二十四 謀り
王城へ帰還して早々に有栖はリハビリも兼ねて、お目付け役たるコルキスを伴って王城を歩いていた。
「つまり、王様がいま改革できているのは、王様のお父さんのおかげってこと?」
「ええ、そうです。それもあり陛下は先代陛下を敬愛しているのです」
白銀の王がいくつかした改革、その下地は先王の代でできていたのだ。先王も彼ほどとはいかないが、あまり着飾ることをせず、過度なまでの献上品などもやめさせていた。政務も精力的に行っていたという。
他に商いなどは既に一部貴族や諸侯、王族が独占できる構造を作り上げていた。王族の独占権を先王が放棄し、白銀の現王がそもそもの商売の独占を禁止した。従属諸邦を含めて直接納める一年に一度の税だけで、国内の商売は自由にできるものになった。その結果として経済活動がより活発になって、国庫を潤した。
有栖にはある歴史上の偉人を連想させた。破天荒でいて、先進的なうつけと称された戦国の傑物。
「陛下は常々魔族の未来というものを憂いているのです」
かれこれ十年近くの付き合いの、直属のお針子だからこそ言えたこと。
たとえ現況がよくとも、後に続く者のためになっているのか。力こそを是とする。それこそが魔族の掟。それで知性を持っていると、知的生物だと言えるのか。ただの野生の、獣でしかないのでは。それこそが白銀の彼の、王としての疑念。
有栖に白銀の彼が偉大な王になれる素質があるのだと、再認識させる。そうだ、彼は力を是としていない。いままでも、これからもしないだろう。強大な力を持ちながら、驕ることなく育った彼だからこそ。
「おやおや人間の姫ではありませんか、ごきげんよう」
浮かれきった、愛想のよい好青年が歩み寄ってきた。王弟ガルムだ。なぜか彼が王城にも来た。この男が、王城に来ることはなかった。
この人物に有栖はあまり好感が持てていない。策謀をできる聡さがある風でなく、武辺自慢といった訳ではなさそうだ。いかにも王子な、荘厳で絶対の為政者である白銀の王とは、似ても似つかない。真反対である。
「王城を我が物顔で歩いているとは。兄上は随分と入れ込んでいるのだね」
偶然でないが、ばったりと城の廊下で鉢合わせたガルムは嫌味ったらしい。つけ入ることのできない堅物に隙が生じ、嬉しそうだともとれる。
「はは、そんな怖い目をしないでくれ。それでは兄上みたいじゃないか」
「王子に失礼だぞ、人間風情が!」
「そうだぞ!平服して這いつくばれ!」
臣下の者が吠えてくる。有栖は知らず知らずに睨みつけていたらしい。王族へは、あまりされないであろうもの。コルキスは直視せずに目を伏せている。それが普通で、有栖の行いこそ異端なのだ。彼女はいまのいままで考えもしなかったが。
王城に来訪したのは何故か。
「貴様がどうして王城にいる」
厳かな王の、重低音にも類せた声。弟が訪ね、有栖と話し出したと報告でも受けたのだろう。
「弟が顔を見せにくるのに、理由が必要ですか?」
「そんな可愛らしさをもっていたら、もっと前から会いにきていただろう?」
おかしなことを、と白銀の王は口許を緩ませている。図星であったのか、ガルムのにへら笑いが消えいった。どうやら城を与えられてからは、王城にくることはほとんどなかったらしい。
(やっぱ私かな?)
長い間王城に足を運ばずにいたこの弟が、来城した訳。真っ先に少女へと向かった意味。あまりにも容易い。
「有栖になにかする気か?」
僅少ですら推理していれば、自ずと導きだされる。この王子のことだ、策謀を巡らすなんてことなどできない。できないから王城に入ると、有栖めがけて来るしかできなかった。
臣下含め全員が冷や汗をかいているのか、固まりきって動揺している。
「貴様らが有栖を害してみろ、私自ら血祭りにあげてやる」
宣戦布告ともとれた一言。白銀の王は、そのすぐ後に有栖を腕にのせた。なにかするのなら、やってみろと挑発しているのだ。
恐怖を、虚栄心で取り繕うための、捨て台詞を吐く。
「母上の言っていたとおりだ。こんなうつけでは王は務まらない」
ガルムたちが去ると、白銀の彼は溜息をついた。
「すまないな、あんな不出来な弟で」
「いいんだよ、私をよく思わないのが普通だろうから」
この国の常識。故郷の常識は他所では非常識である、とはよく言ったものだ。それを痛感していない王子はいつかが来るまでは、改めることはなさそうだ。
有栖にしてみれば、そこまで差別的になれない。故国の気風がそうさせたのか、今までの短くまだ途上の人生からかは、本人にすら不確かだ。
「陛下、こちらにいましたか」
久方ぶりとすら思えた、頑強な偉丈夫。急いで走ってきていたが、息一つ荒げないでいる。
「ガルム様はどうでしたか」
「愚かなままだ。なにかしでかすな」
わかりきったことを言わせるな、と顰め面だ。偉丈夫はもう手遅れと途方に暮れていた。このトナカイ似の男も、察知していた異変。城で怪しくしていたのか、それとも調べをつけていたのか。あの優男な王子には、隠し事は無理だったらしい。
(どうするんだろう?)
歴史に照らせば、明白なのに。目を逸らしている。己が止める手立てなどないからか。それでも、彼女には自身が原因で、手を汚してほしくはなかった。それも肉親の血でなどもっての外だ。
「行ってくれるか、ウィンディ」
偉丈夫を愛称で呼んだ反面、白銀の王は鉄面皮になっていた。彼としても避けたかったのか。
「もちろんですとも。私はガルム様にも信頼されていますから、万事上手くいきます」
偉丈夫は「健闘を祈るぞ」、と送りだされていく。その背中には深い悲しみが張り付いて。
■
「兄上は駄目だ、このままでは国が滅ぶ!」
王子ガルムは、居城の小さな自室の椅子に座って頭を搔きむしった。あんな目を二人も向けてくるなど、彼には度し難かった。そもそも人間を飼っているなど、信じられなかった。離宮で見るまでは。
(母上は正しかった。こうなれば僕が)
母は彼を実子の中で、最も愛した。兄はなぜか母と不仲であった。姉に対する扱いは、無難であったのに。幼い頃から自身が王になるべきだと、彼は言われてきた。それを疑わずに育った。かといって兄が愚物であるとは、微塵も思いもしなかった。けれどいつからかガルムは兄と距離を置いていた。
「殿下、軍事大臣殿がお着きです」
扉の外に返事をして、王子はその場を立つ。もうやるしかないと。
(ウィンディゴがいれば)
軍事大臣と王の近衛隊隊長を兼任するウィンディゴは、彼の幼少時に守り役を任せられていた。兄や姉と一緒に。王族には未来の近衛隊の長となる者が務める伝統なのだ。それでも三人一緒くたに目を光らせることなど、一般的にはない。だが、ウィンディゴはできた。当代の王も流石に不憫だと言って、現王の守り役は替えようとしたが、
「私には造作もありませぬ」
そう言い切ってみせた。三人の上二人が聡く、さほど手がかからなかったのもある。その二人と比して王子は平凡だったが。
王となっている兄は諦観を持ちながら、どこか情熱的である。ある程度大きくなったころも側仕えを振り回し、頻繁に城を抜け出していた。それは民草と触れ合いたいだとか、生活を知りたいといったもの。将来の王には必要なことだと言って、制止を振り切ってもいた。王子には共感できることはなかったが。
いまも嫁がないで、王城で生活している姉はお転婆で、やたらと兄を心配していた。兄とは僅かしか歳が違わないからか、なにかずっと案じていたのだ。王子にはそれがわからぬ。基本的に彼の姉は、模範的な王女としていた。たまにの悪戯を至上の愉悦としていた以外は。
継承権第一位になって久しいガルムは決める。兄に成り替わろうと。そうすればきっと。きっと兄の見ている景色が、姉が案じている理由を知れる。