夢見る風(5)
ダノンプレミアムがまけたので投稿です(´・ω・`)
いつにもましてポエミーです
勝つ馬が居れば負ける馬も居る。
そして勝つ数に比べれば圧倒的に勝てない馬の方が多い。何故なら勝者は一頭でそれ以外はどう言い繕った所で敗者なのだから。
そんな競い合いの中勝ち抜いた奇跡の様な競走馬達が集う場所。
それが獲得賞金上限なし(オープン特別)であり、さらにその先に存在する領域こそがグレード・ワン。選ばれし馬の中のさらに選ばれし馬のみに出場を許される戦いの舞台。
彼らはその舞台に立つ、ただそれだけで特別なのだ。
負けなしの彼がいるだろう。
惜敗を繰り返す彼女もいるだろう。
一念発起の老兵もいるだろう。
だから負け続けているラストラプソディーもその舞台にいた。
国際GⅠドバイターフ芝1800m。発走を一時間後に控え、メイダン競馬場ほど近くに停車中の馬運車の中、ラストラプソディーとその主戦騎手川澄はその時に備えていた。
《さあ、間もなくアルクォズスプリント発走の時間が近づいてまいりました。
日本からは近代最強の短距離馬の称号を欲しいままにしているダイランドウ。ダイランドウが出走いたします!
現在日本からのオッズでは勿論の事、現地、他でのオッズにおいても圧倒的一番人気に指示されている当馬。果たして期待に応えることが出来るのでしょうか!
現在スタート前ではゲート入りが始まっておりますが、どうでしょう解説の豊後さん。この辺りダイランドウの気配は――……》
馴染みの厩務員が持ち込んだ携帯端末からは、間もなく始まる直線スプリント戦の模様が映し出されている。馬の中には音や光を出す物を嫌う者もいるが、ラストラプソディーはそれらに該当しない。川澄や厩務員が眺めている不思議な物を、真似するように覗き込んでいる。
「どう思います? 川澄さん」
かかる甘えん坊の鼻息をくすぐったがりながら首筋を撫で、厩務員が訊ねた。
カメラがダイランドウの姿を捉え拡大していく。間を置かず即答した。
「いいですよ。ダイランドウ。抜群に」
負ける姿が考えられない程に、との言葉を川澄は飲み込んだ。戦ってきた相手だ
からこそ分かることもある。
勝つかどうかまでは分からない。何が起こるか分からないのが勝負の常。しかしただ一つ確信できること、それはダイランドウはミスをしないということだった。
川澄はダイランドウと同じレースを走る回数が多い。ラストラプソディーに跨り競い合ったことも多いし、それ以外でも……というより彼の馬が出走するようなレースは殆どGⅠだ。必然リーディング争いをするような成績を誇る川澄にも乗鞍はあり、その時々で姿を意識していたのだ。
(あの馬は競馬場だといつもどこか落ち着きが無い。そわそわとして、不安がっているというかなんというか……なのにゲートを潜ってレースになると途端に意識が前を向く。それが今日はどうだ。花火が上がっても動じず、どころか鼻歌でも歌っていそうだ。身体つきは万全で、気持ちも既に"レースに入ってる"。歳を取って貫禄が出たのか? 益々付け入る隙がなくなった……今年も国内の短距離はこの馬で決まりか?)
二人と一頭が見守る中、画面の中でゲートが開かれた。
《スタートしました! ダイランドウスタート絶好! そのままスーっと抜け出していきます!》
あまりにも。
あまりにも当然のようにダイランドウは抜け出し、先頭に立った。映像を見つめる川澄の拳に力が篭る。
事も無げにスタート直後から差が開くが、これは驚異的な出来事である。
ペース配分を意識する中長距離と異なり、短距離の発走直後はスピードを緩める意味がない。後半での息切れを意識して一息つくとしても折り返しである600m前後が常だ。
超一流所が集まるこのGⅠにおいて、サタンマルッコのような特異なスタートを決め例外を除けば、この差が意味するところはつまり『瞬発力と最高速度の差』である。ゲートからの発走など上手くて当然。立ち上がりも速くて当然。直線であるから遮るものもない。だからこそ如実に示される能力の差。
《今600のハロン棒を通過! 先頭はダイランドウ! その差は5馬身、あるいは6馬身。快調に飛ばしております! このまま逃げ切ることが出来るのでしょうか!》
逃げ切るという言い回しに川澄は違和感を覚えた。
あれは果たして逃げているのだろうか。むしろどこか、ただ無邪気に遊んでいるだけのように見える。
残り400m。いよいよ後続各馬に鞭が入る。
しかし差が縮まらない。
縮まらないまま300、200、100……
《ダイランドウ先頭! ダイランドウ先頭! 鞭も打たずに悠々と!
いや! まだ差が開く! 差が開く! これが日本の大乱童、あまりにも軽々と、今、ドバイを制しましたぁーッ!》
結果は圧勝。スタート直後のスピード差が全てであるようなレースだった。
ドクン。
川澄の心臓が高鳴る。スプリントが終われば次はターフ。自分達の出番だった。
「川澄さん、行きましょう」
はい、と上手く答えられたか、川澄には分からなかった。
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白い何かに包まれていたような気分だった。
パドックを回り馬道を通って馬場に出るまで、川澄は自らの記憶が一切無い事に気付いた。
それが緊張であると自覚し、何を今更と己を叱咤する。やるべきことはやってきた。事前に予想される展開も頭に入れた、スタッフは今日の日のために最善を尽くした、馬は絶好の状態で迎えている。あとはやるだけ。結果の如何などやらない限りは分からないのだ。
「ぶるる……」
股下の相棒の気遣わしげな鼻息に、川澄は「大丈夫だよ」と答え首筋を撫でる。
(大丈夫だ。俺は大丈夫。何を固くなっている俺たちはいつだって挑戦する側だっただろう。場所が違って、走る相手が違うだけ、ただそれだけだ)
本当にそうだろうか。
一つ違いはあった。今日の結果で一頭の馬の今後が決定されてしまうという事。
そんな事はいつだってそうだ。競走馬にとってレースに出走するというのは、岐路に立つのと同じ事なのだ。勝つか負けるか、その後の生活が全て変わる。
当たり前だった。意識もしていた。馬主から大切な子供を預かるのだと。そして理解もしている。その結果が望んだ通りにはならない事も。
この気持ちの正体が何なのか、川澄は分かっていた。
勝たせてやりたい。ラストラプソディーという馬を、勝たせてやりたかった。他ならぬ自分自身の手で。
出走各馬がゲートに収まっていく。ラストラプソディーも後入れで⑥番ゲートに収まる。幸い両隣の馬は暴れる気配もなく落ち着いた様子であった。
ガチャッ
それに気を取られていた。不意を突かれた発走に人馬のバランスが崩れ、一完歩分の出遅れを喫した。
(何をやっているんだ俺は! ラストは……よし、いつも通りだ。すまんラスト、後ろから行く事になった)
予定ではスタートから長い直線を利用して前目に位置し、ドバイや欧州勢特有のスローペースに巻き込まれず、自由な位置取りが可能な外目を取るはずだった。
しかし現実はどうか。ペースメーカーのラビットは悠々と先頭を走り、後半勝負を望むところとした他陣営は作り出されたスローペースに従い団子のような馬群を形成している。ラストラプソディーと川澄はそれら集団に取り残される形で最後方を走っていた。
200m、400mと進むに連れ風防の馬と本命の馬がコーナー侵入に備え内ラチから膨らみ、400mの半ばを過ぎたあたりで集団は完全に落ち着いた。最後方の川澄からは人馬で出来た壁が眼前を塞いでいるようであった。
(どうする、いや、もう外しかない。だが外に出すとしていつだ? ロスを承知で初めから外に出しておくか、道が開けると期待して……そうだ、他の日本勢はどうだ)
仮に連携が取れるような位置――例えば抜け出す際に開く進路を追いかけるといった――にあればまだ希望はある。
見慣れた日本の勝負服を馬群の中に探す。そしてそれらは馬群の前目と中央にあった。事前の騎乗計画ではその位置こそを目指すような場所。同時に最後方の自分とはどうあっても連携が取れない位置でもあった。
で、あるならば己で何とかするしかない。
相棒の様子を伺う。背中から伝わる冷静さ、そして静かな中にも前向きさを感じる高揚。いつものラストラプソディーだ。そうだとも。いつも通りでないのは自分だけだったのだと川澄の胸中に後悔が押し寄せるが視線を切る事で切り替える。
まだいける。
最低でも馬はやる気だ。ならば進路が開かずチャンスすら無いかもしれない内を走るより、ロスを覚悟で外を回るべきだ。
川澄は手綱を外へ向け、馬群を大きく迂回するように進路を取った。
位置を変え先頭までを見通すと、間もなく3コーナーへの侵入口であった。体感するペースは明らかに遅い。ここから加速し最後には鋭い追い脚を持つ馬が勝つような、否、そのためのレース展開だった。
だめだ。
傾く馬群。諦めが影のように川澄の心を差した。
内を走る馬の手応えが尋常ではない。仮に同じだけの脚が使えたとして、大きく膨らんだ自分達では到底届かない。
(……俺はどうしてこの馬に乗っている。
これじゃただの50数キロのリュックサックでしかないじゃないか。
何の役にも立たない。勝とう勝とうと身を硬くするなんて新人みたいな真似をしてどうする。
自分で出来ないならどうしてもっと上手く乗ってくれる奴に譲らなかった。今更馬の将来を憂いてみせるくらいなら、もっと早くに乗り変われば何か違っていたかもしれないだろう。機会はあった。あったはずだ。
どうしてだ?
いつからだ。どうして俺はこの鞍を譲らなかった。
何かあったはずなんだ。いつの間にか常態化したその気持ちのきっかけ、その始まり。
4着に終わった菊花賞?
違う。
ならばダービー?
違う。
じゃあ皐月賞。それか皐月賞のトライアル?
違う。
2歳の世代戦?
違う。
初めて乗った時?
特別な何かを感じなかった。
だから。
そうだ、だから。
新馬戦。
東京競馬場。6枠12番。1400m。
あの日は出遅れた。競馬場の雰囲気にラストが飲まれてしまっていたから。
一頭ぽつんと追走。取り付いた頃にはもう4コーナーで、中団は膨らむほどにごった返していた。
内は空かない。仕方なく外を回した。
ちょうど、今と同じような感じだった。
行けとサインを出したら、思いがけないスピードで駆け出した。軽い足取りのはずなのに、外を回っているはずなのに、膨らんだ馬達をすいすい交わしていった。
でも先頭は10馬身先で。流行の血統の、一番人気の――……)
閃き。気付き。
それは川澄にとって不可思議な体験だった。
目くるめく思考の奔流。寝室で眠りに落ちる前の時間をかけてするような埒のない思考。だというのに、自分達はまだ3コーナーの途中で、レースの最中で。
違うのはその位置取り。
コーナー侵入時には後方3番手程だったはずが、するすると。内の馬との速度差を感じていたにも関わらず中団と呼べるような位置より前につけていた。
時間が切り取られ、ワープしたような感覚だった。
(ラスト……!)
間もなく4コーナー。もう数十秒後には直線へ入るだろう。
隊列の中団、馬群外目を走るラストラプソディーを遮るものはない。しかし川澄は更に手綱を外へ向けた。
意を得たラストラプソディーの身体が外へ向かう。外へ、外へ。
そして彼らの周りには何もいなくなった。
内で混み合いながら叩き合う各馬。先頭集団には日本馬、恐らくサミダレミヅキとゴドルフィンの馬。
それらを外から、大外から一頭ぽつんと内に見ながら、川澄は思い出す。
新馬戦のときのこと。
誰もいない馬場の大外、あまりにも速いが故に感じた強い向かい風の事。
鋭い末脚に夢をみたこと。
どこにでも居る馬が、特別になった瞬間を。
相棒は待っていた。馬上の相棒の合図を待っていた。
川澄はよく知っていた。
そういう馬だ。気が優しくて寂しがり屋。牧場でも競馬場でも、トレセンでも、仲間に置いていかれないよう、いつでも周囲を気にしていた。
(本当は一秒だって速く仲間達の元へ向いたいと思っているはず。なのに、律儀に俺を待ってくれる。置いていかないように。置いていかれないように)
ごちゃごちゃと考えていたのは人間だけだった。
先行とか、逃げとか、ペースとか追い込みとか差しとか。
ラストラプソディーという馬にとって、そんな事はどうでもいい事だったのだ。
彼はいつでもシンプルで、たった一つの想いを胸にターフを駆ける。
前を走っている仲間に追いつく。
追いついた仲間を追い抜くと、仲間が喜んで嬉しい。
だから。そうと願われれば。
残りは350m。先頭までは10馬身以上ある。
だからどうした。何の問題もない。
流れる景色。風が吹く。
あの日あの時あの場所で、人が夢見たあの風が。
人馬は風を切り裂く一陣の風となる。
客観的には爆発的な、と形容すべき末脚。
差を詰めるのに1ハロン。並ぶ瞬間など存在せず、残りの距離で突き放し、ゴール板前では草原を駆ける青い馬の如く。ただ悠々と一つの人馬だけが走り抜けていた。
川澄は叫んだ。
声と共に胸から澱が消えていく。やっと分かった。この馬に必要なもの、この馬の乗り方。勝ち方が。
(見ているか……見ているか、サタンマルッコ。ストームライダー、スティールソード、ダイランドウ……ッ!)
掲示板に刻み込まれる3ハロン30.9の数字。
それは、彼らを負かし続けてきた彼らへの挑戦状だった。
夢の終わり(2)より
689 名無しさん@競馬板 20NN/05/10 ID:xxxxxxxV0
ラストラプソディーがぶちぬくから見とけよ




