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獣国のツァーリ  作者: のろま亀
王城
22/57

二十二 眠りから覚めて

 有栖はかくして意識を回復させた。いや、ついに取り戻した、と言ったほうが正しいだろう。彼女には何日経過したかなど計れない。

 夢の大半をうまく思い出せない。おぼろげになって、あの神らしい存在になにかされたのかもしれない。 


 力は起きたばかりであまりは入らない。体の内側が傷つけられたような痛みもあった。もう無理して起き上がることはしない。いまは少しでも長く、居心地がいい白銀の彼のそばにいたい。



「有栖、起きていたのか」



 ちょうどよく、ロボが戻ってきた。安堵と希望。あの生物ならざる存在はこれを図って、送りだしたのか。それを有栖に確認する手立てはない。



「遅いぞ、寝坊助が」



 その言葉とは裏腹に彼は嬉しそうで、どこか子供っぽい。有栖は己の底からえもいわれぬ情動が押し上げられてくる。よかった、夢じゃない。これこそが現実だったんだ。もうあの永久に頭を打ち響かせる声に怯えなくていい。


(またあの声がしても、きっと私でいられる)


 確証を持てているのではない。だがこの優しき王と共に歩めることができたのなら。有栖はあの時とは異なる、まだ見ぬ道を歩めたのなら。きっと彼女はその力を、御していくことができるのだろう。



「私、ロボのそばにいていいの?」



 白銀の彼には当たり前かもしれない、それでも訊かずにはいられない。



「莫迦なことを。お前は我が妃だろう?ならば、決まってるではないか」



 本当にばかだ。だから、よかった。そう安心すると有栖は不思議と、大粒の涙が零れおちた。もういいんだ。本当に傍にいていいのだと。



「私はあなたといれるなら、それでいいから」



 嗚咽で上擦りながらも、なんとか言葉にできた。


 かけられていた寝具を掴んで、久方ぶりにそれらを濡らしていく。かつての日から絶えてしまった、ある種の生きている証。情緒がある証左。


 なにかを言うでもなく、ロボはただ泣く有栖に肩をよせている。



「私、夢を見ていたの。いつかの私の夢を」



 泣き止んで、やっと口を開く。



「夢の中で私は、あなたといたいんだって気づけた」



 だからあの謎多き存在に有栖は感謝していた。この秘めた、自身ですら知りえなかった想いを感じられた。


(ロボといれば、私は人になれる)


 大切で、名前をあげたこれまでの人生で、唯一の人。今いる部屋には彼しかいない。だから人目も憚らずにいられる。ただの有栖でいられるのだ。



「お前がそう言ってくれて、私は嬉しい。私の妃となってくれることがとても、とても嬉しい」



 その言葉でもう十分だ。有栖の内側をじわじわとほんのり温かくする。この正体がわからない。厭ではない、この感覚は彼といると時々あるものだ。



「お前にこれをやる。肌身離さずにいれば、やがてお前の生成する魔力が体を守ってくれる」



 白銀の彼は懐からその手には小さすぎる指輪を、有栖に差しだしていた。その指輪は以前の王都で買っていた物だった。手にしたばかりの時点では飾り物がなかったはずだが、なにか追加されている。



「これって、あの時の・・・・・・」



 あれは有栖のために買っていた物だったらしい。なぜロボが言い淀んだのが察した。あげたくて、言い淀んでいたのだ。本当は隠しておきたくて。

 

 手に取って、まじまじと指輪の外見を観察する。白銀の彼が手づから加工したのか、宝石らしき石が嵌めこまれていた。



「それは私が組んだ魔術石だ。その石がお前から魔力をわずかばかりだが吸い上げ、お前の体に循環させる」



 どうやら体を強くするための物のようだ。


(あ・・・・・・・)


 有栖にふとわがままが生じた。



「これ、指にはめてほしい」



 口にだしておきながら、気恥ずかしくなってそっぽを向く。それは、自身が出している手がどちらかも注意せずに。本当は左手のつもりだったのが、右手だったぐらいには。

 おかしな身動き有栖にロボは首を傾げながらも、彼女の右の薬指にそれをはめていた。



「これでよいか?」


「う、うん」



 なぜそんなにどぎまぎしているのか、そう言いかけたが、有栖があまりにも赤ら顔になったので閉口した。


 元いた世界での風習。それまでの彼女では、その未知の感情を抱くことなどなかった。なので、どうしてここまで、赤くなっているのかわからない。右だと気づいたのは、そこからしばらくしてからだった。



「ところで有栖よ、私はお前の秘密について聞かなければならない」



 真剣な声音で普段の彼女へ引き戻された。そうだ、まだ言えていない。自身の秘密について。あの声がすることについて。



「私は先延ばしにしていた。お前が倒れた原因にも、含まれているかもしれない。だから、聞かなければならないのだ」



 倒れた原因にあるかなど、有栖にはあずかり知れない。彼ならば、わかるかもしれない。話そう。この異常な力を。



「私ある日を境におかしくなっていたんだ」



 全て有栖は話した。彼女の異能を。人と目を合わせたら、その人のなにもかもが盗み見ることができると。普段でもその制限しかできずに、心の声といえるものは四六時中聴こえてしまうことも。この力には、おかしいと言うのだろうか。彼女それだけが心残りであった。


 ロボは目を細め、静かにあるだけ。不気味だとも、恐ろしそうにもせず語る有栖だけを注視していた。



「お前は苦しくなかったのか」



 それだけがロボにの中で引っかかる点だったらしい。

 

 苦しくないと言えば嘘だった。こんな力は有栖には過分すぎて、扱いきれなかった。こんなのは神話の怪人、怪物の類だ。だから、生きた屍だった。どこにいても、今を生きている実感がなかった。

 それでも彼に、ロボに出会えた。それだけで苦しかった分が必要なものだったと、これからの糧にできた。

 だから、彼女にはそんなのはいいのだ。



「苦しかったのかもしれない。けど、私は今が幸せだからそれでいいの」



 彼の大きな片手に有栖は両手をおく。


 何を思っていたのだろうか。どんなことでもわかる彼女は生きた心地で満たされ、わからなくなっている。不意に悟った。ここであの声がしづらい理由を。


 生きている実感さえ持てれば、この異能はある程度抑え込めるのだ。そうか、自分から人の中に踏み込むことさえしなければ。なぜ、この世界に来て、そうなっていたのか、相変わらずそこは不透明だ。それでも、もう有栖は大丈夫なのだ。



「私はロボと生きれれば、苦しいのもへっちゃらだよ?」



 そうだ。いままでの苦しいことも、これからの辛いことも彼とさえいれば、有栖を構成する要素になる。これが生きる、ことなのだろう。




「それなら、いい。私を受け入れてくれたお前を、私も受け入れる。同じく人ならざる者として、苦しんだ者同士でもあるから」



 にこりとしながら、ロボは頬へ鼻筋をこすりつける。



「ありがとう有栖。秘密をあかしてくれて。ありがとう、私に名前を与えてくれて」



 何回も、自分の匂いを移すためなのか。まるでイヌ科動物のようで、とても可愛らしく有栖にしか見せない面。


 彼もまた有栖と共にいれて、こうしてただ話すだけの時間が楽しく、いままで苦しむだけだった自分を分かち合えるのがうれしいのだ。



「そういえばここって、どこ?」



 白銀の彼の自室だと錯覚しかけた、違う部屋。いったい、どこなのだろうか。



「ここはズメイルブルク近くの離宮だ」



 王国自体はそこまで広大な領土を有しているわけではないが、それでも属国関係の諸邦とは比べるべくもない。


 ここはその中で王都マスカヴィアに次いで、大規模な都市。王都が巨大なズメイ湖で発展してきたのと同じく、この街もまた湖の水運で隆盛してきた。元々はなにもない土地だったのが、水上が交通の一部とされた時期から湖を掌握する目的と水運網の構築を兼ねて建設された。それがおよそ千二百年前。

 

 その結果、今日では王国二番目の大都市となっていた。ズメイルブルグ。湖の名前から取られたこの街が自然発生的都市でなく計画に基づいた、人工都市であるなによりの証拠。


 

 そこまでが有栖がコルキスから学んだ、この国の主要都市の中にあった都市の概要だ。離宮があるというのも含めて知っていた。



「王族は傷の療養などで、たまに使うのだ」



 つまり有栖の治療のためにこの離宮に滞在しているらしい。王になってからロボは利用してこなかった。

 この都市の建設と共に歴史を紡いできた、伝統ある宮殿へ何ゆえ寄り付かなくなったのか。そこまでも教えられていた。いや、コルキスの推測とも言えた与太話に近いが。



「ここって、ロボのお母さんがいるんじゃ・・・?」



 ここには彼の母がいる。王になって以来この地にて暮らしているそう。ロボは母とはあまり仲がよくないという。それは生まれてからで、仮にも嫡子であるのに。なぜか第二王子、つまり弟の方を溺愛したのだ。

 

 有栖がそこまで教えられていたことに、ロボは口元を歪ませていた。



「コルキスも余計なことを。母上は私が疎ましかったからな、来ないでいたのだ」



 それでもあらゆる手を尽くすために、ここに滞在することにしたらしい。ここには湖の主が由来の治癒の泉、つまり温泉が湧き出ている。この離宮はその泉を囲む形で郊外に建築された。

 


「あまり母上には会いたくない。お前が何事もなく歩けるようになったら、ただちにここを離れる」



 面と向かうことなど、彼としても遠慮したいらしく、気が滅入りそうだとぼやいていた。実のところ、有栖としては一度は会ってみたくはあった。許されはしないだろうが。

 

 伝聞の国母、先王妃は冷酷ながらも器量が大きく、王の助言役すらこなせる人物だという。東方国境辺りの辺境貴族の娘という出自ながら、その非凡ならざる才覚を常に示して王妃、そののちに国母にまで上り詰めと教えられた。はじめのうちは諸侯などからも反発された。暗殺騒ぎすら起きても、その地位を譲らず持ち前の強烈な反骨精神と聡明さで、乗り切ったらしい。


 そんな秀逸な彼女が、なぜ嫡子を暗君でもないのに軽んじているのか。それが有栖には理解不能なのだ。


 古来より王やそれに類する地位は血に塗られている。たとえ第一子たる王子が継承しても、暗君ならば国を乱す。それならば、他の王候補を擁立し、王を打倒する。その逆もあるが。では、この国ではどうか。白銀の彼は自身に強大な力を有している。歴代の王との比較でも愚鈍などとはいえない。

 簡単な事だ。簡単すぎて誰でも、それこそ聡明で先王の妃として確固たる地位であった人物がわからないはずがない。


 一つだけそれらしい理屈があるが、それは自分の地位すら危うくしかねないだろう。



「母上とはできることなら接触するな、何をされかわからん」


「わかったよ、ありがとね」



 今回ばかりは忠告を受け入れるしかない。体には幾分かしか、力が入らない。だから有栖はこの宮殿を歩き回ることなどできない。



「では今から治癒の泉に行くぞ」


「え、今から?」


「そうだ。お前の体には損傷が残ったままだ。早く治さなければ、またいつか血を吐いて倒れる」



 有栖はそうして、お姫さま抱っこの要領で持ち上げられた。



「どうかしたか、顔が赤いぞ」



 一体どうして自身が火照っているのか、彼女にはわからなかった。そのまま二人は部屋を後にした。


 泉に向かう道中で幾人かいて、その中で宰相が激しく食い下がってきていたが、白銀の彼は碌に相手せずに止まらなかった。


(誰か見ている?)


 どこかから監視されている気もしたが、目的地に着くまで止まることなどなかったので確認する術などなかった。

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