二 わたしは誰
有栖は彼に助けられた次の日の朝、開口一番に言われたことついて考えていた。
「この部屋から一切外に出るな」
この言葉には納得である、と彼女は正直思う。心配しているのだ。だが、そこまでして守りたい理由についてはあまり察することができない。白銀の彼は誰かと勘違いしてる節があり、丁重に扱おうとしている。しかし所詮は友人であるはずだ。だというのに過保護ともいえるこの扱いは、あまり理解ができない。どうするべきか。
やはり外の様子を少しでも見てみないことには、わからないことも多い。ただし、部屋の外にひとたび出るれば彼の言いつけを破ることになる。有栖がそんなことを考えていると、部屋の隅に立て掛けてる梯子があるのに気づいた。もしかしてと思って近づく。天井に扉があった。
「これなら・・・・・・!!」
それを見つけた瞬間に有栖の顔が輝きを放つように、明るくなっていく。
■
「バレッタ公が病に臥せったというではないか」
「それは真か!?であればすぐにでも代理を立て、領地の安定を図らなければ・・・・・・」
「それよりも・・・・・・」
朝議が始まってしばらくせずに、集まった諸侯や高官たちは、議題について各々自由に発言し始める。最初は小さくても、すぐに大きなどよめきに変わっていく。これを許したのは王である、白銀の王自身だが、あまり建設的ではない話は、彼にとっては好ましくない。そしてもう一つ思うとこもある。
(騒いだところでなにになるのだ)
このようなことになるのなら、自由に発言させるのをすぐにでもやめたくなる。そんなことを、表情ひとつ変えずに思っていた。だが、そんな衝動をぐっとこらえる。ささっと終わらせよう。そうすれば、後は己の裁量で全てを決められる事しかない、と諦める。心の隅で、きっとよいことだった、と思いながら。
「騒々しいぞ」
先ほどまでどよめていていた朝議は、その一言で凍りつく。そこには畏怖よりも、まず先に恐怖の感情が強い。それは彼の治世がどのようなものか、どのような王道を歩んできたか、暗に示すように。そんな様子を見て、彼は苛立ちが少なからず湧いてきた。そうして静かになったその場を玉座から一瞥する。そんな主の姿を見て、玉座を前にして跪いてる多くの者が二言目はなにか、と息を呑み待っていた。やがて、静かになった朝議はまとめ始められた。
「まずはバレッタ公の代理選出についてです」
近くに立っていた宰相と呼ばれる男が、鋭い声でまとめていく。その視線は冷たく、塵をみるような目。主君には決して向けられるないもの。それでも異議を唱えるような事もなく議論しているのは、その地位について暫く経つ証拠。
「お疲れ様でした、陛下」
先ほどの朝議の場をとりまとめていた宰相ベフデティが主を労う。あの喧騒は彼としても耐えられなかったのか、労いつつも表情は苦虫を噛み潰したようになっていた。神経質なこの男は忠誠心は家臣の中では一二を争う。だから先ほどのような白銀の王の手を煩わせる行動には、どうにも我慢ができないらしい。
「もうよい、あやつらもそれなりの善意がある。今回の件はそれが空回りしたにすぎぬ」
多少はベフデティを宥めてみる。それで一瞬、納得したような顔になった。すぐに苦々しく目の前の主を見はじめる。
「それは何度目でしょうか」
「む、それを言われるとなにも言えんな」
言外に自由に発言させるのは取りやめれば、と匂わせている。彼は少しむすっとしてしまう。そこまで言うのなら、と宰相も渋々だが引き下がった。多少はまだ不満げだが、なにも言わないので気がつかなったフリを、白銀の王はする。
そうこうし、白銀の王は視線を目の前にそびえたっている山に向けていた。宰相にちらりと目配せして、この山はどうした?と宰相に尋ねる。
朝議を終えるとすぐ執務室へ向かった。執務室に入った時には大量の書類の山が積まれ、出迎えていた。
「高官や諸侯からの法案や税率の改定案、公共事業の案や人事異動の最終確認に、王都やその周辺で起こった特筆するべき事案などです」
「いやそれはわかるのだが」
わずか数日でこれほどとは。一昨日前、この山を同じ量を処理したばかりなのだ。王になって長いが、ここしばらくこんなことが続いている。これも王の役目だ。第一、案などは身分や位関係なく意見せよと言ったのは白銀の王本人である。とりあえず、比較的簡単な事案の山から目を通していゆく。
そこにはあまり目にしないことが書かれていた。この国では珍しいこと。
「王都どころか、この王城内で人間?それも屋根の上だと?」
最初に手に取った書類だというのに。最初がこんなのとは。かなり嫌な予感が彼の頭の中を支配していく。横から、「それは朝議中に起きたことだそうで、急ぎで見てもらいたいとのことです」と声が聴こえてくる。予感とかそういうのではない。
そんなこんなで出鼻をくじかれたような思いを抱き、黙々と書類を片付けていった。もやもやとした気持ちをいったん置いといて。
■
(空気がすごくおいしい)
自分に当たるわずかに強い風を胸いっぱいに吸い込んでいる。標高が少し高いのもそうだが、空気の汚染などがほとんどないからこそだろう。内心危ないとしながら、心地の良さに身を任せている。自身に当たる強い風を気にせずに。
見つけた梯子を登った先。城の屋根に出れる隠し扉があった。城の屋根へ出て、有栖は外の様子を朝から確認していた。時間的には恐らくお昼をわずかに過ぎたくらいだろうか。
(やっぱ聞こえない。こんなにも人がいるの聞こえない。あの人からも聞こえなかった)
昨日自分を助けてくれた白銀の彼の顔を思い出していた。そこから少し考え事に耽っていると、足元のさらに下から声が聞こえた。
『あそこだ!人間がいたぞ!!』
『早くしろ!逃げられるまえに捕まえろ!!』
(まずい見つかった。逃げないと……)
その瞬間だった。強い上昇気流が吹き荒れる。普段生活した中ではあまりない強烈な風が、大きくない有栖の身体を持ち上げていく。やがて地面へと墜とそうと。
浮き上がった時、街が遠く見えた。そこにはもといた世界と同じヒトの営みがある。様々な露店に大勢の通行人、区画割りされた大量の住居。とても綺麗だ。そう思っていたら、どんどん墜ちていく。危ないとしながら気しない。最期にこんな景色を見れて、満足している。ゆっくりと目を瞑り、あとは叩きつけられるだけ。風に身を任せてその時を待つだけ。
そのあとに有栖が体に感じたのは、暖かさとその奥から感じる筋骨隆々とした感触だった。なぜこのようなことをしてる?と訊いてきた。
(彼がわたしを助けた。私を助ける理由なんてないはずなのに)
困惑し、なぜと聞く。質問に対し、質問で返された彼は不機嫌そうに眉間らしき場所に皺を深くする。
「わたしが助けてやったのだ。こんなにもあっけなく死ぬのは許さん」
そっけなかった。少しぶっきらぼうで、人によっては傲岸ともとれる。それでもわかった。それだけで生きる意味を与えられた気がした。
こんなにも晴れやかな気分になったのは、いつぶりだろうか。そして眼下に広がっていたものを改めて見直す。先ほど同じ光景。しかし違うように見える。そこにはあまりにも多くの、今を生きる命が溢れている。
「陛下!なぜ王城にそのような、人間の娘がおられるのですか!」
有栖を抱えた白銀に彼は、城の中庭らしき場所に着地した。もっとも中庭とはいうものの、城の階層の中ほどで見る人によっては空中庭園ともとれるものだった。
待ち受けていたのは鳥らしき外観の人物。その剣幕には周りの臣下らしき人物たちも気圧され、一歩引いている。話を聞く彼もどこか居心地を悪そうにしていた。先を急ぐためになんとかはぐらかし、話を終わらせる。それでも家臣たちは、なんとしてでも止めようとしたが、その抵抗はむなしく終わった。
抱きかかえられたまま有栖は白銀の王と共に、城の奥へと消えていく。臣下たちを置き去りにし、一切の異論を言わせずに。