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獣国のツァーリ  作者: のろま亀
王城
19/57

十九 暗転

 また、いつ力なく昏倒してしまうので、静かに養生する。なんてことは有栖にはできないので、彼女は本の虫になることにした。

 この国の言語どころか、この世界の言語そのものがわからないはずである。だというのに、最初から頭の中で理解可能なものになっていた。脳内で置き換えている、と言った方が適切かもしれない。どうにも有栖には日本語として変換されているのだ。それでも文字を読むことはできない。そこでまず、読み書きから教わる状況だったはずだったはずが、あれよあれとと入っていき、所要二日で文字の大まかな読み書きができるようになっていた。

 それは常日頃に仕事の少なさから暇を持て余し、これ幸いと請われて教えていたお針子が驚嘆したほど。本人は得体の知れないさが先行して、それどころではなかったが。


 そうしてまた一週間ほど経った。咳も相変わらずある。それ以外の体の変調はいまはない。

 


「有栖様、あまり根を詰めるのはよくないですよ」



 咳だって止まらないんですから、と付け加えてコルキスはいたわってくる。そんな優しいお針子は有栖の申し出を引き受け、あまつさえ書物の補足や古い用語の補足なども行ってくれている。


 そこは王城の中の書庫の一つ。巨大なこの城には長年に渡って蔵書が収められ、それぞれの書庫に振り分けられていったという。有栖とコルキスが通っているのは数多ある中で最も容易く読解できる書物が多く、かつ出入りが安易な場所


 普段は王族の初歩の教育に使われるらしい文机と椅子を用いて、ひたすら書物を読むのに明け暮れていた。白銀の王に了承を取ってのことだったが、本音を言えば彼から直々に学びたかった。わがままだとは自認している。

 白銀の王は己がつけないかわりに、コルキスに一旦の教育を任せた。



「私は陛下の命に従うまでですが、私でよいのですか?」



 一度そんなのを有栖に言ってきていたことがあった。無私をもって自身の相手をする人物という、信頼もあったので、彼女は気にも留めなかった。


 この国の名前。2千年以上もある王国の歴史。王都や主要な都市の位置と名称。種族の違いに、文化の変遷。

 どれだけ知識を深めても、有栖を納得させ、満たすことはなかった。一体この世界に飛ばされた理由は。この国が有栖の見知った世界と類似したり、通ずるものがあるのは、どういった事由か。


 執務に忙殺される日々でも、白銀の彼は有栖を迎えにくることを欠かすことはなかった。たとえこの数日は倒れてなくとも、もしもに備えて。コルキスを任じたのはその一環。なにかあった瞬間、報告してくれる人物だと見込まれたから。


(やっぱり心配かけてるよね)


 書庫から部屋へ戻るたび、抱え上げて運ぶのはどうかと思うが。頻繁に倒れることこそなくなったが、咳き込む有栖を、大変憂慮している。あれから彼女の体を労わってばかりで、話をする時間がまったくない。少女としては彼の苦悩を若干でも癒やしたいのに。



「有栖様?大丈夫ですか?」



 主君から教鞭を預かったお針子は、上の空といった状態の有栖へ声をかけた。自ら請うておきながら、無作法なこととは、理解している。時間はお昼をわずかに過ぎたばかり。太陽が天高く空に浮かんでいる。


 日を追うごとに彼女は己に残っていた人間性を感じていた。いつの日にか零れ落ちた、人らしさ。今を生きるということ。人智ならざる力は依然として隠れ潜んでいる。根底に深く眠って。いつかまた浮上してくる。きっとその時こそ、人間であった残滓は跡形もなく消えてしまう。


(歴代の王族の中でロボみたいな人はいたのかな)


 名付けた名前。いずれ怪人の記録に、凋落してしまう記憶(思い出)に刻まれる名前。二人だけの名前。

 思い立った有栖は、書庫の中から王族の身体的特徴に関する本を、探し始めた。高くそびえたつ本棚から、本の取り出しを円滑にするための足場。梯子を活用しながら、どこにあるかと探していく。



「有栖様、なにをお探しですか?」



 いきなり有栖が一心不乱に蔵書を調べだしたので、何事かとコルキスは声をかけてきた。だが気にも留めず、無数にあるとすら初見の有栖が思った、大量の書物を開いていく。

 やっとそれらしい文献があった。いくつか記された特徴はとりとめのない事しかない。白銀の彼のような巨大な体躯と異常に巨大化する牙、尖り耳と血走ってより赤くなった瞳。あるはずがない。あるのなら、怪物と自称しなかったはずだ。無駄なことだと知りながら、もしと思っていてもやはりなかった。


(うっ・・・・・・)


 気の抜けた瞬間咳き込む。なにもない。いつもはそうだった。口で手を塞ぐ。もう慣れたことなのでなんともないと過信していた。


(なにか、変な手触り・・・?)


 掌中におかしいものがある。鉄っぽさが鼻で拾えた、赤黒い液体。それを彼女が見て取った刹那、再び咳き込んでいく。今度はより激しく、手で押さえきれずに血反吐が口へ体へと、へばりつく。

 有栖の体を、いままでにない感覚が包んでいく。血液に何か混じり、体内の血管を経て全身を流れていく。



「有栖様!?」


 

 やがてほどなくして有栖は伏した。幾度かのものとは異なった、重篤な容態。白銀の主君へとコルキスが守備兵を駆使して伝達したのが功を奏して、すぐさま城の医務室へ運びこまれた。






「では有栖はこのまま弱っていくのか?」


「魔族と違い、人間なのでまだなんとも言えませんが」



 残酷な事実。


 この国には魔力が常に存在している。それは魔族が生活するには、十二分にすぎるほど。どれだけ使おうとどれだけ浪費しようと、目減りすることはない。一般の市井の住民や、魔術や魔法に不勉強な貴族などは感じることができないだけだが。ある程度の熟達した魔術師たちでないと、詳細な計測などはできない。

 この国において魔力は切っても切れない関係だ。たとえば生活の一部。夜に使うランプに、家事や暖房のための火起こし。これらは庶民でも簡単に利用できる道具ありきではあるが。魔力を軽く注げば起動される術式。魔族の中ではありふれた絡繰りだ。

 たとえば医療。魔術には色々な分野があり、医療分野もその一つ。生活には欠かせない、重要なもの。


 魔力を人間が扱うには、才能が求められる。魔族でもいくらかいるが、人間はその比でない。魔力そのものを肌で知覚し、脳で理解する必要がある。その魔力で身を焼く者はごまんといるとも言われている。

 有栖には魔力を扱う才も、貯めこむ才もなく、恐らく空気中の存在を感じることすらできていない。そんな人間はこの国、この土地で生きることはまず不可能と言い伝えられてきた。


 白銀の王にも、才能の有無については薄々だがわかっていた。



「人間がこの国で生きるなど前例がなさすぎるので、私にもよくわからんのです」



 王城勤めの医官ですらわからないと渋面をしている。彼女がいた期間はおよそ半年にも満たない。短い日数でしかないのだ。それがここまで弱らせている。



「まだあとひと月は持つでしょうが、そこからはなんとも」



 終いをぼかしながら、白銀の王にやんわりと告げる。もってひと月。それで有栖の命の灯はなくなる。選択が迫られていた。これには宰相も成り行きに任せている。

 そうして彼女が病床に伏してから二日が経ち、医官は判明したことを王に報告した。あれから一切起きず、苦しそうな呼吸だけが続いていた。



「この人間は体が弱いのもそうですが、魔力を無尽蔵に作って莫大な放出を繰り返しています」



 おかしい。確かに有栖の体は弱い。白銀の彼は同意できた。だが無尽蔵に作っているとはどういうことか。


(いや、そんなことは・・・)


 魔力は普通消費先がなければ身体を駆け巡って蓄えられ、力の一端として消費されていく。個人差こそあれど、あまり多くない。魔力量で突出した者には特筆すべき異能がある。

 無尽蔵の魔力生成。大気に頼らず、ひたすたら作られていく。



「その放出先はどこだ?作ってすぐにしなければ魔力を纏うはずだぞ」


「それがわからんのです。いったいどこに流れていくのか。ただ人間どころか、生物には過ぎたる量だというのは、辛うじて知れました」



 医官は魔術を使って、二日かけての検査でやっとわかった。王城で腕が最も良い医官でも、お手上げ状態だ。医療にまつわる魔術を総動員してこの結果なので、白銀の王としてもそれ以上やれとは言えない。



「本来であれば体をいとも容易く破壊しているはずです。それがどういう訳か放出することで均衡を保っている。元々、倒れたのは魔力に抵抗する力が弱いからですが、それに拍車をかけてたのがこの生成と放出の連続です」



 あくまで仮説ではある。こんな例はこの国の長い歴史において、まったくと言っていいほどにいない。心当たりもないこの事象は、ただ人間の少女の命を削りとって、死へといざなうだけ。


(いったい、有栖の身に何が)


 そこで彼が凍り付く。有栖が秘密にしていたことだ。彼女が狂乱した件と関連があるはず。また間違いを犯した。一度ならず二度までも。秘密をさっさと訊いていれば、この不明瞭な事態にも、対応できたかもしれない。


(私はなんと愚かなのだ)


 そう悔み、彼は自分を責める。なんと愚かで、短絡的だったのだろう。秘密を打ち明けると約束をした。彼女はその通りに言おうとしていた。



「ロ、ボ?そこにいるの・・・・・・?」



 いまにも消え入りそうな、貧弱でか細い声。医官は察してその場を後にする。部屋には二人しかいない。やっと意識を回復させ、ロボと呼びかけた彼に弱り切った腕を伸ばす。彼は身震いを隠せずにその伸ばされた手を握る。



「よ、かった。やっぱり、いた」



 一つ一つ、力を振り絞った声。なんとか話そうとしている。



「よいのだ、無理に話すな」


「い、いの。わ、私なんかより、もっと大事なことが・・・・・・」



 有栖はそこまで言って、また眠りについた。白銀の彼は泣くことはない。涙を流せない己に、彼は荒む。愛する者一人にすら涙しないとは。たとえこの場には有栖と彼しかいなくとも。


(私はなんと情けない。自身の妃が死に瀕しているのに)


 彼の持った王の資質の一つ。激情に身を任せず、怖気づかず、ただ民衆の望みを叶え、民衆を導く。白銀の彼にはそんな自分が、許せない。こんな右往左往するだけしかできぬ自分を。


 白銀の彼は決めた。いまいちどこの娘を助けると。



「有栖、いますこしの辛抱だ」






 朝の陽ざしが、閉じられた瞼を照りつける。煩く、止まないヒヨドリの鳴き声。人と人の静かな、喧しい会話。寝ていた彼女の頭に、直接叩きつけられる、過多な情報。他人の本音。他人の記憶。自分の物でもない物がた、だひたすらに入ってくるだけ。悪意も、善意も、なにもかも。


 代り映えもしない、いつもと変化のない朝。有栖にとっての日常。こうなってしまって既に長い。



「有栖?起きてるのなら、早く下りてきなさい」



 彼女にとって久しい気もする母の声。


(ああ、また私はこれと一緒に生きていかないといけないのか)


 夢だった。あの心地よい日々は、一睡の絵空事。あんな幸せにできるのが、異常だったのだ。有栖を呪いのように、彼女にとっての日常が蝕んでいく。温もりのある記憶が、ただの記録に成り下がってしまう。白銀色の彼の顔を思い浮かべるたび、胸が締め付けられ、寂寥感が心中を支配する。



「夢なら、覚めなけきゃよかったのに」



 何者になれない呟きが、伽藍洞のごとき部屋に反響した。

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