意識世界の旅人5 絶対的な体験操作能力の管理の前では悪いことなどできなくなる
私は、この体験操作能力 を使えば、あらゆる残酷な歴史が、現在が、未来が、、、、書き換えれることを知りました。
とある世界で、とある悪魔が、人を化け物に変えて、他の人々を襲わせたという過去がありました。
そこで、私は、時空を超えて、この体験操作能力を使ってみました。
すると、その化け物にされた人たちは、最高の喜びを味わいました。
また、その化け物に襲われた人たちもまた、最高の喜びを味わいました。
そして、悲劇の歴史が、、、まるっきり違うものに変化しました。
そうなると、もう、誰も化け物を怖れなくなり、むしろ、化け物の出現を待ち望むようになり、、、
しまいには、世界は、化け物に襲われたがる人たちばかりになりました。
キャー、襲ってー!襲ってー!と、まるで芸能界の人気歌手にまといつくファンたちのように、人々は化け物たちに、群がりました。
化け物たちも、そのうちに、順番順番、、、、、などと、、、言い始める始末です。
そこには、、、、何か、この世のものならぬものがありましたが、、、
みんなとてつもなく楽しそうで幸せそうなので、それもまあ、いいのかな、、、と思うことにしました。
もはや、彼らは、肉体の死などまったく恐れていませんでした。
死んで霊となってすら、同じような遊びに打ち興じる始末でした。
え? 私、、、、ですか、、、まあ、当然、一緒に遊びましたとも。。。
え?不謹慎? まあ、そうかもしれませんね、、、ですが、気持ちのよいことをやりあうということが不謹慎というならば、、、それって、いけないことですか?
あらゆるいじめは、相手を幸せにしてしまう、、、ように体験の紐づけをしてしまった世界では、、、、似たようなことが起こっていました。
もはや、いじめは、表面的にはいじめのようでいじめではなくなってしまったのです。
いかに酷いことをしようが、相手は最高の体験をするのです。
いかに、良いことをしようが、やっぱり相手は最高の体験をするのです。
何をしょうが、、、相手は最高の体験をする。最高に幸せになってしまう。。。。
こうなると、もはや、いじめっ子たちは、手の打ちようがありません。
そもそも、世界は、そういう基礎設定でよかったのだと思います。
何をしたって、最高の体験しか生じないという設定です。
強制収容所のようなところでは、囚人たちが、骨と皮状態で、毎日お祝いをしています。
鼻歌まじりで、踊ったり、抱き合ったりしています。
みんなとても幸せそうです。
看守たちも、囚人たちに、暴行を繰り返しながら、幸せそうです。
暴行された囚人たちも、嬉しそうです。
そんな、異様な世界が、出現していました。
ですが、それも、悪くはないのではないかと思いました。
もはや、彼らは、強制収容所を、遊園地くらいにしか思っていませんでしたから、、、
私は、そうして、物事の本質 に気がつき始めました。
自分にも他人にも、何をしても最高の幸せが発生するような世界で、、、どんな悪事ができるでしょうか?
そもそも、そうした設定では、「悪いこと」を実行することがそもそもできないのです。
そして、悪いカルマというものも、そもそも生まれなくなります。
さて、そこまで理解できれば、「悪」というものがなぜ世界生まれたのか、、、見えてきませんか?
もし、わからないようなら、ちょっと、この設定の世界で、どんな「悪いこと」ができるか考えてみてください。
ちなみに、「何をしてもされても、関係する魂全員に最高の満足が発生してしまう、、、という設定」です。
どうですか? 悪い事、、、できましたか?
そうした世界では、悪いことをするのは無理でしょう?