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第二話

 少女の朝は早い。

 日が昇る前に起床し、まず顔を洗う。

 それから水を汲み、その水を厩舎まで運んで馬に餌と一緒に与える。

 馬の世話が終われば、風呂掃除だ。

 最初に入った時が例外だったのであって、普通は夜に入る。

 その為、朝に掃除をするのだ。一日の汗を流した後に、汗をかくのはおかしなことであるから。

 掃除が終わるころには、男が朝餉(あさげ)の支度を終わらせている。

 そして、朝食の時となるのだ。


「先生、今日のご予定は?」

「森に薬草を取りに行く。……そろそろお前の傷も癒え、病も良くなってきたことだ。ついてくるか?」

「是非!」


 少女が奴隷として買われ、男の弟子となってから既に四か月が経過していた。

 傷痕は薄くはなったものの、少女は痛々しいままだ。

 しかし骨と皮ばかりだった肌は少しふっくらとしてきたし、その顔には悲観では無く喜色が浮かんでいる。

 儚さはそのままに、少女らしくなっていた。


「では、飯を食べ終え暫くしたら行くとしよう」

「はい!」


 男は短い間ではあるが、少女と接してきたことにより丸くなっている。

 きまぐれに奴隷を買った、という慚悔の念も薄らいできたのだろう。

 無愛想という元来の気質に変わりはないが、少女に対して壁を作ったりはしない。


「そういえば、文字の読み書きはどんな調子だ?」

「順調ですよ。先生が教えてくれたおかげで、ある程度は一人で出来るようになりましたから」

「ならばいい。文字は覚えておかないと不便だからな……」


 少女の勉強についての話をしながら、二人は食事を平らげた。


「体調は大丈夫か? また風邪をひかれたりしても困る」

「はい。今日はとても気分がいいです。そんなに心配なさらなくても……」

「あの時は苦労したからな……」


 二月前の事だが、少女は熱を出した。

 幸い、男の薬があれば一日で熱はひいたが、失った体力をすぐに取り戻させることなど出来ない。

 その際看病をしたのだが、少女が病に弱い事もあり、中々の重労働だったのだ。

 それを男は微笑を浮かべながら話題に出したが、少女は申し訳なく思い謝罪を口にした。


「ご迷惑を……ごめんなさい」

「いや、気にすることは無い。冗談だ。……さて、そろそろ準備をするとしよう」












 男と少女は屋敷を出た。

 目指すは視界に広がる森。鬱葱と茂った木々が入り乱れる場所だ。


「うーん、やっぱり動き辛いですね」

「その内慣れる」


 森は深く、様々な危険がある。

 手足を毒虫に刺されることもあれば、枝葉に身を傷つけられることも。

 そんな危険を退ける為、二人はしっかりと装備を整えた。

 手足をしっかりと覆う丈の長い衣服。生地がごわごわしているからか、少女はしきりに気にしている。

 そして道を開くための鉈を持ち、背には籠を背負った。

 男はさらに、多種多様な薬も持ち歩く。


「では、いこうか」

「はい、先生」


 男は躊躇なく、少女はおっかなびっくり森へと入る。

 男からすれば庭のような場所であるし、少女からすれば未知の領域だ。

 故に、森に入って数十分。少女は音をあげた。


「せ、先生。申し訳ないです……。少し、歩く速さを……」

「ん? ああ。すまない」


 男はどんどんと先に進み、それを懸命に追いかけた少女。しかし限界が訪れ、はぐれそうになったところでやっと言葉を放ったのだ。

 少女の元まで取って返す男。


「休むか?」

「いえ、体力はご心配なさらないでください」

「そうか。……やれやれ、またあいつに怒られそうだな」


 あいつ。つまり、女の事だ。

 女は少女の手助けを一週間ほどして、それからまた旅に出た。

 元々、一週間も滞在する予定は無かったのだ。それを少女の為に伸ばしたのである。

 去り際に「弟子ならちゃんとして扱いなせぇよ」と男に言い残した。


「本当に休まなくてもいいのか?」

「はい。このくらいで、へこたれてなんていられませんから」

「ならいいが……」


 再び森の中を突き進んでいく。

 歩きに迷いが無いのは、薬草の群生地を知っているからだ。

 そこへと向かって、ひたすらに歩みを進める。


「今日の薬草は、どのような薬に使うんですか?」


 森は深い。そして代わり映えのしない風景が続く。

 気を紛らわす為か、少女は男に質問をした。


「前に君へ塗った薬だ。痛み止め、治癒促進、痣消し。まあ、そんなところだ」

「わ、わたしにも作れますか?」

「教えればな。ふむ……そうだな。そろそろ教えてみてもいいかもしれんな」

「本当ですか!?」


 誰にも薬の製法を教えないと言われる男が、あっさり教えてもいいと言ったのだ。

 驚くのも無理はないだろう。

 だが男には、驚かれる方が不思議なようだ。


「別に秘している訳でもない。単に弟子がいなかったから、誰も製法を知らんだけだ」

「あの人は……?」

「製法を教える前に破門した」

「そうなんですか……」


 ならば何故、弟子になって間もないであろう自分に教えるのか。

 今度はそのことが気になる少女。


「あの……差し支えなければ」

「なんだ?」

「どうしてわたしに教えてくださるんですか?」

「……あいつは私の研究を知っていた。君は知らない。その違いだ」

「研究?」

「それはまた後に話そう。見えたぞ」


 男が一際巨大な木の根を乗り越えた先。そこには、一面に黄色い葉の植物が生えていた。


「あれが薬草だ……はぁ」


 男は、根が大きいため乗り越えられずにいた少女に手を貸す。

 伸ばされた手を掴んで、上へと引っ張り上げた。


「あ、ありがとうございます……」


 少女はそのまま男と共に、薬草の採取を開始した。


「取り方などに工夫は?」

「必要ない。根はいらないから、茎からへし折ってもいいぞ」


 それから黙々と、言葉を交わさず薬草を採っていく二人。

 草木のがさがさという擦れ合う音。そして鳥の鳴き声がどこからともなく聞こえてくる。

 特に気をつけず、ただのBGMとしてその音を聞いていた男。

 だが常より騒々しいことに気付いた。


(ん……?)


 鳥は囀るのではなくぴぃぴぃと叫び、草木は風ではない何かで動いている。


「……気をつけろ。何か面倒な生物がいるかもしれん」

「面倒な生物……? 狼とかですか?」


 少女の予想は的中した。

 まだ離れてはいるが、この薬草の群生地帯へ狼の群れが姿を現したのだ。

 一頭の老狼に率いられた、八匹ほどの群れ。

 男はそれを視界に入れると、少女へ不用意に動かないよう合図する。

 そして小声で喋りかけた。


「逃げるぞ。君の籠は放置だ」

「は、はい」

「走るぞ。いいな?」

「大丈夫です」


 男は少女に籠を背負ったまま走らせるのは酷だと考え、指示を出す。

 狼はこちらに気付いているようだが、手は出してこない。まだ獲物かどうか判断しあぐねているのだろう。


「いくぞ」

「はい!」


 その隙に男は立ちあがると、少女と共に再び木の根を乗り越え、走り出した。

 狼たちもそれを見ると、その背を追い始める。

 疾走する男と少女。少女は行きにある程度森に慣れた為、走れるようにはなった。


「走れなくなったら言え!」

「まだ大丈夫です!」


 狼の足は速い。しかし男には策があった。

 遂に二匹ほどが背を捉える。

 それを確認した男は、狼めがけ懐から取り出したものを投げつけた。


「ギャンッ」

「クゥン……」


 薬草を煮詰め、混ぜ合わせた霊薬の一つ。ただあまりにも激烈な刺激臭を発するため、ビンに入れられている。

 それを投げつけることで、狼を撃退した。


「すごいですね!」

「まだ二匹だ。すぐに別のが来るぞ」


 その前に逃げる。

 そう言って、さらに森を駆け続ける二人。

 悪い足場に四苦八苦し、木々を避けながら足を動かす。

 だが狼も慣れたもの。その身軽さと脚力を活かし、三頭が二人の正面に回りこんだ。


「まったく……」

「せ、先生……」


 今にも跳びかからんと唸りながら姿勢を低く構えている。

 立ち止まり睨み返す男だが、野生の生物に怒りをぶつけても意味が無い。

 しかし、ここでまだ狼が跳びかかってこない理由に気付いた。

 長がいないのだ。統率する存在がいなければ、獲物を襲うことが出来ない。そういう習性を持つ狼だった。


「今ならまだ間に合うな」


 目配せし、再び走る用意を少女にさせる。

 そして懐から先程の薬を取り出し、ぶん投げた。

 飛び散る薬。もがき苦しむ狼。


「息を止めろ!」


 臭いをかがないよう指示を出し、狼たちの間を駆け抜ける。

 無事走り抜けられたことに、少女は安堵した。


「い、いけましたね」

「……何かおかしい。群れの長が狩りの途中でいなくなるなど」


 この狼は森の中でも上位に位置する強者だ。他には熊などもいるが、群れを成す存在で言えば狼が一番強い。

 しかし絶対強者ではないのである。

 男は理解した。

 森が騒がしかったのは、決して狼だけの所為では無かったという事を。


「隠れるぞ」

「へ? え、あ、はい」


 逃げから一転、身を隠すという選択をした男に戸惑いながらも、少女は従う。

 結論から言うと、その判断は正解だった。

 大木の根元に身を隠した所で、森が影で覆われたのだから。


「何ですか、あれ……」

「大鷲か。久方ぶりに目にしたな……」


 空に羽ばたく一羽の巨鳥。

 軽く五メートルはあるその巨体は、悠々と足に狼を掴み飛行する。

 口は血肉で真っ赤に染まり、どこかで食事をしてきたというのも一目瞭然だ。


「この森の主だ。まあ、滅多に姿は現さないが……助かったな」

「た、食べられたりしませんか?」

「食われるぞ。こうして隠れていれば別だが。……隙を見て、屋敷へと戻ろうか」


 暫く待ち、空に大鷲の姿が無くなった所で二人は屋敷への帰途に就く。

 狼の影も見えなくなったので、落ち着いて森を歩くことが可能となった。

 疲労を顔に滲ませながらも、その歩みは快調な男。しかし少女はどうにもふらふらとしている。

 最初は疲れがピークに達したのだろうと、少女の歩幅に合わせる男だったが、だんだんその進む速度が落ちていることに気付いた。


「どうした?」

「い、いえ。なんでもありません」

「ずいぶんと苦しそうだが……」

「大丈夫です。はい」


 頑なに問題は生じていないと主張する少女の様子を訝しむ男。

 奴隷という枠を脱し、数か月経ったとはいえ気質はそう変わらない。

 つまり遠慮しているという事は、


「すまん、触るぞ」


 男は立ち止まり、少女の体をぺたぺたと触っていく。

 そして足に怪我をしているという事、腕を何らかの毒虫に刺されている事を確認した。


「早く言えばいいものを」


 怪我は石か枝で抉られたようで、毒虫に刺された箇所は大きく腫れ上がっている。

 激痛を発しているだろう。

 それを我慢していたという事実に憤慨したくなる男だが、この状態を放置するわけにもいかない。

 少女を抱き上げると、急いで屋敷へと戻った。












 三日後、怪我が治り腫れも収まった少女とは対称的に男は熱を出した。


 

 

 

 

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