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手記

作者: 師走

【〔「え」

私は思わずキッカを見た。


「だからさ、大事件なんだってば」

キッカはイタズラっぽい表情で笑う。


ここの隣にある教室へ、クラスメイトがゾクゾクと吸い込まれていく。その様子は、閻魔大王の審判を受ける部屋へ連れ込まれる絵のイメージに似ていなくもない。


なのに、私はそこから外れて、こんなトイレの、しかも入り口付近という中途半端な場所にいる。誰にも聞かれたくない話なのだったら、もう少し奥で話せばいいのに。キッカのことだから、それはないと思うけど、もしかしたらわざと通行人に聞こえる仕様にしているんじゃないかって疑いたくなった。


ここへ朝早く連れ込まれるときの用件っていうのは、一つに決まっている。

キッカはオカルト好きで、それを他の人に自慢したがるのだ。で、取り合ってくれたのが私だけだったから、この頃こんな組み合わせになっているのだ。あの時、テキトーに相槌なんて打たなけりゃ良かったなぁって後悔してる。


でも、今回は少し違った。


「この近くで殺人事件が起きたって言うの。知らなかったでしょ」

「………」


冗談、なのかな。

私の反応を試しているのだとしたら、ここで私が「嘘でしょ?」って笑っても、「ホントだって」と嘘をさらに重ねてくるに決まってる。そして、1パーセントの確率でそれが事実だったとしても、彼女は同じように返答するだろう。だから、あえて聞き返さない。


代わりに、私は間を空けて、「どこで?」と質問した。


「それを放課後探しにいくのよ」

「……………」


なぁんだ、ただ遊びたかっただけじゃん。

その理由をでっち上げたってことか。いかにもキッカがやりそうなことだ。直球で話を進めようとしないのは。


「オッケー。ちょうど私も暇してるの」

「そうなの?!タイミングばっちりじゃん」

「んー、て言うか、別に忙しい日なんてないしね」

「ヒョゥ。成績が良い人はこれだから」


キッカはやれやれと手を広げてみせた。

でも、私の成績は全くもって上位なんかじゃない。真ん中よりちょびっと上って程度だ。もっと賢い連中はみんなして塾通いだと相場が決まっているからね。それでも、キッカよりは断然良い部類に入るんだけど。


「じゃ、放課後に合流しよう。一旦帰りたいんだけど、どこで待ち合わせする?キッカの家って私のウチに近いっけ?」

「一緒に帰ったことないから分かんないねぇ。じゃ、とりあえず、この学校に集合ってことでどう?門の前に」

「そうだね。それが一番無難だと思う」


私は頷いた。それから少しして、教室に戻ったんだけど、しばらく担任の話を聞き流すうちに、その約束のことなんかすっかり忘れてしまった。

ーーー


「あっ、そう言えば」

思い出したのは、帰宅途中。

なんか引っかかるなー、と思ったら、朝にそういう話をしたんだった。危うく家でゴロゴロするところだった。今の今まで記憶から抜け落ちてたのは、さして重要なことだと認識してなかったせいだろうな。


「わー、なんで私ってば、めんどくさいことを軽々と了承したりしたんだろ」

自分の言動が悔やまれる。

キッカと話すたび、繰り返しそういうことを思ってしまう。

周りに流されるように生きてきたから、逆らうっていう選択肢が出てこないのかもしれない。


「…まっ、予定がないんだから、マイナスの方向に考えることもないよね。よしっ!」

ほっぺたを叩いて気を引き締めた。

カバンの腕通しをひっ掴み、小走りに進む。歩いてたら、グダグダ要らないことを考えてしまいそうだったから。


「でも、殺人事件っていう誘い方は斬新だったなー。あれで引っかかると思ってたんだったら、とんだ大ばか者だよ」


ふっふっと息を短く吐きながら呟いてみる。恐らくキッカは、それが最も正しい誘い方だと思ったに違いないんだけどさ。


ガサンゴソッ、ガサンゴソッ、ガサンゴソッ、ガサンゴソッ

リュックの中の教科書なんかが左右に振られて、規則正しいリズムを生み出していた。耳をすませないと、すぐに忘れてしまいそうな、薄い存在感。


「やっぱ走るのは体力を消耗するんだね。自転車にすれば良かったのかなぁ」

再び歩く。大きく空気を肺に吸い込む。


自転車は、この学校に入学する時、私から拒否した。

今まで乗っていた自転車は校則違反だったから、ハンドルのグニャッと曲がったママチャリを買わなきゃいけなかったんだけど、そんなことで私の銀行預金が削られたらたまらない。幸い家から学校まではそう遠くないんだし、自分の自転車は私生活で使えば良いんだ。


「でも」

やっぱり歩くのより早くて楽だ。

そう考えているうちに、向こうの方に家が見えてきた。


もう一度走るかどうか一瞬迷ったけど、やーめたっ。

足をどんなに早く動かしたって、距離が変わるわけじゃない。体力は早くなくなっちゃうんだから、ここは効率を優先させるべきだと思う。


ゆっくりゆっくり、着実に物事を進ませた方が、結局長続きするってのはよく言われることだ。

これも同じ。足をなるべく浮かさないようにして、首も肩もしっかり力を抜いて、だらんと俯いてしまうのが模範の姿なのだ。

これじゃあ、失恋しちゃって落ち込んだ人みたい。


クスッと笑えた。

視界はすっかり黒い髪の垂れ幕で覆われているけど、車はなっかなか通らないから、その点は安心できる。いざとなれば髪の隙間から向こう側を見てやればいいし。


腰まで前に傾けて、本格的に歩みをのろまにさせた時、初めて家を通り過ぎてしまっていたことに気がついて、慌てて引き返した。


……やっぱり、この歩き方って、遅いようでいて、かなり速いんだ。


自分の体重とリュックの重さに引きずられるように、灰色がかったコンクリートの上をジリジリ滑り、家の玄関にたどり着いた時には、汗は気にならないくらいに滲み出ていた。

ーーー


郵便受けを開けて、隠し置いていた鍵を取り出す。以前は、マットの下に潜り込ませてあったのに、いつからこのシステムに切り替わったのだろう。


「ただいまぁー」

鍵をひねると、カチャリと心地よい音がするが、それとは裏腹に、手にはかなりの力がこもっていた。昔乱暴にねじり回していたせいで、穴の形が若干変形し、なかなか思うように動かないのだ。


それと同時に放った私の声は、玄関の仕切り戸にぶつかるように遠くへ直進していった。


「おかえりーー」

向こうから微かに、間の抜けた返事が聞こえてくる。

お母さんは、この時間帯は昼寝をしていたはずだ。だから、寝ぼけているのだろう。それでもちゃんと子供に挨拶ができるのは立派だとは思う。


どうせすぐにまた出て行くので、靴は、脱ぎ散らかさないまでも、整えたりはしない。

右靴のかかとを押しつけるようにして左靴を固定し、左足を抜き取り、今度は左足で右靴を固定し、右足を持ち上げる。そして、仕切り戸に手をかけて、一気に引く。この戸は重めに設定されているから、力と言うか、勢いが要る。


「あーー、おかえりぃ」

「ただいま」

改めて挨拶を交わす。


お母さんは仰向けになったまま顔だけこちらに向けて、二重の目をしばしばとさせ、眼鏡を手に取った。

私が帰ってきた時に、お母さんも行動を再開するのだ。晩御飯作りに勤しむということである。ウチは朝昼晩の料理をお母さんが作ってくれるので、凄いと感じている。以前は当たり前だと思ってたけど、聞いてみると、クラスメイトの大半は冷食をレンジでチンしたり、お菓子なんかをボリボリ食べて深夜を過ごすということだった。


「今日のねー、韓ドラは、なかなかだったのよぅ。服とか建物は相変わらずキラキラしてて綺麗でー、王妃様の顔も…」

「ふーん」


私より先に、お母さんがのんびりと家での出来事の報告をする。

私は空返事をしつつ、掃除がどうとか、食器洗いがどうとか、洗濯機がどうとかなどと、いつもと変わらない話を流していく。


お母さんは、多分、こうやって、頭を起こしているんだと思う。自分の口で物事を話すのは、覚醒効果があるらしいから。あ、あと記憶する効果。これはいつもキッカが使っている。1日で学んだ全てのキーワードを、朝方に私へぶつけてくるのだ。


つまり、キッカは学校での生活において、休み時間や昼休みを、コソコソ持ってきた雑誌に読みふけるインプットの時間に費やして、『朝の会』という名前のホームルームが始まるまでは、迷惑なことに私を使ってアウトプットをするのだ。おかげで私は、月面の裏側に謎の基地が存在するというヘンテコな説まで覚えてしまった。ほとんどの事実は裏NASAが隠蔽している、とか、そういうのも。いつかこんな知識を使える日が来るんだろうか。


「……で、今から私出かけるから」

「はいはぁい」


お母さんの話に区切りが来るのを待って、さりげなく言ってみた。

「どうして?」とも、「どこへ?」とも聞かれなかったことから推測するに、お母さんの頭はまだ起動途中にあるらしい。今はまだ、送信専用のサーバーになっているのだ。これから、ジワジワと受信機能も備わって、思考が鮮明になるだろうということは、容易に予想できた。


ともあれ、このままお母さんが復活するのを立ち尽くして待つわけにもいかないので、私は弟のカズトを頼ることにした。


カバンを右腕に持ち替えて、肩に引っ掛けながら、軽く螺旋している階段を上る。


「カズト、カズトぉ」

そんなに拳を固めていたわけじゃないけど、戸はガンガンと鳴った。


すると、数秒後に、「うぃーー」という返事がする。

これも、寝ぼけた声に聞こえる人は多いだろう。ただ、この音は違う。

確かにカズトはよく自室で昼寝をしているようだけど、こんな声の調子は、あれだ。

漫画を読んでいるの途中で邪魔されたので、後ろ髪を引かれているパターンだ。すぐにイライラするような奴じゃないから、さすがに怒ってはない、はず、なんだけど。


「カズト、ここに来なくてもいいから聞いて」


私が急いでそう言うのとほぼ同時に、その戸が開いたので、慌てて後退した。


「……言うの遅いから来ちゃったじゃん。そもそも大事な用事じゃないんなら呼ばないでよ」

カズトは、やはり左手にコミック雑誌を手にしていた。

それを上下に揺らして抗議するので、黄色い紙がバラバラと見える。


「ごめん。大事じゃないわけじゃなくて」

「ふーん?」


カズトは短い髪の毛を右手で掻きながら頰を引きつらせるようにした。まるで、なんの興味もないことを体で示すみたいに。


「お母さんに伝言してくれない?」

「へ?」

「お母さんに」


カズトはキョトンとして固まっている。


「あの、だから」

「さっき、ババァ、いなかったっけ?」


カズトは「おっかしいな」と呟きながら、今度は人差し指と親指で顎をつまんだり離したりした。


「…確か、俺が帰って来たときにはあいつイビキかいてたんだ。うーん、スーパーに卵でも買いに行ったのかなぁ」

「いや、違くて。お母さんは下にいるんだけど」

「え」


カズトは呆れたように私を見た。


「じゃあどうして自分で言わないのさ。恥ずいのかよ。ヤマシーことがあるとか?」

「バァカ」


『ヤマシーこと』の解釈が正しいかどうか分からなかったけど、一応言い返しておいた。すると、カズトは笑ったっきり言い返してこない。当たりなのだろう。


「今、お母さん寝ぼけててさ。しっかり話聞いてくれないのよ」

「ははあ。やっぱり本腰入れてじゃないと話せないような感じなのか」

「バーーカ」

「ウヒヒ」


カズトは変な笑い方をして、その表紙に雑誌を落とした。

ばさり、と落ちたそれをすぐに拾って、カズトは屈んだまま上目遣いで私を見る。


「…で、なんって言ったらいいの?ババァに」


「ババァに」を最後に押し込んでくるあたり、相当この呼び方を気に入っているらしい。友達の誰かから伝染したんだろうけど、悪気もなくその言葉を使われるのはちょっと違和感がある。お母さんはお母さんで怒らないし。


「えっとね、私がどこにいるのか聞かれたらで良いから、『外に遊びに行った』って言っといて」

「それ、十分にヤラシーじゃん」

「どうぞご勝手に想像しといたら?相手はUFOとかが大好きな女の子なんだけど」

「ふーん。そいつは地味子っぽいな。ってことは、カテゴリーは百合で、お前がその子を攻めるって感じかな?」

「ふっ、変なの」


一瞬想像してしまいそうになった。ありえない絵面だ。


「じゃ、任せたよ」

「うん。『綾子はどこ行ったの?』って聞かれたら、『地味子と過ちを犯しに行った』って応えれば良いんだな?」

「上出来。本番もそれでよろしく」

「はっ?マジで?!」


長くなりそうだったので、早々と撤退する。

ここで話を引きずったら、どうしてお母さんが起きるのを待たなかったのか分かんなくなる。急がなくちゃ。


部屋にカバンを投げ込んで、階段を駆け下りる。

これだけで相当身軽になった。

本当はお風呂に入りたいんだけど、どうやらそれは無理だ。


私は、『風呂に入る以上はシャワーだけじゃなくて湯船に浸からないといけない派』だから、どうしても時間がかかってしまう。だから着替えもせずにこのまま向かっちゃおう。


「…あら、どこ行くの?」


うっ、やっぱり、意味なくなっちゃったな。

私は振り向きもせずに、「ちょっと遊びに行ってくる!」と叫んで、片足ずつ、先っちょをトントンと石の床に叩きつけて靴を履き、外に出ていった。

ーーー


時間を決めていない約束だからこそ、なるべく相手より早くに行くべきだ、と思ったんだけど。


私が快いスピードで学校の門前にたどり着いた時、既にキッカは運動場を囲うブロック塀に背を預けて、足を組みつつおおっぴらに雑誌を読んでいた。苔とか土とか黒い汚れがたくさん付いていて、手で拭っただけでボロボロ何かが剥がれてくるような直方体たち。


「あ、うん、思ったより早かったね」

キッカはパタン、とその本を閉じながら私に笑いかけた。


「キッカ…ってば、まだ家に帰ってなかったんだ…」

「うん、ここで待ってたの」


つばを飲んで気持ちを落ち着けると、だいたい呼吸が戻ってきた。

私は、胸に手を当てながら、キッカが背負っているカバンのキーホルダーを見つめる。知ってたけど、あれは宇宙人だ。


「さ。じゃあいざ出発ね。まずは私の家に寄ろっか」

「『まずは』?」


私が聞き返すと、キッカは首を傾ける。


「ってことは、また外に出てくるの?」

「当たり前じゃん」

キッカは頭を押さえた。


「忘れちゃったの?事件現場に行くんだ、って。あちゃあ、綾ってば、私なんかよりよっぽど記憶力悪いのね。それなのにどーして成績が良いのかなぁ。賄賂してる?」

「いやいやいや、あの話、本気だったの?」

「へっ?」


キッカは眼球の黒点をキョロキョロ漂わせて、私の言わんとすることを汲み取ろうとしているようだった。


「つまり、え、あっ?本気、じゃなかったわけ?」

「ほ、本気だったんだぁ」

「いや、それ、だって、ほら」


「言ったでしょ?」とキッカは言う。

身振り手振りを交えて、少し助けを求めてくる感じで。


「い、言ったよ。でもさ、どこにも取り上げられてないし…」

「どこにも?」

「ほら、新聞、とかさ」

「あぁ」


キッカはやっと納得したというふうに頷いて、「いつか載るんじゃない?」と返してきた。


「う、うん、そうだね…」

私はぎこちなく口角を上げる。

ジョークなのかどうなのかさっぱり分からない。分からないのだけれど、ジョークであることを私は願っているのだろうと、自分で思う。

だって、今ここで、急にキッカが「じゃーん。やっぱり真っ赤な嘘でしたー」なんて言ったら、多分すぐに信じるだろうから。でも、いつまでも「本当だ本当だ」と粘られるもんだから、こんなに困ってしまうのだ。


「とにかく走って行こうよ。早くに行かなきゃ日が暮れちゃう」

「あ、うん」


ちゃりちゃり、と鈴の音がした。

キッカのお守りキーホルダーか何かだろう。

ちょっとは気になったけど、キリがなくなるので、それを言葉に出すことはしない。キッカの手の甲にも、数日前から魔法陣が出現し、そのインクは徐々に溶けて若干広がりながら消えていっている、そんな最中が現在だもの。細かい服装とかの質問も含めると一体何時間かかっちゃうんだろう。


キッカの後を追う。


「綾ってさ」

突然振り返られたので、私は反射的に構えてしまった。一応足は動き続けている。


「はは、ごめんごめん、びっくりさせちゃった?」

「どうしたの?」

「いや、あっち方面に住んでるんだなぁって」

「あぁ、そういうこと」


正門と呼ばれる、学校の正面玄関を抜けて外に出て、そのまま向きを変えずにまっすぐ進み、一つの角を曲がって、まだずっと行った先に私の家がある。だからさっき、キッカが私より先に門にいたことははっきり見えていた。驚きと戸惑いに、ちょっぴり怒りが混じったのは、なんでだろうなぁ。つまらない嫉妬だったら嬉しい。


「私の家ももうすぐだからね」

「あ、うん」

「上がってってよ」

「そうだね」


言い終えてから、「そうだね」という返事は変だったかな、と思ったけど、キッカは指摘しなかった。

せめて、「そうする」にすれば良かった。

模範解答は、「いえいえ奥さん、そんなとんでもない。私は玄関先で結構でございます。オホホホホ」だ。それからゴタゴタ一悶着してから、「あらぁ、じゃあ、良いんですの?お邪魔して」となるわけ。あの一連の流れ、なんだか型にはまりすぎて気味悪いけど。


「ほら、あそこ」

「どこ?」

「瓦屋根の」

「あー」

古くからありそうな日本家屋だ。

こんなトコに住んでたのか。なんだかこーゆー家に住んでる人がオカルト雑誌好きだなんて、ちょっと想像湧かなかったなぁ。ポルターガイストポルターガイスト言ってるような少女が、和式人だったとはね。

ーーー


「お邪魔します、なんて言わなくて良いからね」

「なんで?」

「別に必要ないでしょ」

「確かに」


キッカに誘われるまま、家に入る。

引き戸も木枠で固められていて、なんだかとても懐かしい気持ちになった。


「まぁまぁ、もっとこっち来てってば。そこの椅子に座って。麦茶注ぐから。心配しなくても、両親とも働いてるからさ。気兼ねもせずに、パァっとやろうよ」

「麦茶でパァっと、ね…」


ジョロロロ、と麦茶が滑っていき、コップに溜まった。

私は肩をすぼめるようにお辞儀して、両手でそれを包み込み、ゆっくりすする。


「どう?麦茶」

「うん、麦茶だね」

「でしょ」


キッカは麦茶を入れている瓶を冷蔵庫へ戻し、自身もコップから麦茶を飲んだ。


「ん、んー。体に染み渡る冷たさ!たまんないねー、これ」

「ふーん。最も注目すべきところは冷たさなんだね」

「へ?どゆこと?」

「味は?」

「うぇ?……フツーの麦茶の味じゃん」

「だよね」


冷たさだけを求めたいなら、水をそのまま凍らせちまえばどうだ、なんて考えたけど、それを言い放つのはさすがに意地悪だろう。やめておく。


「あっ、それよりさ、前々から綾に見せようとしてた物があったんだぁ」

キッカはガタンと立ち上がると、慌ただしく、動き回り、一冊の古そうな雑誌を持ってきた。


「……何これ」

「へへへ。一昔流行った『ムー』って雑誌だよ。まだお母さんが残してて」

「へえ」

「そもそも私がこういうのに好奇心を抱いたのって、これが原因だもの」

「じゃ、こいつは悪い奴だね」


キッカはパンパンと軽く表紙を叩いているが、それくらいでは破けないようだ。〕


「あーあ、疲れちゃった」

私はトントンと無意味にノートを立ててみる。


「うん、でもこれかなりしっかりしてるよね。母さんとかに見せた方が良いかも知んない」

手をぶらりとさせて火照りを直しながら椅子に背をもたせかける。


とにかくこれだけ書いたのだ。満足した。

外を見ると、陽の角度も大分と変わっている。


切り上げるには最適なんだ。私は大きく息を吐いて、ついでにこびり付いていた消しかすを飛ばした。】


……最初からこうしてたら。……いや、今でこそ意味があるのかもしれない。ひっそりとね。

私はとうとう話を終わらせるのだ。

もう夜遅くて、日付は私を追い越してしまった。

だが、眠いままに、一人でちょっとした段差に座り込んでいる。

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