第2話:ヘヴンのゴッデスがパンテオンでパージ
以上、回想終了。
これがこの短い時間で俺の身に起こった出来事だ。
あまりにも密度が濃すぎて夢を疑ってみたが、どうやら現実らしい。
尻から伝わってくる冷たい地面と、右手の甲にあるひりつく感覚がそう言っている。
「くそ……いてて……何だよ、全く……」
強く打ち付けてじんじんとしている尻を擦りながらゆっくりと立ち上がる。
「ふっふっふ、人間の男というのは聞いていた通りに愚かね。私のような超絶美少女がちょ~~~っと頼るフリをしただけでコロっと騙されちゃって」
立ち上がる俺を、女は勝ち誇ったような表情で見下ろしている。
くそっ、また騙された。
あれだけ次は気をつけようと思ってた矢先に、俺はなんて馬鹿なんだ……。
でも、そういう女だと分かればこっちもそれなりの対応をさせてもらう。
「おいこら、クソ女! 何してくれてんだよ!」
「クソ女? ふ~ん……そんな口を聞くだなんて、まだ現状を理解できていないようね」
「何が現状だよ。よくも人の手に妙な痣をつけやがって。こんなもんつけてたら女の子にドン引きされるじゃねーか!」
手の甲には奇妙な痣がくっきりと残っている。
入れ墨はまともな女子ウケが悪いと月刊ミズガルドの恋愛特集で読んだことがある。
もし洗っても取れなかったら由々しき事態だ。
「あら、よく似合ってるわよ。下僕の証だけどね」
ほんの少し前のしおらしい態度はどこへやら、まるで悪魔のように小憎らしい笑みを浮かべる女。
顔だけは凄まじく可愛いのが輪をかけてムカつく。
「誰が下僕だ。はぁ……こんなイカれた女のこと、何て報告すりゃいいんだよ……」
思わずため息が溢れる。
この後ギルドに報告することを考えると頭が痛い。
せっかくあの受付さんが俺を頼ってくれたってのに。
「イカれた女? まだそんな口が聞けるなんて、仕方ないわね……」
女が溜息をつきながら腕を真っ直ぐ突き出してきた。
「な、なんだ? やる気か?」
「あんまり乱暴なことはしたくなかったんだけど……一度、立場をはっきりとさせる必要があるようね」
物騒な言葉に反して突き出された腕はあまりに細い。
透き通るような肌の白さも相まって、腕っぷしが強そうには全く見えない。
魔法攻撃か? それとも――
「禍福を司る女神エイルの名を以て我が使徒に令する! 跪きなさい!」
女がそう言うと、突き出された手のひらから光が放たれた。
目が潰れそうなほどに眩しい光が。
「うおっ! なんだこれ!」
「ほら! 跪きなさい!」
また手が光る。眩しい。
「うおっ、まぶしっ!」
「ひ・ざ・ま・ず・け!」
また、以下略。
「ひ、跪きなさいって言ってるでしょ!」
「眩しいっつってんだろ! さっきからピカピカピカピカと!」
何がやりたいんだ、こいつは。
身体のどっかに魔光石でも仕込んでんのか?
「な、なんで命令が効かないのよぉ……」
「大人しく聞いてたらさっきから女神だの、使徒だの、上天のパンツだの。そんなにオカルト仲間が欲しいなら月刊ミズガルドの『前世の仲間探してます』コーナーに投書しとけ! お前みたいな奴がいっぱいいるぞ」
「な、なんでぇ……使徒の紋章は出てるのにぃ……」
泣きそうな声を上げながら、懲りずにピカピカと光を浴びせてくる。
「何回やったって眩しいだけで何にもならねーよ。馬鹿か、お前は。おかしいのは服装だけにしとけよ」
「だって私、今度こそはって……絶対、あいつらを見返してやるんだって……ふ……ふぇ……」
「ふぇ?」
女が腕を下ろし、光の照射を止める。
「ふぇええええええん!!」
すると今度は地面にペタリとへたり込み、大きな声を上げて泣き始めた。
「一ヶ月もこんなところで待って、ようやく来たチャンスだったのに失敗するなんてぇ……」
「お、おい……何も泣くことはないだろ……」
いくら変な女でも突然目の前で大泣きされると流石に困惑する。
何もしていないのに、まるで自分が泣かせてしまったような罪悪感さえ覚えてしまう。
「やっぱり私は落ちこぼれ……生きてたって仕方ない何をやってもダメダメの三流女神なのよぉ……びぇえええええん!!」
顔から色んな汁を垂れ流しながら大泣きしつづける女。
こうなってはどれだけ整った顔立ちも台無しだ。
「そ、そこまで自分を卑下しなくてもいいだろ……、馬鹿って言ったのは撤回するからさ。なっ?」
「だっでぇ……本当なんだもん……。昔から何もでぎなぐで……性悪リーヴァにはいつも馬鹿にされてたし、私なんて天界を追放されて当然の四流女神なのよぉ……」
「そ、そんなことねーって、お前はよくやってるよ。ほら、あれとか……それとか……ふ、服もよく似合ってるし……」
なんで俺は初対面の知らない女を頑張って慰めてるんだろう。
「……ほんとに? 本当にそう思う?」
少し泣き止み、上目遣いで確認してくる。
「思う思う。ミーミル湖より深く、ビフレスト山脈よりも高く思ってるって」
「ぐすっ……貴方、結構いい人類ね……。いきなり紋章付けちゃってごめんね……」
「紋章? ああ、いいよいいよ。一周回ってアバンギャルドなオシャレに見えなくもないしさ。ほら、これ貸してやるから顔拭けって」
滝のような涙を流している女にハンカチを差し出す。
あれとかそれとか心にもない適当な慰めの言葉が効いたのか、すんなりと受け取ってくれた。
*****
「ありがと……」
「どういたしまして、少しは落ち着いたか?」
女が小さく頷き、貸していたハンカチを手渡してくる。
どうやら機嫌は直ってくれたらしい。
そもそも機嫌を取る必要は間違いなく無かったわけだが、どうも俺というやつはお人好しが過ぎるようだ。
「ねえ……ハンカチを貸してくれたついでに私の話、聞いてくれない?」
「何の『ついで』なんだよ」
「そこをなんとか! ちょっとだけでいいから、ね? お願い!」
一転して今度は土下座しそうなくらいに殊勝な態度を見せてくる。
まるで俺が女の子からそうされると断れない性分なのを知っているかのように。
「ったく、しかたねーな……ちょっとだけだぞ? 俺も忙しいんだから」
また罠なんじゃないかと疑いながらも、つい承諾してしまう。
女の武器は涙とはよく言ったもんだ。
ああ……でも俺って、いつもこうやって泥沼にハマってるような……。
「こほん。それじゃあ、まずはこの世界の成り立ちから説明させてもらうわね」
「いきなり随分と壮大な話になったな」
「ええ、時は今から約三百億年前まで遡るわ」
「そんなに」
スラムの路地裏から突然、三百億年の彼方まで話がぶっ飛んだ。
「神歴零年――原初の世界には物質も理法も存在していなかった。当然、空間や時間の概念もなく、そこにはあったのは真なる虚無だけ。でも、神歴五億二千万年頃――原初の膨張によって虚無から混沌が誕生し、現在の万神座の――」
「……ちょちょちょ、ちょっと待て」
「何よ、これからめちゃくちゃ盛り上がるところなんだから邪魔しないでよね」
話に横槍を入れられた女が口をとがらせる。
「今の、もう一回最初から言ってくれないか?」
「神歴零年――原初の世界には物質も理法も存在してい――」
「はい! ストップ! 一旦停止!」
「さっきから何なのよ! もう! 気になることがあっても質問タイムは全部終わってからにしてよね!」
更にぷりぷりと怒り始める女。
本人は真面目なのかもしれないが、どうしても言いたいことがあった。
「お前ふざけてんのか?」
真正面から、真顔で尋ねる。
「え? な、何が……?」
一方の女は思い当たる節がないのか、ただバツの悪そうな困惑の表情を浮かべている。
「何が……じゃねーよ! 開幕年表から怒涛の独自用語ってまともに話を聞いてもらう気あんのか!?」
「そ、そんなこと言われても……これ、すっごい頑張って暗記させられたんだもん……」
「知るか、そんなこと! とにかく、人に聞いてもらいたいならもっと簡潔に分かりやすく話せ! それと序盤からもっと興味を引く構成にしろ! 今の若い奴はそうじゃないと聞いてくれないぞ!」
「うぅ……簡潔に、興味を……」
「独自用語は禁止だからな。全く……俺じゃなかったらこの時点で直帰してるぞ……」
改めて念を押す。
いきなり独自用語の濫用は特に最悪だ。
「じゃあ、えーっと……むかしむかし、あるところに神様がいっぱいいました!」
「やればできんじゃねーか!」
「ほ、褒められてるのに釈然としない……」
不満げにしつつも、女は自分の身に何があったのかを分かりやすく簡潔に語り始めた。
曰く、この変な格好の女は天界からこの世界を見守っていた神々の一人らしい。
神とはすなわち地上の人間に知恵と祝福を授け、見返りに崇め奉られる存在。
そんな神々が住まう世界では、人の信仰心から生じるエネルギーが最も重要な資源とされており、地上からどれだけの信仰を集められるかが神の序列をも決定していた。
しかし天界では近年、地上人の信仰離れなどによる信仰不足が深刻化。
信仰が足りなくなり、天界で争いが起これば地上を含めた双世界の均衡が崩れる。
その事態を未然に防ぐ対抗策として打ち出されたのが、選ばれた神を地上に送り込む計画。
地上に降り立ち、人々に知恵と祝福を授けて正しい方向へと導かせ、直接信仰を集める重要な任務……と言えば聞こえは良いが、実態は体の良い口減らし。
選ばれるのは信仰をまともに集められない穀潰しの神。
そして、その不名誉な神の一柱に選ばれたのが、この禍福を司る女神エイルだったとさ。
めでたしめでたし……。
「へぇ~、天界を追放された女神様ねぇ……。そりゃあ大変だったな」
正直言って、全てが耳を疑うような突飛もない話だ。
まだ亡国の憂き目にあったお姫様が命からがら逃げてきたって方が真実味がある。
「そうなのよ……この街の噂を聞いてたどり着くまでにも色んな目に会ったわ……しくしく……」
何があったのかは知らないが、またほろほろと涙を零し始めた。
そんな哀れな姿を見て、俺は――
「じゃあ、そろそろ帰るわ。達者でな」
女に背を向けて脱兎の如き素早さで逃げ出した。
背後から待てとかなんとか女の叫び声が聞こえてくるが、それも構わずに一目散で駆ける。
頭のおかしいオカルト女に費やす時間はこれ以上ない。