二十三 湯治
王城にも湯殿はあったが、魔術による火で水を沸かして湯にされているので、あまり大きくはなかった。王や王族が日々使用するからか、作り自体は豪奢で、出来うる限りの趣向が凝らされている。
ところがこの離宮にあったのは温泉だったので、王城の湯殿などは足元に及ばないぐらい大きかった。それは日本にある温泉と遜色なかった。細かな差異、根差す風習こそあれど、収斂しているのだ。有栖の世界の文化の進化の仕方と。
彼それどころではない問題が起きていたが。
「じ、自分でやるから、一人でも大丈夫だから!」
「あまりじたばたとしないでくれ、爪があたる」
身ぐるみを剝がされそうになっていたのだ。湯殿につくなり、
「服を脱がすぞ」
そう言って有栖は衣服のすべてを脱がそうとしていたのだ。恥じらいもあって抵抗を試みたものの、力で敵うはずもなく虚しいものに終わった。
一糸纏わぬ姿にロボは眉も動かさずに、湯舟へと入れた。
(全て見られた・・・・・・)
なにもかもが見られ、恥ずかしかった。仮にも乙女だ。有栖の故郷の常套句で表現すると、もうお嫁にいけないである。
そんなこともあったが治癒の泉と称されているその温泉は有栖の体にとても効いていた。全身が内部から崩れそうであったのに、初日だけで痛むことはなくなった。ズメイ由来と言うがなにがどう作用しているのか。
起きて四日目になっても、彼は補助を行おうとしていた。その日も有栖がなんとか阻止しようとしていると、お転婆な義妹が乱入してきた。
「姉上はいるかしら、って・・・!?兄上、ここでなにしているんですか!?」
手慣れた作業として、服を脱がす最中のこと。
「なんてこと、してるんですか!!」
あまりにも朴念仁な行動に、咎めるのは後にされ、彼は更衣所を叩きだされていった。
「まったく、常識がなっていないのかしら我が兄は」
呆れとも、怒りともとれた王妹の嘆き。有栖はあと一枚のところまでで助けられた。なにがなにやらと、きょとんとして。
なぜシェリルがこの離宮を訪れたのか。湯舟につかりながら訊く。
「姉上のためですよ」
どうやら有栖が心配で母に会うついで、という体裁をとって無理を押して、来たそうだ。案の定で兄は妃としようとしている人間といえど、乙女を踏みにじる信じられない、行動をしていた。白銀の彼によく似た、美しい狼顔で頬を膨らませて怒っている。
「我が兄ながら、乙女になんてことを」
恐らく、この義妹も有栖が己の母と偶然遭遇することを懸念してのことらしい。
こうしてゆっくりと、誰かと温泉へ入るなど思いもしなかった。異国の地にて、異種族と、共に入るなど。以前までは体は温かくされようとも、心は満たされなかった。新鮮だった。この胸いっぱいに感じ入る温かみが。白銀の彼のとも異なるが、されど近しいもの。
(人生は何あるかわからないか・・・・・・)
四日目ともなると、有栖の体はだいぶ回復していた。それは一人で歩けるぐらいには。白銀の彼も明日にはここを出立するつもりなので、今日が最後だった。
「もういくのですか、ずいぶんと性急ですね」
王妹も引き留めはしない。自身が白銀の王の母との確執に、手出しできていないからか。だから、せめて姉となる人の手助けをと。
有栖が湯殿を上がり、更衣室を出れば白銀の彼が入口のすぐそばで立っていた。不貞腐れたみたく、ずっと無言でいたようだ。出た途端に王妹がきっと睨んで、説教をはじめていた。
「兄上はいったいなにを、教わってきたんですか?あんなことを三日もしていたなど・・・、姉上の気持ちを考えなかったのですか?」
シェリルは本当に信じられない、と追い打ちをかけて睨み続ける。
「そのほうが都合がよかったのだ」
「そんなこと、まだ言うおつもりですか?」
個室ではない、宮殿の廊下で、それなりの時間を王と王妹が言い争っていた。離宮警備の兵は久方ぶりに来た白銀の王が、王女と口論をしいていたので、怯えて近寄ることさえできないでいる。有栖があわあわと両者へと、交互に目をやっていると、見知らなぬ人物が割りこむ。
「兄上も姉上も、どうしたのですか」
兄と姉。そう呼びかけた人物は、渦中の二人によく似ながら、二人にはある芯と形容すべきものがない。たおやかだが、優柔な部分を外見から連想させられる。
王弟だ。シェリルやコルキスの言っていた、王直轄の城一つとその管理地域を所領として与えられている。かつての第二王子、現継承権第一位ガルム。
「兄上、そこにおわすのが妃とする方ですか?」
長身の白銀の王と、それよりもいくらか小さい王妹の陰に埋まっていた有栖を見逃さない。どこか小馬鹿にもした言い方。こんな人間をと。
「ガルム、貴様が有栖に何の用だ?」
にこにこにとしていながら、その中に潜む黒さ。有栖には一発でわかった。声も聴くまでもなく。害意はなくとも、悪意はある。
(この人、なにかある)
それは彼女以外の二人も見透かしたらしく、シェリルすら守ろうとしていた。
「わざとらしく、どうしたのガルム?」
張り付いた笑みを王弟は消さない。
「母上を訪ねてきてみれば、あの兄上がこの離宮に妃となる人物を伴って、滞在してると耳に挟んだもので、ね?」
王妹の指摘にもあったが、やはりどこかわざとらしい。時機を見計らっていたかのような、そんなわざとらしさが。
この三兄弟は仲は普通で、見た目も、微小な差こそあれど酷似していると言われている。しかし実際に揃った三人では、ガルムだけが浮いていた。彼だけが、切れたナイフとすら称される眼光をしていない。中身もそれに伴って、異なるだろう。
「母上が妃と一度ぐらいは会いにきては、と言っていましたよ」
優男といった風体の王弟は言伝を残して、その場から退散していった。
白銀の彼は眉間にいつもの比でない皺ができていく。悩んでいる。それは誰の目にも明らかで、シェリルもやれやれと首を振っている。
「兄上、あまり無理せずともいいんですよ」
王妹の助言届かずに有栖は先王妃の住まう棟に向かった。
「あなたが人間を妃するなどと噂になっていましたが、まさか本当とは」
王や王妹にあるきつさを含みながら、王弟にあったたおやかさが同居している。いま有栖と白銀の彼の正面に位置しているのが、先王妃ハティ。ワシ科の特徴をいくつか有する人物だ。切っ先のごとし鋭さを持つ目つきは、彼女のものだったらしい。
先王妃のもとに着くと、茶会の席が用意されていた。白銀の彼の隣に有栖がちょこんと座るなり、その刃物を突き付けられていた。
「あなたの突飛な行いは相変わらず目に余りますね。やはり、王などの器ではなくて?」
美しくも、冷酷そうな先王妃は白銀の彼をなじってくる。
(すこし苦手かも)
似ても似つかないのに、なぜか有栖に親を思い起こさせた。それは愛を持たぬ親であるという、要素が符合しているからか。
「母上、そんなくだらぬことで病み上がりの我が妃を、呼びつけたのですか?」
買い言葉に売り言葉。この親子は世間話もやたらと好戦的だ。双方ともに敵意が直球すぎて、傍観者に徹している有栖の方が、先に胃を痛めそうなってしまう。
「陛下もなぜあなたごときを王に推したのか。ガルムを差し置いて」
「あやつに王が務まるなど、母上も随分と老けたものです」
「あなたのような、わがままな幼子でないもの」
(やめてえ)
ここまで攻撃的なのは見たことがない。そうして一体全体何が言いたかったのか、はっきりせずに閉会した。胃を痛めかけた有栖が結果として、あっただけで。
寝室へと戻る時にちらりと幼い子供がいたが、先刻の対話が尾を引き、それ以上深入りしなかった。
かくして離宮での湯治は終わった。本当に有栖が歩けるまでになると、すぐに王城への帰路についた。有栖は全快とまではいかないが、倒れる前よりかは健康になった。