美しき薔薇の憂鬱
役職について修正しました。ストーリーに変更はありません
学生のための社交パーティの模擬的な催し物とはいえ、それはなかなかに伝統ある学校行事であった。
キラキラとまるでいつか行く本物のような社交の場に生徒たちはそれなりにウキウキと楽しんでもいた。
だというのに。
それは唐突な声によって中断されてしまった。
「お前の行った、いくつもの恥ずべき行為については調べがついている!」
激しい怒声とも言えるその声を受けてなお、婚約者の公爵令嬢はうっすらと笑みを深くした。
「皆の楽しむ場所でのこのような行いは王族として全く不合格ですわよ、殿下」
不敬と断じられてもおかしくはないほどに、ゆったりと公爵令嬢ローズは皇太子であるアレクセイに対峙した。
「そのように振る舞えるのも今だけだ。お前の行った…」
「教科書やドレスを破り、不当な言いがかりをつけ恥をかかせ、皆の前で嘲笑しましたがそれがなにか?」
己の台詞に被せるように、扇子で口許を隠しながらコテンと首を傾げるさまに出鼻を挫かれた形となったアレクセイは絶句する。
「なにか、だと?本当に思うところがないのか!」
全く分かりませんとばかりに瞬きをするローズにアレクセイはたまらず怒鳴りつける。
するとローズは、ああ、と少し頷きながら思う所なら少々…と優雅に微笑んだ。
「わたくしも同じような目に合ったことがございますのにその時はこのように庇ってはくださいませんでしたね」
衝撃的な告白にアレクセイの目が見開かれる。
「おなじ、め?」
「そうですよ。
わたくしは公爵家という高い身分に生まれはしましたが現役で働かれているお役職の方々から見れば全く小娘ですもの。
面白くないと、表立ってはなさらなくとも裏では色々ありましたわよ?奥方の皆様からも色々と…」
馬鹿な、とつぶやくアレクセイにさらに畳みかける。
「王妃になる、ということは美しいことや優しいこと、ましてや正しいだけでやっていけるものではないのです。
そういった魑魅魍魎のような方々と対等に従順に時に強情にお付き合いし、コントロールする能力が必要なのですわ」
ローズはひたとアレクセイに視線を合わせて、さらにその名の花のように微笑む。
「殿下の思い人にその覚悟が御有りなのか、またそれをなしうる実力があるのか。
僭越ながらわたくしが試させていただきました」
「なぜ、そんな勝手な真似を!」
憤るアレクセイにローズは簡潔に答えて見せる。
「あら、殿下のことを大切に思っておりますもの。資質のあるものが支えてくださるならわたくしでなくとも構いませんのよ」
「私を思ってのことだというのか」
「それと民を…」
それまでアレクセイに合わせていた視線をアレクセイの後ろに隠れるように立っている少女に向ける。
「ねぇ、あなた…」
笑みのかたちを取ったまま細められた目は肉食獣のそれを思わせる。
いたぶり、翻弄する。
「たかだかこの程度の嫌がらせを自ら裁けないようでは王妃は無理でしてよ?殿下の愛情を独り占めしたいのなら愛人におなりなさい」
ビクリ、と肩を震わせる少女に感情の読めない微笑みを浮かべながらゆっくりと追いつめる。
「それともあなたは殿下の愛情ではなく権力を御望みなのかしら?
王妃という立場を?真実の愛を殿下との間に育んでいたのではなくて?」
権力目当てなのかとあからさまに尋ねてやれば、案の定顔色を変えて少女は叫んだ。
「わたしは!」
うるんだ瞳と昂揚したために少し赤味がかった頬、そして何より真っ直ぐに見詰めてくる視線に
ローズの背筋はゾクリと震える。
「発言をするなら家名を名乗り、発言の許可を求めなさい」
己の中を駆け巡る興奮をおくびにも出さず、ローズはピシャリとはねつけた。
疑問の形をとっていても、身分の上の者の許可を得なければ答えることは許されない。ここは学校という例外的な場なので特にその形式にはとらわれないのだがローズは敢えてそう告げた。
「恐れながら!パルマ男爵家のリリィでございます。発言の御許可を!」
震える声で絞り出したのであろうその言葉に、勇気まで尽きてないと良いのだがと
思いながらもあくまでゆったりとローズは応じた。
「及第点ね。発言を許します」
「わたくしは権力など求めておりません。殿下のおそばに置いていただけるのなら他に何もいらないのです!」
涙目で必死にいい募るリリィにローズはにんまりと笑った。
「素晴らしくてよ、リリィ・パルマ。殿下の愛情以外は何もいらないのね。
ならばわたくしもあなたを認めてあげるわ。愛人として殿下に愛されなさい。
もちろん殿下以外何もいらないあなただもの、生まれる子供はわたくしに任せていただけるわね」
リリィの存在を黙認する、という言葉に呆然とし、この先、生まれる子供のことまで考えていたのかと唖然とする。しかし今リリィはその口で「他に何もいらない」と告げたばかりだ。
この、明らかな絶対強者にこれ以上の口応えをする気力も勇気もありはしなかった。
しかしそれまで見事に蚊帳の外に追い出されていたアレクセイは果敢にも切り込んでいった。
「そのようなこと…」
「殿下、なぜ、今わたくしがこのようなことを申し上げるか分かりますか?」
が、残念ながら再び出鼻を挫かれ、は?と間抜けに聞き返す。
「わたくしとの婚約は正式なものでございます。ところが殿下は構わず御心のままに好いた女性を御側におかれます。
すると、そちらの男爵家はわたくしども公爵家を随分と侮っているのだと解釈されます。娘を使っての野心があるのかと。
中には王家と公爵家にはもはや亀裂が生じているのではと勘ぐるものも出てまいります。事実、探り合いは既に始まっております。
誰が一番、戦々恐々となさるか分かりますか?」
視線の先のアレクセイの表情が間抜け顔から一向に変化がないことを確認して
ローズは続けた。
「男爵家から謝罪と、一切の下心はないという弁明が参りました。娘の教育の失敗を詫びにお見えになりました。
命を差し出す覚悟で。あなたはお父様の助言を一切聞かなかったのね」
最後の一言はリリィに向けて、そしてここでようやくローズはずっと浮かべていた笑みを消し、悲しげに眉を寄せた。
「あなたと殿下の恋は、あなたのお父様の首の皮一枚で成り立っているのよ」
公爵家としては多少身分が低いということはあるが、愛人として迎える分には構わず、それを弁えられる娘なら特にとがめはしないという方針で、パルマ男爵の謝罪を受け入れている。
主に男爵の実直な性格が得難いものであり、好ましく受け取られたからという理由の方が大きいのだが。
また、ローズはアレクセイに対して恋愛感情など持ち合わせていなかったので、恋愛部門担当くらいに思っていた。
そのうえで、もしも資質に問題がないようであれば己の立場を譲ることも考えた。
そして、再び王家との話し合いの末、リリィの資質を見極めるのはローズが行うこととしたのだ。
結果によっては新たな嫁ぎ先を王家が責任を持って用意する取り決めとなった。
「私は何も聞いていない…」
アレクセイが呆然とつぶやくがローズは冷たく言い放つ。
「この経緯で殿下に話を持っていっても無駄だと思われているのです。反省してください」
「私はっ、次期国王だぞ!」
「存じております。それゆえ皆様、頭を抱えているのです。
そもそも、今現在、わたくしとこの方の名誉を激しく傷つけ辱めているのは殿下だという御自覚が御有りですか?」
「な…」
「ないでしょうね。初めからこの方を愛人となさることを公言してくだされば良かったのです。
明らかにこの方は王妃に向いていらっしゃらない。それとも殿下はこの儚い娘を魑魅魍魎の中に放り込むおつもりだったのですか?」
貴方だって御存じでしょう、あの場所がどのような場所か。
そう言外に含ませれば、アレクセイはがくりと肩を落として動かなくなった。
そんなアレクセイのそばにいた小動物のような少女はポツリとつぶやいた。
「わたし…わたくしは王妃としての資格を問う試験には合格できなかった、ということなのですね…」
「そうなりますわね」
「お父様にご迷惑をかけて、皆様にいらぬ御心配をおかけして、ローズ様の御手を煩わせて…」
小さなリリィの方が震えているのをローズはじっと見つめていた。
「それでも、愚かですがわたくしは殿下の御側に居たいのです…」
絞り出した小さな声にローズは鷹揚に頷いた。
「それは止めておりませんでしょう。愛人として殿下を愛情で支えてさしあげてくださいませ。
わたくしは正妃としてあなたの楯になってさしあげるわ」
「なぜ、そこまで…」
「わたくしはこの国を愛しておりますの。愚かな王妃と愚かな王では民が苦しみます」
困るでしょう、と微笑めば愚かだと言われた二人は曖昧に笑うしかなかった。
二人の出来の悪い子が、漸く己の道にたどり着いたのを満足げに見詰めながらローズはこの事態の収拾にとりかかる。
「さて、みなさま。わたくしの考えた寸劇はいかがだったかしら?」
あからさまに嘘である。
「唐突に始めてしまってごめんなさいね。サプライズというモノに憧れていたの」
重ね重ね強引な嘘である。
しかしここは思慮深き有力で優秀な御子息御令嬢たちの模擬社交場である。
次第にゆっくりと思惑を巡らせる魑魅魍魎の子供たちは…。
「ローズ様の迫真の演技は胸を打たれる思いでしたわ」
一人が感想を述べる。
「殿下の思いの強さにも男なら共感できますよ」
「ええ、身分の差というものは物語でも盛り上がりますものね」
一人、一人と話を合わせつつ、さてこれから誰についていこうかと更に思いを巡らせる。
「良かったわ。でもやはりやってみたら急に恥ずかしくなってまいりましたわ。
みなさま、本日のことはここだけの余興ですのでくれぐれもお話にならないでね。
もし、誰かに知られたらわたくし恥ずかしさのあまり、何をしてしまうか分からないわ…」
ローズの言葉により、この茶番は決して口外することのできない余興となった。
だれがあのような恐ろしい女性を敵に回そうなどと思うだろうか。
こうしてこの話はただの余興として片づけられ、パーティは再び煌びやかな世界を
紡ぎだす。
ローズは悩ましげにため息をつく。
リリィ・パルマ。
殿下が目を付ける前から知っていた。
美しく可愛らしい少女。
虐げられた時のうるんだ瞳がよい。負けまいと食いしばる様が良い。
あの子が手の届くところにやってくる。
殿下のことなど、すぐにどうでも良くなるくらい可愛がってあげよう。
あの子には教えることが沢山あるのだもの。
これから始まる新たな生活にローズは恍惚とした微笑みを浮かべるのだった。