五.説得
三話の続きになります。編集者、丸元省三のターン。
「鳥鳴先生は本物です」
丸元は力強く皆に報告する。ここは大釜出版の会議室。先日、真相を確かめるため送り出された丸元の意見を聞きに、連絡会のメンバーが集まっていた。
「本物ということは、やはり盗作だったという事でしょうか?」
芦屋鏡子ファン代表の奥野理恵が、質問する。皆が一斉に騒ぎ出すと、丸元は両手を前に押し出して否定した。
「いえ、盗作ではありません。彼はずっと家に籠もってあの作品のアイデアを練っていたそうです」
口からでまかせである。しかしここにいるメンバーを納得させないと、社長も動き出して大騒動になるので、鳥鳴篤輝の無実をなんとしても勝ち取らねばならない。
「しかし、あんなに似た作品は、あまり例がないんじゃないかね?」
大釜出版の編集長、間島が不満げに声を荒らげる。
「まったく無いとは言い切れません。今までの行動で気になる点もありますが、芦屋鏡子との接点は全くありませんでした。どうやっても盗作なんて、できっこないです」
額に汗を滲ませながら丸元は必死に反論する。
「隠し子じゃないかという噂がありましたが、どうなんでしょう」
芦屋鏡子財団の主任研究員、飯富アセルが噂話を口にする。
「それは嘘っぱちです。血液型だって違うし、そもそも彼の両親はご存命です。今更、芦屋の子供だと公表しても何のメリットもありません」
その噂話を信じる方がどうかしていると言いたいが、そこはグッと堪える。
「しかし一番憤っていたのはお前だったじゃねーか? なんで急に手のひらを返したように擁護するんだ?」
鳥前印刷所の大番頭、葦辺米蔵が丸元の態度に疑問を呈す。葦辺さんは大釜出版と古くからのつきあいがあり何度も無理をお願いしていて、芦屋鏡子の事もよく知っている大釜出版における縁の下の力持ちだ。
確かに鳥鳴篤輝に会うまでは、どうやって盗んだのかばかり考えるほど疑いを掛けていた。ここにいる全員が黒だと思い込み、情報漏洩の原因を追及することがこの連絡会の本来の目的でもあった。
しかし本当のことを知ってしまった以上、丸元省三は一世一代の大嘘をつくことを誓った。ここで折れては芦屋先生に面目ない。言いくるめるだけの理由はできうる限り考えてきたつもりだったが、芦屋鏡子の作品を愛するこの集団に太刀打ちするのは骨が折れる。会議は長引き、次第に意見がヒートアップする。
「とにかく! この作品は鳥鳴篤輝から生まれた正真正銘の傑作です。もし芦屋先生がコレを読んでも満足する出来だと思います」
実際、本人が書いているんだ。間違いないと丸元は思った。
「それが盗作ともなれば話は別だろう。いくら芦屋先生でも文句を言うに違いない。大体芦屋先生がご逝去された後に出てくるのはタイミングが良すぎないか? ねえ皆さん」
間島編集長が皆に意見を求める。それに応じて皆は頷き、皆一様に納得できていないことを意思表示する。
「もしかして、何か取引したんじゃないでしょうね?」
奥野理恵が痛いところをついてきた。しかし呆れるような演技をして牽制する。
「まさか、そんなこと全然無いですよ。彼はいたって平凡な性格で、そんな取引とか賄賂とか、そういう仕掛けてくるような人じゃありませんでした」
オーバーリアクションだったのか、皆の視線が“怪しい”と訴えかけてくる。胃の辺りが痛み出した。こんなことになるなんて、恨みますよ芦屋先生。
丸元の説明に納得しない連絡会のメンバー達。時計の針はいつの間にか昼の十二時を回っていた、既に二時間以上経過していたのだ。
らちがあかない話し合いは一旦お昼休憩を挟むことになった。会議室を出て自分の席へ戻る。椅子に座るとデスクに突っ伏してため息をついた。この状況、どうやって切り抜ければいいんだ。締め切りが過ぎた原稿の取り立てよりも何倍も疲れると丸元は思っていた。
「おい、丸元」
呼ばれた声で目が覚めた。いつの間にか寝てしまったらしい。こんな時に寝れるなんて自分も大概だなと感心していると、声の主が再び丸元に声を掛ける。
「どういう状況だ。説明しろ」
振り返ると、社長の大釜茂夫が腕を組んで仁王立ちしていた。
「は、社長! お疲れ様です!」
反射的に立ち上がり、背筋をピンと伸ばす。社長がこんな時間に社内を巡回しているのは初めてだった。一気に緊張して冷や汗が出てくる。
「おう、今日は鳥鳴篤輝の嫌疑についてだったよな。どうなんだ、実際」
社長がこの話を気に掛けていたとは、やはり噂は本当だった。大釜茂夫は創立者の次男坊で二代目社長だ。若い頃から社長になるべく出版に携わる仕事を転々と渡り歩き、全ての工程を知り尽くしたサラブレットだった。芦屋先生とも付き合いが長く、丸元と同じく編集者のイロハを学んだ間柄であった。
「ハイ、彼は盗作などしておりませんでした。私の目に狂いはありません」
強ばった顔で精一杯の笑顔を作り、真っ直ぐ社長の顔を見据えた。社長は丸元の目を凝視する。心の深淵を覗かれているような威圧感が凄まじい。しかし目を背けることはせず、丸元も気合いを入れて目に力を込める。
「そうか」
社長はそう言うと、その場を立ち去った。丸元はしばらくその場で硬直状態だったが、気が抜けたように、椅子に崩れ落ちた――。
「会議を再開しまーす」
午後一時過ぎ、間島編集長の号令で、再び会議室に一同が集まると、始まって早々大釜社長が手を上げて入室してきた。
「邪魔するよ」
「社長!」
間島編集長が驚いた顔をしながら、その場で立ち上がる。他のメンバーにも動揺がみられた。
「あの、社長。まだ会議の途中で結果はでておりませんが……」
間島の返事に大釜社長は座るよう促すと、丸元の隣に肩を並べて、立ったままテーブルに手をつき話し始めた。
「皆様、今日はお忙しい中、お集まり頂き恐縮です。社長の大釜です。今回の鳥鳴篤輝の嫌疑についてですが、知っての通りこの丸元は芦屋先生と一番長く仕事をした編集者です。いつも先生の行動を読み、支え、先生と一緒にすばらしい作品を送り出してくれました」
大釜社長は丸元の肩に手を乗せると、目配せをして軽く頷いた。
「これは今まで誰にも内緒にしていたのですが、芦屋先生からお願いをされていまして……」
その時の情景を思い出したのか、ほくそ笑みながら話を続ける。
「この丸元に担当を続けて欲しいと要望されていました」
「え?」
丸元は驚いて社長の顔を見上げる。皆もその話に驚いた様子だった。
「丸元もこの会社に入っていい歳です。編集長になった彼をいつまでも芦屋先生の担当編集にしておくのは、周りからも反対されていました。でもこれは全て芦屋先生の意向だったんです。それくらい芦屋先生はこの丸元に全幅の信頼を寄せていたんです」
丸元は話を聞いて目頭が熱くなり視界が滲んだ。下を向いて手で顔を拭う。なんで芦屋先生の担当編集をずっと任せてくれていたのか不思議だったからだ。
「理由は言えません。しかし、そうまでして丸元を側に置いてくださった芦屋先生のお気持ちを考えれば、丸元の言っていることを信用しても、いいんじゃないでしょうか」
それはこの場にいる全員に対しての社長からのお願いでもあった。まるで本当のことを知っているような、見透かされたような気持ちになった。
「しかし、そうは言ってもですね……」
「いや――、社長がそう言うんじゃ信じるしかないわな」
間島編集長がハンカチで額の汗を拭いながら反論しようとすると、葦辺さんが遮って判断を下す。最古参である葦辺さんの発言は大きく、間島編集長はそれ以上言い返すことが出来なかった。
奥野理恵と、飯富アセルも社長の目力に萎縮し黙り込んでしまった。
結局、大釜社長の乱入と、葦辺米蔵の後押しによって鳥鳴篤輝の嫌疑は晴れて、今日の会議は終了した。
会議室に残った葦辺さんと大釜社長は、昔話に花が咲いていた。芦屋鏡子の若かりし伝説はとても面白く、あの人ならやりかねないと丸元はほくそ笑んだ。
「それにしても茂夫、よく丸元の事、信用する気になったな」
葦辺さんは豪快に笑いながら社長というより師弟のような態度で、さっきの問答を問いただした。
「それはですね、目ですよ」
「目だと?」
丸元は午後の会議が始まる前に凝視された事を思い出す。やはり気張って目を背けなかったことが良かったのだろう。
「顔見すればいいってもんじゃないぞ」
顔に出ていたのか、すぐに訂正された。
「目か、お前さんもまだ現役でやれるんじゃないか」
葦辺さんはまた豪快に笑った。社長をお前呼ばわりするところが、葦辺さんの凄いところだ。
「私なんてもう駄目ですよ。でもこれも芦屋先生と米蔵さんに鍛えられたおかげですね」
大釜社長も笑った。本当にこの二人はずっと一緒にやって来た同士なんだと思った。恐らく芦屋先生も加えて、大釜出版最強のチームだったんだろうと想像する。
「丸元、これからはお前らの時代なんだからな」
突然社長からこんな言葉を掛けられるなんて夢にも思わず驚きと同時に感動した。調子に乗った丸元はどうしても聞いてみたいことを質問した。
「あの、芦屋先生は何故、僕を選んでくれたんでしょうか?」
葦辺さんも興味があるようで、理由を催促した。
「それはな、秘密だ」
「なんだそりゃ。今更、秘密にする必要あるかね」
さっきも言っていたがどうしても理由は教えてもらえないようだ。葦辺さんもそれ以上は言及せず、豪快に笑って別の話題に切り替えた。
「鳥鳴っていう奴は、どんな人物なんだ?」
葦辺さんの疑問にどう答えて良いか迷った。
「とにかく大物になりえる逸材。でしょうかね?」
「おいおい。コッチに聞かれてもわかる訳ねぇだろ、まだ修行が足りねぇな」
慌てて両手を振って、「勘弁、勘弁」と狼狽えるが、それでも何かあることは気づかれてしまったようだ。「今度、ウチに連れてこい」と言われた。社長も同意見だったようで鳥鳴篤輝にはウチでも一点書いてもらおうと言うことになった。それなら担当編集はやらせて下さいと懇願した。
変なことを言う奴だと言いながらも、駄目だとは言われなかった。近いうちにまた訪問して、大釜出版での連載を打診してみよう。それから芦屋邸の別荘に、創作活動の一環として招待しようと考えた。ご主人に説明すれば、快く受けてくれると思う。きっと喜ぶに違いない。
丸元は、奇跡の出会いに感謝して、新たな構想を模索し始めた。ゆくゆくは大釜出版の大黒柱になり得る逸材と、また一緒に仕事が出来ることを夢見て。
次話も二十時ごろ更新予定です。