ニジイロ(3)
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一昨年。そして昨年。
中山は栗毛の魔王に暴威に染まった。
時代はこの馬を中心に回るのだろう。誰もがそう思った。
しかし。
《サタンマルッコ、キャリオンナイト、サタンマルッコ、キャリオンナイト、
日本馬二頭の叩き合いだ、サタンマルッコかキャライオンナイトか、
キャリオンナイトだ、キャリオンナイトだ! キャリオンナイトが突き出てゴールイン! キャリオンナイト悲願のGⅠ、それも国際GⅠを制覇ァー!》
《いやセヴンスターズだ! セヴンスターズ身体半分前ッ!
セヴンスターズ体勢有利! セヴ……あ、外の方、馬場の外側凄い脚ッ!
⑩番のラストラプソディーだッ!
届くのか!
届いた! 交わした! ラストラプソディー先頭ッ!
もう一頭! パカパカモフモフだッ!
なんとビックリ! パカパカモフモフ撫で切ったゴールインッ!》
雪辱を誓った秋の大舞台。
《秋の府中の直線! サタンマルッコはどうした! サタンマルッコは馬群の遥か後方!》
サタンマルッコ、まさかの惨敗。そしてここまで年内未勝利。
陰りを見せた魔王の暴威。
飛越する同世代のライバル達。
《やはり前二頭はモノが違った! 完全にマッチレースになった!
スティールソードかセヴンスターズか、スティールソードが抑えきったかァ!》
《もう一度スティールソードが差し返す! 内外4頭並んでゴールインッ!
スティールソード体勢有利か! 剣が揃えた春秋天皇盾ッ!》
《二度は負けられないスティールソード! 応戦パカパカモフモフ!
内ラチ沿いビッシリ身体を併せて壮絶な叩き合い!》
『えぇ。そりゃ勝ちますよ。ここ勝てば秋古馬三冠。意識はしてますね。それにやっぱ、中山でサタンに勝ってこそでしょう。うちの<テツゾー>が一番強い。それを証明します』
"最強の証明"
スティールソード
栄光は約束されていたかに思えた。
《強い強い、これは強い、三冠見えたかストームライダーまず一冠!》
《しかしこれは、ストームライダー伸びが苦しい! サタンマルッコだ、サタンマルッコ――》
《ダイランドウ押さえ込んだ、逃げ切る、逃げ切ったダイランドウ一着!》
屈したのは弱さでなく強さ。
挑むのは弱者でなく強者。
蹂躙など不要。身体は強敵を求める。
《ストームライダー悲願の天皇盾ーッ! 竹田が吼えたァー!》
《セヴンスターズ、ストームライダー、最後は首の上げ下げか、ストームライダー、ストームライダァー! 春秋2000m制覇ァー!》
『強い相手に強い競馬で勝ってこそだと思うのでね。ベストな距離でないのは分かりきったことです。だからこそ、この舞台で見せたいですね』
"才能の証明"
ストームライダー
逆転を狙う同期。
《ラストラプソディー、風のように、あまりにも鮮やかな後方一気の末脚ィ!》
"成るか戴冠"
ラストラプソディー
幾戦敗れても不屈。
《一着はスティールソード、二着はまたしてもセヴンスターズー!》
"世界制覇"
セヴンスターズ
史上初3歳牝馬春秋グランプリ制覇へ。
《パカパカモフモフ三冠達成ィー!》
"男子制圧"
パカパカモフモフ
――…………
▲▲▲
「ふんっ、勝つのはうちのマルッコだってーの」
町中が競馬一色の中山、モニターというモニターはまるで世界にそれしか娯楽がないかのように、間もなく始まる有馬記念の特集番組を放送していた。
局はの違いはあれど、言っている内容は大同小異。サタンマルッコ負けそう、他の馬勝ちそう、だ。
中川のつまらなそうな呟きを妻ケイコはニコニコと聞いていた。そんな妻の様子に中川は若干ばつが悪くなる。
「なんだよ、ニヤニヤしてよ」
「いえね、結婚する前の事を思い出していたのよ」
「あぁー? 結婚って……あのハーツの時か?」
「ええそうね。1着から5着まで、全部当てたら結婚前提に付き合ってくれだなんて、今考えても中々ありえない提案よね」
「う、うるせえやい」
「ま、面白そうだったし今も面白いからいいのですけどね。ただ思い出しただけですよ」
そう言ってケイコは、やはりニコニコと笑みを浮かべて中川の腕に自らの腕を絡ませた。
「随分浮かれてるじゃねえか」
「そりゃそうよ。マルちゃんの晴れ舞台ですもの」
「まぁ、そういう言い方も出来なくもないが……」
「なぁに? マルちゃんが無様な負け方するんじゃないかと思っているの?」
「そうは言わねぇけどよ。なんというか、不安はあるな」
中川は枠順抽選会の後、マルッコに会いに行ったときの事を思い返した。
いつも通りといえばいつも通りの態度だった。
よぉおっちゃん。何しにきたんだ? リンゴ持ってるか? 持ってないのか。じゃあな。
そんな言葉が聞こえてきそうな、気安く、生意気な仕草。それでも馬産に従事していれば分かる事はある。
「目一杯<メイチ>の仕上げってのは、ああいうのの事を言うんだろうな」
中川が見てきた中で最も仕上がっていたのは凱旋門賞の時。今回はその時と比べてさえ比較にならない程。
「小箕灘先生は良い仕事をしてくれましたね」
「ああ。多分二度と無いだろうな。というより、二度と無いからなんだろうな」
牧場に居たときですら訳のわからない馬だった。いや、あれは果たして馬だったのだろうか。妙に賢く、プライドが高く、生意気で、我侭で、人間臭くて。
まるで人間の子供を育てているような感覚だった。そうだとも、マルッコは我が子なのだ。
「もう十分夢は見させてもらった。無事に帰ってきてくれればそれでいい。俺はそれでいいよ」
「そうですか?」
「ああそうだとも」
一朝一夕で造られる身体じゃなかった。負けてから、勝つと決めてからの一月半。ひたすら磨き上げ続けていなければ届かない姿。
賢い仔だった。やりたくないことは絶対にやらない馬だった。ならきっと、あの姿は望んでなった結果なのだろう。
よぉマルッコ。お前、ずいぶん燃えてるじゃねぇの。
"競馬なんて"って風だったお前が随分な変わり様だな。
夢はもう十分に見させてもらった。今度はお前を見せてくれ。
見ているぞ。俺はずっと、見ているぞ。
危うさを感じる。しかし中川は我が仔の行く末を見守る心積もりだった。
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《今年もまた、こうして有馬記念の本馬場を迎えることが出来ました。
事ここに至り、この晴れ舞台に上がる優駿達の名を知らぬはずはないでしょう。
世代の頂点に立った馬がいます。
並み居る男馬を蹴散らした女傑が居ます。
冴えない評価を覆した馬が居ます。
2500mを走る姿を、誰もが想像し得なかった馬が居ます。
かつて世界の頂点だった馬も、そして世界の頂点に立った馬もいます。
しかし今一度。
今一度。栄えあるこの舞台で戦う優駿達をご紹介させていただきます。
実況は私、河本でお送りいたします。
さあ、誘導場に続き先頭1番のゼッケンがゆったりと現れました。
超満員のお客さんが詰め掛けている中山競馬場のスタンドを前にしても泰然とした様子。
海を挟んで二度もミラクルを起こした馬の度量か。
最低人気で米ダービー馬。
来日しては絶対王者に土を付けた。
今度はどうだ女神が微笑む最内枠、
1枠1番
グラッチェシモン ハッシュ=オラート!
拍手と歓声に迎えられ漆黒の馬体が姿を現しました。
ルドルフの呪いを打ち破り、凄まじいパフォーマンスでGⅠ8勝目を飾った短距離絶対王者。
スプリントは制した。マイルも制した。次に目指すは国の頂。
荒れる益荒男、乱れる花弁は蘭か藤か。
最多勝利は8つの花びら、大輪の花を咲かせたその男
1枠2番
ダイランドウ 国分寺 恭介!
近年「あっ」と驚かされる展開も多く見られました。
恐らくこの馬ほど多くを驚かせた存在は他にないでしょう。
3歳が、牝馬が、オークス馬が! 同年のグランプリを制しました。
3つのティアラは永遠の輝き。
府中で見せた男勝りなその豪脚。
名前はソフティ、走りはソリッド!
2枠3番
パカパカモフモフ レール=クラートン!
決して平坦な道ではありませんでした。
どこに行っても立ち塞がるライバルの壁。
吹き飛ばしたのは信頼の手綱。
ドバイに吹いた一陣の風。
一夜の夢、否、確かにある。
駆け抜けるは今ぞ。風の名は
2枠4番
ラストラプソディー 川澄 翼!
風が呼ぶ、君が呼ぶ、誰が呼んだか嵐の馬。
一族が繋いだ執念の血脈。
不本意な結果に終わった春の陣、
薫風転じて嵐となるか
説明不要の実力馬。竹一族が生んだ嵐の傑物
3枠5番
ストームライダー 竹田 豊!
光輝く金色の馬体がターフに姿を見せました。
お客さんも待っていたかのようにスタンド全体が一層沸き立ちます。
有馬と言えばこの馬をおいて他にありません。
国内王者を倒した3歳。
世界の頂を征し、国内と旧世界王者を迎え撃った4歳。
引退を惜しむ声もあります。しかしこれがラストラン。
父も背負ったゼッケン番号。栗毛の魔王はここにあり
3枠6番
サタンマルッコ 横田 友則!
大樹に年輪あるように、時の流れがその身を白に染める。
世界を制したドバイの至宝に、この国の競馬はどう映る。
世界が誇る白銀の頂、七星輝くドバイの宝
4枠7番
セヴンスターズ L・フランコフ!
思い返せばいつもどこかで伸るか反るか。
今年は違うと思わせた、ドバイで見せた大一番。
一年終わって見ればいつもの位置。
今日はやる日かやらない日か。
夜明けは今ぞ
4枠8番
キャリオンナイト 八 源太!
栄冠頂く3歳の春。
壁に苦しむ4歳の冬。
世代の頂点は掴み取った。残すは越えるべき壁のみ。
越えていこうよ行けば分かるさ
5枠9番
ウーサワイアー J・デリトリ!
飛越の年と言って良いでしょう。
距離展開問わずのオールマイティ。
春秋天皇盾、2年連続JC勝利、秋古馬3冠のかかったこの一戦。
これだけの勝鞍を持つ馬が何故世代の頂点と呼ばれないのか、
呼ばせてくれないのか。
条件戦以来因縁深いサタンマルッコとも今日で決着。
新馬戦からの信頼の絆、若武者細原文昭をその背に乗せ、決戦の日に挑みます。
得物はただ鋭く
5枠10番
スティールソード 細原 文昭!
世代は獲った、次は時代だと言われて早一年。
望んだ結果は得られずとも、未だ衰えぬ鋭い眼光。
そんなしがらみ我知らず、行くは時代の最前線
6枠11番
トキノシガラミ 東原 幸樹!
彼もまたサタンマルッコ世代と呼んでいいでしょう。
一度は日本を離れました。
蛹が孵って蝶になる。至った誉れはGⅠ2勝。
ヒーイズバック。ルーデスさん家の一番馬
6枠12番
ヤッティヤルーデス H・オードリー!
五月雨過ぎて満ちる月、
緑の芝生に昇る満月
7枠13番
サミダレミヅキ 福岡 祐一!
中庸を冠し実を制す。
歴史を歩んだこの四肢で、今日もまた歴史を刻む。
歩みは中速、走りは過激
7枠14番
モデラート 遠坂 文雄!
奮わぬ一年は雌伏かそれとも実力か。
菊の舞台で一泡吹かせたその拳。
成るか一発、乾坤一擲
8枠15番
ホクトケンシン 南野 譲治!
さあ拍手と笑いに迎えられ、照れくさそうな人馬一騎。
今年もこの枠この番号。
跨る愛馬も同じ顔。
これもある意味福男。
ピンクの帽子は勇気の印、ラッキーカラーもなんのその、
パーソナルカラーはピンク色
8枠16番
コトブキツカサ 海老名 外志男!!
以上、16頭による本馬場入場でした。
発走まで今しばらくお待ちください》
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遠く、ファンファーレが響く。
横田は股下の背中に力みを感じ、金のたてがみを優しくなでた。
フンッ、と鼻息を吐いて強張りは消える。こいつでもこんな風に入れ込むのか。今更な発見が面白く、横田は口元を緩ませた。
ファンファーレが終わればゲート入りが始まる。後はもう、レースだけだ。
横田に緊張は無い。何故ならば、自分が行うべき行動が明確であるからだ。
何もしない。
より正確に言うならば、走行中騎手として行うべきタスクの殆どを行わない。
スタートの合図も、ペース管理も、進路変更も、勝負どころを伝えるアクションも。
横田友則は競馬という競技のルール上必要だから、今日この日、サタンマルッコの背に跨っているに過ぎない。
何故ならば余計だからだ。
スタートのタイミングも、走るペースも、走る進路も、勝負どころも、全部馬が知っている。サタンマルッコが知っている。
理解しているモノを、人が導いてやる必要はない。それはただの妨害、邪魔でしかないのだから。
故に何もしない。
横田は誰よりも理解していた。今日、横田友則に求められることは、馬上にあって消えることだと。
ゲート入りが始まる。奇数番号の馬が入り、偶数番号。6番は比較的早くにゲートに収まる。
ゲートは金属製の隙間だらけの機材だ。そのはずなのに、中に入ると不思議な隔絶感がある。
栗毛の魔王はいつ変わるとも知れないスタートランプを見つめていた。
重心の偏り。発走体勢を整えている。
いつも通りだ。横田の知る、いつものサタンマルッコだった。
(マルッコ。俺は今日、お前の背中に跨って、手綱に掴まって、一番近くからお前を見守る。それだけをするつもりだった…………だけど気が変わった)
ゲートが開く。
横目にすら他馬が視界に入らない、騎手が夢見る絶好のスタート。
開始1Fのタイムでサタンマルッコに敵う馬はこの世に存在しない。それは横田が抱く確信である。
では2Fなら?
破りうる馬は居る。それも今日、ここに。
内ラチ沿いに寄せた左手後方、漆黒の馬体がちらりと映った。
ダイランドウ。稀代の短距離馬であるこの馬ならば、開始400m地点までにサタンマルッコを交わし得る。
つまりここが勝負どころ。
(応援くらいさせろよ!)
鞭を抜く。
「いったれオラァッ!」
「!!!!!!」
おうよ!
叩きつけた左鞭に相棒が強く応えた。横田にはそう思えた。
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《有馬記念、今…………
スタートしましたッ!
スタート絶好サタンマルッコ、スティールソード、
そして馬なりでダイランドウがグイグイ前に上がっていく!
しかしサタンマルッコ譲らず鞭が入って一発、
最初のコーナーどうやら先手を取りきったのはサタンマルッコ!
グングン加速して後続を、いやこれは凄い勢いだ、まるで最終コーナーのような迫力でサタンマルッコが後続を振り切りにかかります!
二番手落ち着いたのはダイランドウ、離れて3馬身スティールソード、
⑯のサミダレミヅキが今日は先行策。
内にストームライダーセヴンスターズ、パカパカモフモフ今日は先頭から7、8番手の位置から競馬をしています。宝塚でみせた豪脚を見せられるかどうか、
連なるようにグラッチェシモンとキャリオンナイト、その後トキノシガラミ、モデラートがいて、後方コトブキツカサ、ウーサワイアーホクトケンシン。
最後方内に川澄翼ラストラプソディーこのあたりは指定席か、外ヤッティヤルーデスが並んで進む、こういった大勢で全馬直線を向きました。
どおっと地鳴りのような大歓声を受けながら優駿16頭が一週目のホームストレッチを進みます。
坂を上りまして先頭から殿まで既に、24,5馬身ほどでしょうか、正確に測れないくらい、かなり縦長な展開になっています。
さあいつものようにペースが速いサタンマルッコ。
このままサタンマルッコお得意の展開となるのか、各騎手はどのような画を思い描くのか、大歓声が送られる第NN回有馬記念、最高の16頭が第1コーナーを回り向こう流しへ駆け抜けてゆきます。
注目の1000m通過は…………っ!
57.1秒! 57.1! これは早い!
さらに後続を引き離していくっ!
どうっとどよめく場内の声がお耳に届きますでしょうか!
サタンマルッコ行く! まだ行く! 2コーナーを回って後続との差は15馬身以上、これが見る間に離れて行きます!
さあ難しい展開になってきました!
大逃げ、引退の花道は自分で飾るとでも言わんばかりのサタンマルッコの大逃げであります!
後続2番手ダイランドウまで更に差が開きまして17,8馬身ほど、そこから3馬身間が空いてスティールソード。さらに4馬身程離れてここにようやくストームライダーとセヴンスターズ。
先頭から殿のラストラプソディーまでは30馬身以上は差が開いているように思われます!
さあしかし流石にペースが速い。これはちょっとどうなんでしょう、前を行くサタンマルッコはこれで持つのか、後ろの馬はいつ仕掛けるのか!
場内のざわざわとしたどよめきが見守るお客さんの心情を表しているかのようであります。思惑蠢く向こう正面、各騎手は何を想うのか――……》
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竹田豊は考える。
結論は1600mまでに出さなくてはならない。
即ち、行くか否か。
少し離れた前にスティールソード、横にはセヴンスターズ。
後続は隊列を率いるような格好で後ろに並んでいる。
位置はいい。包まれる心配も無くコースも選べる。問題はペース。
先頭までは約20馬身。己の1000m通過が59秒5。これも早いがこの程度をこなせなければこの世代で戦うことなど出来はしない。
そこから考えて先頭のサタンの1000m通過が57秒前後。
横田さんは天皇賞のように御せていないのか? それともやらせているのか?
どちらにせよ今も差は詰まっていないどころか開いている。つまりそれはペースを維持しているか、より上げているという証左。
1000mの通過が57秒、そこからペースを落とさないとなれば1200mで68~9秒という事になる。スプリントレースの決着タイムとそん色ない。
そんなペースでどうして2500m持つと思える?
またラップを刻んだ。1400mで80秒強。
無理だ。
1000mを57秒。枚挙に暇が無いだろう。
1200mを69秒。速いがそれで逃げ切る事例が無いでもない。
1400mを80秒。これは無理だ。絶無。
2500mを走ろうという馬が出す速度ではない。
最高速度は100m。有効な追い脚ならば400m。連続したペースアップは1000m。これが限界。サラブレッドという生き物の上限。競走馬ならば絶対に越える事の出来ない壁。
サタンマルッコは3コーナー途中で失速する。
レースを降りたのと同じだ。サタンマルッコは意識から外し、実質先頭はダイランドウと捉えてレースを進める。それが正しい。
本当にそうか?
ダービーが過ぎる。有馬が過ぎる。モニター越しで見た凱旋門が過ぎる。
あの栗毛の怪馬なら、逃げ切る可能性があるのではないか?
(……――いや、ないッ!)
手綱は緩めない。行かない。このままだ。
サタンのペースはまだ落ちない。
故に必ず失速する。
馬は、そういう風に出来ていない。
他ならぬアラシがそうだったのだ。
それが、馬だから。
出来たらそれは、馬ではない。
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(は、はええ……!)
速い。猛烈に速い。最早スプリント戦のような展開でレースが進む様に、文昭は内心の動揺を抑えられずにいた。
まずもって2馬身前にいるダイランドウですら超ハイペース。これで2500m戦を走りきるつもりでいるのが正気を疑う。
そこからさらに10馬身以上差をつけているサタンは普通だったら余地無く暴走といっていいだろう。
(でもサタンだ。サタンマルッコだ。サタンは必ず残す心算だ)
確信がある。やりきる算段があってのペース配分なのだ。
しかし疑念もある。オーバーペースで逃げるつもりではあったかもしれないが、実はかかってるんじゃないか、と。
(これは……どうなんだ。道中の不要なハイペースってことは考えられないか?
いくらなんでも速過ぎる。このまま行ってもつ訳がない。
と、なれば、最後に沈むことはなくともどこかで緩む。仮にサタンが捨て身の逃げを打つとして、ベストな位置取りはダイランドウの3馬身前の"はずだ")
漆黒の馬体の3馬身前に像を結ぶ。
(信じるぞ、信じるからな横田さん。これでオーバーペースでした、4コーナーで失速ですだったらひどいぞ)
翻って己はどうだ。
確かに速い。速いがそれがどうしたというものだ。速いペースのレースなんてものはこれまで散々やってきた。他ならぬ先頭を行く馬のために。
道中の1秒差が末脚に影響しないタフネスと、どのような展開のレースにも己が持つリソースを調整して使い切る自在性、それこそがスティールソードの持ち味だ。
激流の如きこのレースも制して見せよう。
アイツ相手に有馬で勝って、それで初めて完全勝利だ。
文昭は自分が結んだサタンマルッコの幻影を睨みつける。
"これ"を差して俺達は勝つ。
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やってやるぜと語る熱い背中の上、横田友則は絶望に苛まれていた。
溶けて行く。蓄えてきた物全てが。
そしてそれに対して何もしてやれない。
分かっていた事だった。
だが、それがこんなにも苦しいことだと想像できていなかった。
前肢が大きく動く。
前肢の動作に連動した肺が膨らみ酸素を取り込む。
取り込んだ酸素を強靭な心臓が血液に乗せ、もっと寄越せと喚きたてる全身の細胞に送り届ける。
酸素を貰った細胞は痛みを無視して脳の指令に従い蠢動する。
そしてまた脚が動く。身体が動く。肺が動く。心臓が動く。
無限の螺旋をその身に宿した生命、サラブレッド。
ただそれは、エネルギーの消費という対価を経て成されるものだ。
この数ヶ月、お前が蓄えたエネルギー、言い換えれば生命力が、瞬く間に解けている。
馬だけでは決して管理できない栄養バランス。歩数まで計算に入れた運動量。
その全てのメニューをお前は理解し、飲み込んだ。
お前が望んだ肉体に、小箕灘さんが答えたんだ。
だがマルッコ。
これは生命を消費する営みなんだ。
そんなことお前は百も承知だろう。俺だって頭じゃ分かっていた。
だけど、跨っているだけの俺ですら、こんなにも苦しい。
わかるんだ。
2コーナーを越え向こう正面。
お前の身体はどんどん萎んでいく。
過負荷に耐えかねた肺胞が限界を迎え出血を始めているんだ。
酸素の供給が減り、細胞が次々に活動を縮小していく。
肉体は足りない何かを補うため、命に手を伸ばす。
生命活動に必要なエネルギーを、蓄えていた以上に搾り出すんだ。
お前を助けるために俺がしてやれる最適な行動は、今すぐ背中から飛び降りることだ。だけど、それはお前が求める勝利ではない。
せめて負担にならないよう、お前が重量以上の物を感じないように。
腰を低く下げ、足をたたんで背を丸める。
首の背に身体が隠れるのが理想。横には膨れず、縦にも出ず。
そうすれば空気の抵抗は馬の身体だけになる。
お前の重心なんて眼を瞑っていたって分かる。
身体の重心を捉えて離さないようにすれば、荷物とのズレは消える。
何も出来ない俺は"それ"だけに集中していればいい。
正直この歳で2500m追い通す体勢なんてきつい。
でもお前はもっと苦しいんだ。
……そうだ。苦しいに決まっている。
どうしてお前は続けるんだ、こんな意味の無いことを。
どうしてお前は走るんだ?
俺には全くわからないよ。
……だから。
だから、だから頑張れ。
誰もがこんなペースで走りきることは不可能だと考える。
がんばれ。
サタンマルッコは天皇賞で終わった馬だと決め付けている。
最期の暴走。話題作りの思い出作り。
負けるな。
誰かが決めた限界なんかにお前を定義させるな。
がんばれマルッコ。
お前が考えお前が定めた、お前の流儀に負けてやるな。
がんばれマルッコ。
がんばれ、
がんばれ!
がんばれぇ……ッ!
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《向こう正面中間、場内のざわめきが大きくなってまいりました!
間はもう、150メートルは離れているでしょうか!
本当か! 本当なのか! 信じて良いのか!
サタンマルッコは垂れるのか!
前を行く三頭は総崩れなのか!
逃げているのはダービー馬、
逃げているのはダービー馬サタンマルッコ!
各々方油断召されるなこの馬の逃げを軽んじてはいけない!
ペースは速かったでしょう、しかし実況席からはもう追わなければいけないように思える!
大丈夫なのか竹田豊!
大丈夫なのか八! フランコフ! 後ろの馬は届くのか!?
もうサタンマルッコは3コーナーに差し掛かっている!
後ろの馬はまだ来ない!
来ない、来ない、
ようやくダイランドウが3コーナーに差し掛かる!
さすがに少し差が詰まっているように見えますが、未だとんでもないリードを保っています!
スタンドは騒然、はやくも悲鳴のような歓声が上がり始めております!
見たこともない巨大なリードがスタンドを焦がしているようです!
鞍上横田の心情は如何に!
この馬はそれでいいのか、それでいいのか横田友則!
さあ先頭サタンマルッコから二番手ダイランドウまで20、2、3馬身はあろうかというところ、ダイランドウ、スティールソードと後続の差が詰まってきた!
後続各馬手が動いている、3コーナー入り口からスパートに入っていく、もう鞭が入ってラストラプソディーが外からスルスルと上がっていき、位置取りがめまぐるしく変わって内ではストームライダーとセヴンスターズが並びかけ、キャリオンナイトはその後ろ、後方各馬は一塊となって位置を上げていく……!
しかし、
しかし、しかしこれは……!》
みているか。
みているか!
《先頭は、
先頭のサタンマルッコが、
先頭のサタンマルッコだけが!
4コーナーを曲がり直線に入った!
サタンマルッコのペースはまだ落ちない!
止まらない!
これはとんでもない事になった!
怒号が飛び交う中山競馬場!
今、ダイランドウと並んでスティールソードが直線に!
遅れて後方集団もようやく直線へ入る!
しかしサタンマルッコまではまだかなり距離がある!
実況からはとても、とても、あっ、
サタンマルッコが坂に差し掛かる!
流石に脚色は鈍ったか!
しかし後方との差が詰まっていない!
どうなっているのか!
後ろの馬はどうなんだ!
追ってこない!
伸びがない!
これは……
これは逃げ切る!
逃げ切るサタンマルッコ!
坂を上る!
他の馬はまだ坂の下!
坂を上りきった!
直線は残り100m!
逃げ切る逃げ切るこれは逃げ切る!
100メートルの晴れ舞台!
誰もいない!
坂の上には他に何者も存在しない!
中山の直線はサタンマルッコのためにあったのか!
栗毛の馬体に白い丸
ゼッケン番号6番は父と同じ赤い帽子!
これはどうやら間違いない!
これは、どこからどうみても!
サタンマルッコッ!!!!!!
一着でゴールインッ!!!!!!
凄まじい競馬をやってのけましたサタンマルッコ!
スタート直後から抜け出し、以降は影すら踏ませず一人旅!
全ての馬を坂の下に見下ろしての圧勝!
魔王の名に恥じぬ圧倒的着差で引退を飾りました!
こんなことがあるのでしょうか。
2着スティールソードとの着差を表す表示には大の文字。
実況席からはゴールの瞬間50メートル以上は離れているように見えました。
GⅠの舞台で、有馬記念で、こんなことが起こりえるのでしょうか。
一体サタンマルッコは……あ。ああっ!
信じられません!
場内のお客さんも電光掲示板を指差して声を上げています。
2:25.2はレコードの赤い文字!
2400mではありません。表示タイムは2500mで2:25.2!
目を疑う表示タイム、信じられません、競馬はそんなことが起こるのでしょうか。
これまでのレコードタイムはゼンノロブロイの2:29.5。
そこから約4秒の更新となります。
サラブレッドという生き物は人を背に乗せ、カーブや坂もある2500mの距離を2分と25秒強で走り抜ける事が出来るのでしょうか。
史上最速の12.5ハロンであることは間違いありません。
そして……そして、この記録は二度と破られることはないのでしょう。
サタンマルッコは……
サタンマルッコは1コーナーの奥、横田ジョッキーは下馬しています。
他の馬は既にターフを出ましたが……まだ動けないようです。
かなり苦しそうに見えます。心配です……大丈夫でしょうか。
やはりあれだけの激走。
反動も大きなものであったのでしょう。
レース前には光り輝いて見えた黄金の馬体が見る影もありません。
やつれ、萎んでしまっています。
たった一度の競走でサラブレッドはここまで消耗するのでしょうか》
『サ・タ・ン』
《お客さんもざわざわと、興奮と困惑を綯交ぜにした、落ち着かないざわめきの中にあります》
『サ・タ・ン!』
《……あっ》
『サ・タ・ン!』
『サ・タ・ン!』
『サ・タ・ン!』
『サ・タ・ン!』
《テレビの前の皆さん。
聞こえますでしょうか。
去年も、一昨年も、場所は違えど私は彼の名を呼ぶ声を聞きました。
私事ではありますが、サタンマルッコの中央デビュー戦、
その日も私は実況席からサタンマルッコを見ていました。
あまりに痛快な逃走劇に実況席から声を荒げたこともありました。
今年で最後となるでしょう。
陣営は有馬記念を最後に引退を表明しています。
圧倒的なパフォーマンスでした。
しかし、それは刹那的で、後に続く何かを残す走りでは無かったのかもしれません。
まるで馬が望んでそうしたとしか思えない、そんな走り。
サタンマルッコ。不思議な馬です。
あなたはターフを去るでしょう。
そして私達は、いつか現れる、あなたによく似た栗毛のサラブレッドを探すのです。
そのサラブレッドが先頭を駆ける時は、今日のことを思い出すでしょう。
サタンマルッコという馬がいたことを、私達は決して忘れられないのですから》
『サ・タ・ン!』
『サ・タ・ウウウウゥゥゥゥゥオォォイッ!』
『オオオォォイッ! タ・ン!」
『オオォイッ!』
『オォイッ!』
『オォイッ!』
『オオォォイッ!』
《ははは……去年も一昨年も、最後はこうして呼び合っていました。
お客さんがサタンマルッコとの別れを惜しんでいます。
今、馬運車が到着しました。
横田ジョッキーが手綱を厩舎の方に……………………あっ!》
『ワアアアァァァァァッ!!!!!!』
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馬が。サラブレッドが。いや、生き物は。
たかだか2500mを走っただけでこれほどまでに衰弱するのだろうか。
あれだけ艶やかであった金の毛皮は油分の抜けた粘土のように干からびて。
浮いた肋骨は不吉さを湛え、血走る眼光は黄泉川のほとりに焦点が合わされているのではないか。
それでも。
首を丸め地を向き満身創痍ながらも。
それでもサタンマルッコは立っていた。
横田は相棒の首をそっと抱えた。ずしりと重たくのしかかるそれを水平に持ち上げ、気道を正す。効果があるか分かりはしない。ただ下を向くよりは楽になるだろうと考えての行動だった。
(鼻血は……よし、出ていない)
横田は心底安堵した。これで今すぐ命の危険はないはずだと。
サラブレッドの鼻血は非常に危険な兆候だ。外傷による出血ですら鼻でしか呼吸出来ないサラブレッドは窒息の危険を伴う。最も恐るべきは粘膜や肺など、身体の内側から出血している場合だ。乗り潰された馬というのは、過負荷に耐えかね肢を折るか、激しい動悸に耐えかね心臓が麻痺する心房細動を起こすかだ。
しかし稀にいる。
肢が強く、心臓が強いが故に、脆い他の部分から壊れる馬が。
オーバーワークで肺炎を起こし肺から血を流しても、馬は死ぬのだ。
マルッコが肺に問題を起こしているのは乗っていてすぐに分かった。1600m以降乱れていく呼吸音に混ざる水気を感じれば明白であった。
そして肺出血は癖になる。
一度破れた細胞は二度と元の形には戻らない。
重度の発症は、即ち競走能力の喪失を意味する。競走馬にとって屈腱炎と並ぶ不治の病。
「ぶふぉー…………ぶふぉー…………」
当たり前だ。
一体どんな馬ならばスプリント戦のようなスタートで飛び出し、マイルGⅠの勝ちタイムで1600mを通過して、その後も世界を縮めるかのようなペースで走り続けられるのだ。
2分25秒2。
2400mがではない。2500mが、である。
考えられない。
従来のレコード2:29.5ですら二度と破られないレベルの高速決着。
そこから4秒強。25馬身以上速く駆け抜けた。
無事でいられる筈がない。それがサラブレッドであるのだから。
馬は普通、ここまで走らない。
苦しいから、痛いから、怖いから、嫌だから、走るのをやめる。
ここまで衰弱するほど走らない。
だけどお前は……
(勝ちたかったんだよな。圧倒的に、完全に。誰がどう見ても自分が一番だっていう勝ち方をしたかった、そうなんだろう)
胸に抱えた頭をかき抱く。ほんの少しだけ首を傾けて、スタンドに顔を見せてやる。
見てくれこの誇らしげな白い丸を。
これが俺の相棒だ。
お前はもう走れはしないだろう。
そりゃ走るよ、馬だから。でもレースは無理だ。
一分一秒を、コンマ数秒を争う時、お前が患った肺の傷が邪魔をする。一番酸素が欲しい時、胸の内側が血で溢れ、息が吸えなくなるんだ。そんな身体じゃもう戦えない。
でもいいんだ。
もうお前は、お前が望んだとおりにやり遂げた。
「見てみろマルッコ。皆がお前を称えてる」
『サ・タ・ン!』
『サ・タ・ン!』
『サ・タ・ン!』
『サ・タ・ン!』
「よくやったな。頑張ったな。これからは毎日楽しく過ごせるぞ」
お前は勝ち抜いたんだ。競走馬の過酷な選別競走を。
これほどまでの犠牲を払って、これほどまでの執念で。
だから報われるべきだ。
ゆっくり、好きなように、楽しく、毎日を過ごしてくれ。
内馬場を馬運車が走ってきた。迎えがきたようだ。
「まずは身体を治そうな。薬とか注射とか、まぁ、お前の事だから必要ならこなすだろ、マルッコ? 頑張って治そうな」
マルッコは頭がいい。必要だと分かれば普通の馬が暴れるような施術も大人しく受けるだろう。その性質はきっと、身体の治療に大きくプラスに働くはずだ。
「フゴー……フゴー……」
もう息が整い始めている。これなら考えていたよりも軽症かもしれない。
「横田さんッ!」
馬運車が目の前に止まる。中から血相を変えたクニオがいの一番に飛び出してきた。
「大丈夫なんですか、マルッコは!?」
「鼻血は出ていないです。肢も見た感じでは、大丈夫そうです。なんというか、苦しそうではあるけど痛そうではないです」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないですよ! こんなにやつれて……頑張ったなぁ、マルッコ。さぁ、羽賀に帰ろうな」
『サ・タ・ン!』
『サ・タ・ン!』
『サ・タ・ン!』
『サ・タ・ウウウウゥゥゥゥゥオォォイッ!』
『オオオォォイッ! タ・ン!」
耳に届く不揃いな大歓声に、クニオはスタンドへ少し申し訳なさそうな顔を向けた。スタンドからは数百メートル離れているが、身体の芯に響くような大音量だ。
それだけに無碍にすると心が痛んだ。
「お客さんには悪いけど、今日はこのまま帰らせてもらいましょう」
「それがいい。今日は帰りましょう。帰ればまた来れます」
横田にも否はなかった。思っていたより余裕を見せているが、この馬のことである。変に強がっているだけの可能性を捨て切れなかった。
左頬にペシペシと薄い何かが当たる。ちょうど顔の横にあった耳がピクピクと起き上がっていた。頭の後ろから視線の先を追えば、先ほど見せてやったスタンドを見つめているようだった。大歓声に何か思うところでもあるのだろうと横田はさして気にせず声をかけた。
「マルッコ、手を離すぞ?」
「ぶひっ」
「なんだよその返事は。まあよかった、元気出てきたみたいで」
支えていた腕を離し、引き綱をクニオに手渡そうとした。
正直なところ、横田は油断していた。
己としても、相棒としても、最大の勝負を成し遂げた後だ。
肩の荷が下りた気分。身体は疲労で鈍重、実の所膝が笑って立っているのもやっとの状態。同時に、胸がすっとすくような背中に羽が生えたような心地よさも感じていた。
だから、自分の相棒がこういう時どんなことをするか。
そういう想像と備えを怠ってしまったのだ。
「あっ」
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《ほ、放馬ぁーッ!
サタンマルッコが、放馬しましたッ!
横田騎手から厩務員さんへ引き綱を渡そうとした瞬間、棹立ちになって振り払いました!
サタンマルッコは、走っています!
どうやら平気なようです。
いや、平気じゃありません。早く捕まえなくてはならない!
見た目は平気でも案外、というのは人もサラブレッドも変わりありません。
今、振り切られた横田騎手と厩務員さん、それからターフの脇から慌てて職員が飛び出していきます。
しかし流石に馬の方が速い! 横田騎手が転ぶ! 巻き込まれて何人か倒れた!
『ワアアァァァァァ!』
お客さんはこの珍事を喜んでいますが、レース後であることを考えれば一刻も早く捕まることを祈るばかりです!
それにしてもサタンマルッコは、どこへ……
駈足から……あ、しかし速歩、スピードを落としてスタンドの前に――……》
『ヒイイブホッ! ブホェッ!』
『…………ヒィ、ヒイイィィン』
『ヒイイイイイィィィン!』
『ヒイイィィィィィィィンッ!』
『……ォオイ』
『ヒイイィィィィィィィンッ!』
『オォイ!』
『ヒイイィィィィィィィンッ!』
『オォイッ!』
『ヒイイィィィィィィィイイイイイィンッ!!!!!!』
『オオオォォイッ!!!!!!』
『ビイィィィィイイイイイィンッ!!!!!!』
『ウオオォォオォイッ!!!!!!』
風が吹く。
涼やかな風が。
あらゆる情念を絡み取り、七色の風が飛んでいく。
あいつの怒り。
己が嘆き。
あの子の喜び。
誰かの興奮。
流れる涙。
彼の静寂。
迫る惜別。
上空高く、蒼穹へ。
飛んで行け、どこまでも。
祝福の鐘が鳴る。
オォイオォイと喧しく
ヒィンヒィンと高らかに。
フォーカスのずれた超満員のスタンドと天高らかに嘶くサラブレッド。
群集を前に勝鬨を上げる、誇らし気なその姿。
『凱旋』と名付けられたその写真は、
サタンマルッコが時代に刻んだ、忘れえぬ、消えない蹄跡となった。
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例えば出来ることが一つしかなくなって、
それ以外の何もかもが不自由だとしたら、あんたどうする?
何かを探してもがくのか、見えてるそれに殉じるのか。
よおあんた。最近熱くなってるかい。
オレはいま、燃えてるぜ
感想欄でマルッコに対して往年の逃げ馬のイメージを重ねている方がたくさんいらっしゃいました。
自分自身も当初から色々な馬に重ねて書いていた訳ですが、最終的には超強いツインターボになりました。
感想に返事をしているときに浮かんだ言葉が超強いツインターボで、この結末もその時に思いついたものでした。
自分ひとりでこの結末になったのかなぁと思いながら手を止めたり書いたりしていたのですが、いずれにせよ外的な刺激というものは創作に反映されるものなんだなと思いました。
素晴らしい体験をさせていただき、ありがとうございました。
閑話の方は基本思いついたことかくのでいつまでも続きますが、サタンマルッコの戦いはこれにて終了です。閑話で書いた閑話のような続きは本編の方に移動させようかと思ってます。
まあ気まぐれなんでいつやるかはわからんですが、ご報告までに!




