出会いの衝撃
今日から語学学校のクラスがはじまる。ドミトリーを出て語学学校と提携している住居に移る事になっている。
ドミトリーの従業員達は優しかった。
僕はそれまで落ち着かぬ素振りで彼らと距離を置いていたが、一晩泣いてスッキリした笑顔でさよならを言うと、彼らも笑顔で見送ってくれた。
意気揚々と新しく始まった英語のクラス。
心の内では日本人が居たらいいなと思っていたのだが、あいにく一人も居らず、僕は再び疎外感を感じていた。
しかしふと、僕の方を笑顔でチラリと見ては視線を戻したりしている女性を見つけた。
中国系マレー人の女性、彼女の名はヴィーテと言った。
彼女の顔を初めて見た時、僕はドキドキして気が気でなくなってしまった。
この感情を説明するには僕の小学校時代の事を少し話さなければならない。
僕が小学4年生の時、一学期だけ担任をした藤堂先生という人がいた。
藤堂先生は生徒からアイデアを引き出してはすぐに採用し、クラスを活気で包むのが上手だった。
先生は別れ際、クラスのみんなに一人ずつ手作りのプレゼントをくれた。
僕はその先生ととても仲が良かったのだが、何せ一学期だけの繋がり。
先生がくれた優しさ、暖かさ。それを省みる間もなく先生は外国に行ってしまった。
それがマレーシアなのである。僕が旅先をマレーシアに決めたのもこの先生の影響だった。
そして今、眼前にいる僕より年下のヴィーテが、その先生にそっくりなのだ。
長い髪の一部を後ろで束ねた髪型、明朗快活な印象、それが言いようもなく似ているのだ。
異国の人間の中に、自分という存在と共通する何かが感じられるとは思わなかった。
僕は初めて異人種という垣根を超える強い親近感を覚えた。
彼女の方も僕を気にしているみたいだった。
クラスのみんなで昼食を共にしていると、僕ら二人は言語を介する事なく一瞬で同じ空気に包まれた。
会話というのはこの共通の感覚さえあれば、特に話そうと気張らなくても、そこから自然に生まれるものなんだな、とこの時思った。
「今日の夜、勉強教えてくれない?」
英語で話しかけられたが、覚えていない。
話しかけられ、要点を理解し、こちらもたどたどしい英語を返す。
それだけで不思議と会話は成立する。
話すのは全然ダメだが、それとは対照的に、彼女は流暢に話せるのに単語があまり書けないのが不思議だった。
夜、待ち合わせをしていたカフェに行く。彼女はケーキを頼んで待っていた。
彼女は僕が英語の読み書きのできる所を尊敬したらしい。
「入学テストすごい点数だったね。驚いちゃった」
日本人は読み書きだけは無駄にスキルがあるのだと言ったが、それでも彼女には不思議らしかった。
僕が勉強を教えていると、彼女が頭を抱えはじめた。
「どうしてそんなにできるの?私なんて全然できないのに!」
彼女は机に突っ伏した。泣いているのかと僕はオロオロしたけど、それは泣き真似で、彼女はすぐに顔を上げて笑顔になった。
その後、彼女がケーキを一緒に食べようと言ったので、一つのケーキを二人で分けて食べた。不要な気取りや遠慮のようなものが彼女には無いのが心地よかった。
カフェでひとしきり勉強をした後、彼女は僕をジャラン・アローに行かないかと誘ってくれた。
彼女は遠くから通っているのでジャラン・アローには一度も行ったことが無いそうだ。
だから、僕がそこのドミトリーで過ごした事を明かしたらとても驚いた。
マレーシアは日本のような屋台も随所にあるが、ほとんどがフードコートのように開けた場所にテーブルとイスが置かれた所で皆が食事をする。
そこで料理を作っている屋台に直接注文しに行くのが普通だ。
彼女はジャラン・アローが初めてだと言うので緊張しているかと思ったら全くそんな素振りはなく、人だかりの中に入っていって颯爽と僕の分まで注文してテーブルに戻ってきた。
彼女の積極性はこういう文化からも育まれているのだろうか。
サテと呼ばれる串料理がやってきた。これには色々な動物の肉が使われており、とても美味しかった。
膨大なメニューから自分で選ぶより、やはりよく知っている人と食べる方がいいみたいだ。
食事が終わりフルーツジュースを飲みながらゆったりしていると、彼女が一冊の本を出した。
「Divine Healing」と書かれた本は僕が日本で読んだ事のある本の原著だった。
ジャラン・アローに誘われた事も含めて、こういう偶然か必然か分からない共通項がたびたび顔を出してくるのが心地よかった。
「これを読みたいんだけど、勉強しないと読めないの」
彼女はまた両手を出してテーブルに突っ伏した。泣き真似だと分かっているので、僕がつつくと彼女はやはり笑顔で頭を上げた。
彼女はヨガのインストラクターで生活費を得ており、形而上学的な本が好きなようだった。僕もそうだったが、性格が全然違うのに同じ本に惹かれるというのは不思議だ。
彼女は本をしまうと、僕に言った。
「今週、一緒に映画を見ない?」
彼女がとても積極的で僕はたじろいだ。
生憎、その日は離島であるペナン行きのチケットをすでに取っていたので行けない、と言うと彼女は少しだけ悲しそうな顔をした。
それでも彼女はいつでも笑顔を絶やさないので、すぐに笑顔に戻って僕の家族構成や好きな事を興味深く聞いてくれた。
こんなに人に興味を持ってもらったのは初めてかもしれない。
僕は嬉しくて沢山話した。英語の出来不出来など何も問題じゃなかった。
帰る時間になった頃、彼女は見送りはいいと言ったのだが、僕は駅まで送ると言った。少しでも彼女のビックリした顔を見たかったからだ。いや、ただ僕が少しでも長く居たかっただけかもしれない。
それほどまでにこの出会いは大切なものであるように感じられた。
それなのに僕は迂闊にも「彼女とはまた明日学校で会える」と軽い気持ちでいたのだ。
その気持ちは見事に裏切られてしまった。
次の日から僕は風邪をひいて寝込んでしまったのだ。
海外は水の違いで洗礼を受けると聞いていたが、僕も例外では無かったようだ。それに加え、精神的緊張がピークに達しており、半ば必然的に引いた風邪だと思う。
マレーシアの食事は美味しいが、僕のお腹はビックリしていただろう。パンパンに張って苦しかったので、お腹の上に熱い蒸しタオルを当てると随分楽になった。
それから僕は一歩も動けず、ベッドと机があるだけの部屋で週末まで過ごした。
出鼻をくじかれてしまったが仕方ない。英語の勉強はまた来週から頑張るとして、土日はペナンでしっかりと羽を伸ばしてこよう。
そう思わないとやっていられないほど、マレーシアに来てから色んな事が起こりすぎて体が付いて行かなかった。
病み上がりの金曜日、今夜から夜行列車に乗るので、何とか治ってくれて助かった。
23時の発車時刻まで時間があるので、僕はインターネットカフェを探して街に出た。ペナンでの過ごし方を計画する為である。
だが、マレーシアではパソコンでインターネットをする習慣がそれほど無いのか、ネットカフェは小さい建物の2階などにチョコンとあるだけだった。
僕が行こうとしたネットカフェは建物の前でマッサージの勧誘をしている、肌を露出した女性がたむろしていたので、入り辛かった。
仕方なく、別のネットカフェを探すと、イカついバイクが数台停まっているオレンジ色の看板を見つけた。
ここも少し怖かったが、勇気を出して入ってみる事にした。
入り口が電子ロックになっており、中は奇妙なほど薄暗い。しかし席は沢山空いている。
個室などは無いので仕方なく、壁沿いにパソコンが並べられた一席に座る。
すると現地人のスタッフが怖い顔をして近づいてきた。
ヤバイ!先に料金を支払うシステムだったか!?
するとその男は、
「Drink?」
とだけ話しかけてきた。
ワンドリンク制か何かかな。
僕がコーラと言うと、男は2,3分ほどですぐに持ってきた。
僕がハウマッチ?と聞くと彼は笑顔でノーと言った。
ドリンクが無料?後でぼったくる気じゃないだろうな?
と思ったが、周りを見ると、人々が出たり入ったり自由にしている。
そうだ。ドリンクも含めて全部無料なんだ。まさかのネット天国!空調も効いているし、こりゃあいい。ここを第二の中継地点にしよう。(後から聞いた話だが、ここはオンラインカジノの店で、友人をカジノに紹介する代わりとして、インターネットやドリンクのサービスを行っているだけらしかった)
僕は早速インターネットでペナンのバスの路線図を調べた。島のバスは安いしKLほど複雑じゃないので、路線図を覚えてしまえば自由に行動できると思ったからだ。
そして、とうとう出発の夜がきた。
夜行列車というものは初めてだが、ちゃんと到着するだろうか。
バタワースという駅に到着すれば、そこからフェリーが出ているので、それに乗ってペナンまで行くという道筋だ。
マレーシアの電車事情はかなりアバウトだ。まずどのホームから乗るのかに戸惑う。
それに加えて時間がルーズな上に、発車の合図すらも無いのだ。
僕が勢いよく乗り込んだ列車が合っているかも危ういまま、深夜特急は静かに発車した。
座席番号を確認して空いている事を確認し、初めて安心する事ができた。
列車は、朝は座席、夜は寝台車に変形する、元は日本で作られた列車の流用らしい。なかなか作りがしっかりしている。
個人のスペースは狭かったが、僕は狭い所が好きなので自分だけの空間を楽しむことができた。
とは言え、乗り物の中で眠れないタチの僕は、眠ったり目覚めたりを繰り返しながら6時間後、ようやくバタワースに到着する事になった。
まだ明るくなりきらない空の中、バタワースから出ているペナン行きのフェリーに乗船する。
虚ろな意識の中、朝焼けと共に飛び込んでくる対岸の景色は何とも言えない雰囲気を醸し出していた。
近代的なホテルもあるが小高い丘も見える。これがペナン島か。
晴れやかな空が僕を歓迎してくれたようで嬉しかった。