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二人が住む素敵な部屋の話をしよう

作者: 古池ねじ
掲載日:2016/06/24

 若草色の二人掛けのソファだ。かわいらしい見た目に惹かれて腰かけてみると、思ったよりも座り心地がよくて、立ち上がりたくなくなった。昼からずっとあちこち歩き詰めの脚に、疲労がじんわりしみだしてくる。

「何してるの」

 優吾は笑って、でも荷物を置いて隣に座ってくれる。優吾も疲れているのかもしれない。

「これ、いいね」

 ほらね。私は微笑む。同じソファに座って、同じ心地よさを二人とも経験しているということがうれしかった。

「いいなって思うのは、やっぱり高いな」

 サイドテーブルに置かれた値札を見て優吾が言う。一五四〇〇〇円。サイドテーブルは三二四〇〇円。深く座りなおして背もたれに体重をかけても、しっかりと受け止められる。小さくお尻を弾ませても、きしみもしない。明るいけれど目になじむ色合いも、さらっとした手触りもいい。金額の高さがそのまま良さのように感じてしまう。ほしい。すごくほしい。

「でも私これがいいな。これ買おう」

「これ?」

「これがいい」

 優吾がちいさく笑う気配がした。

「オットマンは?」

 その質問には私が笑う。

「オットマンって単語を耳にしたの初めてかもしれない」

「足置きは買いますか?」

「このソファとセットのやつってあるの?」

「あると思うよ。ここのソファは全部同じデザインのオットマンも作ってるはず」

「くわしい」

「さっき別のソファの値札のところに書いてあった」

「じゃあオットマンもほしい。買おう」

「了解。ほかには?」

 私はきょろきょろ店内を見渡した。デパートの五階のこのお店の家具は、確か日本で作っているはずだけど全体に北欧っぽいデザインで、木の色合いが優しく、形はシンプルで、少し無骨なところが好ましい。こんなものに囲まれていたらさぞ贅沢な気分で暮らせるだろう。

「あれがほしい。あのドレッサー」

 その中で、一番贅沢な気分になりそうなものを指さした。何の装飾もなくて素朴なほどシンプルで使いやすそうだけれど、細い脚がさりげなく洗練されていてとても素敵だ。値段はわからないけど、いかにも高そう。でも、というか、だから、というか、ほしかった。とにかく高そうなあのドレッサーがほしい。

「じゃあ椅子も必要だな」

 優吾も煽ってくる。

「じゃああれ」

 一瞬で決めて背もたれのない小ぶりなスツールを指さす。朝ドレッサーの前であれに座ったら、出勤前の化粧もきっと今より楽しい。

「いいね。ほかには?」

「あれ」

 考えもせずに指さす。

「お、食器棚か。いいね」

「中身もあとで見に行こう。食器いっぱいほしいな。ラムカンとか買いたい」

「ラムカンって何? ブランド?」

「ブランドじゃなくてお皿の種類。スフレとかのココットとかに使うやつ」

「よし買おう」

「わかって言ってる?」

「わからないで言ってる」

 二人で顔を見合わせて笑う。

「そのラムカン? 買ったら何作るの」

「え、なんだろ。茶碗蒸しとか?」

「茶碗蒸し?」

 意外そうに尋ねる。考える前に口が話したことだから、自分でも意外だった。なんでそんなことを言ったのか後から考える。

「優吾、茶碗蒸し好きでしょ?」

「言ったことあったかな」

 聞いたことはなかった。でも好きなことは知っていた。

「回転寿司で毎回取ってる」

「そうだっけ」

「そうだよ」

「茶碗蒸しに何入れる?」

「え、銀杏」

「だけ?」

「えー……うちの茶碗蒸しなんでも入ってるからな……銀杏以外にこだわりないや」

「ないんだ」

「私は作ったことないし」

「それもないんだ」

「ラムカン買ったら作るよ」

 無責任な言いぐさに、優吾がいかにも本気にしてないふうで笑う。

「ラムカンすごいな」

「たぶん実物見れば「あーこういうのか」ってなるよ」

「なるかな?」

「なるよ。「あー結婚式の引き出物のカタログに載ってるあれかー」って」

「わかったようなわからないような」

「わかんないんでしょ」

「よくわかったね」

 肩に頭を軽くぶつける。痛いな、と優吾は笑う。石鹸と洗剤とシャンプーが薄い体臭のうえにまじりあった、嗅ぎなれたにおいの広い肩に、頭をくっつけたまま言う。

「ほかに重たい鍋とかほしいな」

「重たい鍋」

「重たい鍋で煮込むとおいしいらしいよ」

「ちょっとそれは語りが雑過ぎない?」

「伝わらない? ニュアンス」

「あんまり伝わらない」

「そっかあ」

 鋳物ホーロー鍋という煮込み料理に強い種類の重たくて高い鍋があってね、と説明してもよかったけど、いいソファに座って優吾の肩に頭を乗せたままで、そんな気にもなれなかった。

「とにかく重たい鍋がほしいんだね。あとは?」

「あと、あとは、うーん。なんだろ」

 ほしいもの。素敵なもの。贅沢なもの。考えてみる。

「言いなよ。なんでも。ほしいもの」

「ほしいもの」

「最高の新居にしよう」

「最高の新居」

 声に出してその響きを確かめる。最高の新居。若草色のソファ。揃いのオットマン。シンプルだけどつくづくかわいいドレッサーとスツール。大きくて、色とりどりの食器が詰まっている食器棚。どっしりした鋳物ホーロー鍋。素敵なものばかりに囲まれた、快適な家。そこにいるだけで安らいで、楽しくて、どこを見てもうれしい。そういう家。最高の新居。そこに必要なもの。優吾の肩にくっついたまま、私は言う。石鹸とシャンプーと洗剤の匂いに守られた、優吾の匂い。どうということもない、でもこの人だけの匂いだ。

「優吾がいればいいよ」

 冗談のように言ったつもりだけれど、冗談のようには響かなかった。優吾がいればいいよ。

「そっかあ」

 優吾の答えはそれだけだった。私は微笑んで、少しの気合を入れて、優吾の肩から頭を離す。これだけの距離でも、もう優吾の匂いは私に届かない。口を開くと余計な言葉が出てくるのがわかっていたので、黙ってあたりを見渡した。私の好みにぴったりの家具。小学生ぐらいの女の子を連れた落ち着いた服装の夫婦の客が、椅子を選んでいる。それは素敵な光景だった。でも、私にはなんの関係もない光景だ。うつむいて下唇を噛んだ。優吾も黙っている。

「明日来る?」

 沈黙の後、優吾が尋ねた。質問というより確認だ。私は首を横に振る。

「行かない。遠いもん」

「遠いか」

「駅ならともかく空港は遠い」

 旅立つためでなく、別れるために行くのなら、私には遠い。

「まあそうだね。なんもないし」

 優吾がいるよ。

 そう思った。思っただけだ。口には出さない。それを口にする権利は、もう私にはなかった。もう少し前にそれを口にしていたら。もう何度も何度も考えたことを、もう一度考える。でもそれは、このソファやオットマンやドレッサーがある新居で、重たい鍋で煮込み料理を作って、ラムカンで茶碗蒸しを作るぐらい、非現実的な空想だった。素敵だけど、本当に素敵で、それがかなったらどれだけ素敵かわからないけれど、でもそれは私の帰る部屋じゃなかった。それは空想の中で、冗談の中でしか、私の帰る部屋にならなかった。現実の私はそれを、選ばなかったのだ。

「そろそろ行こうか」

 優吾が言い、返事を待たずに立ち上がる。今日たくさん買った下着や靴下などの小物や、移動中読むための本を持ち上げる。私も慌てて立ち上がる。優吾は歩き始める。シャツに包まれた肩が私の前にある。あの肩の感触。あの匂い。でも脳みそにある情報からは、うまく再現することができない。ずっと当たり前にそこにあったのに。優吾の脚は早く、一歩ごとに私たちの距離は開く。もうあの匂いを嗅ぐことはないのかもしれない。私は小走りで後を追いかける。家具の売り場からは、あと一歩で出てしまう。

「ねえ、ソファ買う?」

 軽い口調を作って問いかけると優吾は振り向かずに、

「買わない」

 と言った。穏やかな、でもはっきりとした、現実の言葉だった。

 私は微笑もうとしたけどうまくいかず、かといって、涙が出るわけでもなかった。

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