第2話:ぎゃふん!
「――というわけで、その宗教の教えを体系化したものが教義ってこった」
「なるほど! つまり、私がどうやって愚かな人類を導くのかって話ね!」
馬鹿にでも分かる説明を終えると、エイルがパチンと威勢よく指を鳴らした。
学者でも宗教家でもない俺がなんで講義しなきゃいけないのかはさておき、一応は理解してくれたらしい。
「まあ、そういうことなんだろうな」
「そうと分かればこの勝負は勝ったも同然ね! あっはっは!」
勝ち誇るような高笑い。
でも一体何の勝ち負けなのか分からないし、正直言ってすごく頭が痛い。
担ぐ御本尊がこんな調子だと、モテまくりのヤリまくりのボンバーなんて遥か彼方だ。
「な、何よその目は……」
そんなことを考えながら、訝しげな視線を向けていたことに気づかれる。
「相棒を見放そうかどうか悩んでる時の目だよ」
昨日はその場の勢いで手を握り返してしまったが、改めて考えるまでもなく泥舟以外の何物でもない。
最底辺の銅級冒険者として地道に活動を続けた方が、まだ日の目を見る可能性があるくらいには。
「し、知らないことがあるのくらいは仕方ないでしょ。まだこっちに来て一ヶ月とちょっとなんだし……だから、ね? 出来れば長い目で見て欲しいなー……って」
「長い目、ねぇ……」
一体何百年、いや何千年かかればこいつに大勢の信者がついてくるんだろうか。
「うぅ……お願い、見捨てないで……うるうる……」
路地裏に捨てられた小犬のような目。
鮮やかな蒼い瞳が、まるで小石を投げ入れられた湖面のように揺れている。
「はぁ……しかたねーな……」
肺の奥底から大きなため息が漏れる。
それは目の前の女にではなく、こんな状況でさえ頼られると断れない自分に対してだ。
「それでこそ私の右腕! で、教義ってどんなのがいいのかしら?」
何事もなかったかのように泣き真似をやめて、けろっとした表情で尋ねてくる。
「愚かななんたらを~っていつも言ってんのはお前だろ。そのくらいは自分で考えろよ」
「そんなこと言われたって、いきなり出てこないわよ~……」
ぶーっと不満げにテーブルに突っ伏すエイルを見て、ある物を持ってきたことを思い出した。
「あー……だったら、こいつを参考にしてみたらどうだ?」
鞄に中に手を入れ、取り出した物をテーブルの上に置く。
「何よ、これ……よくぼうの……」
そう言ってエイルが手に取ったのは装丁が凝らされた一冊の書物。
表紙には欲望の大器と呼ばれる聖杯の紋章が刻まれている。
「リーヴァ教の教典だよ。教会に行けばタダで配ってるのを来る前に貰ってきた」
リーヴァ教の教会は各地区に一つずつ存在しているが、そのどこでもこの分厚く豪華な教典が無料配布されている。
流石は金満教団だ。教義どころか名前すらないこいつの教団とは格が違う。
「ふむふむ、リーヴァ教の教典ねー……なるほどー……」
「ああ、何かの参考になるかと――」
「だらっしゃいっ!!」
妙な掛け声と共に教典が店の床へと叩きつけられ、店中にまた大きな音が鳴り響いた。
「おいおい、何すんだよ。せっかく持ってきてやったのに」
床に投げ捨てられた教典を拾い上げる。
少し傷がついてしまっているが、読むのに支障はなさそうだ。
「あの性悪欲深女を崇める教典なんて死んでも参考にしたかないわよ……」
エイルは悪びれる様子もなく、テーブルに片肘をついてムスっと不貞腐れている。
「性悪欲深女って……別に、参考にするくらいはいいだろ」
「やだ」
短い否定の言葉からは強い拒絶の意思がはっきりと伝わってくる。
こうなっては暖簾に腕押し、どんな説得も通じそうにない。
「はぁ……何があったのかは知らねーけど、人が大勢いる場所でそういうことはあんまり言うなよ? どこに向こうの信者がいるのか分かんねーんだから」
幸いなことに店主はリーヴァ教の信者ではなかったらしい。
さっきの罵倒には反応せず、新聞を読み続けている。
「……それくらいは分かってるわよ」
つーんとそっぽを向いたままではあるが、一応は了承の返事が返ってくる。
微妙に気まずい空気が場を支配する。
互いに黙り込むと、カウンター上に設置されている魔音石の発する音がよく聞こえた。
『続いては先日、ミズガルド西部にあるヴァナ共和国領のリーヴァ教関連施設において爆発が起こった事件に関する続報です』
滑舌の良い女性が近隣地域で発生した事件の情報を読み上げている。
『駐屯する衛兵隊の発表によると、今回の爆発は事件ではなく事故であり、これまでに負傷者等は確認されていないとのことです。また、事故の原因は古い呪文書の――』
「ふんっ、いい気味だわ」
因縁のあるらしい女神を崇める教団の失態をほくそ笑むエイル。
そんな姿を見て、ある一つの疑念が浮かび上がってきた。
もしかして、こいつの仕業か?
「な、何よその目は……」
訝しむ視線に気づいたエイルがまた狼狽える。
「相棒が実は過激派宗教テロリストなんじゃないかと疑ってる時の目だな」
昨日出会う以前に、こいつが何をやっていたのか俺は何も知らない。
この一ヶ月はアビスで暮らしていたらしいが、現場はここから歩いて行けなくもない距離だ。
忍び込んで爆発物を仕掛けることは不可能ではないだろう。
さっきの態度を見ても、リーヴァ教が崇拝する女神リーヴァをかなり恨んでいるようだ。
動機は十分にある。
「何よそれ。確かにあの性悪を崇める連中が作った大聖堂なんて突然爆発すればいいのにって思ったこともなくはないけど、そんなことするまで落ちぶれちゃいないわよ。そもそも事件じゃなくて事故だって今言ってたじゃない。どこかの誰かにやられたんならそう言うでしょ」
すぐに意外と落ち着いた態度で反論される。
てっきり激しく動揺するか、もしくはいつものように喚き立てられるかと思った。
「それもそうか……疑って悪かったな」
確かに敵対勢力の破壊工作だとすれば、その可能性を公表する方が同情を得られる。
そうしないということは本当に単なる事故なのか、もしくは隠したい身内の不祥事なのかだ。
似たような件で当事者になったからこそよく分かる。
「一個、貸しね」
若干イラっとするしたり顔で言われる。
これで貸しなら俺はお前にいくつ貸してることになるんだ、と言いかけたのをぐっと飲み込んだ。
「それにね! 私はそんな姑息な手段を取る小物じゃないわよ! 堂々と! 真っ向からあいつを叩き潰して、ぎゃふんと言わせてやるのよ! そう、あいつよりも多くの信者を集めてね!」
椅子から立ち上がり、高らかに宣言するエイル。
店主からまた睨まれているのに気づいていない。
「ぎゃふん、て……」
自分から小物じゃないと言うところもそうだが、言い回しがイチイチ小物臭い。
志が高いのは結構だが、せめてもう少しくらいは実を伴って欲しい。
「それにあいつよりも多くの信者を集めてって簡単に言うけど、お前リーヴァ教の信者が何人いるのか知ってんのか?」
「知らないし、知りたくもないけど精々三百人くらいでしょ。沢山の神がいる万神座の中からわざわざあんな性悪欲深貧乳女を崇める変わり者の集団なんて」
悪口が更に増えてる。
こいつと女神リーヴァの間に何があったのかは知らないが、よほど嫌っているらしい。
しかし、無知ってのは本当に恐ろしいな……。
「三千万人な」
「ふふん、やっぱりそのてい……は? い、今なんて? さ、さんぜん?」
「万」
足りなかったので付け足してやる。
「公称三千万人、それがリーヴァ教の信者数だ。一年程前に聞いた数字だから今はもっと増えてるかもな」
欲望の女神リーヴァを信奉し、ヒトの欲望の果てにある栄華の極みにこそ衆生の救いがあるという教義を掲げたユグドラシル大陸最大級の教団。
それがリーヴァ教だ。
大教団の中では比較的新しい組織だが、その勢力拡大の速度は他の追随を許していない。
この一年の間に、もっと増えていたとしてもおかしくはない。
「さ、さささ……三千万……三千万って三にゼロが……」
「七個」
「な、なななな……ぎゃふん!」
目をぐるぐるさせたエイルが椅子ごと後方に倒れる。
凄まじい音を立てながら、多量の食器等々が辺りに散乱する。
女神対決第一回戦、ぎゃふんと言わされたのはうちの銀髪傲慢馬鹿女の方だったとさ。





