二十六 家族
「陛下、人間の娘の処遇を決めてください」
宰相は何事でも、生じた余地を見逃さない。たとえそれが王族を救ったことでも。
「お前もしつこいな」
「陛下のためなら、この宰相ベフデティ、首も出す覚悟です」
宰相としても譲る気はないらしい。堂々巡りな会話をかれこれ十分以上続けている。毎朝の形式的な場にはあまりない、緊迫しきった息苦しさ。
「妃としではなく、愛玩動物とするのでしたら異論ありません。もしくはあの者の言う通り、処刑と相成るでしたのなら。ですが妃としたいのなら、どうかご英断を」
実に理に適ったものでありながら、相手の神経を逆撫でした口調。初対面の者、見知った者、古い馴染みの者にも容赦などしない。宰相とはそういう男だ。
(相変わらず痛いとこばかりついてくる)
かれこれ十数年ばかり、臣下として白銀の王の元で大変勤勉に働いているが、それだけは一向に変わりそうにない。
「陛下のご母堂様にしても、それ相応の能力を示したからこそであったと言います。ならば、陛下の妃となるお方にもそれなりの水準を求めるのは必然でしょう」
人間ならばなおのこと、と宰相は言う。然り。だが、それは。
「貴様は有栖に無理難題を吹っかけて、あわよくば事故で亡き者にする気ではないのか」
完全に王の憶測でしかない。しかし、そうでなければここまで性急に進めようとしないはずだ。白銀の彼はそう結論づけた。
(何をさせるか、分かったものではない)
契約の魔法は可能になる芽こそ出てきはした。それでも、現状の有栖では命を削りかねない。そもそもが魔力の使い道が不明だ。何が起こるかなど、召還経験に富んだ王族である彼ですら予測できない。膨大な魔力が呼び水になり、有栖の手に余る獣が召還されかねない。
「そのような意図がある、そう言いたいのですか?」
宰相もやたらと、有栖を排そうとしている。彼としても頭が痛くなる話だ。どうしてそこまで目の敵にするのか。いささか感情的ともとれた。
宰相は論理的な男だ。物事を感情ではなく、実利実害で判断する。たとえ自身が嫌われ、後ろ指を指されようと。白銀の王にしてみれば、だからこそ信頼できた。それがここ最近は有栖に対する見方は、私情が多分に含まれている。
朝議は凍えあがっていた。それは王と、その腹心の宰相がただなる雰囲気でいたから。朝議などあくまでも形式的にこなすものでしかない。それがここ数日で、最も気を揉むものとなっている。卒倒する者があと半刻もせずに、出かねない。
「今日のとこはもうよい。お前の忠義からというのもわかった」
白銀の王としてはもう少し穏便にしていたいが、臣下への示しとしても、多少角を立てるしかない。この間のガルムの一件が例外的なのだ。
朝議はそこで終いとなった。有栖の起こした事は一大事ではあった。本来王の決定には、何人たりとも口出ししてはいけない。それが宰相であっても、母であっても。それがたかだか人間の娘が、王である白銀の彼を翻意させた。
白銀の王は寛大であり、目下の者が提案や意見するのを、許している。とはいえ決定事項、それも今まさに手を下さんとした、王に歯向かってみせたのだから。目に余る行為と言って過言でない、白銀の彼以外の共通した意見だ。
有栖がした事はそこまでであったのだ。彼としては喜ばしいことだった。宰相は早急に対応しようとした。結果的に彼女は、自身を省みないどころか、排除したい者たちに糾弾する口実を与えてしまった。
およそひと月。元来いがみ合うばかりで足並みを揃えづらい重臣たちが、纏まるには申し分ない日数だ。書面は既に書き記されていたが。
白銀の彼は気苦労が絶えず、今日も今日とて眉間に皺をよせ、玉座へ腰を下ろしている。
■
「義姉上には本当に感謝しているよ」
ガルムは茶をしばきながら、心底暢気そうにいる。彼はひと月の謹慎を終え、すぐさま助けられた有栖のもとへ足を運んでいた。しかし、有栖は王妹と茶会していたので、自然と王妹も交えることとなっていた。
「ガルム、あなたはまず姉上に謝るべきでしょう?」
きつく、虫でも見下すが如し。普段から荒事を好まず、どこまでも淑やかな、王女たらんとするシェリルには珍しい。
有栖としてはそこまでするのに心当たりがない。会ってから初めてのこと。その姿は白銀の彼の妹なのだと再認識させた。
「えっと、そんなに言わなくても」
なんとか有栖が庇うも、シェリルはきついまま。
あはは、と誤魔化して茶菓子へとガルムは手は伸ばす。
「あなたの分ではないです。食べたいのなら姉上に確認をとってください」
弟の手を叩き落とし、シェリルは窘める。彼女にはガルムの件は相当我慢ならないことであったらしい。ガルムを共だっていると、知ってからずっとこんな調子だ。
そんな姉弟の微笑ましいじゃれ合いは、目新しくもあった。
「兄上が姉上をどれだけ大事に想っているか、あなたにもわかっていたはず。なのにあなたときたら、まったく・・・・・・」
シェリルはひと月前の一件で、王城内で有栖が害されることのないように、張り付いていた。その様はお目付けのコルキスが、困り顔になるほど。過保護すぎて、有栖自身も困惑気味であった。
いまだってそうだ。ガルムにやたらと寒々しく相手している。この王妹にそこまでさせるのは何故か。
(なんでこんなに怒っているんだろう?)
ガルムの方も覚悟していたのか、最初から文句の一つも言わないで、甘んじて受け入れている。有栖の承諾を得て、茶菓子をありがたそうに食べていた。
「姉上もこのような事、二度とないようにお願いします」
淑女には似合わぬ強さで、異論は許容しない。白銀の彼の威圧にすら耐えた、有栖すら承服させた。
「わかったから、そんなにガルムを責めないで」
ただ宥めることしかできない。背後に位置するお針子に助けを求めても、ただ首を振ることしかしない。
「わかりました。姉上が許しているのなら、私が怒るのは筋違いですね」
ガルムが今後変な動きをすれば、白銀の彼はともかく、王妹が身を乗り出して殴り掛かりそうだ。
「まあ甘えた性根のあなたは、私が手をあげずともウィンディがその根本から叩き直してくれるから。安心して見ていられるわ」
「へ?姉上いったい、どういうこと・・・・・」
そこでかつての王子、現軍事大臣補佐は補佐すべき軍事大臣ウィンディゴに、首根っこを掴まれて軍部区画へと引きずられていった。やはり軟弱者であったのか、部屋を去る、間際までこれから待つ運命に、悲観して泣き喚ていた。まるで童子だ。はそう思えて仕方がなかった。
「まったく、あの子はいつまでも甘いわ」
それが良さでもある、そう王妹は独白しながら。有栖としては、可愛らしい弟になっているが。白銀の彼が弟を気にかけていたのが、わかったようでもあった。心を入れ替え、彼女や白銀の兄、実姉を慕う様は狼というよりは、駄犬だ。
(いい子なんだね)
愛されて育った者の持つ、無邪気さ。それは白銀の彼や、シェリルに共通した一面だが、ガルムはいっとうそうだ。しかし世間知らずであったからか、そこを奸臣や、阿諛追従の輩に付け込まれたのだろう。ウィンディゴはそこから教育し直すらしい。
(あんなに謝ってたからなあ)
あのひと月前の件の次の日にすぐさま謝罪にきて、
「ガルム様は王子でこそなくなりはしましたが、その血筋に相応しい方に私がきっちりと教育します」
そう息巻き、謝っていた。
(いや、そこまでは)
少し可哀そうにもなった。
あの偉丈夫のことだ、知識はもとより疎かにしていたという武辺も、厳しく教え込むだろう。悲鳴すらできなくなったガルムは、想像に難くない。まったくもって不憫である。彼がしたことを考慮すれば、それすらも生温いと言われるかもではある。
それを勘案して、軍事大臣補佐という名ばかりの役目を、授けたのだ。文句をウィンディゴで跳ね返すために。
「姉上はもう少し、己が身を大切にしてください。いつかあなただけの体ではなくなるのですから」
いったい何を言っているのか。
「それと兄上もそうですが、私も姉上の無茶に心を痛めているのですよ」
「わ、わかったから。これ、食べて?」
目を逸らしながら、茶菓子をシェリルへあげようとする。有栖が手ずから渡してきた物であったので、直接口にするが、不服そうだ。一部聞き流そして、シェリルを見ていると、ありし日のモノクロの記憶が脳裏に甦った。
その仕草は有栖にとって懐かしい。
(あの子、元気にしてるかな)
シェリルが、種族が違うというのに重なってしまったのだ。血のつながらない、されど彼女にとっては愛する妹に。王城で目を覚ましてからおよそ半年ほど。忘れていた家族。忘れてしまっていた家族。忘れようと、していた家族。
有栖とシェリルは、そこから日が沈み出すまで茶会に興じた。白銀の彼はいつもより遅い時間に来たのは、朝議が長引いたからだという。彼女してみればまったく耳の痛かった話ではあった。
「ガルムはどうであった」
素っ気なく、どうでもいいのか、投げやりだ。ぱっと見はそうだが、少女にはわかった。
(わかるよ。弟だもんね)
どうやらロボも気にしていたらしい。本当に可愛げがない。シェリルにハティと会ったと言った折、ぼそりと呟いていた。普段でもそうである。弟や王妹は大切だからか、多少そういう素振りはする。だが、母の前では気丈にして、まったくそうしない。
(王であるから、か)
そう言われればそうだ。国母にはそれが癪に障るらしい。有栖としては、正直あんな会話を横でされるのは御免ではあるが。
「元気だったよ。ウィンディゴさんに連れてかれたけど」
「そうか、それならよかった」
彼にしてみれば、弟の命と王の責務であれば、王であることが上回っただけ。それだけなので、弟を無条件に愛していた。それは妹も同じで、彼の中での順位付けを覆すことはない、一緒に過ごせば、自然と読み取れた事。
(それなら、私はどうなんだろう?)
白銀の彼の中で、いったいどんな位置なのだろうか。
「有栖、どうかしたか」
ベッドに腰を落ち着け、隣り合い、壁にもたれかかるロボはちらりと覗いてくる。
「ううん、なんでもないよ。それよりね?シェリルにもっと自分を大事にしなさいって怒られちゃった」
「はは、それはそうだぞ。お前はもっと我が身を省みてくれ」
二度あんなことしなでくれ、あの一件から口を酸っぱくして言われていること。有栖にもそれは山々であるが、あそこではああするしかなかっただけで。
白銀の彼としても届かぬのも承知で、それでも、言い続けていた。愛する彼女にいつか届け、と切に願って。今は届かずとも、いつかと。