決めろ、どうしたいかを」
体と視線を、刃物のような突き立て、国境に向いていた。見上げたその横顔には深い悲哀が刻まれている。しばらく時間が流れ、口を開く。
「気使わせちゃったね」
「いいのだ。私はお前には幸せであってほしいのだ。たとえそれが私から離れ、人間の国で第二の故郷を、つくることになろうと」
前日の仕草で望郷している、そう白銀の彼に勘違いさせたようだ。不本意であるが、有栖にはそれが嬉しかった。
「私の気持ちはかわらないよ。私はあなたといれれば、それでいいの」
「本当にいいのか?魔族の中で肩身狭く生きるより、人間の国で、自由になれるかもしれないんだぞ?」
ガルムを助けた有栖が王城での立場を悪くし、日に日に彼女を見る目は厳しいものになっているというのは、王である彼も知っていた。それにあの宰相のことだ、的確に弱点となる部分を抉ってきているのだろう。それぐらいのことは想像できた。ガルムの一件以来、彼がいつにも増して渋く、険しい顔で帰ってきていたのもあって。
(私のせいできっと色んなこと言われたんだ)
白銀の彼へ宰相をはじめとした家臣は、有栖を排そうと、様々な手段を準備しているのだろう。だからこそ、彼女の身が危険に晒されるのならと、思ったのだろうか。それでも、いまはそんなことを確認など、しなくともいい。有栖には白銀の王の想いが、十分伝わっていた。
「私が本当の意味で、生きれるのはロボの隣しかないから。だから、あなたのそばにいたい」
同じ物をずっと見るのは、不可能かもしれない。だが、有栖には今を生き、明日を望めている。それだけで、彼女にはこの上ない幸せであるのだ。
「この景色の見え方も、捉え方も違うかもしれない。でも一緒に見ているのには変わらないなら、私にはそれでいいの」
少女は白銀の彼の前に出て、にこりと微笑んでみせる。屈託のない、望郷など最初からありはしないと知らすために。
「有栖・・・・・」
国境の険しい山へ向けられていた視線は、少女ただ一人を捉えていた。悲哀はなくなり、いくらか明るくなって。本当にうれしいのだろう。己を選んでくれて。
(そうだよ、私はあなたから、離れない)
あの川岸に立った時、彼女は悟った。白銀の彼と生きる事こそ、自分でいられるのだと。彼はそこでやっと安堵した。
「帰ろう、私たちの城へ」
「うん」
二人は共に馬車に戻っていく。ゆっくりと歩いていると、有栖を呼ぶ声がした。どこかからか、それともすぐ近くからなどは、わからない。彼女の異能が拾い上げた声かもしれない。しかし、なぜ今なのか。何もわからない。離宮で目覚めてから、あまり聴こえてこなかったはずなのに。
有栖はその声の主を探すため、きょろきょろと見渡す。白銀の彼もそれに釣られ、足を止める。
「どうした?」
「いや声がした気がして・・・・・・」
そこまで言って、言葉を濁す。どこから、誰のものかすら判別がついていない。やけに聞きなじみのある声だとしかわからない。
(誰の声?)
結局、正体はわからずじまいで、馬車に乗り込み王城への帰路についた。呼んだのは誰であったのか。心に引っかかりをのこしたまま。
■
「姉さん、無事でよかった」
先ほどまで馬車がいた場所、を両足で踏みしめて、どこかへと消えた姉を心から案じての言葉。だが、彼女は見てしまった。その姉が恐ろしい出で立ちの人物に連れていかれたのを。
(まずいわね。あれが世に言う魔王ってやつなのだわ)
あれこそ創作でよくある、魔王と言う存在。彼女はそう確信する。この異世界に来てから、およそ半年。身一つで気が付くと、異なった世界にいた。半年ほどは国境の向こう側、人間の国で情報収集に努め、姉の行方を追っていた。けれども手がかかりは一つもなく、自分ひとりだけが、この世界に来たのかと彼女は思った。
探し求める人物はいないと、諦めかけてい時に、魔族という種族が国を成しているのを、人づてで知った。そこで危険とされながらも、人目を盗み無人の国境を越え、魔族の国に入った。そうしてやっと、いたのだ。
(私が助けるから、待ってて)
きっと囚われているのだろう。一体姉がどういった経緯で、にいたのかなど、彼女には現時点ではわからない。だがそれが、行動しない理由にはならない。
かつて誓ったのだ。あの神秘的であり、人ではない視座から物事を見れる、血の繋がらない最愛の姉をせめて守ると。
人間にしては大柄な彼女は、歩き出す。すでに行先はわかっている。異形の化け物たちの都。王都と称される、都市へ。どんなことをしても、姉を取り戻すため。あのプラチナ色の、化け物を打ち倒すことになろうとも。