第11話:ヨルムンガンド
――少し時間を遡る。
ミズガルド南部の平原を進む三十名ほどの集団がいた。
軍勢と呼ぶには少なく、パーティと呼ぶには多い人数。
先頭を歩くのはミズガルド第一地区の議員を務める女性――金級冒険者アイギス・ティレスタム。
議会でも纏っていた重厚な鎧だけでなく、手には身を隠すほど巨大なタワーシールドを所持している。
平時と変わりのない歩行姿勢で彼女が向かう先は南部にある大湿地帯。
その目的は魔物災害――通称、ヨルムンガンドと呼ばれる巨大蛇の対策だった。
十年単位の冬眠を経て稀に出没する全長約1kmにも及ぶ巨大蛇。
強毒性の瘴気を全身から吹き出し、如何なる障害をも意に介さずに通り道を死の大地と化すまさに災害と呼ぶしかない存在。
これまでにミズガルドから何度も討伐隊が派遣されたが、甚大な被害が出る前に撃退するのが精一杯で根本的な解決には至らなかった。
しかし今回、その大任を拝されたアイギスは自らの任期中に出現が予測されたことを不運だとは考えていなかった。
彼女は正義と秩序を掲げる第一地区が対応に当たるのは当然の義務だとし、更にはこれを好機とも考えていた。
ミズガルドの民衆たちに絶対的な力を持つ王の必要性を問う絶好の機会だと。
そんなアイギスの期待を一身に受けるのは、彼女の少し後方を進む一人の女性。
年齢は二十代半ば。
妖艶な顔立ちに、遍く魔法の属性を象徴するような七色の髪。
玉座と見紛うような椅子に座す姿はさながら女帝。
自らは完全な不動のまま、従える多種の精霊にそれを運ばせている。
彼女の名前はティタニア・メイヴ。
現在のミズガルドにおいて三人しか存在しない白金S級の冒険者であり、“至高天”の異名を持つ者。
世界最高峰のアルフェイム国立魔法大学を主席で卒業しただけでなく、冒険者としても一年で白金級に到達した歴代最速記録も保持している最上の魔法使いが一人。
更に彼女の周りには、端正な見た目を持つ十人以上の取り巻きがひしめいている。
だが取り巻きとはいえ、その実力は一介の冒険者程度ではない。
全員が金級中位から白金級下位の精鋭であり、それをただ一声で動員出来るカリスマ性もティタニアが持つ武器の一つであった。
この面々ならば、あのヨルムンガンドを撃退ではなく討伐できるかもしれないとアイギスは考える。
長年、ミズガルドを苦悩させ続けてきた魔物災害の一角。
それを排除したと発表すれば、ミズガルドの世論は一気に第一地区の支持へと傾く。
そうなれば強く反対し続けている第二・四地区も王の必要性を認めざるをえない。
「……どうしたの? そんな物欲しそうな目をして」
熱の入った視線に気がついたティタニアが身を起こす。
「いえ、そろそろ当該地域に入ります。ヨルムンガンドがどこから現れてもおかしくはありませんので、気をつけてください」
背の高い植物に視界を遮られているが、足元は既に少し泥濘んでいる。
視界が開けたその先に、ヨルムンガンドの姿が見えてもおかしくはない。
「ヨルムンガンド……名前は知っているけど、所詮は大きいだけの蛇でしょう?」
「確かに同じ強大な魔物である竜種と比べればその攻撃性は高くありません。ですが、全身から吹き出す強毒性の瘴気に加えて、如何なる傷であっても瞬く間に再生する極めて高い耐久力を持っています。過去に幾人もの白金級の方々が挑みましたが、討伐には至っていないのもその巨体が有する生命力故だと推測できます」
「ふぅん……まあ、醜い蛇に私はさしたる興味もないけれど……」
そう言いながら、ティタニアは精霊に指示を出してアイギスのすぐ側まで自らを運ばせる。
「今日は貴方が同行してくれると聞いたから来てあげたのよ。アイギス・ティレスタム……」
今度はティタニアの方が熱の入った視線をアイギスへと向ける。
「すごく綺麗な顔……」
そのまま立ち止まった彼女のアゴに手を当てて睦言のように囁く。
「高潔な精神性に……実力も申し分なし……欲しい……どうしたら私の物になってくれるのかしら?」
恍惚の笑みを浮かべながら、ともすれば接触しそうなほどに顔が近づけられる。
冗談を言うようにくすくすと笑いながらも言葉は本心からのものだった。
取り巻きを見ても瞭然たるように、彼女は美しいものを愛好する。
人であれ物であれ、遍く美しいものを我が物とするのが彼女にとって至上の喜悦。
大義を掲げる高潔な精神を具現化したような秀麗さを持つアイギスは、彼女にとってまさに垂涎の逸品だった。
「この身はミズガルドへと捧げた身です。もし貴女が街を……民衆を導く王の器であるならば、私は喜んでこの心身を捧げましょう」
身を焼くような欲望を受けても、アイギスは表情を変えることなく淡々と言葉を紡ぎ出す。
その言葉には一点の曇りもない。
個人としての好感の有無に拘らず、自分が王を望むのであれば、その資格を有する者に全てを捧げるのは当然だと考えていた。
そして性格にこそ多少の難はあるものの、ティタニアは実力とカリスマ性の面では王として十分な資質を備えていた。
「王……ねぇ……。政治には全く興味もないけれど、誰にも見下されない高みに座するのは悪くないかもしれないわね……」
アイギスから顔を離し、元の位置へと戻るティタニア。
それから更に歩を進め、一行は遂にヨルムンガンドの生息地である大湿地帯へと踏み入れた。
「……うっ、ひどい匂いね」
沼の底の汚泥を掻き混ぜたような悪臭に眉を顰めるティタニア。
「この匂い……もう近くにいるかもしれません。注意してください」
先頭のアイギスが一行に注意を促しながら盾で背の高い草を掻き分ける。
視界が開け、目的地である大湿地帯が彼女らの前に姿を表す。
だが、そこで彼女が見たのは想像を遥かに凌駕する光景だった。
漠々と広がる大湿地帯の中央にあったのは――
「なっ……!?」
頭部を失い、絶命している巨大蛇の姿。
実物を見るのは初めてだったが、視界の収まりきらない山のような威容は紛れもなく件の巨大蛇だと彼女には一目で分かった。
「こ、これは一体……ヨルムンガンドが……し、死んでいる……?」
微動だにしない大蛇を見て、言葉にしても尚眼前の光景に現実感を持てないでいるアイギス。
議会でどれだけ対立地区の反目されようと、ティタニアに靡かされようとも不動だった顔が驚愕に歪む。
「……これは、一体どういうことなの? 私たち以外にも討伐隊が?」
一拍遅れて同じ光景を目の当たりにしたティタニアも当惑の言葉を発する。
「そ、それはありえません。此度の討伐は第一地区が主導で行うと議会で決定された事項です」
「なら、どうしてあれは死んでいるのよ! 誰がやったって言うの!?」
声を荒げてアイギスへと詰め寄るティタニア。
同じ白金S級でありながらジークフリートの後塵を拝する二番手に甘んじていた彼女は、此度の討伐を通してその不名誉を挽回するつもりでいた。
そのはずが何者かによって獲物を先取りされた。
強大な自尊心が如何に傷ついたかは想像に難くない。
「分かりません……私にも、何故……こんな……」
だが、問い詰められるアイギスも答えを持ち合わせていなかった。
二人に続いて湿地帯へと足を踏み入れた討伐隊の面々も一様に声を失っていく。
災害として認定されている魔物の一角が死亡した。
大地に死を撒き散らす大蛇は自らが巨大な死そのものとなり、二度と動きだすことはない。
それはミズガルドに住まう者であれば手放しに喜べる出来事のはずだった。
だが、誰一人として喜びの声を上げない理由はただ一つ。
これを行った何かがまだこの周辺に存在しているかもしれない事実。
人か、神か、それとも更なる災厄をもたらす悪魔なのか。
一行は戸惑いと恐怖が入り混じった複雑な感情を抱きながら立ち尽くす。
「頭部に一撃……それも魔法ではなく、物理的な衝撃に拠るもの……? 同じ巨大生物であれば何らかの目撃例はあるはず……であれば人が……?」
一方、僅かに落ち着きを取り戻したアイギス。
彼女は遠くであるにも拘らず、まるで近くにあるようにも見えるスケール感の狂った死骸を冷静に観察する。
巨大蛇から失われた頭部は影も形もない。
噂に聞いていた再生力すら間に合わない威力で一撃の下に消し飛ばされたのを容易に推測できた。
アイギスは無言のまま佇んでいるティタニアを見据えながら考える。
果たして、彼女であってもここまで出来ただろうかと。
あらゆる属性の魔法を使いこなす至上の魔法使いである彼女なら、激闘の末に討伐は出来たかもしれない。
だが、たったの一撃でこの状況を作り出すことは到底……。
もはや答えが出ることのない仮定ではあるが、まるで苦虫を噛み潰すようなティタニアの表情が全てを物語っていた。
彼女とこれを成した者、どちらが王と呼ぶに相応しい力を有しているのか。
「……皆さん、とにかく落ち着いて周辺の捜索に当たってください。これを行った何かがまだ近くに潜んでいるかもしれません」
ティタニアの取り巻き以外の面々に指示が出される。
物言いにこそ警戒の色があれど、彼女は既にこの存在に対して畏敬とも取れる感情を抱いていた。
一方でティタニアは死したヨルムンガンドを見据えながら一言も発さない。
ただ、自らのプライドを汚した何者かの姿を崩壊しつつある死骸に重ねながらじっと睨みつけている。
「何か異常があれば、自ら対処しようとはせずにまずは報告をお願いします」
少しずつ落ち着きを取り戻しつつあるアイギスの胸の内に生まれつつあるまた別種の興奮。
彼女は今この瞬間、ミズガルドに王が誕生する胎動を確かに感じていた。





