後編
「よくやったな、川嶋。東応大に我が校から合格したのはお前だけだ」
大学入試の結果を職員室に報告しに行くと、担任の山田先生はそう機嫌よく私に告げた。
「ありがとうございます」
「東応に行っても頑張れよ」
「はい。失礼します」
軽く一礼して、私は職員室を後にした。
あれから。
私は受験勉強に没頭していた。
和兄を忘れようと。
……ううん、違う。
やっぱり和兄と同じ東応大学に行きたくて、精一杯努力した。
そして、私は第一志望の難関の東応大に合格したというわけだ。
でも。
こんなの全然嬉しくない……。
和兄……。
逢いたい。
冷たい涙が一筋、私の頬を伝って落ちる。
和兄に触れてもらえなかった口唇が疼いている気がして、私は制服のポケットからハンカチを取り出し、乾ききっている口唇をこしこしと拭った。
***
その日の夕方、帰宅すると、
「和兄……!」
「…よっ」
ブルーのダメージジーンズの長い脚を投げ出しながら、玄関ドアにもたれかかるようにして和兄が立っていた……!
「同じマンションに住んでてもそう偶然には会わないもんだな」
和兄は呟いた。
「だから……わざわざ待っててくれたの?」
「ああ。逢いに来た」
和兄は二、三歩私の方に歩み寄って来る。
しかし、不意に立ち止まった。
横を向き、あらぬ方向を見上げたが和兄は静かに切り出した。
「大学。合格したんだろ?」
「うん」
「また、一緒の学生生活だな」
「うん……」
久し振りに聞く和兄のハスキーボイスが私の耳に心地良く響く。
「か、和兄。あの……」
「この前は悪かったよ」
ふたりの言葉が同時に重なった。
見つめ合う。
和兄は、しかしまた横を向いた。
その痩せた輪郭の横顔に一瞬、見惚れてしまう。
私は……。
「和兄。こっち向いて」
私は、言った。
「目を瞑って」
「朋」
「いいから。言う通りにして」
私の言葉に和兄は黙って目を閉じた。
「え……」
和兄の口から呟きが漏れる。
「朋……。これ」
「お誕生日おめでとう」
私は精一杯の笑顔で言った。
「本当は和兄の誕生日に渡すつもりで、でも、間に合わなくて……。やっと完成して渡しに行ったら、あんなことになるんだもん……」
私は何故か泣きそうになっていた。
「男の人」な和兄に少し怯えていた。
「あれから毎日持ち歩いていたの。手渡したくて。でも、和兄の家には怖くて行けなかった……」
「朋……ごめん」
低く一言呟きながら和兄は、私がちょっと踵を上げて背伸びして和兄の首へとかけた和兄への誕生日プレゼント──────
それは、青・白・赤のフランス国旗と同じトリコロールのカラフルなふかふかの手編みのマフラーにそっと、触れている。
「それから。これ……」
私はおずおずと、あの日、勇気を出して買ったそれを和兄に手渡した。
「これ。「ピース・インフィニティ」じゃん……」
和兄がビックリしたように呟いた。
それは、青い上品な小箱。
和兄の好きな煙草。
「和兄、これ、好きだけど売ってるとこ少なくてあんまり気軽に買えないって言ってたでしょ。私の下手な手作りより確実に喜んでもらえるかなって、思って」
「でもお前、あれだけ煙草ダメって言ってたじゃん」
意外だと言わんばかりの和兄に、
「当たり前でしょ! つい最近まで未成年だったくせに。だから、ひと箱だけ。誕生日プレゼントだから特別よ」
私は拗ねたように小さな声で呟いた。
「本当は、止めて欲しいんだからね……煙草……」
足元を見つめる。
しかし、
「え……?」
今度は私の方から呟きが漏れた。
ふわり…と風が吹くようにマフラーが私の首にかかったかと思うと、次の瞬間、和兄の両手は私の背後の玄関のドアを突いていた。
私は、再び和兄の顔を見上げていた。
りょ…「両手壁ドン」……?!
私の両肩の隣には和兄の大きな両手があって、私の顔の真ん前に和兄の男らしく理知的に整った顔がある。
「近いよ……! 和兄……」
それでも、和兄はクールなまま。
そしてゆっくりと和兄の端正な顔が近づいてくる。
う、うわ。無理……!
「や、やっぱりいらないよね! こんな手編み……」
いたたまれなくなり、思わず再び地面を見つめて紅く呟いた私に、
「お前なあ」
はーっとひとつ、和兄は息を吐いた。
「…ったく。いつまでたっても……奥手にも程があるぞ」
そして。
不意に、和兄の右手の親指と人差し指が私の顎にかかった。
強引に私は和兄の顔を見上げさせられている。
あ、「顎クイ」……?!
私の顎は和兄の節太く、細長い指にロックされて、私は身じろぎも出来ない。
冷たい和兄の指を肌で感じて。
私はそのお姫様的展開についていけない。
「い、いつから和兄、こんなことできるようになったの……?!」
真っ赤になりながら呟くと、
「お前が受験にかまけて俺を放ってたからだろ」
和兄が悪びれることなく答える。
確かに。
この半年ほど受験勉強が忙しくて、あんまり和兄とも会ってなかった。
その間に、和兄はきっと勝手に大人になってしまったんだろう……。
けれどオコチャマなままの私は依然、固まった姿勢のまま、和兄の顔を見つめる。
「こんな寒いのに、お前に風邪なんかひかせられないだろ」
「和兄……」
いつものぶっきらぼうじゃない、それは甘く優しい声。
「嬉しいよ。朋の手編みのマフラー」
和兄は笑んでいる。
それは、今まで見たこともない程、極上の笑みだった。
そして。
和兄はマフラーごと私をぎゅっと抱き締めた。
和兄の逞しい腕の中で、どくっどくっと、心臓が鳴る。
「ピースは? 買うの勇気いったんだからね」
恥ずかしくて声が上擦る。
「お前がいるならもうこんなもんいらねえよ」
耳元で囁く声に、
「じゃあ、止めてくれるの?! 煙草」
思わず勢いよく言った。
すると、和兄は私を強く抱き締めたまま言ったのだ。
「朋の口唇吸わせてくれたらな」
「か、和兄……」
幼い頃から見慣れている、けれどとびきりカッコイイ和兄の口唇が近づいてくる。
そして、私は大人の苦い煙草の味のする初めての口づけを、ずっとずっと大好きだった和兄と交わした。
了
本作は、アンリさま主催「クーデレツンジレドンキュン企画」に参加する為に書き下ろしました。
要素は、「床ドン」「壁ドン」「顎クイ」「クーデレ」「胸キュン」と少し欲張りすぎました^^;
本作には柿原凛さまから貴重なアドバイスを頂き、おかげで作品をより良く仕上げることができました。
アンリさま、柿原凛さま、そしてお読み頂き胸キュンして頂いた方、どうもありがとうございました!