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フェルディナンドの危機

 わたしも思わず駆け出す。フェルディナンドの前に来たように視界は変わったけれど、手を伸ばしたつもりでもわたしの手は視界に現れず、フェルディナンドにもレティーツィアにも触れることができない。まるで映画を見せられているみたいな感じだ。いくら呼びかけてもわたしの声は二人に聞こえていないようだし、わたしの存在が見えていないようで全く反応がない。


 フェルディナンドは腰の薬入れから何かを取り出して口に放り込み、名捧げ石の入った金属製の小さな籠を外した。その手が震えていて、額にはびっしりと汗が浮かんでいる。


「これを、ユストクスに……行け、と伝え……早く」


 レティーツィアは真っ青な顔で籠を受け取ると、急いで駆け出した。恐らく供給の間から出ていったのだろうと思う。わたしに見える範囲からいなくなった。

 レティーツィアの姿が消えた瞬間、フェルディナンドはその場にどさりと体を投げ出した。座っていることもできない状態なのか、倒れたまま起き上がろうとはしない。


 ……フェルディナンド様!


 癒しを与えたいし、薬を取ってあげたいのに、今のわたしには何もできない。わたしが見ていることに気付いていないのだろう。フェルディナンドは苦し気に顔を歪めた。


「ぐっ……」


 呻き声を漏らしながら、フェルディナンドが胸元を押さえて、服を握る。よく見ると、その胸元が淡く虹色に光っていてフェルディナンドの全身を包んでいた。


 ……わたしのお守り!?


 服の下にあるのだから見えているわけではない。けれど、今フェルディナンドを包み込むように淡く光っている魔力が自分の物だと理屈ではなく、感覚でわかる。

 全身が虹色のほのかな光に包まれていて、まるでお守りがフェルディナンドの命を繋いでいるようだ。


 ……誰でもいいから、早くフェルディナンド様を助けて!


 見るだけしかできない。手を出すことができない。それが歯痒くて仕方がない。


「ふっ……はっ……」


 フェルディナンドが胸元を握ったまま、浅くて短い呼吸を繰り返す。そんな中、靴音が響いた。その瞬間、弾かれたようにフェルディナンドがビクリとして反射的に胸元を押さえたまま起き上がる。何とか座っている姿勢に持ち込むことができたけれど、呼吸は荒く、汗で額に貼りついた髪さえ払う気力がないようだ。


 わたしがフェルディナンドの様子を気にしつつ振り返ると、ディートリンデが裾を長く引く銀の布のマントを身にまとって、コツンコツンと靴の音を響かせながらゆったりと歩いてくる。明らかに様子がおかしいフェルディナンドがいるのに、まるで目に入っていないような歩き方だ。少なくとも心配しているようには見えない。


 ……なんで?


 驚きも慌てもしないディートリンデにものすごく嫌な予感がした。予感というか、妙な確信というか、ディートリンデがフェルディナンドを害したのではないかという思いでいっぱいになった。


 ……こっちに来ないで。フェルディナンド様に近付かないで!


 わたしがフェルディナンドを庇うためにディートリンデの前に立ち塞がったつもりでも、全く意味がなかった。ディートリンデはぶつかることもなくスッとわたしを通り過ぎる。自分がこの場にいるわけではないことを実感させられただけだった。


「変ね。即死で魔石になる毒だとレオンツィオ様はおっしゃったのに、まだ生きていらっしゃるなんて……。これではわたくしには運び出せないではありませんか」


 ディートリンデは座り込んだ体勢のフェルディナンドを見て、眉をひそめた。深緑の目にはフェルディナンドを蔑む光がありありと浮かんでいる。


 ……今、なんて言った?


「本当にレティーツィアの毒を受けたのかしら? 弱ってはいるようですから、直撃は避けたということかしら? それとも、事前に解毒剤を口にしていたのかしら? フェルディナンド様に毒を与えたのはレティーツィアで、わたくしは魔石になったフェルディナンド様を発見する予定でしたのに、計画通りには行かないなんてどうしましょう?」


 ディートリンデは「レティーツィアにやらせるまでは上手くいったのに困ったこと」と言いながら、頬に手を当てて優雅に首を傾げる。


「ランツェナーヴェの魔石はランツェナーヴェに返す、とレオンツィオ様にお約束したのですけれど……」


 ランツェナーヴェの魔石。ディートリンデの視線と言葉に肌が粟立った。それはフェルディナンドを人として認めていないという宣言に他ならない。そして、わたしはレオンツィオという人物がランツェナーヴェの者だとわかった。


「ねぇ、フェルディナンド様。貴方、本当ならば洗礼式前に魔石となってランツェナーヴェに返されるはずだったできそこないなのですって? アダルジーザの実と言ったかしら? 母親からも魔石としてしか価値を認められない身の上なのでしょう?」


 ディートリンデは明らかに勝ち誇った顔でフェルディナンドを見下ろしている。フェルディナンドは苦しそうな呼吸を必死に隠そうとしていて、努めて平静を装っているように見えるけれど、間違いなく、最も触れられたくない過去を土足で踏みにじられているように感じているだろう。


「そのような方が次期ツェントであるわたくしの婚約者だなんて恥ずかしいではありませんか。ですから、フェルディナンド様には星結びの儀式の前にいなくなってほしいのです。お母様も構わないとおっしゃって、レティーツィアの誘導を手伝ってくださったのですけれど……」


 わけがわからない。アーレンスバッハには領主候補生がいなくて、王命でアーレンスバッハを支えるためにフェルディナンドは薬漬けになりながら奮闘していたはずだ。それなのに、フェルディナンドを失って、アーレンスバッハをどうするつもりなのか。


「其方は……次期ツェントにはなれぬ」


 呻くようなフェルディナンドの言葉をディートリンデは一笑に付した。


「フェルディナンド様はご存じないでしょうけれど、グルトリスハイトの在処はもうわかっているのです。レオンツィオ様はご存じなのですよ。わたくし、レオンツィオ様と一緒にグルトリスハイトを手にして、ツェントになるのです。そして、レオンツィオ様を王配に迎えるのです。いくら愛されていても貴方と共に生きていくことはできません」


 希望に満ちた笑顔でディートリンデは微笑む。吊り上がった赤い唇がわたしには異様に目障りに映った。


「其方は、礎を染めたアウブで……ツェントには」

「フフッ、わたくしではありません。お姉様が礎を染めました。ですから、今のアウブ・アーレンスバッハはお姉様なのです」


 ディートリンデは「次期ツェントであるわたくしがアーレンスバッハの礎を染めるわけがないでしょう」とフェルディナンドを嘲笑うように口元に手を当ててクスクスと笑った。


「わたくしがツェントになれば、今のツェントの王命を排してお義兄様を領主候補生に戻すこともできますもの。叔父様達を領主候補生に戻すことも可能ですし、跡継ぎにはベネディクタもいます。アーレンスバッハは安泰です」


 ディートリンデが語る未来図の中にフェルディナンドはもちろん、レティーツィアの名前が入っていない。レティーツィアの身にも危険があるに違いない。どのようにして誘導したのか知らないけれど、フェルディナンドに毒を与えた実行犯として扱われることが決まっているのだ。


「お母様も出発の準備を始めていらっしゃるわ。エーレンフェストのような田舎の領地を手に入れたがるお気持ちはよくわからないけれど……。貴方がいない方がやりやすいのですって。わたくしのオルドナンツを待っていらっしゃるの」


 フェルディナンドが死んだという報告を待っているゲオルギーネに形容しがたい怒りがこみあげてきた。ランツェナーヴェの毒を使用し、レティーツィアを誘導してフェルディナンドに毒を与え、ディートリンデに生死の確認をさせる。自分の手は全く汚さないやり方は貴族として優秀なのかもしれないけれど、怒りしか覚えないやり方だ。


「レティーツィアが貴方を魔石にすることを失敗したとお母様に伝えたら、きっとひどく叱られてしまうわね。このまま放っておいても死にそうにないのですもの」


 そう言いながらディートリンデが腰に手をやり、何かの袋を取り出そうとする。視線が外れた瞬間、ギリッと歯を食いしばり、呻きながらフェルディナンドは自分の腰に付けている魔術具の魔石をいくつか投げつけ、シュタープを握った。


「きゃっ!?」


 爆発音がして、フェルディナンド自身も衝撃を受けている中、ディートリンデが悲鳴を上げる。けれど、魔力による攻撃は全て銀の布によって弾かれた。多少の衝撃は受けたようだが、ディートリンデに怪我らしい怪我はない。ハイスヒッツェとのディッターの時には形勢逆転をもたらした魔術具も、銀の布の前にはあまり効果がないようだった。


「……効かぬか」

「まぁっ! なんて凶暴なのかしら」


 憤慨したディートリンデが腰に付けていた袋から飴を一つ取り出して口に含む。レティーツィアから譲られたランツェナーヴェのお菓子に見えた。それを舐めながら、別の袋の粉をフェルディナンドに投げつける。


 ……止めて!


 体を自由に動かすことができないフェルディナンドは身を捩って直撃を避けたけれど、床に落ちた粉がふわりと舞い上がるのを止めることはできなかった。フェルディナンドの体勢が崩れる。ディートリンデの前で座っていることもできず、その場に伏した。胸元をつかんでいた手からも力が抜け、だらりと力が抜けていく。まだ金色の目だけはディートリンデを睨んでいるけれど、唇はほとんど動かない。


「即死の毒は効き目が悪かったようですけれど、こちらの薬は効くのですね。不思議だこと」


 そう言いながらディートリンデはシュタープを封じる犯罪者用の手枷を取り出した。それをはめようと、くたりとしたフェルディナンドの手首に触れる。バチッという派手な音と共にディートリンデの指先が虹色の光に弾かれた。


「きゃっ!?」


 ディートリンデは目を見開いて自分の手を見つめると、キッとフェルディナンドを睨んで、銀のマントで魔力を防ぎながら手枷をはめた。魔石のような石の輪が両方の手首にかけられ、鎖で繋がれている。


「これで体の自由が戻っても、皆に危険はないでしょう」


 フンとディートリンデはそう言うと、フェルディナンドの手を少し引っ張り、供給の魔法陣の上に置いた。


「わたくしのように非力な女性ではフェルディナンド様を連れ出すことは不可能ですから、このままここで枯渇するまで礎に魔力を注いでいてくださいませ。アウブになったお姉様もきっと喜びます」


 ディートリンデは魔法陣の中心へ行き、屈みこむと魔法陣に魔力を流し込んだ。供給の魔法陣が起動する。自分で手を退けるまで、魔力が魔法陣に流れ続けることになる。


「魔力が枯渇するまでにどのくらいかかるかしら? それまでにグルトリスハイトを手に入れられると良いのですけれど……」


 大仕事を終えたように晴れ晴れとした顔でディートリンデが出ていった。


 ディートリンデがいなくなっても魔法陣は止まらない。フェルディナンドの魔力を吸い込み、動き続ける。わたしがフェルディナンドに与えたお守りの魔力から流れていくのがわかった。少しずつフェルディナンドを包んでいた虹色の光が薄くなっていく。


 ずっとディートリンデを睨んでいたフェルディナンドの薄い金の瞳から感情がすっと消え失せた。怒りも憎悪もなく、全てを諦めたように目が伏せられる。

 それと同時にわたしの視界は元の、領主一族の会議の場に戻った。




「……そこで諦めないでくださいませ!」

「ローゼマイン、どうした!? 虹色に光ったかと思えば、全く動かなくなっていたのだぞ」


 わたしの周りに皆が集まり、心配そうに見られていたのはそのせいだったようだ。けれど、そんなことはどうでも良い。フェルディナンドを助けに行く方が重要だ。


「養父様、フェルディナンド様が! フェルディナンド様がアーレンスバッハで毒に倒れました。ゲオルギーネ様が操って、毒を受けて、ディートリンデ様が粉をベシッとしたら倒れて……」


 思い浮かぶままに口を動かしながらも、体は助けに向かおうと席を立った。扉に向かって歩こうとしたけれど、周囲を皆に囲まれていて、養父様に腕をつかまれて動けない。


「離してくださいませ、養父様!」

「落ち着け! その説明では全くわからぬ。何がどうなってフェルディナンドは毒を受けたのだ? どうすれば助けられるのか、当てはあるのか!?」


 椅子に座り直すように肩を押され、わたしは半ば強制的に座り直しをさせられた。そのうえで、次々と質問をされてわたしが見た光景の説明をさせられる。養父様だけではない。養母様や兄弟達、おじい様にも質問された。協力者が必要になることはさすがにわかる。わたしは早く助けに行きたい気持ちを抑えて説明した。


「つまり、近々ゲオルギーネがやってくるということか。対策を急がねばならぬな」

「おじい様!? 今はゲオルギーネ様ではなく、フェルディナンド様の……」

「他領の供給の間で毒を受けて瀕死のフェルディナンドを助けることはできぬ。諦めろ、ローゼマイン。エーレンフェストの領主候補生が優先すべきはエーレンフェストの礎を守ることだ。間違えるのではない」


 おじい様は厳しい青の目でわたしを見下ろしながらそう言った。


アーレンスバッハの供給の間で倒れたフェルディナンド。

助けに行こうと動くローゼマイン。

それを止めるボニファティウス。


次は、誘惑です。

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なぜ非常時に呼んだのがロゼマなのか?という感想を見て思ったのは、お守りのおかげじゃないのかなぁ?と考察。 ランツェの即死毒の存在は離宮育ちだから知ってたと思う(憶測)。それを防ぎ生きている原因がロゼマ…
入れ替えられた鍵を使って助けに行く感じ? あ、でも鍵穴がアーレンスバッハ領にあるのか… 実は知られてないだけでどこの領のメスティオノーラ像でも鍵に登録されてる領地の供給の間に行ける、とかならいいのに
失礼します。初めて感想を書き込みます。 >その瞬間、弾かれたようにフェルディナンドがビクリとして反射的に胸元を押さえたまま起き上がる。何とか座っている姿勢に持ち込むことができたけれど、呼吸は荒く、汗で…
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