淋しさの中で
マレーシアの首都クアラルンプール。
地元ではKLという愛称で親しまれている(クアラ・ルンプールでKL)
僕はその中心部、KLセントラルという駅で呆然と立ち尽くしていた。
飛行機を降りた時のムワッとしながらも、乾季のマレーシアの心地良い暑さは完全に頭から消え、僕は冷や汗を流していた。
人種が入り乱れていて何が何やらわからない。
白、黄色、黒がおでんの具のようにごった煮になっているのだ。
英語が通じるとは言え、こんな所で一ヶ月半も一人でやっていけるのだろうか。
一念発起で語学留学などするのでは無かったかなと少し後悔の念もあった。
恐る恐る両替屋に行くと、そこにはターバンを巻いた明らかにインド系の人物がいた。いきなりの難関だ。
初めての海外という事もあり、自分でも焦燥しきって意識が上ずっているのが分かるほどだったが、注意深く観察すると、まずこのインド人の挙動の遅さにビックリした。
あまりにも落ち着き払っているので何か薬でもやってるんじゃないかと思うほどだったが、僕の焦りがそれを助長していただけかもしれない。
レートを聞くと30と打たれた電卓を見せてくれ、無事に30円1RMのレートで両替を終えた。
さて、ここからKLモノレールに乗って予約していたドミトリーに向かわねば。
まずこの大きな50リンギの札束を細かいお金にしないと電車に乗れない。
「両替の時に小銭も入れてもらう」という旅のプロ知識はこの時は無かったのでしょうがない。
そもそもマレーシアでは事ある事に小銭を用意しておかないといけない事も知らなかったのだ。
コンビニで1リンギのお茶を買うのに50リンギ札を出す。
あからさまに店員が嫌な顔をして「NO!」と言う。
僕がはにかみながらプリーズと言うと、物凄く不機嫌そうな顔で細かいおつりをくれた。
何だか分からないが、これから起こる出来事の洗礼を受けたような気がして不安だった。
モノレールの切符はプラスチックのコイン式で、値段も飲み物と同じ1リンギほどという安さだ。
だからか知らないが、朝は乗車率が500%くらいになって車内だけでなくホームも人だらけになる。
到着した日は夜のせいか、それほど人はいなかった。
初めて乗る外国の電車だが、何となく車内の開放的な雰囲気が日本と違う。席が空いてても特に誰も急いで座ろうとしない。
それを見ると日本人がすし詰めになって座ってる事の方が少し滑稽に思えてしまうほどだった。
先ほど買った緑茶を飲もうとキャップを開けた。
マレーシアの緑茶はどんなものかな、と思いながら口に含むと、車内で噴き出しそうになるほどの違和感が込み上げてきた。
甘い!緑茶がめちゃくちゃ甘いのだ。
日本では絶対にあり得ないが、緑茶に砂糖が大量に入っている。こんなもの、それこそ懐石料理に蜂蜜をぶっかけるようなものじゃないか、と思ったが他国の文化にケチを付けるのは楽しみを減らす事だと、思い直す事にした。後にマレーシアのシュガー地獄(天国?)を知ることになるのだが…
モノレールがブキッビンタン駅に到着した。KLでは一番ホットな場所だと思う。
そしてその中でも一番ホットなのがジャラン・アローという屋台で溢れた通りだろう。
僕が到着したこの夜も週末なので、アロー通りはものすごい賑わいだった。
人が集まって深夜までドンチャン騒ぎが続く。
僕は誘われるままに席に着き注文する。
そこで頼んだロー・ミーという、うどんをブチブチちぎれ出すまで煮込みに煮込んだような料理は、あまり口に合わなかった。
僕は意気消沈してただ独り座っていた。
無限に大きくなるこの喧騒は、寂しさと孤独に打ち震えていた僕の耳に少しも届かなかった。
ドンチャン騒ぎは自分とは関係ないどこかで行われているようだった。
僕は病み始めていたのだ。
うどんのようなものを早々と平らげ、予約していたアロー通り沿いのドミトリーに向かう。
精神的疲労がピークに達していたので、外から漏れてくる音も気にせずに眠りこけた。
淋しさが本格的にやってきたのは次の日の事だった。
ドミトリーの朝食を済ませた後、新しく出来たというショッピングモールに行く事にした。
そこは日本にも負けないくらい綺麗で華やかだった。
誰もが知るブランドショップが立ち並び、日本の企業も、少なからず存在する。
急激な経済成長を遂げるマレーシアの人々は、その文明の発達に浮かれているように見えた。
ブランド品やそこかしこにあるタブレットやスマートフォンの店がそれを物語っている。
そういった近代的な機器を操るのは、主に中国から移り住んだ華人だが、そこにはチラホラとマレー人も混ざっていた。
空調はモール全体にガンガンかかっていて、寒いほどだ。
このモールそのものが、夕立の雨露しのぎに、或いは常夏の暑さを和らげるために、皆が一同に集まる憩いの場なのである。
そして数多くあるモールのあちこちに存在する、圧倒的勢いで世界を侵略するスターバックスコーヒー!
地元人からするとインベーダーみたいなものである。地元の貧しい人達はスターバックスでコーヒーなど頼める余裕は無い。
しかし僕は他に知っている店も無いので、ここを休憩所兼、中継地点にする事に決めた。
KLに来てから、僕はまだこの街の一員であるという感覚を感じていなかった。それゆえに忌み嫌われる侵略者の扱いを受けながらも、僕の居場所はここにしか無かったのかもしれない。
テラス席に座って街行く人々を観察する。
観光地だからか、合目的的に歩く人々は日本より少ない。
華やかな観光客にも目がいったが、僕がひときわ興味を惹かれたのは、やはり現地の人だった。
開店前のカフェのテーブルの上で寝ている若者。
イスに座って空中を見つめているおじさん。
なんと時間がゆっくり流れるのだろう。
時折、テーブルの対面に座って怪しげなビジネスを持ち掛けてくる女性や、何が書いているのか分からない紙を見せてきて金をせびる乞食もいたが、そんなものは脅威ではなく、ただこの様々な人種が入り乱れ、それでも調和を保っている大きな流れに自分が取り残されている事が恐ろしかった。
スターバックス以外の地元のカフェにもチャレンジしたが、英語がちゃんと通じず、頼んだものと違う飲み物がやってきた。
僕が抗議すると店員は激しく怒った口調で、間違って出した飲み物を下げ、新しく入れ直した。
コンビニの店員に不機嫌な顔をされた事を含めると二度目だ。
この二度の「拒絶」とも取れる経験がショックで、僕は新たにどこかの店で注文する勇気をなくしてしまった。
僕は再び呆然と立ち尽くし、モールを中心からくりぬいたような吹き抜けの手すりに捕まって、皆が賑わいながら歩く様を空虚な目で見ていた。
僕は世界から拒絶されているのだろうか
…そういえば、スターバックスで軽食を取った以外は今日、何も食べていない。
しかしどこかの店に行って、伝わらない英語で注文する気力もない。
だから僕は帰りに、さほど美味しそうでもなかったが、適当にパンを買ってドミトリーで食べた。
暗がりの中、一人でパンを食べているうちに猛烈に悲しさが込み上げてきた。
誰とも心が通じない事がこんなにも悲しいなんて思わなかった。
日本でもそれほど多く人と会話をしていたわけじゃない。
それでも同じ言語で、同じ空気の中を過ごすのと、全く異質な空気の中で一人取り残されて過ごすのではこんなにも違うとは考えもしなかった。
それが人間存在にとってどれほど脅威であるか、外国に来て初めて気がついた。
涙も出尽くした頃、僕はいつの間にか眠ってしまっていた。