在原寿:10年前 頼み
在原寿には、兄とその婚約者であり幼馴染みの女性がいた。
二人が、幸せになっていくのを、側で見るのが彼の楽しみだった。
幼い頃、発達が遅かった自分を見捨てなかった兄、稔と恋人、奏が幸せになれるようにと毎日毎日願っていた。
必死に勉強した彼は、大学に進み、医者を目指し学業に、専念していた。
兄、稔を人間ドックに誘ったのは、本の気まぐれだった。
結婚前に一度くらいは、受けときなよ。そんな言葉を投げ掛けて
あのとき、もし、僕が誘ってなかったら……
と、彼はこのときのことを思い返す度に思う。
覚えてるのは、「ダメなんだよ、きっと。」と言って入っていた診察室から出てきた兄の哀しみと絶望を混ぜ合わせ、空虚となった瞳であたった。
兄は、家につくと、徐に彼に告げた。
『なぁ、コト。俺、ガンになったらしい。もう、転移もあって……ステージも進行してて………どうしよう………?』
常に、格好いい兄であった人が、初めて、彼の前で涙を溢した。
『もう、余命も、短くて……来年の冬は見られないだろうって………なんで、なんで、俺、何だろうな………今までの罰、なのかな……』
『ミノ兄は、悪いことしてない!きっと何かの間違いだって!もう一度、審査を受けに行こう?偶然影が濃かっただけかもしれないし!』
元気付ける、為にそんなことを彼は言った。
けど、現実は残酷だった。
結果は、常に同じ。
兄のガンは真実でしかなかった。
『コト、俺、仕事やめるよ。それと……カナとの婚約も──』
『奏ちゃんには、伝えないの?』
『───俺の人生に、縛り付ける必要はないだろ?彼奴は、俺には勿体ない女だった。』
『奏ちゃんにも伝えるべきだよ!だって、奏ちゃんは……!』
『コト、いんだ。カナには伝えない。そう決めた。俺が全面的に悪いとして、病気のことは言わない。お前も黙っとくんだぞ。』
『でも……』
『頼む。』
『………わかった。』
このとき無理にでも、伝えにいけば良かった。
兄に殴られようとも、蹴られようとも、
あの涙を見るくらいなら────
在原寿:当時医者を目指す医大生。二年生だった。