お手紙とお話
わたしがヒルシュールと言い合っている横で、養父様は苦笑しながらその魔術具を開ける。次の瞬間、ヒルシュールが飛びつくようにして、資料を取り出した。そして、ご機嫌な様子で資料に目を通していく。
「何の研究資料なのですか?」
「図書館の魔術具の研究資料ですね。資料の整理用や検索用など用途によって魔術具を分けることで作成の難易度を下げることができるようです。それでも十分に難しいし、品質の高い素材が必要ですけれど……」
……図書館の資料整理用や検索用の魔術具!? それって、つまり、自分の図書館に簡易版シュバルツ達を置けるってことじゃない!?
シュバルツとヴァイスには王族をグルトリスハイトに案内する役目もあるようだけれど、わたしの図書館で使う分にはそんな機能は必要ない。
「ヒルシュール先生、図書館の魔術具でしたら、わたくしにも見せてくださいませ! 資料の整理をしないヒルシュール先生に図書館の魔術具は必要ないでしょう?」
フェルディナンドの資料を見ようとジャンプしてみたけれど、ヒルシュールは手を高く挙げて資料を見せてくれない。
「わたくしが先です、ローゼマイン様。これらの魔術具は、自分で資料を整理できるローゼマイン様より、研究室に放置するわたくしにこそ必要ではありませんか」
……はぅっ、確かに。
ヒルシュールの研究室の有様を思い出して、わたしは手を引っ込めた。魔術具を作ることでヒルシュールの研究室が綺麗に整頓されるならば、魔術具にはとても意味があると思う。
「貴族院が始まる頃には、わたくしが必要な部分の研究は終わっているでしょうから、それほど興味があるのでしたら、研究室へいらっしゃればよろしいでしょう」
「冬まで待つのですか……。もっと早く読みたいです」
「本来ならばローゼマイン様はエーレンフェストにいらっしゃって、こちらにはいないはずなのです。正当にこちらへいらっしゃる時までお待ちなさいませ」
今は領主会議の最中でわたしが貴族院をうろうろとしても良い時期ではない。王族の手伝いのために滞在しているので、自分の趣味で文官棟へ立ち入ったり、ヒルシュールの研究室に居座ったりしてはならないのだ。
……うぐぅ、図書館の魔術具。
自分の図書館にもシュバルツ達がいれば良いな、と思っていたわたしにとっては欲しくて仕方がない魔術具だ。ちらっとでも作成方法が見えないかな、と頭を動かしていたら、ヒルシュールがわたしを見下ろして、小さく笑った。
「作成に必要な素材を書き出して、領主会議の終わりまでにはこちらの寮に届けましょう。冬には研究室に籠って作成できるように準備しておくと良いのではありませんか?」
「はいっ!」
よしっ! と拳を握っていると、養父様がわたしの頭をペシペシと手紙で叩く。封筒の中に養父様宛とわたし宛が一緒に入っていたようだ。
「ローゼマイン、こちらは其方宛だ」
養父様からフェルディナンドから届けられた手紙の内の一部を差し出され、受け取ろうと手を伸ばしかけたわたしは一瞬手を引っ込めた。もし、光るインクで書かれていたら、と考えたのだ。けれど、頭を叩かれた時点で何も変化がなかったのだから、光るインクでは何も書かれていないに違いない。
……だ、大丈夫だよね? 光るインクで書かれた手紙を同じ封筒に入れるような迂闊なこと、フェルディナンド様はしないよね?
ちょっとビクビクしながらわたしは手を差し出した。養父様はそんなわたしの様子を訝しそうに見ながら手紙を渡してくれる。
「どうした、ローゼマイン?」
「……えーと、あの、養父様。わたくし、お返事を書いてもよろしいのですか? その、フェルディナンド様を心配したり、お手紙を書いたりしてはいけないのでしょう?」
手紙が光らないことを確認しながら尋ねると、養父様はちょっとだけ困った顔になった。
「……返事をする分には構わぬ。其方との話し合いは明日に延期だ。フェルディナンドからの手紙を先に読むと良いだろう。私もこれを読んで考えねばならぬことがありそうだ」
自分宛ての手紙を文官に持たせると、養父様は「ヒルシュール、ご苦労だった。夕食を準備させるので食べていけ」とヒルシュールを夕食に誘う。けれど、ヒルシュールは資料を抱えて不満そうな顔になった。
「お誘いはありがたいのですけれど、一刻も早く研究室に戻りたいと存じます」
「そうか。無理に、とは言わぬ」
養父様はヒルシュールを解放し、ひらひらと手を振りながら自室へ戻っていく。わたしもフェルディナンドからの手紙を抱えて自室に戻った。
わたしは夕食とお風呂を終えてから、隠し部屋に入る。返事を書くために紙とインクも準備済みだ。ただ、ここでフェルディナンドに手紙を書く予定がなかったので、消えるインクを持ってきていない。
「当たり障りのないことしか書けないね。……どうしても伝えなくちゃいけないことは養父様が伝えるだろうけど」
養父様とフェルディナンドの間にも秘密のやり取りがあるようなので、そちらに任せるしかない。銀の布とか、連座の心配とか、書きたいことは色々とあるけれど、検閲を考えると書けない。
溜息混じりにわたしは手紙を開いた。最初に「この手紙は皆が会議のために不在の時間に書き、エックハルトに箱に入れてもらったものだ。返事には検閲が入ると考えるように」という注意書きがあった。フェルディナンドは自由に書ける環境だったが、自由に読める環境ではないということらしい。
……検閲が入ることくらい、わたしだってわかってるよ。
アーレンスバッハだけではなく、養父様も多分わたしの手紙を確認するはずだ。面倒な状況になっていることに溜息を隠せず、懐かしい筆跡で書かれている挨拶文を読む。始まった本文の最初の一文はお小言だった。
「さて、私には安否確認のための手紙を書けと言っておきながら、君からの便りが途切れているのはどういうことだ?」
……うぐぅ、ごめんなさい。
養父様から心配するなとか、手紙のやり取りを控えろとか、色々と言われて以降、わたしはフェルディナンドに手紙を書いていない。文句を言われても仕方がないと思う。
「わたしだって書きたいことはいっぱいあるんですよ」
むぅっと唇を尖らせながら、養父様に言われたことをつらつらと書いていく。簡単にまとめると、「わたくしがお年頃に見えるようになってきたからダメだそうです」の一言に収まるのだが、その一言で終わらせてはわたしの気が済まない。
ついでに、ヴィルフリートのことをもっと心配するように言われたので、フェルディナンドと同じように心配してあげたら嫌がられたことも書いておく。
「もやもやしてたこと、全部書いたらちょっとスッキリしたかも」
誰にも愚痴を言うことができなかったので、こうして紙に書くという行動が取れただけでかなりスッキリした。
「……まぁ、返事は書き直しだけど。こんな裏事情、アーレンスバッハの人に見せるわけにはいかないからね」
わたしは愚痴と文句を書き連ねた紙を折り畳んで横へ退けると、簡単にまとめた一言に「わたくし、とても成長したのですよ」と付け加えた。これでよし。
そして、続きを読んでいくと、祈念式でアーレンスバッハの貴族達にも神事をさせたこと、素材採集をしていたことが書かれていた。レティーツィアはゼルギウスを通して渡された優しさ入りの薬を「そこまでの品質はまだ必要ない」とお断りしたらしい。
体力がなく、すぐに動けなくなるわたしと違って、レティーツィアは魔力回復の薬だけあれば事足りるそうだ。魔力不足にはなるけれど、祈念式の間にレティーツィアが倒れることはなかったようで、普通の健康な子供と比べたことでわたしの虚弱ぶりに改めて驚いた、と書かれている。
「わたくしだって、フェルディナンド様がご存じの頃に比べたらとても丈夫になったのですよ。今回の祈念式なんて、道中で寝込んだのはたった三回でしたし、祈念式が終わった後も二日休めばほとんど回復したのですから」
どうだ、とばかりに鼻息荒く自分の状況を書いてみたものの、レティーツィアと比較してちょっと落ち込んだ。まだ普通まで程遠い気がする。
……ちょっとずつ頑張ればいいんだよ。
「祈念式でアーレンスバッハ内を巡り、手に入れたヴェーリヌールの花を送る。お守りを作るのに適している素材だ。工房がないので作ってはやれぬが、もう自分で作れるであろう?」
お手紙や研究資料を入れるには大きな箱だと思ったら、フェルディナンドから素材のお裾わけがあったようだ。お守りが壊れたところなのでちょうど良い。
……タイミングが完璧だね。さすがフェルディナンド様。
ヴェーリヌールの花がどんなお守りに適しているのか書かれているのを読んでいく。
「……その代わりに、来年の領主会議までに準備しておいてほしい物がある。最高品質の魔紙をできるだけ多く、最低でも300枚は欲しい。ドレヴァンヒェルと魔紙の研究で品質の上げ方を発表していたであろう? でき得る限り品質を上げておくように。それから、工房の中にあるゲシュテフェールトの革、ゾネンシュラークの魔石、レーギッシュの魔石……。全てを最高品質で」
……ちょっと待って。ヴェーリヌールの花に対して要求が多すぎじゃない!?
一体何のための素材収集なのか知らないけれど、お守りのための素材に対する要求が多すぎだと思う。魔紙以外はフェルディナンドにもらった工房の中を探せば出てくるけれど、それでも、かなりの量である。
……最高品質の魔紙か。
最低300枚と言われると、トロンベ紙だけでは足りないと思う。今年は孤児院に貴族の子供達がいるので、量産するのも少し躊躇ってしまうくらいだ。
……帰ったらイルクナーのブリギッテに尋ねてみようかな?
イルクナーでできた新しい魔紙の使い方を研究することでドレヴァンヒェルとの共同研究に繋がったのである。イルクナーでまた何か新しい紙ができているかもしれない。イルクナーに何もなければ、側近達から隠しながら孤児院の子供達とトロンベを刈ることになる。
面倒な頼み事だけれど、ひとまず「頑張って準備します」と返事を書く。その直後に「それから、夏にアウブ・アーレンスバッハの葬式があるので、その時に荷物と料理の追加を頼む」と必要な物リストが書かれていて、自分がフェルディナンドからものすごく便利に使われているような気がしてきた。
……ふんぬぅ! わたしだって忙しいのに。
「頼んでばかりでは悪いので、こちらからは土産として魚を準備するつもりだ。希望があるならば受け付ける」
「ひゃっほぅ! 最高品質の魔紙でも、料理でも、喜んで準備させていただきますっ! 神に祈りを!」
わたしは荷物の準備を養父様にお願いすることになったことを記し、「おさかな、おさかな~」と鼻歌を歌いながら食べたいお魚リクエストを書いていく。
「タウナーデルみたいな毒の魚はいりませんが、シュプレッシュの団子スープはおいしかったのでたくさんほしいです。できれば、平民の料理人でも捌けるお魚が嬉しいです。……うん。これでよし」
久し振りにお魚が食べられそうで、わたしは返事を見つめてニンマリと笑う。ものすごく夏が楽しみになってきた。
しかし、お魚で浮かれさせておきながら、その後に書かれていた内容はものすごく憂鬱な気分になるお小言と現状報告だった。
「星結びの儀式で古い神事の再現など、何を考えて行ったのだ?」
わたしは地下書庫にいるので領主会議の内容は知らされていない。ハルトムートやクラリッサからも「忙しいですよ」としか報告を受けていない。けれど、今の領主会議では中央神殿が神殿長としてわたしを欲しがり、エーレンフェスト以外の領地が中央神殿に賛同してヴィルフリートとわたしの婚約解消を王族に要求しているそうだ。
何でも、中央神殿の神殿長としてわたしを入れて、全ての領地で神事の仕方を教えたり、古い儀式の再現を行ったりさせたいらしい。エーレンフェストの神殿長では各領地に派遣したりできないけれど、中央の神殿長ならば神事のために各地に派遣することが可能になる。
そして、祈ることが加護の増加に繋がることが研究成果として発表されている以上、古い神事を蘇らせ、正しい神事の行い方を広めることはユルゲンシュミット全体の底上げになる。
何よりも古い儀式を蘇らせることで、正しい次期ツェントの選出ができるようになるだろう、と中央神殿は訴えているそうだ。その中央神殿に加勢しているのが、次期ツェント候補であるディートリンデを抱えたアーレンスバッハだそうだ。
フェルディナンドが祈念式を「進んで」行い、貴族達も神事に参加させたこと、これでアーレンスバッハの貴族の加護や収穫量が増える可能性が高いことをゲオルギーネが広げまくっているそうだ。ついでに、「ローゼマイン様が中央の神殿長になれば、全ての領地で同じことが可能になりますね」とか「エーレンフェストだけで独占しても良い知識だとは思えません」と他領のアウブ夫妻を煽りまくっているらしい。
領主会議に出席することはできないフェルディナンドでは、お茶会や会食の場でゲオルギーネの発言を止めることはできない。同席した文官や側仕えから報告を聞いてはゲオルギーネに文句を言っているけれど、「あら、事実ですもの」と受け流されて終了だそうだ。
「ランツェナーヴェの姫君の受け入れが拒否されたため、アーレンスバッハに戻ってからランツェナーヴェとの交渉が面倒なことになりそうだ。受け入れるよりは気が楽だが……」
領主会議が終わったらランツェナーヴェとの交渉があるフェルディナンドは、すでに精神的な疲労が溜まりきっているように思える。それでも、ユストクスをアーレンスバッハに残してきたようで、領主会議中、ゲオルギーネの目をアーレンスバッハに向けないのがフェルディナンドの仕事らしい。
ちなみに、図書館で失礼な女に会ってひどく気分を害したと憤慨していたディートリンデは、わたしを中央神殿に入れたいと考える領地の者によって「古い儀式が再現されれば、ディートリンデ様は次期ツェントになられるかもしれない」と持ち上げられて、最近はとてもご機嫌だそうだ。
アーレンスバッハの他の貴族達は「ヒステリーを起こされても仕事の邪魔で面倒だから、礎を染め終わるまではできるだけ長く次期ツェントとおだてておけばよい」という雰囲気になっているようで、ディートリンデを止める気は全くないらしい。
……アーレンスバッハ、マジやばい。
そんなゲオルギーネの口車に乗った他領の攻勢に対して、エーレンフェストは「ローゼマイン様を中央の神殿長にするなどふざけたことを言うな」とか「他領の領主候補生を中央神殿に入れることを考えるならば、自領の領主候補生も神殿に入れろ」とか「領主候補生を中央に移すことは禁じられている」と応戦しているけれど、魔力不足で収穫量が落ちている領地が多いため、かなり旗色は悪いようだ。
魔力のある貴族が神事を行うことによって収穫量が増えるのはエーレンフェストやフレーベルタークの例からも目に見えている。今年は何とか凌げても来年は難しい、とフェルディナンドは考えているらしい。
「君を中央神殿に入れることができれば、王族も中央神殿を抑えることができ、正しい神事の仕方を知り、各地に広げることができる。そして、正しい手段でツェントを得ることができれば、トラオクヴァール王はその重責から解放されるのだ」
エーレンフェストとわたしが困るだけで、他は全く困らないため、皆がわたしを中央神殿に入れる方法を模索しているらしい。
「君は養女だ。ジルヴェスターとの養子縁組を解消して、上級貴族の身分に戻れば、中央へ移動させることはできる。ただし、この縁組解消にはジルヴェスター、カルステッド、君、全員の承諾が必要になる。縁組を解消するように圧力をかけることは可能だが、王命だけでどうにかできることではない」
王命で何とかできるのは婚約解消だそうだ。婚約許可の取り消しはできるので、養父様が何と言い張っても内輪で決まっているだけ、という状態に戻すことは可能だそうだ。
「王族からの申し出は基本的には断らぬように。他領のエーレンフェストに対する心証が悪くなる。勝ち組として扱われることになったことで、負け組領地からは妬まれているのだ。勝ち組領地からは一層の協力を求められるだろう。恐らく、私が呼び出されて個人の意見を聞かれたように、君も個人の意見を聞いてみなければわからないと呼び出される可能性がある。断るのではなく、時間を稼ぎなさい。せめて一年、それ以上はできるだけ長く、だ」
王族に協力して功績を残しているのに、領主候補生から上級貴族に落とされて、何故協力する気になれるのか、と訴えたり、ヴィルフリートを深く愛しているのでどうしても婚約解消はしたくない、とエルヴィーラの恋物語の愛読者達に訴えたりしてみろ、と書かれている。
……忠告と対応はありがたいけど、前半はともかく、後半は、ねぇ。わたしにヴィルフリートを愛している演技ができるかな? むーん……。
そんなことを考えながら寝たのだが、今日一日で色々なことがありすぎたせいだろう、わたしは次の朝から熱を出して寝込んだ。
「祠の清めのために昨日の午前中はずっとお外にいましたからね。今日は土の日でお休みですから、周囲を気にせずにゆっくりと休んでくださいませ。アウブとのお話は回復してからで良いというお言葉をいただきました」
オティーリエはそう言いながら薬を準備してくれた。寝込んでいるわたしを心配してクラリッサがオロオロとしているのをリーゼレータが「いつものことですよ」となだめているのが見える。
「ねぇ、クラリッサ。わたくしは中央神殿に行くことになるのかしら?」
「エーレンフェストからローゼマイン様を失うことはできません。わたくしもハルトムートもお守りいたしますから、ご安心くださいませ」
トンと胸を叩いてそう言ってくれるクラリッサは心強いけれど、フェルディナンドはエーレンフェストの旗色が良くないと言っていた。ならば、すでに養父様にはかなりの圧力がかかっているはずだ。変なところでカッコつけて隠したがる養父様は、たぶん自分が受けている圧力のことを教えるつもりがないのだろう。アナスタージウスが言っていたことは多分このことだと思う。
「クラリッサは他領の視点で考えられるでしょう? エーレンフェストはどうするべきだと思いますか? ここで中央神殿に求められている人材がわたくしでなければ、クラリッサはどうしますか?」
クラリッサはスッと表情を引き締める。そして、真面目な顔でわたしを見つめた。
「……王族と他領に恩を売る最大の好機だと思います。勝ち組領地と公表され、その扱いを受けるのに相応しいだけの貢献が他領にとって目に見える形で示されることになるでしょう。領主候補生としての扱いを約束させること、期限を決めること、神事を教えて回る順番についてエーレンフェストの意志を反映することなどの交渉は必要ですが、たった一人の領主候補生でそれだけの恩を売れる機会はございません」
クラリッサはそう言った後、「裏を返せば、ローゼマイン様を独占することで全領地の恨みや妬みを買います」と困ったように微笑んだ。
「わたくしはエーレンフェストの内情を知っているので、今ローゼマイン様を出すわけにはいかないことを知っています。けれど、ダンケルフェルガーにいた時分ならば、ローゼマイン様を独占して出し惜しみをするなんて、と思ったでしょう。エーレンフェストの聖女であるローゼマイン様の神々しき神事をこの目で見たいと思う者はたくさんいるはずですから!」
せっかくのできる文官という雰囲気が最後で台無しであるけれど、周囲の領地の考えはわかった。わたしが地下書庫で現代語訳に励み、次期ツェント候補になったり、資格がないと知らされたりしている間、養父様もかなり大変だったようだ。
夕方には熱が下がったので、わたしは養父様と話をするために寮の会議室に入った。今日は養母様も一緒で「熱は下がったようですね、ローゼマイン」と優しく微笑んで迎え入れてくれる。
「フェルディナンド様のお手紙で領主会議の現状がわかりました」
わたしはフェルディナンドの手紙と、こちらから送る返事を養父様に見せた。養父様は両方に目を通すと、返事を文官に預けて、手紙はわたしに渡してくれる。
「……だが、私は其方とヴィルフリートの婚約を解消するつもりもなければ、其方を中央神殿へやる気もないぞ」
ジルヴェスターはニコリと笑ってそう言い、養母様は心配そうにわたしと養父様を見つめている。
「王族はどのように言っているのですか?」
「中央神殿を抑えることができ、他領の要求を叶えることができる。神事について深く知ることができて、ユルゲンシュミット全体の底上げになるのだから、受け入れてほしいという申し出はあった。だが、断っている」
養父様は「まだ神殿蔑視が強い中で何をおっしゃるのですか」と王族に反論したらしい。星結びの儀式に許可を出したのは一度きりの約束で、ジギスヴァルト王子に祝福を与えて次期ツェントとしての箔をつけるためだったのに、中央神殿に入れと言うのはどういうことか。ローゼマインの魔力が強力なので、王族に協力してほしいと簡単に言うけれど、それならばエーレンフェストをどれだけ支えているのかわかるはず。アーレンスバッハを支えられるフェルディナンドに続いてローゼマインまで奪われるわけにはいかない。領主候補生を中央に移動させることはできないはず……ということを丁寧に述べたそうだ。
ツェントは「そちらの言い分ももっともだ」と引き下がったらしい。ほぼ全ての領地から要望がある以上、無視することはできずに質問しただけという雰囲気だったらしい。けれど、ジギスヴァルト王子は「全ての領地に恩を売れるのは今しかない」「神事を行い、加護を得て、魔力を少しでも扱いやすくするのはユルゲンシュミット全体で最優先に行わなければならないことだ」と言ったそうだ。
……あれ? ツェントもジギスヴァルト王子もわたしが次期ツェント候補になったことを知らない?
中央神殿の神殿長にするかどうかという話ばかりだ。アナスタージウスと違って次期ツェント候補を確保するという視点が全くない。祠巡りは昨日の話なので、ツェント達は知らないのかもしれないけれど、アナスタージウスやエグランティーヌから祠に入れる可能性があることくらいは聞いているはずだ。
……それとも、まだその情報も行ってない?
アナスタージウスは祠巡りに同行するまで次期ツェント候補であることに確信を持てなかったはずだ。アナスタージウスは独走だと言っていたし、エグランティーヌが周囲を混乱させないように祠の用途を話していなければ、マグダレーナも知らなかったはずだ。
……さすがに地下書庫の異変で気付いただろうけど、それだって昨日の話だから、ようやくツェントに情報が行ったくらいかも?
王族間での情報共有がどのくらいで行われているのか悩んでいると、養父様は軽く肩を竦めた。
「今朝、招待状が届いて、二日後にはまた王族に呼ばれているが、ツェントはまだこちらの言い分を聞いて引いてくれそうなので、このまま領主会議が終わるのを待つつもりだ。誰が何を言っても、領主候補生は婚姻以外で中央に移れぬ」
時間切れを狙う、と養父様は言っているが、王族が次期ツェント候補の情報を仕入れて、それに対する招待ならば状況は全く変わってくる。
「あの、養父様。これから先はお断りするのが難しくなるかもしれません」
「何?」
養父様と養母様が目を瞬く。わたしはオティーリエに言って、盗聴防止の魔術具を準備してもらった。それを養父様と養父様の護衛をしているお父様に渡す。渡されなかった養母様がひどく不安そうにわたしを見つめる。
「衝撃が強すぎて養母様のお腹に差し障りがあってはいけませんから、内容は養父様から養母様に伝えるかどうか決めてくださいませ」
「そんなにとんでもない内容なのか?」
「できれば、人払いもしてほしいくらいです」
わたしの言葉に、養父様は軽く手を振った。側近達がわたしと養父様とお父様と養母様を残してぞろぞろと出ていく。側近達の姿が見えなくなってから、わたしはグッと盗聴防止の魔術具を握って口を開いた。
「わたくし、次期ツェント候補なのです」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声を上げた養父様とお父様が「わけがわからぬ」と目を見開く。わたしにもわけがわからない。お祈りをしていたら候補になって、アナスタージウスに引き連れられて祠を全部連れ回されて、最終的には「王族登録がないから資格がない」と言われたのだ。
「候補のなり方はここで口にしても良いのかわからないので省きますけれど、恐らく今のところ、最も次期ツェントに近いと思います。ただし、王族登録がないため、次期ツェントにはなれません。王族から何か圧力がかかるとすれば、これからだと思います」
「聞いてないぞ!」
「昨日の話ですから」
帰ってきて話をする予定だったけれど、フェルディナンドの手紙を優先させ、熱で倒れた。回復して、今である。
「どちらにせよ、成人するまでは結婚できませんが、婚約解消を申し渡されるのは確実ではないかと思います。三年以内に王族の誰かがグルトリスハイトを手に入れることができれば良いのですけれど、できなかった時のためにわたくしを確保しておきたいでしょうから」
アナスタージウスはジギスヴァルトの第三夫人になるというのを取り消したけれど、それは他の選択肢を王族で探すためだと思っている。中央神殿の神殿長にするという要望は「エーレンフェストが嫌ならば仕方がない」で流せるツェントも、「周囲をなるべく混乱させずに最速でグルトリスハイトを持つ次期ツェントを得るためにはどうするか」という話は流せないだろう。
「フェルディナンド様のお手紙には、中央神殿の神殿長にするためですけれど、王族がわたくしを中央に移動させるために取りそうな手段について書かれています。忠告も書かれています。王命が下った時にエーレンフェストがどうするのか、考えなければなりません」
養父様が悔しそうに顔をしかめた。中央神殿と違って、問題が大きすぎる。次期ツェントやグルトリスハイトの入手はアウブの一存で却下できる問題ではない。
「ヴィルフリート兄様も呼んだ方が良いかもしれませんね。……一生に関わりますから」
フェルディナンドからお手紙が届きました。
魚に浮かれている場合ではなかったローゼマイン。
中央神殿や他領からの要望には必死で応戦していたエーレンフェスト。
次は、王族からの呼び出しとお話合いです。