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第一話

 男は死にかけていた奴隷を買った。

 何か深い理由があった訳でも、そのあまりに悲惨な境遇に涙したからでもない。

 ただ何となく。

 それだけの理由で、男は奴隷を買った。


「……こ、これからよろしくお願いします、ご主人様」

「挨拶など必要ない」


 この男は変わり者で有名だった。

 類を見ないほど優れた薬師で、どんな病でも治せる霊薬を作れるのだが、与える相手は選ぶ。

 弟子も取らず、自らの成果も記録せず。

 ただ気の向くままに薬を作っては、それを与えたい者に与える。

 そんな毎日を繰り返しているのだ。

 奴隷だった少女も、その名声と奇矯な振る舞いは音に聞いていた。


「どうして、わたしを買ったのですか……?」


 だからその高名な人物が、自分を買ったという事が未だ信じられない。

 己に価値などないと思っていたからだ。

 少女の見た目は悪くない。

 可愛らしい顔であるし、妖精のような儚さを併せ持っている。

 奴隷としても非常に高い価値があっただろう。重い病であるという事柄と、全身に醜い傷が無ければ。


「意味は無い。気が向いたから、ただそれだけだ」

「はぁ……」

「不服か?」

「い、いえ。滅相も御座いません」


 堅い地面だというのに、少女は火傷の痕が残った頭を下げて平伏する。


「頭を下げるな。面倒だ」

「ご、ごめんなさい」


 不機嫌そうな声に泣きそうになりながら、少女は面を上げた。

 その少女に向かって、男は手を伸ばす。

 ()たれる。

 そう思い、目を瞑った少女。

 だが予想していたことは起こらなかった。


「え……?」


 男は少女の襟首を掴み、抱き上げたのだ。

 予想だにしないその行為に、少女は目を白黒させる。


「こんな往来で目立ちたくない。さっさといくぞ」


 その言葉で、はっと気づく少女。

 周りを見渡せば、通りすがる人々が変な物を見る目で二人を見つめていた。

 いきなり少女が地に這いつくばれば、何事かと思うのは当然だろう。


「し、失礼を……」

「気をつけろ。私は目立つわけにはいかんのだ」


 厄介ごとを呼び込むから、と男は少女に言いつけると、その場を足早に立ち去った。

 途中で主に抱っこされる訳にはいかないと少女は降りようとしたが、足が不自由なお前は歩くのが遅いと言われ、渋々引き下がる。

 主にかける迷惑の度合いが低い方を選択したのだ。

 とても申し訳なさそうにしながら、少女は体を丸めた。










 (うまや)に着いた。

 男は自分の馬をここに預けていたのだ。

 男の家はこの都から離れた、森の奥にある湖の畔にあった。だから帰るためには、馬に乗らなければ時間がかかる。


「馬に乗ったことは?」

「ありません……」

「ならばしっかり掴んでいろ。下手に動かなければ落ちることは無い」


 男は少女を馬に乗せると、同じように自分も馬に跨った。


「……私の腰を掴め」

「は、はい」


 少女は馬という初めての存在に落ち着か無いようで、心配そうにキョロキョロしている。


「だ、大丈夫ですよね」

「掴んでいれば問題ない。何度も言わせるな」


 男には少女の動揺が分からないようだ。

 眉根を寄せて、じっとしているよう言いつける。


「いくぞ」


 一つ声を掛けて、男は馬を動かした。

 街中なので速度を出すことはないが、それでも人が歩くよりは速い。

 早々に都の関所たる、門へとたどり着いた。


「乗って待っていろ。手続きはすぐ終わる」


 男はそう言うと、素早く馬から降りて通行証を見せに行く。都に出入りするためには通行証が必要となるのだ。

 その間、少女は一人、馬の上で男を待つ。

 手持無沙汰になった少女は、暇つぶしに馬の観察を始めた。


「大きいな……」


 これほどの名馬を見たことが無かった少女。

 惚れ惚れしながらじっと見つめていると、ふと馬の目が合った。

 主に似て落ち着いた馬。身動きせずに、主の帰りを待つ。そんな堂々とした馬だったが、少女と目を交わした次の瞬間、突然(いなな)いた。


「きゃぁ!」


 嘶きと共にばたばたと暴れる馬。

 その背に乗っていた少女は、力が無かったため簡単に落とされた。


「痛っ!」


 強かに地面へと打ちつけられる少女。

 周りの者も、突如暴れだした馬に驚いたようだ。


「な、何事だぁ!」

「うへぇ! でけぇ馬が!」

「お、おい。子供が倒れてるぞ!」


 一人が少女を指差した。

 少女は落ちた時の衝撃で気を失っており、その場に横たわっている。

 それを周りの人々は助けようとするが、馬が暴れて近寄れない。

 少女が踏み潰されるのも時間の問題か。そう思われた時に、男が戻った。


「まったく……」


 無造作に馬へと近づき、その首筋を撫でる。

 すると、すぐに馬は暴れるのを止めた。


「この馬は気難しいのだ……。気絶しているのか」


 少々遅い注意をする男だったが、少女が意識を失っていることに気付く。

 一つ大きなため息を吐き、優しく少女を抱き上げた。

 そのまま少女を抱える様に、馬へと乗る。

 片手で手綱を、もう片手で少女を。そうしてバランスを取ると、周りに響く声を発した。


「騒ぎを起こしてすまなかったな!」


 謝罪と共に、馬を駆けさせる。

 目指すは自宅。男は騒然としている場から急いで離脱した。












 少女が目を覚ましたのは、既に夜が更け朝日が昇り始めた時刻だ。

 ぽーっとした顔で、辺りを見回す。


(ここは……)


 見慣れぬ光景を視界に入れ、回らない頭で寝る前の事を思い出そうとする。


(確か……馬に乗って、落ちて。そうだ、ご主人様は!)


 慌てて起き上がろうとするが、足腰の悪い少女はすぐに倒れこんだ。

 その時、一人の女が襖を開けて部屋に入ってくる。

 女は倒れている少女を見ると、急いで傍へと寄った。


「やや、大丈夫ですかい?」


 俗な言葉遣いの女は、そっと少女の手を取り体を起こさせる。

 起こされた少女は、また人に迷惑をかけてしまったと謝罪を口にした。


「ごめんなさい、手を煩わせてしまって……」

「気にするこたぁねぇです」


 にかっと笑って、女は少女に気にしないよう伝えた。

 そのまま少女を抱き上げ、部屋から出る。


「あの、どちらへ……?」

「まずは、風呂。それから飯ですな。その召し物じゃあ、この屋敷には似つかわしくねぇでしょう?」


 少女が来ていたのは襤褸(ぼろ)。それも垢と土にまみれ薄汚れた、肌を隠す以外に用途を見いだせないひどいものだ。

 それをまだ着ているという事は、その状態で布団に入れられたという事。

 そう思い至った少女は、また詫びる。


「ふ、布団を汚してしまいました……」

「そのことを謝るなら、あの人ですぜ。こんな子供を汚れたままほっとくなんざ、いただけねぇ」

「い、いえ。その扱いが、奴隷には相応しいのです。布団すら用意してくれるなんて……」

「んなこと気にしなくていいんですよ。子供らしく振る舞いなさいって」

「で、でも……」

「あー、めんどくさい! 奴隷根性はとりあえず捨て置いてくだせぇ。先生も一々へこへこされたら嫌がるでしょうし」


 考え込み、口を噤む少女。

 徹底的に奴隷として教育された少女には、どうしていいのか分からないのだ。

 自分にとっての常が相手にとっての常ではない。

 こんなことに遭遇するなど、考えてもみなかったのである。


「さて、ここが浴場でさ。まあ寛いでいきなせぇ。といっても、あっしの家じゃありませんが」


 話している内に、浴場へと着いた。

 女は少女を降ろすと襤褸切れを剥ぎ取り、自分も服を脱いだ。


「入りましょか」

「失礼します……」


 風呂に入った事のない少女は、おっかなびっくり足を踏み入れる。

 そして漂ってきた匂いに安らぎを抱いた。


「ご主人様の匂いがしますね……」

「そりゃあ、先生は毎日ここに入ってますし、ここの薬湯に使われている薬草はあの人がよく使うものですからなぁ」


 女はそう呟きながら、湯船から桶で湯を掬う。

 それで少女の体を一度流すと、薬剤をつけた繊維の塊で体を丁寧に擦り始めた。

 少女の体には、火傷の痕や鞭で打たれた痕、切り傷のようなものまである。


「ひでぇ傷だこと……」

「き、汚いですよね」

「んなこたぁねぇ。傷は傷みませんかい?」

「ちょっと沁みますけど、大丈夫です。……優しくしてくださって、ありがとうございます」


 とりあえず、過度の謝罪することは嫌がられると学習した少女は、ただ感謝を述べるに止めた。


「いいえぇ。先生の言いつけでもありますし、そも、こんな女の子にひでぇ真似出来る奴なんてそうはいやしませんぜ」


 女は少女の体を洗い終えると、今度は頭を洗う。

 同じように薬剤をつけ、壊れ物を扱うかのように。

 少女は目を細めながら、会話を続ける。


「あの、そういえばご主人様とはどういうご関係なんですか? 先生、って……」

「弟子……だったんでさ。まあ、破門されたんですよ。今はたまに会う程度です。あんたに出会ったのも、偶然ですな。久々に会いに来たら、奴隷の世話を頼まれたんで驚きやした」


 破門された割には、まだ良好な関係があるようだ。

 少女はそう思った。


「どうして破門されたんですか……?」

「さぁ? 気まぐれでしょう。十分なことは教えてもらいましたし、これ以上教えることが無いと思ったんじゃないですかね」


 言葉とは裏腹に、女は破門された理由が分かっているらしかった。

 言葉に気持ちが籠っていなかったからだ。

 嘘ではないが、事実でもない。少女はこれ以上詮索するのをやめようと、適当に返事をした。


「そうですか……」

「さて、髪も洗い終わりましたよ。ちゃちゃっと風呂入って、先生に会いに行きましょうか」


 二人はそのままゆっくりと湯船に浸かり、落ち着いた一時を過ごした。










「あ、あの服はどうすれば……」

「あー、先生が用意してるはずです。たぶん、先に薬を塗りたいんじゃないですかね?」


 先に服を着た女は、少女の体を指差す。


「先生の薬は、傷どころか傷痕も治せますからな。女の子が傷だらけってのもあれですし、素直に治療してもらうのがいいかと」

「は、はい」


 女は、傷が治ると聞いて少しばかり嬉しそうな少女を再び抱き上げる。

 今は布一枚で体を覆っているだけだ。風邪をひかせないように、しっかりと包み込む。


「じゃ、行きますよ」


 迷いなくすたすたと歩いていき、男のいる部屋まで向かう。

 屋敷はさほど広くないため、すぐに男の部屋へと辿り着いた。


「先生、入りますよ」

「風呂から上がったか。ご苦労」


 女は少女を降ろすと襖を滑らせ、中へと足を踏み入れる。

 男は暇つぶしなのか書を読んでおり、その周りには様々な薬品が置かれていた。


「……さて」


 書を畳み、手招きして傍へと寄るよう伝える男。

 少女は招かれるままに、とてとてと近寄る。


「背中を向けろ」

「は、はい」


 くるりと向きを変え、言われた通りに男へ背を向けた少女。

 男は傍に在った薬の一つを取ると、その背へ無造作に塗り始めた。


「ひゃっ」

「染みるか? 我慢しろ」


 少女が声を上げたのは、染みるというのもあるが、何よりもいきなり肌に触れられたからだ。

 くすぐったいのか顔を赤くして我慢している。


「終わったぞ」


 塗ったのは背中だけ。そのため、薬はすぐに塗り終わった。


「前や顔は自分で塗れ。私は食事を取ってくる。……お前も手伝え」


 男は女を伴い、すでに用意していた食べ物を取りに行く。

 暫くして。

 少女が全身に薬を塗り終わったころ、膳を持って二人は戻った。

 そのまま黙して食事を取る。

 誰も喋らなかったのは、男が不機嫌な雰囲気を醸していたからだ。

 何故かは分からないが、気分を害している。下手に触れるのは躊躇われた。

 しかし、その静かな空間も崩れる。

 当の本人である、男が声を発したのだ。


「……どうした? あまり箸が進んでいないようだが」


 男が気にしたのは、少女があまり食事に手を付けていなかったことである。


「不味かったか?」

「いえ、とてもおいしいです。けど、奴隷が主と食事を共にしていいのかと……」


 少女の発言に、女は天を仰いだ。

 またか、と。


「先生、もう我慢ならねぇ。はっきりしてくだせぇ。この子を何のために買ったんです? 奴隷として買ったんならそう遇すりゃいい。けど、まるで実の娘みてぇだ。でもそれにしちゃ、扱いが杜撰にすぎやす」


 女は少女を奴隷として扱うのか娘として扱うのか、はっきりしろと男に問う。


「もしかして、あれですかい。『共』ですかい?」

「やめろ。その話は終わった事だ」


 苦虫を噛み潰したような顔となる男。

 ただ意見をはっきりしなければならないというのは、理解しているようだ。


「では、君はどうして欲しい? 私は君を奴隷として扱いたくはない。そのようなことをすれば、幼子が買い与えられた玩具を壊すのと同じことだからな」


 男は自分の気まぐれで買った少女を痛めつける真似はしたくないと言う。


「とりあえず、病と怪我は私の元にいれば治る。君のしたいことは何だ?」


 これからどうしたいのか。

 質問を投げかけられ、答えに窮する少女。

 奴隷であるということを否定され、自分の在り方とは何なのかを考えているのだ。

 考えに考え抜いた末、一つの答えを出した。


「わ、わたしを弟子にしてください!」

「へぇ?」

「ふむ」


 少女がこの答えを導き出すための要因としたのは、目の前の女だ。

 「先生に頼まれた」そう朝に言っていた。

 そして先程も膳を運ぶのを手伝えと言われている。

 奴隷をこき使うのは嫌だが、弟子を顎で使う分にはいい。つまり、そういうこと。

 その考えに至った少女は、主人の為に身を粉に出来る立場として、弟子を選んだ。


「だ、駄目でしょうか?」

「……合分かった。では、これより君を弟子としよう」

「いいんですかい?」

「ああ。そう重労働などはさせんからな」


 了承を得た少女は顔を花のように綻ばせ、男はむすっとしながらも文句は言わない。

 弟子となった少女と、師匠となった男との生活が始まった。

 


 


 

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