一.作家、芦屋鏡子
短編として書いたつもりが、横道にそれて若干長くなってしまいました。しばらくお付き合い下さい。
昨今の著名人が他界するニュースを見て、もし来世が、現代になったらどう行動するんだろうという発想で描いてみました。意外性があるか自信がありませんが、もし有名な作家さんが無名のライトノベル作家に降臨したらという話です。
人はいずれ土に帰る。先人達から受け継がれた人類の歴史はそうやって紡がれていく。どんなに功績を残したとしても、どんなに愛されたとしても、否応なしにその結末は万人に訪れるのだ。
今年二月、大先生と呼ばれた作家がご逝去された。芦屋鏡子、享年九十一歳。
アパレル関係のOLだった芦屋は仕事で携わったCM制作で、その才能が開花すると三十三歳の時、脱サラして作家業に転向する。
CMからテレビ、舞台の脚本を書くようになって人脈が広がると、時代劇小説、恋愛小説、エッセイなど様々な分野へ手を伸ばし、着実に実績を上げていった。
三十代で結婚したが子供はいない。結婚後も仕事中心の生活だったと聞いている。普段は明るく生真面目だが、頑固すぎるところが災いして、編集者と衝突することが多々あり、一部の関係者からは倦厭されていたという噂もある。
四十代半ば、テレビプロデューサーから声を掛けられ、特番にゲスト出演した。それが評判になって芦屋が書いた脚本のドラマや映画にも注目が集まり、テレビに顔を出す機会も増えていった。その頃が芦屋の絶頂期だったと思われる。
五十代後半から六十代を迎える頃、時代の流れに翻弄され、辛い時期を経験する。テレビに出ることも無くなり、その消息を知る人は友人と出版関係者に限定された。それは地方の別荘へ転居したことも要因だったかもしれない。
その頃から長編小説の執筆を始める。“青紫色の鎮魂歌”はシリーズ化され累計二百万部を達成し芦屋の代表作となった。そして九十歳を過ぎても筆を下ろすことは無く、書斎の机の上には書きかけの手書き原稿が残されていた。
葬儀は親族とごく親しい関係者のみで質素に執り行われ、ファンも参加できるお別れ会は後日行われることとなった。
ニュース報道から始まり、追悼番組や過去作品などが放送され、街からは惜しむ声が寄せられた。丸元は関係各所との調整をしていく中、改めて何て偉大な人物だったのかと思い知らされていた。
この作品は毎日二十時頃、投稿予定しております。