第11話:パラノイア
それは洞窟に入ってから約二時間が経過した頃だった。
突然、言語化しづらい不穏な気配を覚えた。
魔物とは違う攻撃的な意思がどこかから向けられているような感覚。
「なあ……何か、妙な感じがしないか?」
自分の感じた不安の正体を確かめるべく、側を歩く二人に尋ねる。
「え? 妙な感じ? いきなりそんな事を言われても分からないわよ……」
「言葉にしづらいけど……こう……周囲の空気がベッタリと身体に張り付いてくるような感覚とでも言えばいいのか、とにかく不穏な感じだ」
「別に、何も感じないし……何か変わってるようにも見えないけど……気のせいじゃない?」
周囲を見渡し、さっぱり分からないという身振りを行いながらエイルが言う。
自分でも妙な事を言っているとは思うのでその反応も仕方ない。
「気のせい、だったらいいんだけどな……」
実際、見える風景などに変化があるわけではない。
周囲にあるのは相変わらず苔のみが彩りの味気ない岩肌だけ。
だが、洞窟に入った当初から感じていた肌に纏わりつくような底気味悪い空気感。
それが徐々に強くなってきている気がする。
最初は単に内外の寒暖差に依るものかと思ったが、それにしてはしつこい。
考えすぎではない何かがここにはある。
三年間で培った冒険者としての勘が確かにそう言っている。
「うん、ルゼルの言う通り……不浄な感じが強くなってきてると思う……」
少し間を開けてから今度はノアが俺の意見に同調するようにそう言った。
俺と同じように、何か不穏な気配を明確に感じ取っている言葉と口調。
蒼い瞳の浮かぶ双眸は先の暗闇をじっと見つめている。
「やっぱりか。お前がそう言うってことは何かあるんだろうな。魔石か……それとも別の何かか……」
「ぜ、全然分かんないんだけど……」
雰囲気で生きているエイルはともかく、ノアが言うのなら間違いない。
やはりこの奥には何かがあるに違いない。
そう考えて、更に気を引き締めようとした時だった。
「――ぁぁぁぁぁッ!!!」
突然、奇怪な音が前方の暗闇から鳴り渡った。
「な、何!? 今の音は何なの!?」
異様な音に混乱するエイルを横目に、ノアと顔を突き合わせる。
音の正体について俺と同じ答えに至ったらしいノアが無言で小さく頷く。
同時に、俺たちは音が聞こえた方向へと駆け出した。
「あっ! ちょっと待ちなさいよ! お、置いてかないでよ~!」
滑りやすい岩盤の上を注意しながら走る。
暗闇の向こう側からは時折、何かが争っているような音が聞こえてくる。
さっきのは間違いなく人の叫び声だった。
先に入っていた誰かと魔物が争っているのか、それとも――
頭に浮かんだ疑問への答えが光によって照らし出される。
「死にやがれ!!! この化け物が!!!」
視線の先に現れたのは、何かに馬乗りになって高々と短剣を掲げる一人の男。
打ち捨てられたランタンからの橙色の光がその周辺を照らしている。
そして、短剣が振り下ろされようとしている先には倒れている別の男。
その光景を見た瞬間、考えるよりも先に身体が動いた。
短剣を振り下ろそうとしていた男に飛びかかり、背後から羽交い締めにする。
「お前ら何やってんだ!? こんなとこで人間同士殺し合いなんて正気か!?」
二人の身体の至るところにある生々しい切傷。
さっきの音の正体。争っていたのがこいつらなのは間違いない。
理由は分からないが、ダンジョンの深部で仲間割れなんてとんでもない大馬鹿野郎共だ。
「ひっ! も、もう一匹!? やめろ化け物! 離せぇッ!!」
俺の顔を見た男が、その顔を尋常でない恐怖に歪めて叫ぶ。
「おまっ! 人の顔を見るなり化け物はねーだろ! 化け物は! 傷つくぞ!」
「離せッ! 離せぇええええ!! あいつをどこにやった!! この化け物どもが!! ぶっ殺してやる!!」
「どわっ! 危ねぇな! 落ち着けっての!!」
腕の中で男が激しく暴れ、短剣で必死に攻撃しようとしてくる男。
言葉が通じている様子は一切ない。完全な恐慌状態だ。
「ルゼル! そのまま抑えてて!」
少し遅れてきたノアが俺たちへと向かって錫杖を構える。
「おう! またぶん殴ってとりあえず大人しくしてやれ!」
殴りやすいように男の頭をノアの方へと向ける。
こいつを止めるには、あの日の裏路地の時のようにぶん殴って気絶させるしかない。
「清浄になれー!!」
しかしノアは杖で殴るのではなく、これまで魔物にしてきたように閃光を浴びせてきた。
「うおっ! まぶしっ! ノア、何やってんだ!」
不意の眩しさに目を伏せる。
これは聖魔法と同じように、生物には効かないんじゃないのかと疑問を抱いた直後だった。
「……って、うわっ!!」
眩い光の中、抑えている男の身体から猛烈な勢いで何かが湧き出してきた。
まるで不完全に燃焼する石炭から湧き立つ煤煙のような黒い靄が。
「な、なんだこりゃ……!」
気体とも固体とも取れないような靄がまるで意思を持っているかのように蠢き、光の下から逃れようとしている。
生理的嫌悪感を刺激されるおぞましい光景に思わず身体が仰け反る。
一体何なんだこれは、愛読の魔物図鑑でもこんなやつは見たことがない。
そう考えている間に靄はまるで断末魔の叫びを上げるように虚空へと霧散していった。
「ルゼル! だいじょーぶ!?」
ノアが俺たちの方へと駆け寄ってくる。
暴れていた男は完全に沈黙し、腕の中で気を失ったように弛緩している。
「俺は大丈夫だけど、こいつが……おい、大丈夫か? こんなとこで寝たら風邪ひくぞ」
目を覚まさせるために男の頬を軽く打つ。
「ん……んん……」
まぶたが二度三度と痙攣し、ゆっくりと目が開かれた。
「え、永世銅級……? なんでお前が……」
俺の顔を見た男が力なく呟く。
まだ少しぼんやりとしているが、恐慌状態は脱して状況はしっかりと認識できているようだ。
これはこれで化け物呼ばわりとは別に傷ついたけどな……。
「それはこっちの台詞だよ。こんな場所で仲間割れ、それも殺そうとするなんて何があったんだよ。大事に取っておいたデザートでも食われたのか? それにしてもやりすぎだろ。せめて半殺しくらいで我慢しとけ」
「な、仲間割れ……? はっ! そうだ! あいつは!? あいつは無事か!? お、おい! しっかりしろ! 何があった!?」
急に立ち上がった男が、今度は倒れている別の男に駆け寄りその安否を確認し始める。
さっきはとんでもない形相で殺そうとしていたのに、一体どういうことだ……。
目まぐるしく変容していく状況に頭が全くついていけない。
「ひぃ……ひぃ……ちょ、ちょっと! いきなり走り出して暗闇の中に置いてくなんてひどいじゃない! あんまり私を蔑ろにすると今度は本気で泣くわよ!? 泣いちゃうわよ!? ほら、泣い……って何、この状況は……?」
遅れてやって来たエイルも複雑な事情が入り乱れた現場を見てポカンと立ち尽くす。
俺にもさっぱりだと言葉ではなく身振りで答えた直後、横のノアがゆっくりと喋りだした。
「さっき、あの人にすごく不浄な何かが取り憑いてた……」
無事を確認した仲間の手当をしようとしている男を示しながら、重々しい口調で言う。
「すごく不浄な何か……? さっきの黒い靄のことか? あれは何だったんだ?」
「分かんない。でも……すっごく嫌な感じがするものだった……」
「なるほど、そういうことだったのね……完全に理解したわ」
要点のぼやけた曖昧な説明と、全く理解してなさそうな納得。
だが先刻自分が感じた不穏な気配のこともある。
今の出来事と合わせて、こいつにここまで言わせる何かがあるのは間違いない。
「とりあえず、まずはあいつらに事情を確認するしかなさそうだな」
互いの無事を確認し、安堵している二人組の方へと向き直る。





