白い丸の仔
チクショー道になる前に書いてたプロトタイプの頃の話です。
クローヌはうちの牧場で生まれた初めてのG1馬。まだあたしが小学生のころに生まれた。難産で母馬が結構危なくて、獣医さんとみんなでてんやわんやしたのを覚えてる。
生まれてきたクローヌは大人しい仔で、小さい頃は臆病なくらいだったけど、身体が大きくなったころにはやんちゃになって、でも乱暴物じゃない優しい仔に育った。
その頃はうちの仕事の事とか、なんとなくでしか分かってなくて、クローヌはそんなあたしが初めて競走馬として意識した仔だった。
牧場に居るころから、なんというか走る姿がとっても優雅。訓練では群れで走ってるはずなのに、いつのまにか先頭を走っていて本人が慌てている姿をよく見かけた。(馬はよっぽど気が強い馬じゃない限り群れの先頭を走りたがらない)
お父さんに聞いたら、持って生まれた速さが違うせいで、彼女が軽く走っただけで他の仔たちは追いつけないんだって。それって競走馬としてはとっても凄いことなんじゃないの? ってきいたら、お父さんはニッコリ笑って眩しそうにクローヌのことを見つめてた。
クローヌはお父さんの知り合いのちょっと怖いおじさん、セルゲイさんがオーナーになって競走馬として走り始めた。それまではうちで生まれた仔が走るって聞いたときだけレースとかお話とか聞いてたんだけど、クローヌの時は次に出るレースが決まってからずっと様子を聞いたりしてた。あたしが本格的に生産の道を志したのはこの頃だった。
うちの牧場は他所のところみたいに何百年と続いたようなのじゃなくて、お祖父ちゃんの代から開業した、比較的若い世代の牧場なんだって。それにしたってもう50年くらいまえらしいからあたしにはちょっと想像つかないや。
だからお父さんはうちの仕事を継がなくてもいいなんて言ってたけど、あたしがやりたいことなんだから余計な気を回しすぎだと思う。
それでクローヌは勝ったり負けたり色々あったけど、引退レースに決めていたムーラン・ド・ロンシャン賞で大勝利をもぎ取ってうちの牧場に帰って来た。
今更だけど、クローヌは女の子。だからあたしはこれから沢山生まれるクローヌの子供たちを育てることが出来る。たのしみだなぁ。
中距離レースを重視したいってセルゲイ希望で、ストームなんとかってアメリカの馬の種をつけることになった。お馬さんのアレって普段は隠れてるけど「する」時はびっくりするくらい出てくるんだよねぇ。
クローヌがデビューする前から、もしもクローヌが子供を産んだらあたしが面倒を見るって約束をお父さんとはしてたの。勿論まだ学生のあたしが全部差配できるわけ無いって分かってはいるけど、「あたしの馬」ってことにしてくれるってお父さんは約束してくれた。お父さん大好きって抱きついたらまんざらでもない顔してた。ちょろいね!
そして生まれたのがあの仔。まん丸の白い斑点が額にあるちょっと変わった仔。
セルクルは好奇心旺盛っていうか、元気いっぱいというか? とにかく何かを見かければ駆け寄ってくるサラブレッドにしては結構珍しい人懐っこい性格をしてる。あたしが学校から帰ってくると柵の側までやってきて首を突き出してくるし、放っておくといつまでも走り回っているから、遊んでいるところを呼ぶと遠くからでも駆けつける。時々馬っていうより犬を相手にしているような気分になる。
あと、セルクルはとっても頭がいい。いつの間にそんなことを覚えたのかは分からないけど、鍵の閉まってない馬房の扉を自力で開けちゃうの。帰りが遅くなって夜に馬房の前を通ったら、普通にセルクルが歩いていて物凄くビックリしたことがある。何度か脱走するものだから頭にきて怒鳴りながら頭を叩いたら、それ以来馬房から脱走することは無くなった。怒られたって分かったんだと思う。
他にも似たようなところで、放牧地の閂を空けて自分が柵を超えたら閉めて見せたり(他所の牧場の人に言っても信じてもらえない。ちなみにセルクルがいたころは放す柵には全部鍵をつけた)そうするとそれにめげずに今度は単純に柵を飛び越えるようになった。そりゃ飛び越えようと思えばサラブレッドにとっては飛び越えられる高さだけど、普通そんなことをしようとする仔はいない。帰ってきてセルクルがお出迎えしてくれた時はもういっそ笑ってしまった。
結局、柵や馬房から出はするけれど、うちの敷地を出て遠くに逃げたり危ないことをしたりする訳でもなかったから、自由にさせることになった。というよりセルクルは何が危なくて何をしてはいけないのか分かってるような気がする。車がきたら脇に避けるし、他の馬がいる放牧地に勝手に入ったりしない。積んである干草を勝手に食べないし、厩舎の掃除や作業をしてる人には近づかないでちょっと離れてじーっと見てる。ああでも何故か新聞を持ってる人がいると妙に近づいていく。文字が模様に見えて面白いのかな?
そうすると牧場の人と触れ合う時間が長くなるから、セルクルはみんなに可愛がられていた。でも、セルクルに一番懐かれてるのはあたしだ。自信ある。お出迎えまでしてくれたのはあたしにだけだったもん。
セルクルが競走馬として強い馬なのかどうかは、まだ素人のあたしにはよくわかんない。ただ、身体が物凄く柔らかい(馬房でよく耳の裏を足で掻いてる)からなのか、左右の方向転換が他の仔に比べるとものすごい自由で、お父さんにそのことを聞いたら少なくとも乗馬としては優れた素質だって言っていた。たしかにセルクルに乗るとあたしも楽しい。それはあんまり関係ないかな?
活躍できなかった競走馬は、乗馬になるかその……可哀そうだけど殺処分になるかくらいしか道が無いから、乗馬になれるなら、少なくともセルクルと一緒に居られる分あたしにとっては嬉しい要素だと思う。
頑張って欲しいな。無事にデビューに漕ぎ着けたらゴール板の一番前で応援しよう。
それでこの仔が一番に駆けて来るのを見守るんだ。それが大きなレースでもそうでなくても一杯褒めてあげよう。もし負けちゃっても褒めてあげよう。頑張ったね、偉かったよって。
「セルクル。辛いこともあるかもだけど、元気でやるんだよ」
気付けば声に出してしまった。セルクルはきょとんとした顔であたしを見て、額をぐりぐり押し付けてきた。この仔が甘える時の癖だ。かわいい。
はあ。こんな可愛いセルクルとお別れかぁ。寂しいな。あたし大丈夫かな。
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僕は競馬引退中ですが、日曜日には復帰するのでシャフリヤール軸です
その後はまた一週間引退する予定です。競馬引退できてえらい




