終わらない夢(7)
クルーモアは誤字にあらず!(いちおう)
他人の言動によってその都度己の立ち方を変えてしまうのは誤った考え方だ。
基礎・応用の段階を終えてと前置くが、他人の指摘によって改まる程度の技術であるのならばそれはそもそも本人に適正が無い事の証左だ。別の道を歩むべきであるし、基礎応用の段階で教育者が間引くべきでだろう。「君にこの道は向いていない。趣味にとどめ別の道を模索するべきだ」とね。
実を言うと久しくなかった感情に若干気落ちしていた。
それは反省だ。猛省と言っても良い。
何に対してか。それは先日の英2000ギニーでの騎乗だ。
勝手に他馬を低く見た。それだけならまだしも、侮り、誤った騎乗をしてしまった。もう少しで取り返しのつかない敗北を与えられるところだった。
勝敗は勝負事の常だろう。しかし一度の敗北は一度の勝利で雪ぐことが出来たとしても、一度負けたという事実は決して消えることが無いのだ。
故に、気を引き締めてかかった。
仏ダービー、ジョッケクルブ賞。住処であるシャンティイ競馬場で行われる2100mの世代戦。英ダービーと異なりそれほど国際的格調高いレースではないが、フランス生まれフランス育ちのセルクルに相応しいレースであるとして次戦に選ばれた。
メディアは英ダービー回避について疑問の声を上げたが、セルゲイさんの
「ネジュセルクルが走ったレースが道になる。ネジュセルクルとは過去の名馬達に引けをとらない、或いはそれらを凌駕する存在である。ネジュセルクルが走った軌跡こそが格となり後続への道となるものだと私は確信している。
そのため、走るレースに要求するものは常の競走馬と異なることも有る。今回仏ダービーへ出走を決定したのはそれが理由だ。
我々はフランスのホースマンだ。自国のダービーの栄冠を求めて何かおかしいことでもあるだろうか。我々は当然勝利し、フランスの3歳世代代表として今後も走り続けるだろう。
2005年より仏ダービーの距離短縮を図った集大成がこの馬によって結実するところをお見せしたい」
との発言に沈黙した。
過剰な自信、傲慢ともいえるそれを裏付けるだけの圧倒的パフォーマンスはこれまで見せてきた。こうとまで言い切られてしまうと仏ダービーと英ダービーの格についても触れねばならず、英国に微妙な劣等感のある仏関係者は上だ下だ(当然発祥の地である英ダービーの格の方が高い)の話題を避けたいし、英関係者はそんな面倒くさい話題に態々触れたくない。
そんなこんなでセルゲイさんの強気な発言だけが取り残され、今日の仏ダービーを迎え、枠順も外で悪く、これは俺も気を引き締めねばとかかったわけだが。
(……楽勝すぎる。いや、油断はいけないと思ったばかりじゃないか)
勝手知ったるシャンティイ。どこをどう走ればよいのかなど熟知している。
谷を越え直線へ出たところで楽々抜け出してみれば追いすがるものもなし。
こうして見るとやはりムーランホークは強い馬だったのだなと思う。
勿論、それを捻じ伏せたセルクルの実力こそ真実であると思うが、抜け出してくる脚や最高速度を持続する力、或いは心肺能力に関してはあの馬の方が鍛えられているようにも思えた。
まあ、あっちは英ダービー馬。こっちは間もなく仏ダービー馬。どこかで再び戦うこともあるだろう。
ゴール板を過ぎた。俺たちの勝ちだ。
----
ユーロ圏の競馬業界は摩訶不思議だ。
中東の後援者達による得られる利益からすれば考えられないような献身、そしてクルーモア総帥ジョルズ・マグナと彼の牧場の貢献によって伝統的手法と公平な競走は守り支えられている。
それと同時に寡占に近い状態にある彼らの成功を妬んでもいる。人間そんなものだろう。だからこそ彼らの勝負服が1着にならなかった時、少し競馬に詳しい人間は「おっ」と口を開けた後、ニヤけるのだろう。
「じゃあ次走はパリ大賞典ってことですか?」
いつものセルゲイ厩舎。セルクルと共に帰ってみれば、次走の予定を鼻息荒く告げるセルゲイさん。
「ああ。集大成を見せるだなんて勢いで言ってしまったからな。それならパリ大賞典がピッタリだろ?」
「あれ勢いで言ってたんですか」
「あんまりにもしつこいから黙らせてしまおうかと思ってな。まあ、おかげでビッグマウスだのなんだの言われるようになったが、面と向かってクソを投げつけられなくなっただけマシになったさ」
「なるほど。となるとロンシャンの2400mですか。距離はどうなんでしょう。セルクルなら平気だとは思いますけど」
パリ大賞典は対英競馬を意識して創設されたレースプログラムだ。『本場』であった英国を負かしてやろうと意気込んだはいいが、当初は散々だったようだ。
どちらかと言えば距離変更が話題になったレースと言えるだろう。都合過去4度変更しており、とりわけ2005年の距離変更は大きく報じられた。
事の発端は俺とセルクルが先日制した仏ダービーの距離短縮にある。90年代後半から仏ダービーの凋落っぷりは凄まじく、特に2000年以後のダービー馬の名前などフランス人であっても咄嗟には答えられない程だ。この状態を是正するため、距離の変更が図られた。それまでの2400mから、2100mだ。
これはかなり大胆な試みだ。保守的な生産関係者は猛反発したが、フランスギャロは全く意見を聞かず改革を断行した。
なぜ反発が強かったのかと言うと、2400mのレースを勝つ馬を作り出す配合と2100mを勝つ馬の配合が全く違うからだ。穿った見方になるが保守的な彼らは自分達のやり方を変えたくないがため反発したともいえる。
しかし彼らの心情もよくわかる。求められたものは物凄く大雑把に言ってクラシックディスタンス(2400m)からチャンピオンシップディスタンス(2000m)への転換だ。
2400mのGⅠ勝ち馬と2000mの勝ち馬の名が容易く同じにならないように、それへの転換は根差す物が違いすぎて困惑したのだろう。
必然的にスピード種牡馬が求められ、肝心の2000m戦は中々結果が出ずにいるが、その血がめぐりマイルなど短距離路線は一先ずの発展を見せた。
俺たちに関わる話で言うならば、セルクルの母クローヌもそうした取り組みで伝統的な欧州の血統にアメリカ系の種牡馬を付け生み出された馬だ。そこからセルクルという唯一無二の怪物を生み出したのだから、過日の転換は正解であったのではないかと思える。
そんな仏ダービーの距離変更の煽りを喰らったのがパリ大賞典。
そもそもパリ大賞典は三歳の限定戦で7月の14日に施行されるレースだ。3000m→3100m→3000m→2000mと距離を変えている。このままでは時期も距離も殆ど同じレースが開催されてしまう。
と、いうわけでダービーで失われた距離を補填し2400mに変更された。これには遅咲きの馬が目標とするレースとしての意味合いも持たされており、国内はもとより海外からの参戦馬が増加した事からもこの変更はどちらかと言えば国内よりも国外から歓迎されたものと言えよう。意外と7月に使える世代戦のレースは少ない。
結果からすれば創設の対英戦争という理念からは外れてしまったものの、路線変更としては一先ず成功、と言ってよいと感じる。
そんなパリ大賞典。こなれたロンシャンの芝でセルクルの距離延長を試すにはもってこいだ。セルゲイさんの言うとおり、ここでの勝利を以って近代仏競馬の成長と言い張ることも出来そうだし。
「君と同意権だ。私も問題ないと見ている」
ガーナ調教師が言葉数少なく言った。オーナー、調教師、騎手、意見が一致しているのなら何の心配も無い。
「それじゃあ一つ、よろしく頼むよ」
ぽんとセルクルの頭を撫でる。
首を傾げた愛くるしい表情の相棒は何の事やら分からぬまま「ひん」と鳴いた。
その様子がおかしくて、集まった皆で吹き出した。
ガーナ調教師が笑みを浮かべるなんて、本当に貴重なシーンだ。この馬にはそういう頑なな物を柔らかくする力でもあるのかもしれないな。
○クルーモア
クールモアスタッド
アイルランド(イギリスの左下の島。こんなことアイルランドの人にいったらぶっ飛ばされるので内緒だよ)に本拠地があるすごい牧場
日本で言うとノーザンファーム
○ジョルズ・マグナ
ジョン・マグナー
すごいクールモアを築き上げたすごいひと
(12/7追記クールモアについてとんでもねー勘違いをしていたので文章訂正)
(いちおう)生存報告であります
来週から一週間休みなのでその間だけ更新頻度あがるとおもわれます^q^なんとかその間にクリストフのはなしは終わらせたいもんです