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閑話 ランツェナーヴェの使者 後編

 話ができる落ち着いた場所を、ということでディートリンデはマルティナに近くの会議室を開けてもらうことにする。側近達を含めると十五人くらいの団体で移動し、ディートリンデはレオンツィオに椅子を勧める。


「レオンツィオ様、ランツェナーヴェが滅ぶというのは、どういうことでしょう?」


 ディートリンデが促すと、レオンツィオは少し考え込むようにして「ディートリンデ様はランツェナーヴェの起こりをどの程度ご存知でしょうか?」と質問してきた。


「アーレンスバッハの貿易相手として主要な輸入品については教えられましたけれど、歴史については貴族院の講義でも習いませんでしたわ」


 これまでディートリンデはランツェナーヴェの歴史に全く興味がなかったし、知ろうと思ったこともない。貴族院の講義でも特に習わなかったはずだ。


「ユルゲンシュミットでは知られていないのですか……」


 それから、レオンツィオはランツェナーヴェの歴史を語り始めた。もう四百年近く昔、オイサヴァール王の時代のことらしい。歴史で習った王の名前が出てきたけれど、ディートリンデはよく覚えていない。わかったような顔で聞き流す。


「オイサヴァール王が年老いて、次代のツェントを選ばなければならなくなった時、グルトリスハイトを手に入れていた次期ツェント候補が三人いました」

「まぁ、三人もグルトリスハイトを手に入れて……?」


 ディートリンデは目を瞬いた。グルトリスハイトはツェントを決めるための魔術具のようなものだと考えていた。ユルゲンシュミットを治めるためには当然一つしかない物で、グルトリスハイトを手に入れた者こそがツェントだと思っていた。まさか複数人が手に入れられる物だとは思ってもみなかった。


「グルトリスハイトはシュタープに写し取る物ですから、複数人が持っていてもそれほど不思議ではないでしょう?」


 当然のことのようにレオンツィオに言われて、ディートリンデは「そうですね」と相槌を打つ。ユルゲンシュミットの貴族であるディートリンデが他国の者より知らないとは言えない。


「そして、オイサヴァール王が選んだのは、ディートリンデ様もご存じのようにハイルアインド王でした」


 ……そういえば、そのような名前のツェントもいましたね。何をした王だったかしら?


 これといって特筆すべき功績がないため、講義でほとんど触れられることがない王の名前にディートリンデは笑顔で頷きながら考える。考えたところで、全く何も思い浮かばない。


「最終的にツェントに選ばれなかったことに納得できなかったトルキューンハイトは自身の持っていた魔術具や魔石を抱えると、新天地を求めてユルゲンシュミットを飛び出しました」


 自分の妻や子、それから、側近達を連れてトルキューンハイトは船に乗って国境門を越え、ユルゲンシュミットを飛び出した。転移陣の向こうはランツェナーヴェと呼ばれる土地で、魔術を使えない者しかいなかった。

 土地は痩せているけれど、人々が何とか生活できる場であることを確認したトルキューンハイトは、自分が手にしていたグルトリスハイトを使って礎の魔術を作成し、エントヴィッケルンで自分達が住むための街を作り上げた。


「突然何もないところから現れた船、一瞬でできた白い街に人々は驚愕し、トルキューンハイトを神の国からやってきた者と崇め始めました。トルキューンハイトは王としてランツェナーヴェに君臨することになったのです」


 グルトリスハイトを手に入れた者が神のように崇められるのはユルゲンシュミットも同じだ。メスティオノーラの神具を写すことを許された者である。神に認められる者として尊敬を受ける。


 ディートリンデはグルトリスハイトを手に入れて、皆から一斉に称賛と尊敬の眼差しを受ける自分を想像して悦に入る。早くグルトリスハイトを手に入れなければならない。


「しかし、神のように崇められるようになったトルキューンハイトには大きな問題がありました。ユルゲンシュミットからやってきたトルキューンハイト一行と魔力のないランツェナーヴェの者の間では子供ができません。そして、グルトリスハイトはシュタープに写し取った物です。当然のことながら、トルキューンハイトの死と共にグルトリスハイトは失われます」


 ……まぁ。では、それでユルゲンシュミットのグルトリスハイトは失われてしまったのですね。


 政変がどうして起こったのか、ディートリンデにはわかってしまった。

 トラオクヴァール王の異母兄で、ツェントを継承するはずだった第二王子が亡くなり、グルトリスハイトが消えてしまったのだ。戦いをしかけた第一王子も、しかけられた第三王子もシュタープで写し取る物だと知らなかったため、第二王子の死と共に消える物だと知らずに争っていたのだ。そして、今もグルトリスハイトの在処はわからない。


 ……写し取るためにはどこに行けば良いのかしら?


 レオンツィオの話が正しければ、どこかにグルトリスハイトがあり、それを写さなければならないということになる。魔法陣を光らせ、次期ツェント候補になった自分ならば写せるはずだ、とディートリンデは思う。


「礎の魔術に登録された者であれば魔力供給できるので、トルキューンハイト亡き後も街を維持することはできるのですが、それはシュタープを持つ者がいてこその話です。シュタープを持たぬ者ばかりでは礎を維持することができないため、いずれは街が崩壊してしまいます。ディートリンデ様は次期アウブですから、ご存知でしょう?」

「えぇ、もちろんです」


 礎の魔術を得るためにシュタープが必要なことは領主候補生の講義でディートリンデも習っている。けれど、貴族院の領主候補生は一年生の時点で全員がシュタープを得ているので、わざわざ記さなければならないような内容ではないと思っていた。けれど、外国に出て、魔術で街を作ってしまった者達にとっては死活問題だったのだ。シュタープを持つ者がおらず、礎の魔術を継承できる者がいなければ、国は崩壊してしまう。


「ランツェナーヴェに行ったのは王族とその側近だったので、魔力の高い子供が生まれます。貴族院での教育を受けてきた親達からユルゲンシュミットの貴族達と同じような教育を受けます。けれど、ユルゲンシュミット以外ではシュタープを得ることはできません。トルキューンハイトはユルゲンシュミットに戻り、息子に礎の魔術を継承させるため、ユルゲンシュミットのツェントにシュタープを与えてほしいと願い出ました」


 でも、それは許されなかった。シュタープを得られるのはユルゲンシュミットの貴族だけだからだ。当時のツェントの意地悪でも何でもなく、ユルゲンシュミットの貴族として登録されていない者はシュタープを得ることができないせいである。


「そのため、ランツェナーヴェから姫をユルゲンシュミットに送り、生まれた子が成人してシュタープを得てからランツェナーヴェの王として返してもらうことになりました。ランツェナーヴェが力を持つことを警戒した当時のツェントは、一代につき一人だけしか返さぬという制約を付け、男を返すのか、女を返すのか、選択を迫ったのです」


 トルキューンハイトは悩んだそうだ。生まれる子供の魔力は母親の魔力に左右されるため、ランツェナーヴェの王族が高い魔力を維持するためには女の子を返してもらう方が良い。

 けれど、一代に一人しか返してもらえないのに、シュタープを持つ女王が妊娠して魔術を使えない状態が続くのはランツェナーヴェにとって死活問題になる。側近の家族や自分の娘達など、ランツェナーヴェにも魔力の高い女性は何人もいるし、男性を返してもらった方が子供は増やしやすい。トルキューンハイトは男の子を返してもらうことに決めた。


「ユルゲンシュミットで姫を受け入れてもらい、姫の生んだ男子が成人してシュタープを得た後で王としてランツェナーヴェに戻るのが両国間の約束だったはずです。それなのに、姫の受け入れを拒否するなど……」


 レオンツィオが苦しそうに表情を歪める。国を守るために姫を差し出しているのに、それを拒否されれば途方に暮れるしかないだろう。ディートリンデは自分の胸も痛くなってきた。同時に、約束を破ったトラオクヴァール王に心底腹が立ってきた。次から次へと非常識なことばかりをする彼を今すぐにでもツェントの座から引きずり降ろしてやりたいと思う。


「もう十年程前にいくつもの魔石が届いて以来、貿易以外の関係がぷっつりと途絶えました。この上、姫の受け入れまで拒否されれば我々はどうすれば良いのか……」


 テーブルの上で拳をきつく握り、レオンツィオが項垂れるのを見て、ディートリンデは決意した。


「わたくしからフェルディナンド様に事情をお話しいたしますし、ツェントにもお願いしてみましょう。安心してくださいませ。わたくし、次期ツェント候補ですから」


 レオンツィオが琥珀色の瞳を驚きで染めて、「次期ツェント候補……?」と呟きながらディートリンデを見つめる。その瞳にある称賛と期待が心地良い。ディートリンデはレオンツィオに向かってニコリと微笑んだ。




 レオンツィオからランツェナーヴェの事情を聴いたディートリンデは、次の日に早速フェルディナンドを呼びつけて、テーブルで向かい合わせに座って説明を行った。昔からの約束でランツェナーヴェが滅ばないように、王族から姫が送られてくるのだ、と。そして、約束を破るトラオクヴァールがいかにひどい王であるのか、訴える。


「ですから、トラオクヴァール王に事情を説明し、考え直してもらいたいのです」


 王族と対面して交渉するのはフェルディナンドの役目だ。夏の葬儀までにしっかりと対策を練ってほしい、とディートリンデは微笑む。

 事情がわかれば、少しはフェルディナンドもランツェナーヴェに協力的になるだろうと思っていた。けれど、フェルディナンドは全く心動かされなかったようだ。テーブルに頬杖を突き、じっとディートリンデの様子を窺うように見つめながら「……それだけですか?」と言った。


「それだけ、とはどういう意味ですの?」

「そのままです。ランツェナーヴェにとってずいぶんと都合の良いことしか述べていませんし、特に目新しい情報もありません。ツェントが意見を翻すような事情は見当たらないように思えます」

「何ですって!? ランツェナーヴェが滅ぶのですよ。ツェントやアウブを継承できる者がいないことがどれほど大変なことか、フェルディナンド様にはわかりませんの!?」


 信じられない発言だった。ランツェナーヴェが崩壊すると言っているのに、本当にこの人は自分の話を聞いていたのだろうか。もしかしたら理解する頭がないのではないか。ディートリンデはフェルディナンドを睨んだ。


「ランツェナーヴェが滅ぶというのは大袈裟です。トルキューンハイトが移る前にも人々が生活できていたのですから、白の砂を魔力で満たして作り上げたユルゲンシュミットとは事情が全く違います。滅ぶといっても、精々トルキューンハイトが作った街が崩壊する程度でしょう」


 ディートリンデに睨まれても、フェルディナンドは何事もなかったかのような微笑みのまま、静かにそう言った。


「シュタープを得た男子がいなくなればランツェナーヴェにとっては死活問題でも、ユルゲンシュミットにとってはそうではありません。姫を受け入れる利点は非常に少ないのです。たとえランツェナーヴェが滅んだところで、グルトリスハイトがあれば国境門を閉ざし、別の場所に向けて開くこともできます。貿易相手がランツェナーヴェである必要はありません」


 ディートリンデはじろりとフェルディナンドを睨んだ。


「今はそのグルトリスハイトがないのでしょう?」

「……そうですが、そう遠くない未来に手に入れる者が現れるでしょう」

「もちろん、わたくしも全力を尽くして探すつもりではありますけれど、いつ手に入るかわからないではありませんか」


 ディートリンデの言葉にフェルディナンドは数回瞬きをした後、「まぁ、そうですね」と力なく同意した。ここは自分に協力する、と言うところなのだが、フェルディナンドはどうも反応が鈍い。ちょっと女心に疎すぎるのではないだろうか。


「フェルディナンド様は利点が少ないとおっしゃいましたけれど、今の王族は人数が少ないのですから、姫が輿入れすることは大きな利点に繋がるはずでしょう?」


 ディートリンデは胸を張って姫を受け入れる利点を示したけれど、フェルディナンドは「今のユルゲンシュミットにグルトリスハイトを手に入れられる可能性の高い他国の者を入れるべきではありません」と首を横に振った。


「姫を受け入れることによって王族が増えることは利点となりますが、今、魔力量の豊富な姫を受け入れると王位継承に混乱を招きます。それを良しとしないからこそ、王族は姫の受け入れを拒否したのでしょう」


 せめて、グルトリスハイトを手に入れた正当なツェントが立つまでは姫の受け入れを延期するのが妥当で、今のままではユルゲンシュミットが乗っ取られる、とフェルディナンドは懸念しているようだ。

 のらりくらりと王族側の事情を自分の推測だけで語りながら決して動こうとしないフェルディナンドの弱腰な姿勢に、ディートリンデは思わず顔をしかめてしまった。


「もっともらしい理由を挙げてそんなことをおっしゃっても、フェルディナンド様はツェントに意見するのが怖いというだけではありませんの?」

「ランツェナーヴェで神と崇められていた一族がその力を失うだけですから、わざわざツェントの決定に異議を唱える意味が見出せないとは思っています」


 ツェントの決定に異議を唱えて他国の肩を持つことが本当にアーレンスバッハのためになるのか、とフェルディナンドは言った。


「王族として君臨してきた彼等がどのような末路をたどるのか、多少の想像はできますが、それがランツェナーヴェの滅びとは限りません。中心となっていた街が崩壊することで間違いなく文明は後退するでしょうが、奇妙な形の船を見るだけでもユルゲンシュミットとは違う技術が進んでいるように思えます。王族以外は大した痛手を負わないかもしれません」


 見方を変えれば、ユルゲンシュミットが不安定な現在、ランツェナーヴェの力を削っておく好機だとか、何かあったら境界門を閉められるようにできるだけ早く礎を染めるべきだとか、フェルディナンドはディートリンデの望んでいないことばかりを口にする。


 ……わたくしがレオンツィオ様とお話ししたことで、ここまで冷たいことをおっしゃるなんて。


 話し合いから除け者にされただけで、ランツェナーヴェの王族が滅ぶだけならば構わないと言うなんて、これほどエーヴィリーベという呼び方が似合う人もいないだろう。


「フェルディナンド様。わたくしの望みを聞いてくださいませ。わたくしはレオンツィオ様達がひどい目に遭うことは望んでいません。どうかわかってくださいな」

「ランツェナーヴェの姫を受け入れろ、とおっしゃるのにひどい目に遭うのを望んでいないとおっしゃるのですか? ランツェナーヴェの使者も女性である貴女には深くは語らなかったでしょうが、ランツェナーヴェの姫達は離宮に入れられると……」


 フェルディナンドがランツェナーヴェの姫について語ろうとするのをディートリンデは「それはランツェナーヴェが望んだ扱いではありませんか」と遮る。どのように姫が扱われるかはディートリンデにとってどうでもよいことだ。どのような扱いなのか、覚悟してやって来るのだから、それはディートリンデが考えることではない。


「ならば、ディートリンデ様は覚悟してやってきた姫がどのような扱いでも受け入れるべきだ、と?」


 フェルディナンドが薄い金の瞳で真っ直ぐにディートリンデを見つめる。痛いほどの視線からはフェルディナンドが高ぶる感情を必死に抑制しているのがわかった。ディートリンデが姫ではなく、男性であるレオンツィオの肩を持ったことがそれほどに耐え難いのだろう。けれど、ここでディートリンデが引くわけにはいかない。フェルディナンドを見つめて大きく頷いた。


「えぇ、その通りです。こちらに来てからの待遇は実家に訴えるなり、ツェントとの話し合いで待遇を改善してもらうなり、姫が対処することですもの。ランツェナーヴェの崩壊に比べれば何ということもありません」


 ディートリンデの言葉にフェルディナンドはニコリと笑顔を深めて微笑んだ。やっとディートリンデの主張が通ったようだ。


「わかってくださったようで何よりです。夏の葬儀にいらしたツェントにしっかりとお願いしてくださいませ」

「姫の受け入れに伴うユルゲンシュミットの混乱に比べれば、ランツェナーヴェの崩壊など何ということもありません。私はツェントの判断を支持します」


 フェルディナンドの言葉の意味が一瞬わからなかった。自分の要求が却下されたのだと理解するまでに数秒かかり、理解すると同時にディートリンデは怒りを爆発させた。


「どういうことですの、フェルディナンド様!?」

「王命でアーレンスバッハへやってきた私が、王ではなくランツェナーヴェを優先しなければならないと思えるような事情ではありませんでした。次代のツェントが立つまで待っていただくのが良いと思います」


 どれだけディートリンデが怒ってもフェルディナンドは表情も意見も変えず、トラオクヴァール王に取り次ぎもしなければ、異議も唱えないと言い切った。


「貴方のようにわからずやで冷たい方は知りません! 婚約者がこんな方だったなんて……。しばらく顔も見たくございません。今すぐに出ていってくださいませ」

「かしこまりました」


 フェルディナンドはうっすらと微笑んだまま、言葉通りにすぐ席を立って退室していく。ディートリンデがこれほど気分を害しているのに、一顧だにしない。


 ……あんな方がわたくしの婚約者だなんて!


 ディートリンデは思いつく限りの罵詈雑言を並べて、フェルディナンドを罵りながらその日一日を過ごした。レオンツィオに何と話をすれば良いのだろうか。ディートリンデを頼ってきたレオンツィオを失望させることを悲しく思いながら、ディートリンデはランツェナーヴェの使者が過ごす館に連絡を入れた。




「フェルディナンド様はとても冷たい方なのです。わたくし、今まであのような方だとは思いませんでした」


 ランツェナーヴェの館と呼ばれている使者が滞在する館で、ディートリンデはフェルディナンドを説得できなかったことを詫び、せめて、ツェントに面会が叶うように尽力することを伝える。


「ディートリンデ様はお美しいだけではなく、お優しい方ですね。もっと早く出会いたかった」


 レオンツィオの琥珀色の瞳に見つめられ、ディートリンデは頬を染める。ユルゲンシュミットでは丁寧な言い回しを使うことが多いため、そんなふうに直接的に褒められることは少ない。しかも、レオンツィオはうっとりする程に顔立ちの整っている美形だ。嫌でも心臓が高鳴ってきた。ブルーアンファの訪れを感じて、ディートリンデはハッとする。


 ……ここで女神達に翻弄されてはなりません。


 ディートリンデは次期ツェント候補で、ツェントになれなかったとしても次期アウブ・アーレンスバッハだ。婚約者としてフェルディナンドがいるのに、ランツェナーヴェのレオンツィオと恋仲になることはできない。


「レオンツィオ様のお気持ちは嬉しいのですけれど……。わたくし、次期ツェント候補ですから、お心に沿うことはできません」

「ディートリンデ様はすでにグルトリスハイトを持っていらっしゃるのですか?」


 レオンツィオの言葉にディートリンデは少し視線を伏せて、「まだ探し中なのです」と首を横に振った。そして、レオンツィオに「ここだけのお話です」と盗聴防止の魔術具を差し出す。グルトリスハイトのことや王族に対する悪口はあまり公言しても良いことではない。こうして盗聴防止の魔術具を渡すことで、公言してはならない私的な話し合いの場になるのだ。


「実は、今のユルゲンシュミットではグルトリスハイトを持たぬ王族が情報を制限していて、他の者に探せないようにしているのです。わたくしも資格は持っているのですが、グルトリスハイトに近付けません」

「何ということだ……。そのようなことが許されるなど……」


 情報制限をして、正当なツェントが立たないようにしている王族にレオンツィオは憤りを見せた。それが自分を心配しての言葉だと受け取り、ディートリンデは更に頬を染める。婚約者に冷たい態度を取られた直後の熱い想いと優しさに花の女神 エフロレルーメの姿が見える気がした。


「そのように怒ってくださるなんてレオンツィオ様はお優しいのですね。フェルディナンド様はただ嫉妬するばかりで、そのように心配はしてくれませんもの」


 フフッと微笑むと、レオンツィオは少し悩むような素振りを見せながら「ディートリンデ様、貴女は今の婚約者を愛しているのですか?」と尋ねた。


「フェルディナンド様は王命で定められた婚約者です。わたくしに拒否権などなかったのですもの。愛されているのでしょうけれど、あのように冷たい姿を見せられては、わたくし……」


 冷たいフェルディナンドの言動にディートリンデは彼を愛せる自信がなくなった。嫉妬ばかりするエーヴィリーベから逃れたいゲドゥルリーヒの気持ちが今のディートリンデにはよくわかる。


「逃れられない婚約者なのです。ですから、レオンツィオ様。このことは秘密にしてくださいませ」

「……ひどい婚約者から逃がすことができると言えば、貴女は私の手を取ってくださいますか?」


 信じられないレオンツィオの言葉に戸惑って、ディートリンデは何度も瞬きする。


「何をおっしゃるのですか、レオンツィオ様?」

「私にはユルゲンシュミットのツェント候補ならば持っているはずのシュタープがありませんから、私がツェントになることはできません。……けれど、グルトリスハイトのある場所は知っています。貴女がツェントになるための手助けをすることはできます」

「何ですって……?」


 レオンツィオの申し出にディートリンデはコクリと唾を呑んだ。知りたいと思っていたグルトリスハイトの在処を知る者が目の前にいる。そして、彼は今の王族ではなく、ディートリンデに対して援助を申し出ている。これはまさにドレッファングーアのお導きではないだろうか。


「ディートリンデ様が私を貴女の伴侶として受け入れてくださるのであれば、その場所をお教えしましょう」


 ドキリと胸が鳴った。レオンツィオが伴侶になるというのは、ディートリンデにとって抗いがたい程に甘美な誘惑だった。レオンツィオはフェルディナンドと違って年も近く、血筋に問題はなく、神殿にいたような汚点もない。他国で育っていることが難点ではあるけれど、ユルゲンシュミットの貴族らしい教育は受けているようだし、王族の血が濃い。


 ランツェナーヴェの王族は現地の民と子がなせないため、ユルゲンシュミットから戻ってきた男子の血を取り入れながら続いている一族だ。今のユルゲンシュミットの中では王族の血が最も濃いといえるだろう。


「ですが、わたくしの婚約者は王命で決められていて……」

「ディートリンデ様、貴女がツェントになれば、グルトリスハイトも持たぬ偽王の命令など何の意味もなくなります」


 レオンツィオの方からふわりと甘い匂いがしてきた。もっと近くで感じていたい甘い匂いだ。少しだけディートリンデはレオンツィオに向かって身を乗り出す。


「フェルディナンド様はいくら事情を説明しても取り付く島もない態度を大事な婚約者に対して取るような男なのでしょう? 可愛い婚約者の些細なお願いも聞き入れようとはしない冷たい男なのですよね?」


 レオンツィオは優しい笑顔と言葉でゆっくりとフェルディナンドを詰っていく。

 ディートリンデが先程口にした文句がそのまま繰り返されているだけだけれど、フェルディナンドは他人からもひどい婚約者だと思われるような男なのだ、と何故かすんなりと思えた。ひどい婚約者に義理立てする意味などないと吹き込まれる。そういえば、当初からツェントになれば、婚約は解消するつもりだったということを思い出した。


「フェルディナンド様は私の伯父にとてもよく似ています。おそらくランツェナーヴェの血を引く者でしょう。ランツェナーヴェの血を引く者を婚約者にするならば、私が貴女の隣に立っていても良いと思われませんか?」

「……そうですね」

「次期ツェントになった時で良いのです。私を貴女の伴侶にしてください」


 そう言って、レオンツィオが優しい笑顔でディートリンデに手を差し伸べる。


「ディートリンデ様、私の手を取ってください。貴女を次期ツェントにしたいのです」


 盗聴防止の魔術具を握っているせいで何を話しているのかもわからない側近達だが、レオンツィオがディートリンデに手を差し伸べたのはわかったのだろう。マルティナが顔色を変えて「いけません、ディートリンデ様!」と声を上げた。


「邪魔をしないでちょうだい」


 マルティナの制止を振り切ってディートリンデは席を立って、ふわふわとした夢見心地のままレオンツィオに近付く。何だかうまく回らない頭で必死に考えた。この機会を逃せば、ディートリンデがグルトリスハイトを手に入れるのは難しくなる。


 ……これは時の女神 ドレッファングーアのお導きで、レオンツィオ様こそが縁結びの女神 リーベスクヒルフェが結び付けようとしている運命の相手に違いありません。


 ディートリンデはそんな確信を持って自分の手をレオンツィオの手に重ねた。


ディートリンデ視点、書くのも疲れますが、読む方もきっと疲れるでしょうね。

グルトリスハイトの在処を知るレオンツィオと手を組んだディートリンデ。

フェルディナンドはディートリンデと少し距離ができてホッとしている場合ではありません。


次は、子供達のお茶会です。

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― 新着の感想 ―
こういうとこフェルディナンド本当に不器用で潔癖だな。 丁寧に正論言ったって理解できないんだから、ディートリンデには適当にはいはい言っときゃいいのに。 近親婚ばっかりだろうに遺伝病とかにならないのは魔…
もう反逆まっしぐらじゃないか。 甘い匂いってことは、例の記憶混濁する草?みたいなの使ってるのかな。
砂かけまくったどこぞのリアルなカップルを思い出して仕方ない。
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