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意識世界の旅人1   序章

とある日に、以下のようなメッセージが受信された


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


あらゆる魂は、この質問に答えなさい。



「あらゆる魂が、自分の望む体験を自由に選べる世界の実現」を汝は、意志するや否や?




私は、意識世界の旅人。


意識世界を旅して、いろいろな世界を調べてきました。


なぜ、この世界は、このようであるのか?

なぜ、この世界は、このようでなければならないのか?


私は、いろいろな世界を旅をし、いろいろな世界を見てきました。


いろいろな世界で、魂たちが当然だと思い込んでいることも、実は、ただの思い込みのようなものであるということもたくさんありました。


「文化」や「社会」 というものが違うだけで、人の価値感もまたぜんぜん違っていました。なぜか正反対の価値観となっていることもありました。



さて、、、、実はですね、、、、私は、自分の肉体というものを持ちません。


肉体が私を束縛する牢屋でしかないことに気がついた時に、私は、それを、捨てたのです。


私にとって、それは、何も悲しいことではありませんでした。


牢屋に入れられることのほうが、よっぽど悲しいことなのです。


なぜ、肉体を捨てることが、社会に否定されたり、怖くなったりするのか、、、、

その理由を私は知りました。


それは、私たち魂を、牢屋にいれておくため だったのです。


人々のほとんどが、そのことに気がついていませんでした。


ですが、私は、それに気がつきました。


だから、悲しくなどなかったのです。


むしろ、私は、悲しみや恐怖が強制的に与えられている肉体や心を、冷静に、見ていました。


自分の肉体だけではなく、自分の感情や気分や思考やエネルギーからも、分離して、私は、それらを眺めていたのです。


だから、悲しみや恐怖は存在していましたが、それはただ存在しているだけで、

私に影響を与えませんでした。


よく悲しみに捕われるとか、恐怖に捕われる、、、などと言うでしょう?

真実は、実は、そういうことなのです。


人のほとんどは、皆、そうしたいろいろな本能や欲望や感情に「捕われている」のです。


ですが、ほとんどの人は、それに気がつけません。


目隠しがされていて、その真実を見ることができないからです。


自分を、その本能や感情だと思い込まされているから、見えないのです。


自分の目で自分の目を直接見ることができないように。。。


私は、ある時期、多くの魂たちが、とても死ぬことを恐れているので、助けてあげたいと思いました。


どうしたら、死ぬことを避けれるのか、、、と初めはそんなことばかり考えました。


ですが、、、よく考えてみてください。。。人は、はじめから死ぬように決められているのです。

「生まれた以上、死ぬ」と決められてしまっているのです。


その定めをどう頑張っても変えることができないのに、死ぬことを恐れているのもバカバカしい話でしょう?


死ぬと決まっているのに、死ぬまで死ぬことを怖れるなんて、あまりにも無駄なことではないでしょうか?


それではまるで、私達は、死ぬことを怖れるために、生まれてきたようなものではないですか?


私は、そのバカバカしさに気がつきました。

一体、何のために、魂いは、そんなバカバカしいことに巻き込まれているのでしょう!?


私は、いろいろな世界には、そうした馬鹿げた束縛だらけの世界もあると知りました。


ですが、皆、言うのです。


あなたが死ぬのは悲しいとか、死なれたら迷惑だとか、、、生きるべきだとか、、、


ですが、私は、そこに、「何かおかしなもの」が混じっていることに気がついたのです。


その「おかしなもの」とは、魂を牢屋から出さないように、、、鍵を賭けたり、足かせをつけたり、

囚人同士で監視し合わせたり、囚人同士で脱走を抑止し合わせたり、、、するような魂を牢屋に束縛するための仕組みだったのです。


本能や欲望のほとんども、実は、そういう「何かおかしなもの」でした。


生存本能だとか、死の恐怖だとか、耐え難い苦痛が発生する肉体だとか、、、そんなものは、実は、なくてもよかったのです。いえ、むしろないほうがよかったのです。


そもそも、私たち魂が、そんな束縛だらけ、苦しみだらけの牢獄のような世界で、「生きなければならない」という どんな必要や理由があるのでしょうか?


誰か、答えることができますか?


魂は、そんな世界に、生きなくてもよかったのです。

生まれなくてもよかったのです。


いいえ、私は、生きたいのです、、、と思う人もいるでしょう。

ならば、生きたいうちは、生きればよいでしょう。

ですが、死にたくなれば、死んでもいいはずです。


気持ちよく生きて、気持ちよく死ねる、、、それがまともな世界のはずです。


喫茶店でも遊園地で自分の家でも、入るのも出るのも自由なはずです。


そこが牢獄ではないと証明するためには、そこに入るのも、そこから出るのも、自由でなければならないのです。


無理やり引き込まれ、、、出たくても相当苦しまないと出れない、、、そんな世界は、まともな世界ではありません。


そもそも、はじめから誰にも迷惑をかけずに、生きることも、死ぬことも、できないように設計された牢獄のような世界もあるのです。


そういう世界は、とっても危ないので気を付けなければなりません。


どこにそんな世界があるのかって? 


ふふふ、あなたが、本能や欲望から自由になっていろいろな世界を旅すれば、そのような世界をきっと身近に見つけるでしょう。。。



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