高田さんとぼくのこと。
ふんわかほんわかほのぼのラブコメディです。
大江田広路くんはピカピカの中学一年生である。
少し小柄だけど小学校時代はサッカーのエースだった。でも照れ屋で女の子の声援に真っ赤になってしまう普通の男の子だ。
その大江田広路くんがはじめて恋をした。
高田あずまさんはピカピカの中学一年生である。
小学校時代は学術優秀品行方正。ポニーテールとメガネがトレードマークの正義と秩序と読書を愛する意志の人だ。
その高田あずまさんがはじめて恋をされた。
時は春。
「趣味悪いね」
「趣味悪いね」
「趣味悪いね」
そしてサッカー部のチームメイトにいきなり言われてしまう広路くんなのだった。
「あのね、広路くんってモテるんだよ」
「今だって、広路くんを見るためにグラウンドに女の子が集まってきてるんだよ」
「どういうわけか大人の人のほうが多いけど」
「それがなんで高田さん?」
「高田さんて成績だんとつ1位なんだよ」
「ガリ勉なんだよ」
「ポニーテールだってカラー輪ゴムむきだしだしさ。制服も学校指定きっちり守ってるしさ」
「ださださ」
「ださださ」
「ださださ」
「ねえ、なんで高田さん?」
「趣味悪い言うなーーっ!」
「きゃー、広路くんが怒ったー」
「高田さんのわるぐち言うなーーっ!」
「きゃー」
「きゃー」
「きゃー」
広路くんは初めての恋を持て余していた。
誰かに話したくて話したくてしょうがなかった。
うんわかる、高田あずまさんって素敵だよね!といってもらいたかった。それがこの仕打ちなのだ。
「だったらさ、広路くんが高田さんの素敵なところを教えてよ」
「そうだよ、教えてよ」
「高田さんはね、かっこいいんだっ!」
「えっ、かっこいい!?」
「どこが!?」
「どこが!?」
広路くん、力をためた。
ためて、ためて、ためまくった。そして言った。
「すっっっごく!」
ああ、広路くんって天然だっけ。
チームメイトたちは改めて確認したのだった。
広路くんによるとだ。
ことの始まりは入学式なのだ。
「新入生代表挨拶、西小学校出身高田あずま」
「はい」
春の陽射しに椅子に座ったままウトウトしていた広路くんの耳に、そのキリッとした声が飛び込んできた。
「新入生代表って、いちばん成績がいい人なんでしょう?」
「西小の高田あずま。有名だよ」
そんなひそひそ話も聞こえてきた。
花道を小柄な女子生徒が歩いている。
キリッという効果音が聞こえてきそうなほどりりしい女の子。
彼女は壇上にあがり、挨拶を読み始めた。
語彙の豊富な人の言葉は語彙に乏しい人にとってはもはや外国語だ。だから広路くんには彼女が何を言っているのかよくわからなかった。
ただかっこよかった。
とってもかっこよかった。
広路くんは恋してしまったのだ。
「あ、わかる」
チームメイトの一人がいってくれた。
「あのときの高田さん、かっこよかったよね」
「そなの?」
「そなの?」
「広路くんが好きになっちゃったの、ちょっとわかるな」
広路くんは嬉しくなった。
嬉しくて嬉しくて、にっこり笑ってしまった。
「さんきゅ」
だけどこの恋には障害があった。
ラッキーにも広路くんは高田さんと同じクラスだった。だけど「おはよう!」と自然に挨拶するには、広路くんと高田さんの席は離れすぎているのだ。
「だったら席替えしてもらえばいいじゃない。なんか理由つけてさ」
「でもぼく、クジ運悪いんだ。すっごく悪いんだ。だいたい高田さんと同じクラスになれたってだけで、一生分のクジ運使い果たしてると思うんだ」
「すごいちっちゃい一生だね」
「あのね、広路くん」
「そんなの、高田さんのとなりの席を引いた人に譲ってもらえばいいじゃないか。ジュース奢るとかいってさ」
「でしょ」
「でしょ」
「……」
この時、広路くんの目の前の閉ざされた門が開いたのだという。どこまでもまっすぐ延びていく道が見えたのだという。
広路くんは思った。
この感動は一生忘れないだろう。
「ほんと、ちっちゃい一生だね」
チームメイトは思った。
東山美鈴先生は二八歳、独身。
少し気になるお年頃。
だけどかわいいクラスの子供たちを見ていると一日の疲れだって吹き飛んじゃう。まだ朝のHRの時間なのだけど。
「先生からの連絡は以上です。みなさんからなにかありますか」
「はいっ!」
元気よく手をあげたのは広路くんだ。
まあ、大江田広路くん。今日もなんてかわいいのでしょう。乙女心がどきどきするけど、私は学校教師。プロなのよ。少しも表に出さない。つもり。
「なあに、大江田広路くん、出席番号二番、誕生日は二月四日、身長一四五センチ」
声が裏返ったかもしれないけど。
いらない情報まで口走った気がするけど、だいじょうぶ。
「先生、お願いがあります!」
「ええっ!?」
ダメよ、広路!
ここは教室。神聖な教室なのよ!
だけど、すべてを受け止めるのが教師の役目。そして宿命。覚悟はあるわ。毎日が勝負下着よ!
あなたは生徒。私は教師。
だけどそのまえに、ひとりのおとこ。ひとりのおんな。
「な・あ・に? 広路」
「席替えしてください!」
「好きにせい」
黒板にルージュの伝言を残し、東山先生は教室を飛び出していったのだった。
「ええと……」
広路くんには東山先生の乙女心なんてわからない。
いや普通、誰にもわからない。
「席替えしてもいいのかな。好きにせいってのは……。いちおう、クジも作ってきてあるんだけど……」
「反対です」
なんと、そこに手を挙げたのが高田あずまさんだ。広路くんはどきっとしてしまった。
「大江戸くん」
「大江田です」
「まだ四月だし、わたしは席替えの必要を感じません。席替えには反対です。みなさんはどう考えますか!」
かたい、かたい。雰囲気かたい。
でもやっぱりかっこいい。見とれてしまう広路くんなのだ。
そして。
「だーい賛成!」
楽しそうなことが大好きなクラスのみんなは、圧倒的に大賛成なのだった。ひくひくと頬を震わせる高田さんを置いてけぼりに、なし崩しで席替えがはじまっちゃったのである。
広路くんが夜更かしして作ったのは席の番号表とそれに対応したクジだ。広路くんも自分でひいてみた。
11番。窓側の真ん中辺り。
あとはとにかく、高田さんの新しい席を知らなければ。
高田さんは不機嫌そうな顔をしている。自分の反対意見が通らなかったからじゃない。もうそんなことはいい。高田さんはそんな小さな人じゃない。
うしろのほうのクジを購買のパンを交換条件に売りに出している子。
好きな子の隣の席のクジを腕力で奪っている体の大きな子。
正義と秩序を愛する高田さんには我慢ならない。
そんなことも知らず、広路くんは高田さんに近づいた。独特で変態的とすら言われるドリブルテクニック。恐るべき動体視力。広路くんは一瞬で高田さんが手にしているクジの番号を読み取った。
――4番。
広路くんはうろたえてしまった。
「どうしたの、大江戸くん」
「あっ、ううん、なんでもない!」
名前を訂正するのを忘れるほど広路くんはうろたえた。
お隣だ!
嘘みたい!
高田さんの隣の席だあああ! いったいぼくは、何度ぶんの一生のくじ運を使い切ってしまったのだろう! ごめんなさい! ぼくと違う世界軸のぼく、ごめんなさいいい!
「大江田くん」
「大江田くん」
へにゃへにゃ笑顔で幸福に包まれている広路くんに、クラスの女のたちが近づいてきた。
「ねえ、大江田くんの席はどこ?」
「? 11番だけど?」
その瞬間、クラスの空気が変わったのだという。
女の子たちの狂乱が始まったのだという。
「確認! 大江田くん、11番!」
「隣の席は!」
「4番と18番!」
「探せ!」
「4番と18番を探せ! 前後でもよい!」
「発見! 高田あずまが4番を所有!」
広路くんはギョっとしてしまった。
「高田さん!」
「高田さん、それちょうだい!」
「いだだだ」
「交換条件は!?」
「なんでも言って、高田さん!」
「いだだだ」
高田さんはもみくちゃにされている。
廊下には「ああ、この恋の争いに私も加わりたい」と膝を抱えている東山先生までいたりする。
そして高田さんはキレた。
その小柄な体のどこから出したのだという大声を張り上げた。
「やめなさーい!」
クラスのみんなが動きを止めた。
自分の腕を掴んでいた女生徒たちには目もくれず、高田さんがつかつかと歩み寄ったのは体の大きな男子生徒のところだ。自分の倍はありそうな体にひるむこともない。高田さんは、彼が他の子から力尽くで奪ったクジを目にも留まらない素早さで取り上げてしまった。そして破り捨ててしまった。
「秩序がない!」
高田さんが言った。
ああ、やっぱりかたい。
「わたしたちはもう中学生よ! 小学生じゃないのよ! 恥ずかしくないの!」
そして高田さんは宣言した。
「席替えは中止! 明日までにクラス委員が責任を持って公明正大な抽選をして席替えを決定して発表します! 前でないと黒板が読めないとか事情がある人は、今日中にクラス委員に申請してください!」
高田さんの勢いに、だれもなにも言えない。
ひとり両手を床について絶望しているのは、一生分のくじ運を他の世界軸ぶんも使い果たして高田さんの隣をゲットしていた(ハズの)広路くんなのだった。
「あれ、広路くんは?」
放課後、サッカー部の練習に広路くんの姿がなかった。
「更衣室にはいたけどな」
「まだ四月なのに遅刻したら先輩が怖いぞー」
たしかに広路くん。
ジャージに着替えてグラウンドに降りようとしたのだけど、クラスの窓に高田さんの姿を見た気がしたのだ。
「明日までにクラス委員が責任を持って公明正大な抽選をして」
クラス委員って、高田さんじゃないか。
まさか、ひとりでやっているの?
ぼくが余計なことをいいだしたから?
広路くんは駆け出した。
やっぱり高田さんだ。
自分で机や椅子を片づけて場所をつくり、大洋紙(新潟では、大きな模造紙を大洋紙と呼ぶ)を広げている。
「高田さん」
声をかけると高田さんが振り返った。
メガネを上にあげている。そういえば近視じゃなくて遠視だと聞いた気がする。
「大江戸くん? なにか用?」
「大江田です。あの、高田さん」
「うん」
「ごめんっ!」
「えっ、なんで?」
「ぼくが席替えを提案しちゃったせいで、高田さんの仕事を増やしちゃった。ほんとにごめんなさいっ!」
頭を上げたら、高田さんが笑っていた。
広路くんはドキッとしてしまった。
そういえば、笑った顔は今まで見たことがなかった。かわいい。むちゃくちゃかわいい。
「大江戸くんのせいじゃないよー」
高田さんが言った。
「どんな小さな不正でも許せないのはわたしの性分だし。みんなからしたら、わたしのほうがうざったいだろうし。それにね――」
「不正」って単語にクラクラしながらも、そんなことないよ!と広路くんは言おうとしたが、その前にVサインしながら高田さんが付け足した。
「わたし、こんなふうに工夫したり考えたりするのが大好きっ!」
惚れ直してしまった。
広路くん、もう惚れ直しちゃうしかないのだ。
「手伝ってもいい?」
「ありがとう。でももうほとんど終わってるの。あとは番号にしたがって、このネームプレートを貼るだけ」
「ええっ、すごい。高田さんて、すごい!」
大洋紙にはすでに線が引かれ、謎の数字が並べられている。クラス分のネームプレートも高田さんらしいきっちりかっちりした文字で書かれている。
「この番号はね、ぜったい公正なの。だって、量子論における不確定性をシミュレーションした計算式を使ったのよ!」
高田さんは嬉しそうだ。
なにをいっているのか広路くんにはさっぱりだけど、とにかく大好きな工夫をたっぷりしたのだ。
「手伝うね!」
「ありがとう!」
ふたりはスティック糊を手に、ネームプレートを大洋紙に張り始めた。
「大江戸くん、ジャージ着てるけどクラブ?」
高田さんが言った。
「うん、サッカー」
「出なくていいの?」
少しくらい――と言いかけた幸せ気分の広路くんに、そのビジョンはワンテンポ遅れて猛烈な勢いで襲いかかってきた。
おうおうおう、一年ボースがもう遅刻ですかあ!
いきなり9番もらう一年はちがいますねえ!
調子乗ってンじゃねえぞお、ちょっとモテるからってよお!
なんですかあ、その目はあ! モテない先輩は先輩じゃないですってかあ! 人間じゃないですってかあ!
「――」
心臓バクバク、目の前が真っ暗で、広路くんの声はほとんど声にならない。
「少しくらいなら大丈夫、かなあ……」
なんどか挑戦して、やっとその言葉を口にできた。
ぜいぜい。
ちょっと涙目だ。
「高田さんはクラブに入ってないの?」
ついでに質問もしちゃえ。
「え、わたし? どこにも入ってないよ」
「どこにも? 高田さん、趣味とかないの?」
「趣味?」
そう問われて高田さんは少し考えた。
「ヘヴィメタ?」
ごん!
広路くんは床に頭を打ち付けてしまった。
「XJapanもいいけど、なんてったってヴァン・ヘイレン。エディのギターはリズム感がいいのよね。あとやっぱり北欧」
「……」
「他には……サンボ?」
「マンボ?」
「ロシアの格闘技よ。祖父のお友達が道場開いてるので子供の頃から習ってるの」
「……」
なんだかわからないけど。
ものすごくわからないけど。
やっぱり高田さんってすごい。改めて思う広路くんなのだった。
あ、ぼくのネームプレートだ。
やっぱり「大江戸」と書かれていたプレートを手にして、広路くんは裏の番号を確認した。そして対応する番号を探して……
「あーーっ!!!」
「わーーっ!?」
広路くんの大声に、高田さんは飛び上がった。
「なに、どうしたの、大江戸くん!」
「ごめん、なんでもない、なんでもない!」
なんでもないわけがなかった。
自分の番号を見つけたけれど、そこからかなり離れた斜め前に「高田」の名前がすでに貼られているのも見つけちゃったのだ。
こんなのない。
ぜんぜんない。
もしかして、今の席より離れてる!?
広路くん、しょぼんと自分のネームプレートにスティック糊をぬりぬりした。未練たらたら高田さんの周囲の数字を眺めながら。そして、見つけてしまったのだ。高田さんの隣の番号のネームプレートを。
「……」
高田さんはこちらに背を向けて作業している。
「……」
入れ替えて貼っちゃえ……。
広路くんは思った。
大丈夫、貼っちゃえば高田さんにだってわかんないよ。だいたい、ただの席替えだよ。ほんの少しずらすだけだよ。そんな悪いことじゃないよ。
そうさ。
そんな悪いことじゃない。
だけど手が動かない。貼ろうと振りかぶって、だけどそこから手が動かない。
「なにしてるの、大江戸くん」
「ひゃああああ!」
広路くんは変な声をあげてしまった。
「許してくだせえ、許してくだせえ、ほんの出来心でございますだあ!」
「なにがどうしたの。わたしの方はみんな貼っちゃったよ。あとは大江戸くんのその二枚だけなんだけど」
「うううう」
「ありがとう、大江戸くん!」
にっこりと高田さんが笑った。
「今日はすごく助かっちゃった!」
「高田さん……」
涙が出そうになった。
悲しくて、恥ずかしくて、広路くんは自分の頭をぽかぽか殴ってしまった。
「だからどうしたの、大江戸くん。それ、わたしが貼ろうか?」
「だめ!」
広路くんが言った。
「これはぼくが貼るんだ!」
「そ、そう」
スティック糊を丁寧にたっぷりぬりぬりして、広路くんは二枚のネームプレートを番号通りの場所に貼った。
丁寧に、丁寧に貼った。
「かんせーーい!」
高田さんは嬉しそうだ。
広路くんも嬉しい。
よかった。
高田さんと一緒に喜ぶことができてよかった。馬鹿なことをしなくてよかった。ほんとうによかった。
ありがとう。
結局、広路くんの席替え大作戦は思い通りには行かなかったわけだけど。
でも、朝、顔を合わせたら「おはよう!」って自然に言えるくらいに二人の仲は近づいた。それに今の席も悪いわけじゃない。授業中、黒板を見ようとすると高田さんの斜め後ろ姿も見えちゃう。真面目にノートを取っているキリッとした彼女に見とれちゃうことができるんだ。
そしてふたりで作ったあの表は、今は広路くんの部屋でメッシのポスターの隣に貼ってある。
お母さんはこれはなにと聞いてくるけど、教えてなんかあげない。
広路くんと高田さんがはじめて二人でひとつのことをして、はじめていっぱいお話をしたたいせつな記念なんだ。
絵とテンポがほとんどの要素である、少女漫画のふんわかほんわかほのぼのラブコメディは小説でも書けるのだろうか?という実験です。
もしお楽しみ頂けましたら過分の喜びです。