野菜の神様
このSSを、誕生日の遥さんに捧ぐ。
夏場の日は長い。もう午後六時になろうとしているが、まだ暗くなる気配はなかった。
それでもお腹の虫は正直で、クウっという可愛い音が隣から聞こえてくる。アルヴィンがそちらに目を向けると、妻であるセシリアが照れ臭そうに微笑んでいた。
「アルヴィン、そろそろ終わりにしましょ」
「ああ……でもこれだけやってから帰るよ。セシリアは先に帰っておいてくれないか?」
「分かったわ。夕食の準備をしておくわね。あんまり遅くならないように、気をつけて」
畑に没頭し過ぎて、暗くなるまで帰らない事もあるアルヴィンだ。
セシリアはほんのちょっぴりだけアルヴィンに釘をさしてから帰って行った。
アルヴィンはセシリアと結婚してから、夏場はトマトとオレンジだけに心血を注いでいる。他の野菜が欲しい時は、作っている人と物々交換したり、金で買ったりするのが常だ。
色んな野菜を作るよりかは集中出来るため、アルヴィンは満足している。町に売りに行くと、アルヴィンのトマトは他より良い値で売れるのが、ちょっと誇らしい。
「ああ、もう帰らないと、セシリアが心配しているかな」
ハッと気付くといつの間にか星々が煌めいていて、アルヴィンはようやく作業を終えた。
自慢の畑に綺麗なトマトがなっていて、ふたつもぎ取る。井戸水で冷やしておいて、明日の朝にでも食べようと、それを持って帰った。
「ただいま、セシリア」
「お帰りなさい、アルヴィン」
家に帰ると、テーブルの上には美味しそうな夕食が乗せられていた。
色とりどりの夏野菜。見ているだけでヨダレが出て来る。
「このキュウリとトウモロコシはユーファさんのところで貰ったの。こっちのオクラと茄子は、ハルカが持って来てくれたのよ」
野菜のスープにサラダ、パン。肉や魚は、町に作物を卸したついでに買って来る事もできるが、この村ではそんなに多く食されない。誰かの誕生日や、ちょっとしたイベントに食べるだけの贅沢食だ。
しかしアルヴィンは、毎日採れたての野菜を食べられる事こそが贅沢だと思っている。
アルヴィンはセシリアの作ってくれた夕食を全て平らげると、食べ過ぎたかなと胃のあたりをさすった。
「ふう、ごちそうさま! すごく美味しかったよ」
「ありがとう。ユーファさんやハルカに会ったら、お礼を言っておいてね」
「うん、分かった」
ユーファミーアはアルヴィンの友人の妹で、ハルカはセシリアの同級生だ。
ハルカは明るくて朗らかで、言葉の端々に人への気遣いが見てとれる、素敵な女性だ。
妻の大事な友人の一人であるハルカに、セシリアの夫として出来る事はやっておきたい。良い夫に見られたいと思ったアルヴィンは、次の日、早速行動に出る。
朝一番で収穫した、トマトの一部をハルカの家に持って行ったのだ。
「お、おはようございます。 あの……南の丘のふもとに住んでいる、アルヴィンです」
コンコンと扉を叩きながら、おずおずと声を掛ける。良い夫に見られるには、もっと堂々としなくてはと思うが、中々思ったように声は出てくれない。
「え? アル……ヴィン? セシリアのところの?」
中から柔らかな声がして、扉が開く。中で子供らがワイワイと騒いでいる声が、外に漏れ出した。
「あ、あの、昨日はトウモロコシをありがとうございました! 美味しかったです!」
顔を出してくれた優しげなハルカにそう告げるも、少し首を捻られてしまう。
「トウモロコシ? 私がセシリアにあげたのは、オクラと茄子だったはずだけど……」
「っあ!」
やってしまった。トウモロコシをくれたのは、友人の妹のユーファミーアの方だった。貰ったものを間違えて美味しかったなどと、失礼極まりない。
せっかくセシリアの夫としての株をあげようとしたのに、これでは大暴落だ。
「えっと……オクラも茄子も、美味しかったです!」
取ってつけたような言葉に、ハルカはクスクスと笑っている。
何をやってるんだ、俺は……
己の情けなさに歯痒い思いをしながらも、手の中のトマトを押しつけるようにハルカに渡した。
「これ、あの、お礼です……良ければ……」
「わあ、アルヴィンのトマト!? 嬉しい! すごく甘くて美味しいんだよねー、ありがとう! どうぞ、中に入ってお茶でも飲んで行って」
「え、でも……」
「夏だから、ちゃんと水分補給しないと。ね!」
いつもなら『結構です』と畑に戻るアルヴィンだが、セシリアの夫となったのだ。自分の行動のせいで、セシリアに悲しい思いはさせたくはない。
「じゃ、じゃあ……失礼します……」
長らくトマトが恋人だったアルヴィンは、他人の家に上がる事自体、ろくになかった。
ノミの心臓ながらもどうにか虚勢を張って歩き、勧められた椅子にゆっくり座る。大きなグラスに冷たい麦茶と、スイカも山盛り切って出してくれた。
「お、おかまいなく……」
「皆も食べるから」
そう言ってハルカはにっこり笑い、彼女の主人と子供を呼び寄せている。子供たちは我先にとスイカを手に取り、大人たちはその後でスイカを口にした。
しゃくり、とスイカが音を立てて口の中に転がり込み、アルヴィンはたまらず「んんー!」と声を上げる。
「どう? 美味しい?」
「この甘みの強さと瑞々しさ……! 一日早くても遅くてもこうはならない、収穫の時期を見極められたスイカ中のスイカ! 空洞もなく見た目にも鮮やか、シャクシャクとしっかりした食感がたまらないっ」
早くも一つを食べ終え、二つ目に手を伸ばす。が、そこでハッと気付いた。人の家で、何をやっているのかと。
「ん? どうぞ?」
不思議そうな顔で、ハルカがアルヴィンに二つ目のスイカを渡してくれる。アルヴィンはどうしようもなく恥ずかしくなって、小さくなりながらも我慢できず、スイカに食らいついた。
「そんなのに褒めてくれたら、作った甲斐があったってものよ。帰りに一つ持って行って、セシリアにも食べさせてあげて」
「え、あの……すみません、お礼に来たのに……」
「気にしないで、私が二人に食べて欲しいだけだから!」
有難くも申し訳ない気分になっていたら、ハルカが「それにね」と言葉を続けた。
「私、アルヴィンにはお世話になった事があるから、そのお礼も兼ねて」
「へ?」
ハルカの言葉に、アルヴィンは首を傾げた。アルヴィンに、お世話をしてあげた記憶など全くない。
彼女はセシリアの同級生だから、二つ年上だ。同じ中学に通った事はあるはずだが、野菜一筋だったアルヴィンにハルカと話をした覚えはなかった。
「覚えてないかな……私が次男を身籠ってた時なんだけどね」
そう言われて、二番目の男の子を見た。見た目が五歳くらいなので、五年くらい前という事だろうか。セシリアに出会う前の話だ。
「私、晩御飯のおかずを取りに、畑に大根を取りに行ったんだけど、長男に『おんぶして』って言われちゃってね」
そこまで言われると、アルヴィンはピンと思い出した。
寒い冬の日、男の子をおんぶしながら両手に大根をひっ掴み、今にも生まれそうなお腹でヒィヒィ言いながら歩いていた女性を。どうやらあれがハルカだったらしい。
「あの、大根の女の人……!?」
「あはは、そうそう! その大根の女が私!」
大根の女だなどという失礼な事を言ってしまったが、ハルカは気にせずケラケラ笑っていてほっとする。
「あの時は、大根を持って家まで送ってくれて、ありがとう」
「いや、だって必死に大根抱えてたから」
「せっかくの大根を置いて行くのも嫌でね。おかず一品減っちゃうし!」
そう言って笑うハルカを取り囲んで、彼女のご主人も子供達も大きな口を開けて笑っている。温かな家庭のようだ。
「そんな優しい青年が、セシリアの旦那様になってくれた時は嬉しかったなー」
ハルカの心からの言葉を聞いて、アルヴィンは驚きつつも安堵した。
何も、無理して『良い夫』を演じずとも、そのままの自分を見てくれて評価してくれる人がいたのだ。その事が、何より嬉しかった。
「あの時はちゃんとお礼をする前に走って帰っちゃったから、ずっと気になってて」
「お礼をされるような事じゃなかったし……」
ありがとうとは言ってもらっていたし、ただの大根運びで大仰なお礼をされるのは嫌だった。でも逃げるように帰ったのは悪い癖だったと少し反省する。
「ふふ、じゃああの時のお礼も兼ねて、ハイ! 特大のスイカ!」
「うわっ! あ、ありがとうございます!」
十キロ……いや、十二キロはありそうなスイカを目の前に置かれて、アルヴィンは素直にワクワクした。変色もない綺麗なスイカ。ポンポンと叩けば、空洞のないものだという事が分かる。これだけ立派なものはそうないだろう。切って食べるのが今から楽しみだ。
「これはハルカさんの所で作ったスイカ?」
「うん、うち産!」
どんなに重くても大根を放り出さず、大きなお腹で長男と大根を必死に抱えていたハルカを思い出す。
普通なら、大根は放って置いて一度家に帰るものだろう。でもそれをしなかったハルカは、きっと……
「こんなに美味しいスイカを作れるなんて、野菜の神様に好かれているんだな……」
アルヴィンはスイカのスベスベした表面を、優しく撫でながら言った。
「ん? こんなに美味しいトマトを作れるなんて、アルヴィンも充分神様に好かれてると思うよ。トマトの神様にね!」
「じゃあ、ハルカさんは大根の神様に好かれてるんだな」
「大根!? スイカの神様じゃなくて!?」
なんで大根なんだ、と皆、声を上げて笑う。
もちろん、スイカの神様にも好かれているだろうが、アルヴィンには大根のイメージの方が強かった。
ハルカは余程面白かったのか、涙を浮かべてまで笑っている。
「な、なんかすみません……」
「いーのいーの! 今年の冬、大根取れたら持って行くね!」
ニコニコと提案してくれるハルカ。断る理由などどこにもなく、素直にアルヴィンは頷いていた。
スイカを食べ終えると、アルヴィンは温かな気持ちのまま子供達に手を振り、ハルカの家を出た。
大きなスイカを持って家に帰ると、いつもは伏し目がちのセシリアの瞳が大きく開かれる。
「すごく立派なスイカ……! それ、どうしたの? アルヴィン」
「ハルカさんの所へお礼にトマトを持って行ったら、お礼にスイカを貰ったんだ」
「あら……じゃあ明日は、オレンジを持って行かなきゃね」
そう言って、オレンジを両手に笑うセシリア。
きっと、彼女にはオレンジの神様に好かれているんだろう。
「食べる?」
「ああ」
渡されたオレンジをの皮を剥くと、太陽を沢山取り込んだオイルの香りが、部屋いっぱいに広がった。
アルヴィンの事を好いてくれている遥さんには、ノルト村の住人になって貰いました!!w
誕生日おめでとうございまーす!!