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七.引退宣言

丸元省三のターンです。今回は鳥鳴篤輝の過去に振れ、ホラー要素が入っています。

 芦屋先生が亡くなって二年目の一月、三回忌を目前にご主人の芦屋轍氏が永眠した。芦屋先生と一緒に建てた別荘の寝室で就寝したまま亡くなっていたという。買い物ボランティアの女性が発見、通報し検死の結果、病気や事件の可能性はなく、老衰という診断が下された。九十五歳だった。


 その訃報を聞いて丸元は複雑な気持ちだった。この件を鳥鳴篤輝に知らせるべきかどうか。一般人なので大きくテレビやラジオで報道されることはないだろうがネットや新聞で目にする可能性がある。


 鳥鳴の行動範囲は狭いので、知る可能性は低いだろうし、鳥鳴篤輝として第二の人生を歩んでいる先生にとってこの情報は必要だろうか。“巡る流星”のアニメが去年十月から始まっている。今年の八月には映画版が上映予定だ。鳥鳴篤輝は今、絶頂期を迎えようとしている。そんな時に前世で夫だった轍氏の死を伝えたら。


 初めて鳥鳴篤輝の家に訪問してから六ヶ月、嫌疑が晴れて色々企画を考えながらも編集長としての業務に追われ、連絡はしていなかった。いずれ別荘にも連れて行きたかったが、機を逸してしまった。


 ――数日後、まるで時を合わせたかのように、鳥鳴篤輝引退の知らせが届いた。


 驚きと焦りが丸元を混乱させた。あんなに精力的に執筆を続けていたのに、一体何があったのか。まさか轍氏の死が関係しているのか。気がつくと仕事を投げ出して鳥鳴邸に足を運んでいた。


 家の前には多くの報道陣が集まっていた。人気作家が突然の引退発表という事実は報道各社にも届いていたようだ。その報道陣の数に、よくこんな短期間でここまで上り詰めたものだと関心した。


 芦屋鏡子が有言実行した(あかし)だ。よく見ると、報道陣に混じってファンも来ているようで、本を持った若者が何人か見られた。ここまで報道されると場所も特定されてしまうんだ。近所から苦情が出て住みづらくなるとまずいな。


 丸元は警察に電話をして、事情を説明し報道陣を退去させるよう要望した。数分すると巡回していたパトカーが現れ、道路に溢れていた報道陣達は指導を受けて、渋々といった顔で去っていった。

 周りに人がいなくなったことを確認し、門扉へ近づき呼び鈴を鳴らした。


「ハイ」


 短く女性の声がインターホンから聞こえる。前回訪問したときと違って声のトーンが低く(おび)えているように感じた。先程のような騒動が続いているのだろうと思った。


「突然スミマセン、去年の夏頃お邪魔しました大釜出版の丸元と申します。今日は鳥鳴篤輝さんご在宅でしょうか」


 取り繕ったような回りくどい挨拶になってしまったせいか、しばらくそのまま反応は無かった。


「……どうぞ」


 忘れられたかと思い始めた頃、男性の低い声が聞こえた。相変わらずの素っ気ない口調で、体調不良とかではないらしい。それがわかっただけでもほっとした。改めて門をくぐる。


 玄関を開け「失礼します」と声を掛けると、玄関先には長身の鳥鳴篤輝がジャージ姿で立っていた。無表情でメガネを掛け、髪の毛は以前見たときより長くボサボサに見える。


「どうぞ」


 そう言うと、待つこと無くさっさと二階へ上がっていってしまった。女性は廊下の奥で頭を下げた。丸元はお辞儀をしながら一声かけて篤輝の部屋へ向かった。


 部屋に入ると、相変わらず本だらけだったが本棚の一部に人形が五体飾ってあるのを見つけた。前に訪問したときは無かったと思うが、ネットで買ったのだろうか。よく見ると本も少し整理したようで、前のように座る場所が無いということはなかった。今日はちゃんと座布団が置いてある。というか、前来た時のままなのかもしれない。


 篤輝は椅子に座り、黙々とパソコンのキーを叩いている。机の上には芦屋先生がいつも書いているプロット表と、手書きの資料。いつもは鉛筆で書いていたが、これは万年筆だろうか。それとカラーで印刷されたキャラクターと風景画が置かれていた。そのキャラクターは本棚に飾ってある人形と同じだった。


 引退と聞いて驚いたが、一時的な休養のようなものだったんだなと安堵した。それなら活動休止とした方が、復帰するとき話題になって作品の宣伝になりそうだが、どこかの出版社の入れ知恵だろうか。


「何ですか、今日は」


 篤輝はよそよそしくパソコンを操作しながら聞いてきた。もう中身は先生だと知っているのに、わざわざ演技するなんて芦屋先生らしくない。もしやご主人のことを知らせなかったせいでご立腹なのか。


「あ、いえ、突然引退を発表されたんで、体調を崩されたのかと心配になりまして、でもこうやって新作を執筆していると知って安心しました」


 笑いながら丸元は話しかけるが、篤輝は無視するようにパソコンのキーを叩いている。


「先生?」


 丸元は心配になって、声を掛けるが反応が無い。今までに無い不安が頭を過る。


「違います」


「はい?」


 篤輝は今までに無くはっきりとした口調で言い放った。丸元は緊張した面持ちで体を強ばらせた。


「俺は芦屋鏡子じゃありません」


 それを聞いた丸元は耳を疑った。芦屋先生じゃない?


「じゃあ、君が鳥鳴篤輝君なのかい?」


「ハイ」


 丸元の頭の中で何度も反芻する篤輝の声。自問自答しながら、この半年の間に何があったのか、聞かずにはいられなかった。


「良ければ何が起きたのか説明してもらえるかな?」


 丸元は正直、その事しか思い浮かばなかった。篤輝はキーを叩くのを辞め、立ち上がり、「そこへ」と言って座布団を指差した。


 丸元は座布団に正座して座り、篤輝は向かい合わせにあぐらをかいて床に座る。息を吐くと、メガネを拭いてかけ直し、丸元の目を見据えて、「長い話になる」と前置きした後、生い立ちからこれまでの経緯(けいい)を語り始めた。


 丸元は膝に乗せた両手に力を込め頷くと、口を真一文字に結びながら篤輝の話に聞き入った。




 鳥鳴篤輝は物心ついた時から不思議な能力の持ち主だった。人に見えない者が見え、人に聞こえない声が聞こえた。世間では霊感体質という。


 それが特異の事であることは、篤輝の中で早いうちから理解していた。積極的に関わることを避け、無視する生活を続けていた。


 しかし霊の中でも念の強い個体が存在する。その個体は、この世で虎視眈々(こしたんたん)とその機会をうかがっている。


 蝉の合唱が聞こえる学校の帰り道。普通ではあり得ない場所にぶら下がる一人の少女を見かけた。歩道橋の上部工の縁に両手をかけてぶら下がっている。歳はまだ小学生くらいだと思う。白いワンピースを着て長い髪を(なび)かせている。


 歩道橋の下は交通量の多い幹線道路で絶え間なく車やバスが走っている。手を離したら間違いなく車と接触するその場所で、少女は全く微動だにしなかった。行き交う車両の風圧で髪の毛と足先がかすかに揺れる。


 歩道橋に近づくほど、篤輝は緊張で体全体が痺れていた。脂汗が流れ、動悸が治まらない。家に帰るためには歩道橋を渡らなければならない。しかし足が石のように重くなり、本能が危険だと警鐘を鳴らす。


 他の学生が談笑しながらその歩道橋を渡る中、篤輝は金縛りに遭ったようにしばらくその場で立ち尽くした。


 歩道橋にぶら下がる少女は髪の毛が不自然に顔に被さりその表情を見ることは出来ない。しかし篤輝は目を背けることが出来なかった。そのため少女が靴を履いていない事がわかった。恐怖心で顔から血の気が引いていく。


 一時間以上立ち尽くしていた篤輝の前に、近所の老夫婦が現れた。買い物袋を下げていることからスーパーの帰りと思われる。


「どうしたのあっくん、こんな場所で立ち止まって」


 ニコニコしながら話しかけてくる。小さい頃から見知った顔で、篤輝もかわいがられていた。強ばった顔を何とか動かし、かろうじて返事を返す。


「もうすぐ日が暮れるわよ、さあ一緒に帰りましょう」


 老婦人は、篤輝の手をとり歩道橋へ向かって歩き出す。さっきまで石のように重かった足が、急に軽くなった。篤輝は安堵して、歩道橋の階段を一緒に上る。


 意識をしないよう、老婦人の手を握りしめ、歩道橋の上を歩いて行く。次第に少女がぶら下がっていた地点を通過し、何事もなく下りの階段へ降りようとした時だった。


「みぃぃぃつけぇたぁ、キャハハハ」


 甲高い声に篤輝が振り返ると、歩道橋の高欄の上に平均台に乗るように少女が両手でバランスをとりながら立っていた。そして音も無く舗装面に飛び降りると、もの凄い早さで篤輝めがけて突進してきた。


 ぶつかったと思った瞬間、体の動きが効かなくなり、眠気が襲ってきた。抵抗する方法もわからず篤輝は深い眠りに落ちていった。


「あっちゃん、大丈夫?」


 転び掛けた篤輝に老婦人は声を掛ける。篤輝はニッコリ笑って明るく答える。


「大丈夫よ、おばあちゃん、早く帰りましょ」


 ――篤輝は目覚めると、少年刑務所の中にいた。意識が飛んでいる間、少女の霊に憑依された篤輝は殺人未遂事件を起こしていたのだ。


 あとで調べてわかったことは、少女は無理心中させられた十歳の小学生だった。母親と彼女は、内縁の夫に殺されるが、男は奇跡的に一命を取り留めていた。しかし目の前で母親を殺された彼女は、男を恨み、妬み、呪い続けた結果、この世に怨念として彷徨(さまよ)っていた。


 霊感体質の強い人物に憑依して、復讐するべくその機会をうかがっていたのだ。


 篤輝は学生だったため、駆けつけた大人達に力負けして取り押さえられ、殺人までは至らなかったが、少年Aとして服役することとなった。


 そんなショッキングなことが、何度かあったそうだ。


 問題を起こす度に呼び出された両親は、ほとほと困り果て、篤輝を家に軟禁するようになる。その後は憑依されることも無くなり、平穏な毎日を送っていた。


 憑依される度に問題を起こすことに、篤輝自身も困っていた。なんとかその問題を解決しようと試行錯誤を重ねる。慣れというのはある意味凄いことで、制御は出来ないが、行動を監視することは出来るようになった。そして今回の芦屋鏡子の一件である。


「だから丸元さんとのやりとりも、今までの足跡(そくせき)も全て意識の狭間から見ていました。だから芦屋鏡子がどう思っていたかも知ってます」


 人知れず生活していたのは、その時の苦い経験と特異体質による反動だったことを知り、いたたまれなくなった。


「大変でしたね」


 丸元はそれしか言えなかった。十人十色とはいうが、自分が知らない体験談を聞くと自分は何て幸せ者なんだと痛感する。今回も芦屋先生のことばかり考えていたが、鳥鳴篤輝の波瀾万丈な人生も応援したい気持ちで一杯になった。


「芦屋鏡子は出て行きました。彼女もその事に気づいていたようです」


「その事というのは?」


「俺の体から離れることを、予知していたみたいなんです。虫の知らせとでも言うのかな」


 先日、芦屋鏡子の夫、轍氏が他界した。その事が関係している可能性は高い。もし轍氏が亡くなったときに、先生の魂がこの世に残っていたら心配を掛けるとか考えたのだろう。もしくは会いたくなったのかもしれないな。丸元はやっぱり別荘に連れて行くべきだったと反省した。


「どっちにしても、俺にとっては早く出て行ってもらいたかっただけなんで、もう関係ありませんから」


 篤輝にとっては、大先生と呼ばれた芦屋鏡子さえ、この地に彷徨う地縛霊と同じ扱いという訳だ。しかし作家としてここまで名声を高めてくれた先生に対して、もっと感謝してくれてもいいんじゃないかと丸元は思った。


「君にとってプラスになったことも多かったんじゃないかな。もうちょっと敬意を払ってくれると元担当としてはうれしいんだけど」


 そう言うと、篤輝の顔つきが険しくなった。


「敬意ですって。そんなの頼んだ覚え、ないんだけど」


 明らかに敵意をむき出しで突っかかってきた。丸元としては、ほんのちょっとでも感謝される言葉が欲しかっただけなんだが、篤輝は丸元の言葉に反論を始める。


「あんたねぇ。俺がどんな惨めな思いであんたたちとのやり取りを見ていたのか考えたことある?」


 トゲのある口調で、丸元に問うが、答えが欲しい訳ではなかった。


「俺は覆面作家としてやっていこうとしてたのに、横から先生風を吹かせて今やヒットメーカーに仕立て上げられて、収入が増えて良かったねって、俺の名前を大量に使いやがってどうすんだよ、この状況」


 かつての先生とのやり取りで、第二の人生と話していた通り、先生としては彼の生涯を全力で応援していたはずだったが、彼にとっては全てがお節介だったようだ。


「鳥鳴篤輝はこの俺だ! こんな作品、俺じゃねぇ。俺は芦屋鏡子のゴーストライターなんかじゃねーんだよ!」


 本棚に並べられた本を掴み、床に勢いよく投げ落とす。今まで先生が鳥鳴篤輝として書いてきた本が無造作に床に散らばった。


「俺にはこんなセンスが無いのはわかってる! だからってこんな文章を俺の名前で残されたら、もう二度とこれ以上の新作なんて書けないんだ。絶対馬鹿にされる。皆からもう終わったなとか言われるに決まってる! だから俺はもう書かない! 鳥鳴篤輝はもう終わったんだよ!」


 大声で怒鳴りつけ、息が弾む。部屋の外から階段を駆け上がる足音。女性が部屋へ入ってきて、悲愴(ひそう)な面持ちで声を掛ける。


「篤輝、落ちついて。もう母さん何も言わないから。もうわかったから、ね」


 そして丸元に向き直り深々と頭を下げて懇願してきた。


「スミマセン、もうこの子の好きなようにさせてやって下さい。お願いします。お願いですから、この子を責めないでやって下さい。お願いします。どうか、お願い、しま……」


 女性は声を震わせ、涙声で何度も謝罪し頭を下げてくる。丸元は女性に「わかりました、わかりました」と言うしかなかった。しかしどうしても伝えておきたいことがあって、険しい表情で息を弾ませている篤輝に向かって優しく話をした。


「篤輝君。本当ゴメン。君の思いを踏みにじってしまったこと、芦屋先生に代わって謝罪する。僕も悪い。全面的に謝ります。ただどうしても言わせて欲しい。“巡る流星”は最高傑作だよ。これは君がいたから生まれた作品だ。この作品をこの世に残せたこと。本当に感謝してます。これは篤輝君のためにはならなかったけど、僕と大釜出版の皆、出版関係者にとって最高の宝物です。僕はずっと芦屋先生の担当編集で幸せだった。そんな先生と少しの間だけど君は一緒に作品を作っていた。正直すごく羨ましい。独り善がりだったけど、先生も決して篤輝君を(おとし)めようとか、乗っ取ろうとか思った訳じゃないんだ。今回の経験がきっといつか、篤輝君の人生の糧になってくれることを願ってる」


 そして篤輝に深く頭を下げ、母親にも一礼して丸元は部屋を出た。


 玄関先で母親に改めて一個人として勝手に行動したことで、篤輝君に不快な思いをさせてしまった事を謝罪し、もし取材陣が来たら警察か、対応に困ったら私に連絡もらえるよう名刺を渡した。芦屋先生が十字架を背負ったように、丸元も責任の一端を背負う覚悟で今後対応していくことを心に誓った。


 家を出て二階を見上げる。出窓越しに篤輝の姿を見ることは出来なかった。大きくため息をついて、その場を後にしようと歩き出したその時、向かいの電柱の陰から本を抱えた女性が駆け寄り声を掛けてきた。


「あの、出版社の方ですか?」


「え、まあ、そうですけど」


 挙動不審な行動をする女性は、あたふたしながら自己紹介しようとしてきたが、鳥鳴邸の前だったので、一旦断って場所を移動することにした。

次話二十時投稿予定。話が長くなりすぎたので、前後編に分けて投稿します。

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