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獣国のツァーリ  作者: のろま亀
王城
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二十  渡り川

 静寂な一帯を川のせせらぎだけが響き、赤い花が川岸を一面彩っている。ここはどこだろうか。

 

 書庫で倒れた。最後に見た光景は白銀の狼に似た彼。牙を微かにならし、震える手で握り返していた。辛そうで、泣きはしなくとも、彼女にはわかった。


(私が原因だ)


 近辺を一望する。建物どころか、人っ子一人といない。空には月はおろか星すらなく、地平線の先まで暗闇に染まっていた。であるのに異様なほど周囲が見渡せる。



「ようやく起きたか。人間の娘」



 空気の振動を音声としてるのでなく、頭に直に語りかけてくる。近しくも、似て非なるものだと即座にわかった。誰がこんな芸当をしてきたのか。


 およそ十年あまりを、この異常な力と暮らした。同類どころか理解者のただ一人も現れなかった。かつては友人だった者、親に妹も。彼女を怖れ、遠ざけて拒んでいった。



「いつまで呆けている」



 眼前に出現した。前触れも、物音一つなく、有栖の前に文字通り出現したのだ。

 

 フードを深々と被り、木製と思われる杖をついて立っている。面相を判別しようにも陰がかかっていて見えない。いや、ないというのが正しいかもしれない。貌などなく、フードもそれを悟られないためのものだ。


(人間でも、魔族でもない。いや、人ですらない)


 直感と分析。生き物かすら怪しい。



「ん?お前、気づいたな?」



 一歩後ずさる。有栖の考えはすべて読まれている。ズメイと同種。いや、この存在はズメイどころか、もっと上位の権能を持っているだろう。それこそ、神に等しいのかも。

 この空間もおかしい。どこまでも続く大地に見えて、先どころか手前すらないかもしれない。


(赤いケシ科、境界を区切る川。そしてそこ立つ人物。そうか、ここは)



「それ以上はよい。そなたは聡いな、騒ぎもせず、相わからず肝が据わっとる」



 人ならざる存在は釘を刺す。同じ質なのだ。この存在と彼女は。


 物事の本質までも有栖は見透かせる。人の読心や、記憶を覗くことなどその欠片だ。彼女が知らぬだけで、その力を時折行使していた。人が呼吸をするように知れる。相手のなにもかもを。


 恐怖なんてもの有栖にはは、微塵もない。たとえいま、死の境界にいようと。



「私はどうなってしまうの?」



 己の身を案じてくれた人の、せめてもの願いだから。彼女のその言葉に、それ以上の意味などありはしない。

 


「おまえの命はいま消えようとしている。悔いはないか」


 

 ここでの彼の仕事なのだろう。後悔を残さずに黄泉路をゆかせるため。


(悔いか・・・。そんなのないよ)


 特筆した思い入れなどなく、問題などない。大切な人もそうでない人でも、別れは平等だ。白銀の彼は良くしてくれたので、せめてもの恩返しぐらいはしたかった。でも、もういい。



「私に思い残すことなんかない。あるはずがない」


「本当にそうなのか?」



 なにが言いたいのか。この存在がこちらを見通すことができるのなら、なにかあるのか。否だと有栖は結論づけた。そこまで人間性が残っていたとは、思ってもいない。あのひと時を過ごせたなら、それだけでよい。


(私はもう十分。最後がロボの近くでなら、それでいい)


 後悔なく、いまを生きれた。あの力とまた一緒に生きるぐらいならここで尽き果てたい。



「白銀の君は、ロボとそなたが名付けた男はどうなる」



 有栖の胸元を指さしている。ちゃんと自身に向き合ったのか、と問うてきているのだ。


 この川岸で立ちすくんでいた意味は、なんだろうか。とうに命落としたのなら渡っていてもおかしくない。ではここに居続けるのは、何故か。そして、この存在は何をさせようとしているのか。



「そなたには大切の人物ではなかったのか?」



 杖に両手を添えて見据え続けたまま、何か言いたげだ。


(何を言いたいの)


 大切だとか、好き嫌いなどの人らしい情緒がある訳がない。多少の残りかすがあっただけだ。そう有栖は決めつけていた。だから、この人ならざる存在の考えが読めない。

 わかりきっているだろうに、この存在には筒抜けだろうに。再考を促したいのか、しつこいほどに訊いてくる。

 

 風景は変わらず。川の流れは一定で、風がいくらかあるだけ。そよ風が二人の間を突き抜けていく。こんな所でも風はどこからか吹いて、花や少女の黒い髪を揺らす。



「そなたには考える時間が必要だな」



 自信ありげに、人ではない存在は言う。いったいなにを考えてほしいのか。もう自分にそんな時間はないと有栖は決めつける。既に火は消えかけ、あとは彼方へ行くのみ。喀血し、病床の身になってここに来た。



「それって、どういう・・・・・・」



 有栖が怪訝そうな顔で口を開いていた時、杖で大きく音を叩き鳴らす。



「人の子よ、我らに連なりし子よ、いまいちど彼岸へ赴いてしまった子よ、束の間の夢想でその身を省みよ」



 強い風が吹き抜け、花びらが目が眩む煌めきを放ち、宙を舞っていた。有栖はそこで意識を刈り取られる。あまりにも一瞬に。

 話した時間は数分であったかもしれないし、一時間をゆうに越えたかもしれなかった。時間の概念があるかすらも不明だ。ただ、話した事実だけが後に目を覚ました彼女にわかるだけで。

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