辛き過去
「おいおい、あんまり焦るなよ。焦ると怪我するぞ」
一人の少年の声だった。
「本当にな。怪我したらこいつに何言われるかわからないな。本当に面倒な兄を持ったな。那月ちゃんは」
「何!?俺が面倒な兄だと言うのか!よーし、ならこっちにも考えがある。那月ー」
「何ーお兄ちゃん?」
「ちょっと来てくれ。聞きたいことがある」
そう少年が言うと、少年の妹の那月は駆けながらやってきた。
「那月にとって俺は面倒な兄貴か?」
「うーんとね。うん、一緒に遊んでくれて優しいけど結構鬱陶しいときもあるよ」
妹の無邪気な笑顔は兄の心を凍らせる。ショックで少年は涙がでそうだった。いや、でていたのかもしれないが妹がいる手前少年は隠そうとした。しかし隠しきれるものでもない。
そして、その光景をみて、ゲラゲラと笑っているものもいた。先程少年と議論をしていたものだ。年齢は同じと取れた。
恐らく、少年と友人であると推察できる。
「ほら見ろ俺の言った通りだろ?」
「ゔぅ…みとめるしかないのか?だが俺は諦めない!!絶対にな!」
「うん、多分そんな風に熱いところが那月ちゃんに鬱陶しがられる原因だと思うぞ」
「そう言う勝樹はどうなんだよ?お前にだって弟がいるだろう?」
少年が聞くと、勝樹は勝ち誇った表情をした。指を高く上げた。
「俺は問題ないね。弟には好意を持ってもらってるよ。勉強も教えてあげてるしね。きっとあいつの目には俺は頼れるかっこいいお兄ちゃんと写ってるんじゃないのか?」
「推察でしかないくせに」
ぼそりと少年は呟いた。その声を勝樹が聞き取ることはなかった。
ーー妹の存在。これは少年にとってはかけがえのない存在で、まさに宝であり自分の生きる意味に近しいと言っても過言ではない。もちろん那月も少年も、親友の勝樹もこんな風にじゃれあい、ふざけ合い、楽しく過ごして成長して大人になっていく。
そんな誰にでも訪れるであろう成長が自分たちにも訪れると信じてやまなかった。
あの日までは。
事が起こったのは、そのたわいも無い会話をしてから丁度五年後であった。
五年が経ち那月は中学生になった。少年は、高校を卒業し大学生として頑張っていた。
那月は相変わらずお兄ちゃん子ではあったが中学生になり恥ずかしいのか、この頃は、少年に甘えるような場面は少なくなっていた。しかし、人間の癖は咄嗟の時に出てしまうものだ。
慌てた時にはお兄ちゃん助けて、と実に可愛らしい声で少年に助けを求めた。
大切に思っていた少年は、その願いに嫌な顔する事なく答えてくれる。妹にはとことん甘い兄だった。
あの日も、いつもと変わらなかった。たまたまこの日は、少年と那月が家を出るのが同じタイミングになった。途中までは同じ方向に進むので、並んではいなかったが、同じ方向を歩いていた。那月は少年の前を歩いていた。
少年は眠い…と思いながらも今日は実習だからと気合を入れようと己の頬をパチンと叩いた。そして。
「よしっ」
そうして少年は意識を完全に覚醒させた。歩くのと頬を叩いたことが眠気覚ましになったのだった。
那月と少年の通う学校の道が違えるのは、二人の自宅から5分くらい歩いたところにある十字路だった。ここを右に曲がれば那月の通う中学校に。左に曲がれば、少年の通う大学に向かうことになる。
そこは、眺めも良く交通量も多い。しかし、信号も横断歩道もあった。だから事故が起こることなど錚々無い。誰もがそう確信していた。那月も少年も。
事故とは残酷なものでいつ訪れるか、いつ自分の身に降りかかるかなど誰もわからない。その日は天気も気まぐれになる予報だった。その予報通り嫌な天気になった。ジメッとした湿度の高い空気に、気温も高く、更には風も強く、クーラーをつくていないと熱中症で倒れてしまいそうなほどであった。
そんな日の朝に起きた。
少年が、頬を叩いて前を向くと、那月が横断歩道を渡って向かいの歩道に行こうとしているところだった。
この光景自体はいつもあることだ。中学校はこの十字路を曲がってそのまま3分程度歩くと左手に見えてくるのだ。渡るのは自然なことだ。
那月は確認は怠ってはいないはずであった。しかし、自体は一瞬だった。その時間帯は、通学の時間帯で近くに少年が住む街で一番大きな会社の本社があったため通学、通勤の人で都会ほどでは無いもののこの街では、一番人が多くなる時間帯でもあった。
那月が横断歩道を渡って真ん中まで来た時に人が来るから停車していた車から一人の男が降りてきた。 その男は明らかに異質の存在だった。
少年がよく見ると、男の手にはナイフが握られていた。
ーと男は動いた。走り出した。走ったその先には人がいる。手にはナイフが今にも人を刺し殺そうと準備ができているように見えた。
男が走っていったその先にいたのは女性だった。男は何のためらいもなく女を刺した。刺すとすぐにナイフを抜いた。静脈ではなく、動脈を切ったのかそれとも傷が深いのか、それとも、それらが複合的に絡み合った結果なのかは少年に判別することはできなかったが、女から血がぼたっと滴り落ちた。赤いわけでは無い。かといって黒いわけでも無い。中間地点。これが一番少年に表すことのできる限界だった。
少年は、那月の方に反射的に向かっていた。全力で走った。いや、走ろうとした。しかし、朝の何も体操をしていないような硬い体では、まともに走ることなどできるはずもない。結果として、普段よりも数段遅かった。少年の脳内では焦りで満ちていた。
ーもしも、那月が刺されたら?
ーもしも、刺されて殺されたら?
そんな事が起これば少年は正気ではいられなくなる。
一方で、男は女を刺した後も、近くにいた人までも刺していた。遂には自らの懐から拳銃を取り出し発砲を始めた。男は笑っていた。凶悪な笑み。誰が見ても異常と答える。
恐らく目的は最初の一撃で達せられていただろうが男は人を殺戮するという常識とはかけ離れた境地に至ってしまった。それ故に、殺人に…血が吹き出して人がもがき苦しみ、喘ぐ姿を見て興奮していたのだ。
…その魔の手は那月にも伸びてきねいた。
ここから新章です。暫くは和人達は出てしません。それにしても、これを書いていると終わりが近いと感じます。
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