意識世界の旅人3 体験操作能力を使ってわかったこと
私は、この体験操作能力を使って、他者に与えられた体験を、そのまま他者に返すようにしてみました。
痛みには、痛みを、、、苦しみには苦しみを、、、悲しみには悲しみを、、、
喜びには喜びを、満足には満足を、、、
そうすることで、相手が,自分が与えている体験に気がつけるように、そうしたのです。
多くの人は、自分が他者にしていることで、相手がどんな体験をしているのかに、気がついていませんでした。
相手の痛みがちゃんとわからない、、、ということが、ある世界では当たり前になっていました。
財産を奪われたら、どんな気持ちになるのか、、、否定されるとどんな気持ちになるのか、、、家を燃やされたら、どんな気持ちになるのか、、、殴られたら、どんな気持ちになるのか、、、、どんな体験になるのか。。。。
それを知ることで、酷い体験を他の魂に与えないようになると思ったのです。
ただ、、、同じことをされても、それで受ける体験は、人によってかなり違いました。
苦行をつづけているような一部の修行者は、何をされてもほとんど動じませんでした。
その訓練をしていたからです。
ある人は、ほんのちょっと悪口を言われただけで、死にたくなるくらいの気持ちになり落ち込みました。ずっと過保護に育っていて、抵抗力がなかったからです。
私は、一体、この違いは何なの?と思ったものです。
だから、その体験の感受性の違いに応じた適正な補正をするのがとてもめんどうでした。
最終的には、そうした補正とか教育が、あまりにめんどくさくなったので、結局、私は、あらゆる魂にその望む体験を与えることにしました。
魂たちは、いろいろな体験を望みましたが、その願う体験も、、、その体験を味わううちに、変化してゆくことに気がつきました。
まあ、ラーメンばかり食べていると、カレーライスも食べたくなるようなものなのでしょう。
私は、いろいろな体験を知るために、いろいろな体験を味見しました。
まったく知らない体験は与えることはできなかったからです。
体験には、いろいろな種類がありましたが、、、大きく分けて、
肉体の五感から生じる体験
感情や気分から生じる体験
イメージや思考によって生じる体験
それらの体験が、分ちがたく合体されているような体験
に分類されました。
お金持ちになりたい、、、などの願望は、本能の願望も社会的な願望も私的な願望も良心的な願望も、、、お金でかなりの程度、満たせるために、それを願うものが多いということが理解できました。
ですが、、、、お金では、得られないものも、たくさんありました。
望む体験は、お金で得られる場合もありましたが、いくらお金を出しても、
得られない体験もかなりありました。
一生満足な貧者と、一生不満足な富者と、、、どちらかを選ぶ?と問われたら、
あなたは、どちらを選ぶでしょう?
私は、その両方の状態を知っているので、、、、迷うことはありません。
求める体験を得ることができないお金をいくら持っていても、しょうがないからです。
そして、気がつきました。
「体験そのものを自由にできる能力は、魂が持つ力の中で最高で最強である」ということに。。。