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私が子供嫌いだったころ

作者: 白川

 昔、私は子供が嫌いだった。それは自分でも不思議なほどで、広告とか映画とか漫画とかで子供が出てくると、何か無性に腹が立ってくるということがよくあった。どんな場合でも腹が立つというわけではないけれど、とにかくそういう現象がよく起こるので、私は自分でも、自分は子供嫌いなんだとずっと思っていた。


 長じてからも相変わらずその性格は直らなかったので、自分でも不思議に思っていたものだけど、この現象がなぜ起こるのかと考えているうちに、あることに気付いてきた。


 つまり、私は広告や映画や漫画などのメディアに出てくる子供に対しては腹が立つのに、現実に道端ですれ違うような子供に対してはあまり腹が立たないということが分かってきた。

 そしてそれと共に、私が本当に嫌いなのは現実の子供そのものではなく、メディアに現れる「子供のイメージ」であるらしいということに気付いてきた。


 というのは、そうしたメディアの中の子供像というのは、「子供って純粋でかわいいよね!ほらかわいいでしょ!?明るく前向きな気分になるでしょ!?」といったものであり、ひいては「だからこの子らの宣伝する商品を買おうね!」とか「だからこの子らの主張に賛同しようね!」とかいう意味で使われているように思えたので、そうしたメッセージに共感できない私には、何か神経を逆なでされるような思いがあったのである。気分が落ち込んでいるときに明るい音楽を聴くと、逆にさらに気が滅入るとか云うけれど、ある意味それと似たようなものだろう。


 それと考え合わせて思い至るところがあったが、そういえば私はメディアの中の子供であっても、外国の子供に対してはあまり腹が立たなかった。それは人種や民族が遠いからとかいう理由ではなく、中国やモンゴルの子供に対しても別に腹が立たなかったのである。で、それは何故なのかと考えてみると、私が嫌いだったのは子供そのものではなく、社会の中の「子供のイメージ」、ひいてはそういうイメージを利用する社会の風潮とかその背後にある意図とかのほうだったので、自分が生きている社会の埒外にいる外国の子供に対しては、特に思うこともなかったわけである。

 しかしいずれにせよ、私が嫌っていたのは現実の子供そのものではなく、社会の中の「子供のイメージ」だったので、子供自体が悪いわけではなかったのだ。さらにはメディアの中の子供像にしても、自分の気に障らないものには特に嫌うこともなかった。しかしそうしたものは大抵、不幸な目にあっている子供だったりしたので(恵まれない子供への支援を訴えるようなもの)、私は、自分は子供が不幸な目にあっているのを喜ぶようなひどい人間なのか、と思っていたのだけど。


 そんなわけで、私は、自分が嫌っているのは現実の子供そのものではなく、社会(の一部)の中の子供のイメージだと分かってきたので、現実の子供に対する見方も変わってきた。その前は自分は子供嫌いなんだと思い込んでいたので、何となく敵視するような傾向があったのだが。


 それで、改めて子供のことを考えてみると、あの子供らもやっぱり自分と同じように多くの悩み苦しみがあるだろうし、またこれから成長してそういう苦難にも遭うのだろうと思うと、私は子供を「かわいそう」だと思うようになってきた。要するに、同情、共感できるようになってきた。

 思うにそれは、今までは子供を「子供」という「社会的な記号」としてしか見てこなかったのに対して、自分と同じ、現実の生きた人間として見るようになってきた、ということだろうと思う。悩み苦しみのようなネガティブな方面での共感ではあるけれど、ともかくも、自分と同じ人間として見るようになった。


 そんな風に、私の考えが変わってきてからのある日のこと、私はたまたま通った交差点で、一人の子供を見かけた。その子は、子供がよくやるように、口元に手を当てて、無表情に周りの景色をじっと眺めていた……

 そしてその子を見た時、私は素直に、その子のことを「かわいい」と思った。何の屈託もなく、言ってみれば犬や猫のような小動物をかわいいと思う時のようにそう思った。そう思うことは今までほとんど、あるいは全くなかったことなので、私は自分の内心の変化に戸惑った。


 それから月日が経ち、私はもう、普通に子供のことをかわいいと思えるようになった。もちろん、いつでもそう思うわけではないけど、昔のように一種の「偏見」で嫌うようなことはなくなった。言ってみれば、より自然に見ることができるようになったということだろうか。これを成長と言っていいのかどうかは分からないが、自分に対する洞察という点では、まあ成長したのだろうと思う。これは私の場合なので他の人には当てはまらないかも知れないが。

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― 新着の感想 ―
[一言]  一部のメディアに現れるイメージは、捉え方によっては大変危険だと思います。いわゆるイメージ操作によって見ている者を違う方向へ導いてしまうからです。最近はそんなことが多いように思うのです。 私…
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