私のダービー馬
今更の報告になるんですが、書籍化のお話いただいておりまして、書籍化へ向けて進行中です。
競馬の話なんでなにがどうなるかはさっぱり分かりませんが(そもそもちゃんと出るのか?)
執筆当初の借金かえしたろ、という動機から始めた本作はゴールにたどり着けそうです。
ひとえに皆様の応援ご愛顧によるものだと思います。
詳細は追って報告いたします。
きまぐれな更新ですが、今後ともよろしくお願いいたします。
競馬は不思議な競技だ。
馬と人、それら二つを一騎と数えて競い合わせる。
馬だけではダメ。人だけでもダメ。二つ揃って初めて競馬だ。
確かに、人が操る。
しかし操るモノもまた生き物。
これが面白く、だからこそ難解で、それでこそ挑み甲斐がある。
何やかんやと60年近く競馬を見てきた。まだ飽きない。
仕事にしたって60年もやったら少しは飽きそうな物だが、懲りない性分であると言うべきか、ここまで続けてやって来てしまった訳だ。
私にとって馬を見ることは、社会を見ることと同じように感じられた。
世の中を見る事に飽きがないのと同じだろうか。人によっては飽きるだろうか。それも人それぞれで面白い。
それだけ続けていれば馬を見る目も肥えてくる。
生産の人間は速く走りそうな成長を遂げそうな馬を見て評価する。
我々は出来上がった作品を走るかどうかで判断する。
私こと竹中にとってサタンマルッコとは正しくダービー馬であった。
これまで何頭も「この馬こそは」と思い込んだ馬はいた。けれどもどんな不思議か、私が名前を挙げたときに限って彼らは惜しいレースをして破れてしまう。
その後の活躍からすればダービーを勝たなかったのが不思議な馬だって何頭も居た。
もしかすると私の本命はダービーを勝てないのかもしれない。そんな気弱に流れていた心を吹き飛ばしてくれたのがサタンマルッコである。故に私は常日頃この馬の動向に目を光らせていた。
一つ、解説者として私は拘りを持って勤めている。
それはトラックマンが如く、馬産関係者の敷地に乗り込んで情報を収集するような真似をしないというものだ。
そりゃあテレビ番組の取材や撮影に同行してトレセンや牧場を訪れることはあるし、立場上耳に入る情報は多くのファンより遥かに多いものとなっている。
ただ私自身はフラットに、そうした情報を基にした推論を立てず、誰でも見ることが出来る情報だけで予想や解説を行うことを心がけているのである。
その拘りを捨てる時は解説者として引退する時だと考えていた。
いつか来るだろうと思っていたその時は、思いがけず早く訪れた。
それはサタンマルッコが惨敗した天皇賞秋を過ぎてすぐの頃だ。
「サタンマルッコが坂路を走った?」
栗東担当の新聞記者がなんでもないように語ったその内容に私は雷鳴に撃たれたかのような衝撃を受けた。
サタンマルッコの坂路嫌いは有名である。追い切りの映像で坂路が出てこないことや中間の調教情報、何より厩舎側のインタビューで度々語られた内容だ。
そして、私が競馬場やパドックで見続けてきたサタンマルッコという馬の性根は「唯我独尊」である。やりたくないことは絶対にやらない。認めていないものには絶対気を許さない。そのサタンマルッコが坂路を走ったというのだ。
気になる。見たい。何かが起きている。確信がある。
そしてもう一つ、心を波立たせる予感がある。
――勝負の予感だ。
私は拘りを捨てた。同時に予てからの宣言通り、解説者としての仕事を離れた。これには契約上行わねばならない物がいくつかあったのでそれらについてはこなしつつも、激化する秋のGⅠ戦線から完全に距離を置いた格好だ。
解説者だなんだと煽てられているが、私の根っこは馬券野郎だ。勝負があればしたくなる。そういう安定とは程遠い性根の屑だ。
だからこそこれを最後の勝負にしようと思った。
家族に迷惑をかけないだけの金を残して、他はすべて現金として手元に集めた。
ジュラルミンケース一杯の札束を持って一勝負する……まるでバブルのころのようで、自然と笑みが浮かんだ。
すっかり早起きが苦ではなくなったこの身の寂しさを感じながら朝靄の栗東トレセンでサタンマルッコの登場まで張り込む。
すると妙な物を見た。勝負服を着た横田騎手だ。
何をしているのかと思いかけたがすぐにピンときた。やがて現れたサタンマルッコと合流すると、矢のように坂路を駆けていった。
「いつもああなんですか?」
坂路観測所で時計を取っていたアルバイトに訊ねると、胡乱な眼差しでそうだけど、と返事があった。
こうまで情報が揃えば誰だって分かる。
サタンマルッコの陣営は勝つつもりなのだ。
誰もがそうである以上に、この世の何を差し置いても。
それからは静かな毎日だった。
世の流れを一顧だにせず、ただ上がってくる一頭の馬の情報を観察し続ける。
こんなことは初めてかもしれない。
自然と決めていた。
勝負は一点。私のダービー馬が引退を表明している有馬記念。その単勝だ。
効率は悪い。勝率も未知数。だが賭けたい。
そしてその日はやってきた。
なんとしてもその姿を見るため、朝一からパドックの最前列を確保し微動だにしない。
ひたすら待つ。待つ。待つ――。
カツ、コツ――
そばだてた耳に蹄の音が届く。
ゆっくりと瞼を上げれば、暗がりに連なる優駿の列。
6番目に彼の馬は現れる。
満ち満ちて輝く黄金。
足が地面に縫い付けられるかのような覇気。
寒気のするような、マイナス4キロが嘘のような馬体の充実。
立ち上る呼気すら美しく薄っすらと眩く光り、軌跡を描くように尾が流れる。
勝った。
言葉は無粋である。私は信頼を単勝で表した。




