二.編集者、丸元省三
この物語は、編集者の丸元省三と作家の芦屋鏡子、二人の視点から描いていますので、同じ場面が何度か出てきます。なるべく混乱しないように考えて書いたつもりですが読みづらかったらご免なさい。
補足すると第二話は芦屋鏡子が語り部となります。
今回、私の身に起きた不思議な現象を知る人物、丸元省三は“青紫色の鎮魂歌”の出版元、大釜出版の担当編集者である。
大釜春夫が起業した大釜出版は町工場で事業を失敗し、鞍替えして出来た異色の出版社である。
春夫は職人気質で、何でもかんでも口を挟んできて、自分でやらないと気が済まない頑固親父だった。人を人扱いしない面もあり、新人の頃は一丁前によくやり合ったものだ。
私の意向を無視して進行を無理矢理変更したり、締め切りを前倒ししたり、とにかくよく口論した。ケンカ別れして、もうこんなところ絶交だと思っているが、どうしても嫌いになれない一面も持つずるい男だったと思う。
突然電話が掛かってきて「飲みに行く、一緒に来い!」と命令口調で飲み屋街へ連れて行かれる。場合によっては夫の轍も一緒にだ。
そこで、たらふくご馳走してくれる。いつも決まって奢ってくれるのだ。謝る訳でもなく、気持ちを入れ替える訳でもなく、ただ「飲め! 喰え!」と誘ってくるのだ。
いつもは怒ってばかりだが、その時ばかりは笑い、踊り、その場は盛り上がった。店全体に活気が溢れ楽しかった。新人の頃から大ヒットを飛ばしていた訳ではない。何冊も何冊もいろんな出版社で書いているが、全てがうまくいった訳ではない。そんな時でも呼び出され、奢ってくれる。
編集者も、デザイナーも、装丁師も、印刷所の職員も皆集まって大宴会だ。
顔をつきあわせることで気心が知れて、家族のような一体感が生まれる。仕事に厳しく、人情に厚い、そんな出版社だった。
景気が悪くなると、途端に赤字に転落する。どこの企業でもあることだが、大釜出版は特に酷かった。春夫のワンマン経営で赤字が膨らみ、原稿料さえ不払いになる時期があった。それでも恩義を感じていた私は作品を投稿していたが、こんな事態を見越してか次男の茂夫にトップを譲って路線変更を行った。
茂夫は高校生の頃から出版社に出入りし、経営ノウハウを学んでいた。春夫が築いた人脈で出版に関わる事業所を巡り、出版業界に関わるノウハウも経験している。
一時私の担当編集になったときもあった。その時は積年の恨みを吐き出すように……いや違う、尊敬の念を込めて、こき使ってやった。
茂夫が社長に変わってからは、企業体質も大幅に変わった。ワンマン経営ではなく、担当の判断重視、作家の希望に沿った進行、パソコンを使ったデジタル化の推進でコストカットと効率化。各部署との連絡を密にして軌道修正を行い、赤字解消と職場環境の向上を達成し、倒産を回避して今に至る。
丸元とは、かれこれ二十年来のつきあいで、親と子ほどの年の差だったが、初対面の時から大きい態度で、いつも対等に接してきた。ときには厳しい注文をつけたが、編集者としてのイロハを教え、今では立派に編集長を任されるまでに成長してくれた。
他部署の編集長にまでなった彼が、なぜ私の担当を続けていたのか。
それは本人には教えていないが私の我が儘が原因なのだ。
自分で言うのも烏滸がましいが、人気作家として一時代を築いた私には、これまでベテラン担当が付けられていた。
出版社としても配慮していたのか、とにかく若造には制御できない人物だと思われていたせいであった。若い頃はかなり無茶な要求をしていたので、当時の編集長には本当に苦労を掛けたと、ちょっとだけ反省している。
私にとって五十代後半からの辛い時期は、作家業にも影響を与えた。気が滅入るほど粉骨砕身、馬力を上げようと無理をしてしまう性格で、気力だけでなく体力が奪われていく。若かった頃に比べ、体が言うことを効かなくなっていたのだ。
夫の芦屋轍も定年を迎え、第二の人生を謳歌しようと考えていた時期と重なり、気分転換に都心を離れて別荘を建てようという話になった。轍は元建築士なので間取りの設計はもちろん、知り合いに頼んで土地や部材選びから私も同行した。そして二人の理想を反映した二階建てのログハウスが完成したのである。
轍は自然を満喫するように、庭でバーベキューができるよう自作のかまどを作った。友人を呼んで賑やかに食事をするのは、気分が上がる。結婚してから今までずっと仕事中心で駆け抜けてきた夫とのすれ違いを埋めるように、笑い合う楽しい毎日だった。
山間に建てた別荘の近く、森の中には小川が流れていた。轍は早速釣り道具を買い揃え、竿を振り回して遊んでいる。結果はいつも坊主で悔しそうだったが、いつか大物を釣り上げてやると粋がっている。もういい歳なのに、まるで少年のようだった。
二階には南側が全面ガラス張りの大きな窓。そこに杉の無垢材で作った大きな机を置いて、自然の力を全面で浴びることが出来る開放感溢れる書斎を作った。目の前に広がる森林の中では、動物や鳥たちが生き生きと生活している。朝から夕方、夜になるまでずっと観察していても、それぞれに発見することがあって面白い。
そのうち拠点を本格的に別荘に移すことにした。二人ともとても気に入ってしまったのだ。街までは車で小一時間と買い物には不自由な場所だが、水は井戸水もあるし、電気やガスも使える。なにより街の喧騒がないことが、時間がゆっくり流れているようで、とても心地良い。
それが起因したのか、私に新しい創作意欲が沸いてきた。同時に超長編小説を書いてみたいと思うようになる。主人公と舞台設計、そこに巻き起こる事件。それらを主人公の人生と重ねるように描いていく。終わりが見えない長い旅だ。結末のない小説。主人公と同じ時間を私も生きる。それは恋愛小説でもあり推理小説でもあり、もしかしたら私にとっての自叙伝になるやもしれない作品だと感じていた。
仕事の打ち合わせはテレビ電話というハイテク技術でカバーする。出版社から出向いてもらうには距離が遠くなり過ぎたためだ。しかしまったく会わずに仕事することもまだ難しい。私はデジタルが苦手だからだ。そこで新人の担当者を付けてもらった。それが丸元である。
今までとは違った環境で、違ったプロセスで作品を作ることは新鮮だった。今までのやり方が間違っていた訳ではないが、この方法で作る楽しさがあった。
丸元は大学を卒業したばかりの“ひよっこ”だったが、頑固な性格の私に対して初日から物怖じしない態度で接していた。実は人気作家の担当は荷が重いと、わざと嫌われる態度をとり、早々に辞退しようと考えていたと生前明かされたことがある。
そんなこととは気づかずに私は、かつてのパワフルさと錯覚するほど精神的に若返っていた。若者からの指摘は自身の感覚のズレが解消されて、不思議と嫌ではなかった。邪険な対応をしていた丸元は当てが外れ、辞めることができないと悟ってからは、諦めて態度を微調整していったようだ。
独り善がりの作品から、万人受けするマイルドな作風に変わったのは、丸元のおかげでもある。その事に気づいた私は、出版社の社長に直談判して、この特殊人事は実施されたというエピソードである。
次話、明日二十時更新予定です