第13話 ファントム
シンクの意識を、自らの手を汚してまで引き取ったのには明確な理由があった。
一つは、シンクに胸の大きさを間接的に揶揄されたから。
そしてもう一つは――ただならぬ敵意に背中を焦がされていたからだ。
振り向くと、若いカップルの影が直ぐそこまで迫って来ていた。
女性の影が意気揚々と口にする。
「これはこれは、慈善活動を大義名分に違法売買で生計を立てている屑の方ではあーりませんか! 陰で世間を裏切っているアンチヒーローは、さながら公約を反故にする政治家っすねー」
二人は、屈むイオンの眼前にそびえ立つ。
高低差が顕著の凸凹カップル……コンビだ。
凹担当のガキっぽい女性は嫌悪感を剥き出しにして、イオンを見下している。
「さてさて、どんな処分がお望みですかぁ? ご要望がおありならばお聞きに入れましょう、屑の方!」
「……」
イオンは本能的に、シンクを庇うような体勢を取っていた。
彼らはファントム。ファントムとは、簡潔に言えば『零番目の使徒で構成された警察のような組織』である。警察の特殊部隊などではなく、完全に独立した一個の組織体制で機能している。主に悪魔退治や精神病質者捕縛に奔走する。
敵味方で言えば、味方だろう。ファントムは人類のヒーローだ。しかし、それはあくまで悪魔という共通の敵を前にした時だけであり、イオン達とは本来、衝突が絶えない関係である。
その主な原因がゴースト。
ゴーストを巡る争いがここに始まろうとしていた。
「息巻くな、レイン。対話で解決できるものもできないだろ」
そう宥めた凸担当の男性も、サングラスの下の冷酷な眼はイオンを見下ろしている。
「話し合いで解決できないから息巻いているんですよー? ローグには言っても無駄だからローグって言われているんですよー?」
ファントムに所属せず悪魔退治を働く輩、及び類する連中はローグとファントムから揶揄されている。
「言うだけ言おう。言うのは無料だ。それに、力ずくで奪うというやり方は俺の主義に反する。それからレイン、ファントムのイメージ悪化に繋がる言動は慎めよ。耳触りだ」
「へーへー。じゃ、お好きになさってくだせーな、ミスト先輩」
ミストと呼ばれた男性は、地面に腰を落としているイオンに手を差し伸べた。
「多くは言わん。捕らえたゴーストをこっちに寄越せ」
その表情は、拒否権を行使させない凄惨な迫力を帯びている。
拒絶すれば、身の保証はない。
だがイオンは、そんな彼から目を離すまいと、真っ向から立ち向かう。
「確かに悪魔を退治したのは、この私。けど、生憎とゴーストボールは携帯していなかったから、お目当てのゴーストは成仏したわよ」
「寄越せ」
「……」
ミストは確信しているようだ。
イオンがゴーストを捕らえている事を。イオンが虚言を吐いている事を。
イオンは悟った。直ぐ明らかになる嘘や誤魔化しは、無意味かつ逆効果である。
鞄からゴーストボールを取り出す。と、必然、レインが調子付いた。
「もう信用ならねーっすわ、このビッチ! 嘘つきは屑の始まりっつって!」
「対話で解決できたんだ。まだ物わかりが良い部類。大目に見てやれ」
イオンは敗北を認めたわけではない。
戦いの幕は、ゴーストボールの提示より切って落とされる。
「嘘は止めて、真実を見せただけよ。誰もあげるとは言ってない」
「なんだと?」
ミストの険悪な顔付きに磨きが掛かる。
「面白くなってまいりましたー」
そう無気力に唱えるレインは、全身に零気を驚くほど充満させていた。
燃焼丸によって完全燃焼を終えたイオンは、もはや立ち向かう体力などない。悪魔以外には零式が使えない以前に、気力だけで一杯一杯だ。現在のイオンにできること……それは対話と、細やかな反抗態度のみであった。
「惜しいな。対話で解決できるものと楽観していたんだが」
ミストは差し伸べていた手を硬く握り、零気を解放して威圧する。
「寧ろ、私が望んでいるのは対話よ?」
イオンは害意を一切示さずに立ち上がった。
一切の零気も纏っていないのが本心の証明である。
「対話だぁ? 駄々の間違いだろぉ?」
「待て」
と、ミスト。片手でレインを制す。
「なぜ命令に従えない? 自分が何をしているかの理解はあるか?」
「ええ、良く理解した上で従わないの」
イオンの毅然とした態度には、物怖じ一つ感じられない。
その芯の強さを見定めるかのように、ミストは眉根を寄せて顔を難解に歪めた。
「そんなに金が欲しいか? 精神病質者、延いては人魂を食いし者の生産に繋がると知って尚、お前は私利私欲に走るというんだな?」
返答次第によっては――そんな緊迫した空気が張り詰めている。
「お金は勿論必要だけど、異常者の生産に繋がるという見方は間違い。ちゃんと予防策を実践すれば異常者にならない」
「現実問題、それが深刻と化しているから言っているんだ。綺麗事をほざくな」
「おい、屑の方! 悪人生産者のレッテル貼り付けて署に連行すっぞ?」
「……」
それは正論。反論の余地が無い程に。
綺麗事では片付けられない、遺憾ともし難い現実がある。
「これきり言わんぞ。寄越せ」
「……」
彼等は正しい。これは紛う事なき事実。この一個のゴーストで、何人分の不幸が齎されるか、想像が付かない訳がない。私利私欲のためにそれらを犠牲にしては、まさに人類の敵だ。それは自己が嫌悪する悪魔に比類する。
よって、イオンは英断を下した。
ゴーストボールを開け、中身を解放し、それを炎神で焼き尽くすという英断を。
「なッ!?」
「嘘っしょ!?」
その栄えある行為に、ミストとレインは頭の中を真っ白にする。
跡形も無く消えて無くなったゴースト。
これで良かった。これがただ一つの正解なのだ。
「これで満足?」
仕返しと言わんばかりに、イオンはニヤけた。
彼女に待ち受けるは、想像通りの展開。
手始めに、レインが憤る。
「満足な訳ないっしょ! 命令はゴーストの譲渡! 誰が焼き尽くせっつたよ、屑!」
「私は欲を捨てたの。なら、あなた達も欲を捨てなければならない。これは双方の妥協点としていずれ出る結論では? 不満があっても、それを私に押し付けないで」
「この屑……ファントムを舐め腐ってからに……」
ミストも、レインと全く同じ心情にあったようで、
「狂気の選択だな。とても理解できない。なぜ頑なにゴーストの譲渡を拒む? ファントムは悪の敵対組織であり、人類の味方だ。なぜ信用できない? お前等のようにゴーストで悪人を生産するような真似は決してしない……侮辱行為と知っての謀反だろうな?」
「じゃあ聞くけど、仮に私が譲渡したゴーストは、その後どうなるの?」
「上が管理している事だ。知らん」
「その上――政府のトップ? が、信用ならない。何かに悪用していそうで恐ろしい。姉の推測だけど……。だから、ローグなんて輩が現れるのよ。ローグが皆、政府に不審を抱いているのかはわからないけれど、少なくないと思うわ」
「政府が何するって? 物騒なデタラメ言ってんじゃねーぞ、おい屑!」
レインは闘志を剥き出しにしている。今にもイノシシの如く飛び掛かって来そうな凄みだ。
一方でミストは、意外にも冷静にイオンを見つめていた。
「……お前、もうファントムアカデミーに入学していなきゃならん世代だろ」
ファントムアカデミーとは、次世代のファントムを輩出する三年制の養成機構である。入学資格は満十五歳以上。ファントムアカデミーを卒業しなければ、ファントムに所属できない。ファントムアカデミーの教職員含め生徒全員が零番目の使徒である。
「在籍していないという事は、お前は生涯をそんな生活で終える気なんだな?」
「アカデミーは十五歳から入学できるというだけで、別に二十歳からでもファントムは目指せるわ。今は……そう、一般の高校生活を謳歌したいの」
チラリと、ミストのサングラスの下の黒目が、イオンの背後でスヤスヤと寝ているシンクに向く。
「いつかはファントムに所属し……そしてどうする? ファントムの仕事の一つにゴーストの回収があるんだがな。金が要るなら、それはまたとないボーナスが支給される」
「……」
ファントムに入りたいという気持ちは、現在のところ少しもない。
一つ言える事は、イオンの姉サーキュリはファントム脱退の経歴を持っている。 そこから導き出される答えを、イオンは知っている。
「まあ、もうそんな事はいいじゃないっすかー。この屑には見合った厳罰を下して、あたしらの仕事は仕舞いっすよ。ぶん殴ってやりたい気持ちは山々だけんど、もう争う必要は消えて無くなったから、」
その言葉とは真逆に、レインの目はイオンを殺そう躍起になっている。
「それもそうだ。ゴーストは消滅……そして、ゴーストの罪は重い」
ミストは特別性の手錠を取り出すと、敵意を剥き出しに、有無を言わさぬ確認を取る。
「署まで連行するが、異存はないな?」
(年貢の納め時ね……)
いや、まだだ。活路はまだ残されている。
それにイオンが気付いた時、無意識的に口からその名前が生まれていた。
「私の姉はサーキュリ=マスタステートです」
「……」
瞬く間に蒼ざめていくミスト。
それを心配そうに眺めるレイン。
「どったのぉ、ミストぉ?」
ミストは白骨化したような表情をイオンから背け、来た道を引き返し始めた。
「帰るぞ、レイン」
「ぎょえっ!?」
仔犬のようにピョンピョン跳ねて、後輩は先輩の後を追う。
「バックがやば過ぎる」
「何々、どういうこっと?」
「狂気の天才サディスト……アカデミーを僅か一年で卒業した後輩の二つ名だ」