二十一 日常
同じ歩道を往く、誰も彼もがモノクロに見える。自分が人の理から外れているのだとわからせてくる。
目の焦点を合わせずに、ただ日常を過ごしていく。目を合わせたら最後、目を合わせてしまった人物のなにもかもが視えて、聴こえてしまう。たかだか、十六年余りしかない私の人生では、塗りつぶされるのにささやかな抵抗することしかできない。
それでも入ってくる情報量の制限しかできずに、人の本音は聴こえる。人の悪意や憤怒はより顕著に濁流のごとく脳髄に浸透していく。それが日常。くだらない会話すら引き金になり得る。
朝の他愛のない会話で、学校の噂話で、すれ違うだけで。
朝の気だるげな気分が嫌いだ。元気にそこら中を駆け回る幼子の声が、にこにこと笑っていながら腹に一物を持っているのが、嫌いだ。
昼の快活な喧騒が嫌いだ。心躍らせて食事をする様が、相手を観察して言葉を発するのが、嫌いだ。
夜の情念渦巻いた情緒が嫌いだ。楽しく食事をしながらの会話が、誰かと誰かの想いが交じり合うのが、嫌いだ。
こんな何者にもなれない、怪人でしかない己がなによりも嫌いだ。
いつからこうなってしまったのか。小さい頃はまだまともだった。まだモノの道理どころか、人の感情の機微に疎かったころは。
そばの人たちより、幼馴染だった子たちより秀でていたらしい。いまの私にはぼやけて想起させられない記録。そんなことは今の私にはどうでもいい。もう生きる意味も、生きたいと思える人もいない。いや、最初からいなかったんだ。そんな人は誰もいない。
あれは小学校に上がって一年が経ち、まだ新鮮な毎日を満喫していたころ。事故に遭った。あの日はなにを考えていたのか。ともかく事故に遭い、数か月ほど昏睡した。
昏睡状態から覚醒した私は一変していた。声が聴こえた。信じられないという声が。それは声帯が空気を振動させて出る音ではなく、脳に直接入ってくる。
あの頃の私には理解不能で、とにかく疑問だった。人によって千差万別の声。必ずしもある訳ではない、その心の声とも言うべきそれが、あの頃の私には不思議で仕方がなかった。
童心が残っていた私は起き上がってすぐに訊いた。「奇跡の生還」と称賛しながら、内心では信じられないものとしていた人に。はじめのうちは後遺症でしかないだろうとされた。じきに治ると。
これは後遺症であるのかもしれなかったが、私にいつまでもあり続けた。やはりわからないことは、わかるまで理解しようとした。そのためにひたすらに訊いて回った。
結果は芳しくなかった。
誰しもがはぐらかすか、驚いて言葉を詰まらせるだけ。
そうしてやがて人は離れた。不気味で、彼方を見つめる私が、恐ろしかったのだろう。人は理解できる範疇ではない事は自然と遠ざける。本能であり、生きる知恵だ。
視力も聴力も事故の前後で大きく変わり、どこまで視えて、距離の離れた音まで聞き取れた。本当に人でないみたいで、私にはなんともなくても、傍目には気味悪かったらしい。
私はとにかく知りたくて、どうしてそうしているのか。ある種狂気であったとは、自身でも思う。
やがて近寄られなくなって数か月したある夜に、本当に人ではなくなった。それまでの私を留めていた最後の防波堤。両親だけは、私を恐れていないと、勘違いしていた。他の有象無象の人たちも、親も、等しく人間だというのに。
あの夜は眠れなくて、いつもより煩く感じて、両親だった人たちのもとへ、行こうとしていた。来たばかりの妹に軽く引き留められながらも、部屋を出て、階段を下った先へ。不意に声がした。それは二人の声。両親だった人のもの。
「あの子は事故に遭っておかしくなった。私、どうすればいいかわからない・・・・・・」
「そんなのこっちだって・・・・・・」
ぶつ切りで吐露する会話。聞いた瞬間に耳を塞いだ。でも、それでも聴こえてきた。心の声が、本心からの言葉だった。
その夜はやはり眠れなかった。思わず、下りかけていた階段を上り返して、部屋に飛び込んだ。あれが最後だった。涙を流した日は。
そこから私は自身を人間ではないと定義し、人と関わらず、肩入れせず、ただ外から観察すように生きた。そうしていると、だんだんと人らしさが薄れ、本物の怪人に近づいていくだけだった。
目的もなしに彷徨っていた。蜃気楼にすら見えた街を、ただ歩き続ける。街の人混みを通り過ぎ、掻き分けていく。
声がする。もうどちらかなんて、判別つかない。私はもう戻れない。希望を持たず、絶望もしない、あんな人ではない自分に。
あの陽だまりの中に、戻りたい。私が、自分でいられる、不器用で、でもそれが、心地よかった白銀の彼のそばに。たとえいつか、目覚める夢だったとしても。せめていらないと、言われるまで。そこまではいたかった。
「私、私ははロボといたかった」
私が名付けてあげた名前。私と彼だけの秘密。刻みつけられた、忘れたくのない記憶。
やたら耳につく声がする。やめて。こちらに向かないで。
「人間の子よ、今一度問おう」
■
まだ川岸にいた。鮮やかな赤色の花が、一面を埋め尽くした川岸に。
「さて、そなたの大切な者はわかっただろう?」
杖に体重をかけることなく立っている人ならざる存在は、有栖に尋ねてくる。どうやら先ほどまで見ていたものこそ、一時の夢でしかなったようだ。
眼前の存在は得意気で、ここに来たときからそうだと見抜いていたのだろう。
「そなた自身の想いには気づけたはずだ」
何故、ここまでしてくるのか。彼女には窺い知れない。だが、この存在の言いたかった事はなんとなく気づけた。
「私はロボのそばにいたい。私にはそれだけでよかった」
たとえ捨てられる定めだとしても。それでもまだいれるのなら。
「そうだ、それでよい。未だ死ぬ運命ではないのに、生きる意志がなかったのだぞそなたは。だから少々強引な手段にでたが、よかったようでなにより」
満足して心底嬉しそう反応。その結論を待っていた、と言いたげだ。
「やっと現世に戻れるな。では、さらばだ我が同胞よ」
その刹那、遂に顔が有栖には見えた。美麗な女性のようで、可憐な少女とも、屈強な男性であったかもしれないし、麗しい少年であるかも。瞬きをするたびに、姿かたちが変貌していった。やはり、人ではない。さりとて生物ですらない。神であるのかも、不確かだ。
(何重にも重なっている)
幾重にも内包された、それぞれの存在が顔を出してきていたのか。有栖の目にはそう映っていた。
「やはり、そなたは現代に生まれるには異常だな」
「それって、なにが・・・・・・」
また杖が突かれる。舞った花弁が、閃光に変わって有栖の目を覚ませる。まどろみから彼女を
起きた天井は、見覚えがないものだった。