在原稔:入院
ここから、一人称になります。
入院生活が、始まった。
どこで、入院しても、同じだと言われたので、住んでいた町から電車で三時間かかる病院に入院した。
外は、雨が止み、蝉が合唱を始めていた。
ガンの進行を押さえるために、抑制剤を打つことに為った。
初めは、院内を自由に歩き回り、散策をしたりし気分を紛らわしていた。
元会社の同僚たちにも、病気のことは伏せ、上司にだけ事情を話した。
上司もまた父親をガンでなくしたと言う話をしてくれた。
『頑張っているやつに、言う言葉じゃないとは思うが、私にはこれしか言えない。「頑張ってくれ。」闘病生活は辛いものになると思うが、最後の時まで、諦めないでくれ』
良い、上司だった。
弟の寿は、毎週金曜日に見舞いに来て、日曜日に帰る生活をしていた。
俺のために。
無理してこなくてもいいと、伝えたことがあった。
けど、寿は泣きそうな笑顔で、『僕の自己満足なんだ。こうして、側にいることしか、出来ないから……』と言った。
そんなことは、なかった。
ただ、邪魔したくなかった。
寿は、医者になるため、勉強を頑張っている。
一発合格して入った大学で、必死に学んでいる。
俺の人生なんかしゃ、考えられないほどの努力を寿は積んでいた。
だから、寿には、夢を叶えてもらいたい。
足を引っ張りたくなかった。
『ミノ兄のお陰で、今の僕はあるから』
口癖のように、そう言う寿。
だが、違うんだ。
お前がいたから、俺は、今の俺でいられるんだ。
何度も、何度も、繰り返した後悔の中で、お前が、お前とカナが居てくれたから………俺は
夏が過ぎ、涼やかな風が吹く頃。
俺は、立つことも座ることもできなかった。
ただ、横たわり、点滴の一滴一滴を見つめ続けた。
その頃には、寿はほぼ毎日見舞いに来るようになっていた。
一つ、寿に酷なお願いをした。
でも、寿にしか頼めなかったこと。
カナが幸せになるのを見届けて。
幸せだったら教えて。
と。
寿は、辛そうに頷いていた。
あぁ、カナに会いたいな。
カナは、元気にしているだろうか。
乾ききった目からは、もう何も溢れなかった。
いよいよ最後の時が来た。
よく、死ぬ人間は、死ぬ間際が何となくわかると言うけど、なるほど、確かにそうだった。
突然、恐怖が襲った。
きっと、この目を閉じたら、俺はもう目を覚まさない。
もう、言葉もしゃべれない。
寿の未来を祈ることも、カナの幸せを願うこともできない。
力の入らない、手を動かした。
その手に、誰かの手が重なる。
「ミノ兄……?」
寿、だった。
「コト………コト、ブキ……」
「どうしたの?具合が、悪いの?先生を……」
「コト……俺、死ぬの怖いよ。」
「ミノ、兄……?」
「今になって……身が震えるんだ……。怖い、怖いよ。俺、死にたくないよ………もっと、生き………い。なんで?なんで……俺だったの……?俺は、カナと結婚……て、お前の医者………なった姿を見……そ、て……しあわ……に……」
「ミノ兄!ミノ兄は、死なないよ!これからも、ずっと、一緒に……!だから、そんな言葉、言わないで……!!」
「カナ………しあわになって。コト……夢をかなえ……おれ……は、………さよ、なら」
最後まで、言えなかった。
けれど、さよならは言えた。
ごめん。コト。ダメな兄で。立派なんて、縁遠い兄で。最後まで、迷惑かけて。
それでも、俺はお前の兄でいれて、嬉しかった。
カナ。奏、傷つけてごめん。お前のこと、ほんとに、好きだった。愛していた。お前と二人、幸せになりたかった。ずっと、ずっと、一緒だって、約束したのに、何度も、俺を救ってくれたのに。ごめん。ごめん。
伝える勇気がなくて、お前を縛り付けたくなくて、勝手な都合で、………それでも俺は……あいしていたんだ。
在原稔 享年22歳。
彼の乾いたはずの瞳から、一つ涙が零れ落ちた。
誤字修正いたしました。